2011/11/14

歴史はしかばねの上に……──東白楽、岸根公園

2011.10.29
【神奈川県】

 このところ急に日中も冷え込み始め、薄手のコート類は出番なく冬に突入しそうな勢いです(と思えばまた暖かかったり)。
 11月となればわれわれの感覚では「冬支度」の季節感を持っていますが、温暖化時代に育つ子どもたちは、11月に「衣替え」の季節感をイメージするようになるかも知れません……


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 東横線は渋谷から南西方向の横浜に向かいますが、その駅の並びに「白楽」の次が「東白楽」では方向が逆じゃない? の疑問を感じる区間があります。
 この場所の地図を見れば、南西に向かっていた路線はこの区間だけ南東に向かっていることが分かります。
 住所表記にも白楽の地名はないようなので、駅名決定時にその位置関係を明確に示したかったのかも知れません。


孝道山本仏殿(Map)


 東白楽駅付近の車窓から丘の上に見える寺院は「孝道山本仏殿」とされる、法華経の教えから派生した新興宗教教団の寺院です(昭和27年建立)。
 法華経は聖徳太子の時代に日本に伝えられた仏教の重要な経典で、日本では明治維新まで「護国の経典」とされます。
 聖徳太子以来、皇室で尊ばれたため、後の日本に開かれた宗派は最澄の天台宗を始め、みな法華経から派生したものと言えます(空海の真言宗は別の道を歩むも、最期の著で受け入れたそう)。


 丘陵地上の寺院へ向かう坂には、聖徳太子時代からの法華経の歴史を解説する看板が並びます。
 その案内設置には、現代の日本に広まっている仏教の教えと「ルーツは同じですよ」と、知ってもらいたいとの願望が感じられます。

 この日の境内は毎年10月31日・11月1日の2日間開催される、「大黒まつり」の準備でテントやパイプ椅子が並べられ、お寺らしからぬ慌ただしさがありました。社会福祉への貢献姿勢をアピールする新興教団の広報活動なのでしょう。
 そこでは難民支援協会(トルコ地震で亡くなられた方は難民を助ける会なので、いくつもの団体があるようです)が「タコス」の売店を構え、インドムービーダンス(インド映画で見られるダンスパフォーマンスで、マツケン・マハラジャ:松平健のPV制作に協力したBiNDU)の出し物や、もちろん震災被災地からのブースもあります(場所指定の張り紙を見ただけですが)。
 それは、仏教の「教え」を接点としたカーニバルのようで、イベンター側にとっては羽目を外さない限り無限の広がり(可能性)があるように思えます。
 機会があれば、一度のぞいてみたい催しです。


 以前から気になっていたのが、孝道山の手前で存在感を示す中央分離帯が並木(花壇)とされた、幅は広いが長さは短い坂道です。
 歴史ある並木道なら花壇にできませんから、計画倒れの高級住宅街の道のような中途半端な印象があります。
 これは想像ですが、お寺の案内図に組み込まれているので、以前はその先の急斜面に階段の参道があったのかも知れません。
 車社会への対応や、幼稚園などの事業展開による自動車道設置の要求から、別の場所に新しい急坂の車道を「無理やり」作ったのでは?(法華経の看板を読んで、休みながら登る急坂)
 そんな理由から、存在感はあるものの主を失ったような、宙ぶらりんな道が残されているのかも……


岸根公園(Map)

 最寄りに横浜市営地下鉄ブルーライン「岸根公園駅」があるので、横浜駅や港北ニュータウンからのアクセスはいいのですが、東横沿線からはどうも行きにくいので、東白楽を通るバスでアプローチしました。

 右写真の篠原池や広場がいくつも連なるので、家族や仲間で思いっきり走り回れますし、一画には県立武道館や野球場(2つ)もある広大な施設です。
 袋に入った弓を持つ方を多く見かけたので、大会があったのかも知れません。

 このサギは結構大きいので、すみ着いているのかとカメラを向けると、同じ水面にカワセミがいました(下写真は200mm望遠レンズ撮影のほぼ等倍)。
 体が小さいので肉眼ではハッキリ分かりませんが、カメラでのぞけば確かにカワセミです。
 詳しく観察できずも、カワセミと判別される「ヒスイ(翡翠)」色を身にまとうのは、目立ちすぎじゃない?
 と思うも、彼らの体は本来青くなく、光の加減で青く見える「構造色」とされるCD等の盤面やシャボン玉と同じで、自身に色は持たずも微細な構造で光が干渉するため、色づいて見えるそうです。
 確かに、角度によって色が変化するように見えるので「ガッテン!」ですが、そうなると「無色の姿」を見たくなります。
 でも、CD盤のように灰色だったらちょっと悲しい気がします。

 動きが俊敏で色の見え方が多彩ならば、さまざまな姿を撮りたい被写体として人気が高いはずも、ここにはカメラを構える人は一人もいません……


 確かに魅力的な被写体ですが、これまで歩いた多摩川を中心にした水辺では、カワセミ出没のうわさを多く耳にしましたし、プラプラ歩くわたしでも2度目の遭遇になります。
 これは多摩川周辺で目にする頻度が高まったことの現れで、環境改善(だったらいいですね)や生態変化(以前のすみかの環境悪化・天敵の増加)等が考えられますが、めずらしさは失われつつあるのかも知れません(もしくは、ここは休息地で獲物を捕らず動かないのか?)。
 いずれにしても、小さいながらもカラフルさを楽しめますから、見飽きたカラスやハトだけじゃないという状況は、とても喜ばしいことです(水辺にサギの姿も当たり前の印象となりつつあります)。


 この広大な公園には1972年まで、米軍の「岸根キャンプ」がありました。
 敗戦後の接収にはどこも理由があるもので、ここは1940年(第二次世界大戦の開戦は1941年)に始まった「防災緑地を兼ねた公園整備」とされる工事は「日本軍の高射砲基地建設」(厚木・立川飛行場を守るため?)とすれば、接収後は好き勝手に使用されてしまいます。
 当時近くに暮らした方によると、ベトナム戦争当時(1960年〜75年)に大型ヘリコプターが日々発着するのは、戦地での負傷兵が運び込まれる病院施設だからとうわさされ、「篠原池からホルマリンのにおいがした」→「死体処理施設」(報道等の「遺体」の表現ではない市民の表現)ではないか? とされていたそうです。

 わたしが育った相模大野駅前には、地元で「米軍病院」と呼ばれた「米軍医療センター(1981年返還→現在の伊勢丹周辺)」が鎮座し続け、上述同様にうわさの絶えない一画でした。
 戦前も相武台陸軍病院ですから疑いようもありませんし、隣接の中学に通った時分はヘリコプターが下りる度に「また死体が運ばれてきた」と、授業中に話していました。
 現在その地には、広々とした公園・集合住宅・高校などが作られ平和利用されていますから、過去の出来事を学びながらいい汗を流すことで、その地に新たな歴史を築いて欲しいと思う次第です……(歴史は屍の上に作られる)


 上写真2枚は、コロシアムのように中央がくぼ地となった底に立つ木で、こんな地形は子どもの目にダイナミックな印象に映るのでしょう(大人も同様ですね)、斜面を思いっきり走り回る姿を目にできますから、親としてもまた連れてきたいと思うことでしょう。

 しかし、眼前の光景とはかけ離れた現実を、福島の人々は突きつけられています。
 福島の子どもたちの成長(体重増加)が鈍ったのは、原発事故により屋外で遊べないことが考えられる、という研究結果が発表されました。
 そんなことは「人の親なら誰でも分かる」のだから、憲法にのっとり「健康で文化的な最低限度の生活」を早急に実現すべきと思えてなりません。
 除染に年単位の時間を要するならば、子どもたちの「集団疎開」も必要ではないか? と思ったりします(戦時中の子ども時代に疎開を経験した親の年代の人々は、たくましくわれらの世代を育ててくれました)。

「ガキ時分に故郷の福島で原発事故が発生したせいで……」ではなく
「原発事故で○○に疎開して大変だったけど……」と、プラス思考にとらえられるように導いてあげたい、と願ってやみません。


 以前バスを乗り間違えた(詳細は長くなるので省きます)と書きましたが、この日の帰りにはイメージしていた路線のバスに乗ることができました。
 その路線に乗ると、丘陵をひとつ越えて10分程度で妙蓮寺駅に着きます。
 ただとても本数の少ない路線で、日曜のせいか16時台に乗った便が最終となります。
 それは乗り間違えただけでなく、そのルート選定自体が間違っていたようです……

2011/11/07

戦後の面影が残るということ──白楽、六角橋

2011.10.23
【神奈川県】



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白幡池、篠原園地(Map)

 白楽駅は一度降り立った事がありますが、六角橋商店街とは反対側に出て隣の東白楽駅まで歩いた記憶があります(何もなかった)。
 2駅間の線路は、商店筋から離れる方向にカーブし、車窓から見る商店街側の光景は、線路際まで家屋が立て込んで見通しが利かないこともあり、町の様子をイメージしづらい印象があります。
 歩く前に地図を見て「こんな所に池が!」と驚き、歩いみれば「釣りキチが集まる池?」の様子にまたビックリです。

 ここは横浜市立公園の「白幡池」で、隣接の県立「篠原園地」へと緑地が続きます。トータルしても広くありませんが、いい具合の自然環境が保たれています。

 以前歩いた鶴見川は多摩地区から海を目指すも、新横浜・菊名〜大倉山に続く丘陵地帯に行く手を阻まれ、南東に向かっていた流れは北へ大きく蛇行します。
 その流れを阻む丘陵地を水源とする入江川が代わりに南東へと流れ、その源流のひとつであるこの地は、かんがい用ため池とされ付近の農耕に利用されました。
 現在園地の環境整備は県や市が分担しますが、池の管理は地域住民が主体となっているそうです。
 それはある意味、理想的な役割分担といえますが、下写真を見ればその理由が理解できます(釣り天国を侵すべからず!)。


 陣取った全員が、細く短くしなりの強い「玄人っぽい」釣り竿を持って並ぶだけで迫力がありますが、「この気合い何?」と思うほどの真剣さで竿に向かっています。
 写真のように目つきはマジですし、見ていると、とても微妙なアタリに手首で対応し、瞬時に「クンッ!」と手首を返して見事に釣り上げています。

 その様子を見届けている間にも、周囲で次々と釣り上げる状況に驚いてしまいます(ビデオで撮ったら驚きますって。こんなにバンバン上げる様子を見たのは初めて)。
 釣り上げたさかなは20cm程度で厚みはありません。「おぉ〜、これがヘラブナ釣りか!?」と、初めて見た気がしてちょっと感動です。
 小学生のころチラッとかじった釣りの本で読んだ「ヘラブナは受け口なので釣り上げるのは難しい」イメージを思い出しました。

 この池は水深が深くヘラブナの生息に向いているので、釣りを楽しむために放流されたブルーギルやブラックバスと同様(ヤツらは迷惑だが)、むかしの人にもヘラブナ釣りのメッカにしたい気持ちがあったような気もします。
 ルアー、リール、返し針は使用禁止で、キャッチアンドリリース原則のようです。だからみなさん細く短い竿を使用した「真剣勝負」が挑めるのでしょう(上の彼はザリガニ釣りか?)。


 隣接の篠原園地には斜面を利用した雑木林や、子ども用プールがあります。
 プールのフェンスには、ここで見られる四季の自然や動植物の観察レポートが張り出され、なかなか楽しめる展示になっています。
 それに感化されたのか、保護のため立ち入り禁止とされる場所に踏み入り、観察する中学生くらいの男子がいました。
 保護区域に「入らなければ理解できないこと、入ったせいで自然を破壊したこと」を、総合的に理解できるようになってもらいたいと応援します。
 上写真は「カントリーヘッジ:小動物や虫たちのエサ場や産卵場」として、意図的に設置された枯れ木等の山です。


六角橋(Map)

 「白楽」の地名からは「白楽天っていたよね?」「七福神だっけ?」と思ったりしますが、七福神は大黒天 · 恵比寿神 · 毘沙門天 · 弁財天 · 福禄寿 · 寿老人 · 布袋と宝 船ですから、そのいい加減さを思い知らされます。
 そのイメージの元を探すと、横浜中華街の店名だったりするかも知れません……
 ちなみに白楽天とされる方は存在し、平安時代の中国(唐)の詩人、白居易(はくきょい)で、字(あざな)は楽天とあります。
 仮にそこから企業名をもらったとしても結びつきません(便利でも好感度は低い)。

 以前は東海道神奈川宿で働く伯楽(ばくろう、馬喰、博労:馬に関する仕事をする人)が多く暮らすことから、伯楽(ばくろう)→白楽(はくらく)とされますが(当時の庶民は漢字に弱かったようにも見てとれます)、その元は周(中国)の馬を見分ける名人「伯楽」によるようです(そう「名伯楽」です)。
 ばくろうに因む地名は、馬喰町のように日本各地に存在します。当然ながら白楽天は無関係です……

 右上写真は旧綱島街道とされる白楽駅前のメインストリートで、カメラ後方側から神奈川大学の学生が流れてくると、すっかり歩行者天国と化します。
 近くにはその道と並行する、現在では裏通りとなった、戦後からの雰囲気を保つアーケード街の「仲見世通り」が残ります。
 六角橋商店街では今年(2011年)8月に火事があり、片付けられたさら地を目にするとかなり延焼した様子がうかがえます。
 よく「すれ違うのがやっとの通路幅」と表現されますが、それがむかしの規格だったのでしょう(1間≒1.8m等)。京都の錦小路などは、その狭さで生じる混雑を商売の武器にする面もありますが、人が流れなければ武器にもならないこの通りはシャッター街になりつつあるようです……

 横浜市営地下鉄ブルーラインは当初、六角橋を通り横浜と新横浜をほぼまっすぐに結ぶ計画だったものが、地元の反対運動でルート変更されたそうです。
 表向きは騒音問題による反対でも意見を左右したのは、横浜駅方面への客の流出を恐れた六角橋商店街の反対運動のようです。
 その選択は正しかったと思えませんし結果を見ずとも、魅力的な個性を打ち出す行動力無くして、都市近郊の商店街に未来は無い、という現実に行き着いてしまいます。

 町が開発される様子を見る度に思うのは、「町(住民)にその意志があったのか?」ということです。
 時代的な勢い(波)で開発さた都市(東京)には同情する面もありますが、未練で無為に残されても町のためとは思えません。
 そんな開発の触手を払いのけてきた「都市近郊の田舎町」でも、都市計画無き虫食い開発に侵攻される前に、将来設計を明確にした積極的な新しい町作りを目指した方が、地域の発展につながるのではないか、と思う近ごろです(そんな意味で横浜は地方都市の代表格)。

 このアーケードには確認した限り3つのトイレが設置されていて、中には狭い建物のすき間の先にあったりします(右下写真)。
 実際、このすき間を通ろうとした時、出てくる人と鉢合わせ道を譲りました。「ここにあって助かった!」という「救いの神」の前では、人は謙虚に振る舞いますから、やはり「トイレの神様」はいるのかも知れません……

 六角橋には新横浜ラーメン博物館への出店で注目を集めたラーメン店があり、機会があればと思っていました。
 現在では「横浜家系(いえけい)」とされるとんこつ醤油味で油コッテリ系の店は珍しくありませんが、さすがに「うまい」と感じさせてくれます。
 しかし、嗜好や胃袋は年齢と共に経年変化するので、食後まで「しょっぺぇ」が残り、やめればいいのに一口スープを飲んだら最後、胃がもたれ家に帰り胃薬を飲みました……

 この「六角橋」の地名には思い出があります。
 中学三年の担任だった先生への年賀状の宛先にこの地名があり、何度も書かないにしても印象に残っていました。
 当時から最大の関心事だった「六角橋とはどんな橋か?」のオチは以下の通りです。
 日本武尊(ヤマトタケル)が東征(東方の蛮族の討伐)の際、この地の豪族の館に泊まり五位木(ごいぎ)という六角の木の箸で食事をし、その箸を豪族に贈ったことから、村名は「六角箸村」→「六角橋村」とされたそうです。
 そんな脱力的な伝説の後に「この地の橋は六角形の材木で組まれたという説もある」とされても、水を差された薪にもう火は付かない状況です……

 ですが、風水では「六角」は幸福を招くの記述に、希望を託したいと思います。


 追記──「黙れ!」

 東日本大震災の災害廃棄物(がれき)を東京都が受け入れた際、都民から抗議の声が寄せられ石原知事は「(放射線計測により)なんでもないものを持ってくるんだから『黙れ』と言えばいい」と切り捨てます。
 東電でも、原子安全保安院(国)でもなく、東京都が実施した検査も信用できないならば、東京で暮らさなければいいとの口調です。
 確かに、「安全だった」と評価されるのは何年も後のことでしょうが、それを今判断しなければ国や自治体の行政が滞ってしまうのも事実です。
 「力のある(財政規模・施設・処理能力)自治体が率先しなくてどうする」と、反対意見を切って捨てられる政治家(主導力)こそ、非常時に求められる存在なのかも知れません。
 この件に関しては、胸がすいた思いがしました……

2011/10/31

駅は寺の境内にあり──妙蓮寺

2011.10.16
【神奈川県】

 このところ連載ものが続きましたが、しばらくぶりに以前のテーマ「東横沿線を歩く」に戻ります。
 横浜線と接続する菊名駅の次は妙蓮寺駅(みょうれんじ)になります。
 東横線で横浜方面へ向かう際、各停や日比谷線直通列車(菊名止まり)に乗ったとしても菊名駅で特急・急行に乗り換えるので、菊名〜横浜間にある妙蓮寺、白楽、東白楽、反町駅はどうしても軽視しがちになります。
 確かに立ち寄る用事もないので、機会を作らないと降り立てない「駅たち」(ちょっと同情)といえます。


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妙蓮寺(Map)

 お寺の名称が付けられた駅名は祐天寺とここだけですが、同じ東急の田園都市線の駅名と比較すると、全通した時代の違い(東横線:渋谷〜桜木町 1932年、田園都市線:溝の口〜長津田 1966年)が、駅名にも反映されていることがうかがえます。
 高度経済成長期に誕生する田園都市線の新駅に、お寺の名前はあるまいという気分はとても理解できますし、「たまプラーザ駅:1966年開業」「あざみ野の町名:1977年新設」などには、横浜市と組んだ都市開発の明るい未来への願いが込められたことでしょう。


 1350年(南北朝時代)創建当時このお寺(池上本門寺の末寺:日蓮宗)は、神奈川区神明町(現東神奈川)にありましたが、1908年横浜鉄道臨港線(現JR横浜線)建設にあたり、移転を迫られ現在の地に移転します。
 ところが1926年東京横浜電鉄(現東急)開設時に、またも境内に軌道敷設計画が持ち上がり「もう移転はイヤ」と、境内を無償で提供することとします。
 そんな経緯からすれば駅名の由来ばかりか、この町はお寺のおかげで開かれたことに感謝すべきようです。


 取り立てて慌ただしい場所柄ではありませんし、門前に踏み切りがあることを風情と受け止め、踏切待ちの時間に「門外から失礼します」と祈れば義理も果たせるのではないでしょうか(映画『男はつらいよ』で、さくらがやってた印象があります)。
 以前改札口は線路を渡った上りホームだけでしたが、少し前に寺側の下りホームにも開設されました。
 寺側の丘陵地が開発されたこともあるようで、いくら門前でも一刻を争い殺気立つ朝の通勤時の空気を静めるため、「門前側にも改札を」のご意向が実現したのかも知れません。


菊名プール(Map)

 お寺とは線路の反対側にある駅前商店街の路地(こまごまと店が並ぶ)をクネクネ歩くうちに、正面に緑が見えてきます。
 そのまま進むと「アレ、民間の駐車場!?」に進入します。でも、皆さん歩いているので、公認の近道なのでしょう。
 その駐車場の出口正面に菊名池弁財天があります。
 以前はここにも後述の菊名池が広がりましたが現在はプールとされています。
 周回する流れるプール(今どきは流水プールだそう)をまたぐ橋がまっ赤(逆光で不明だが写真奧の橋)なのは、弁天様が池に浮かぶ島に祭られた様子を伝えているようにも見えます。

 一般のプール施設はオフシーズンにはシャットアウトされますが、ここは水に入れないにしても近くを散策できる水辺の施設として提供されます(後述の池の改修時には、池のさかなをここに移したそう)。
 プールに水が張ってあるだけですが、水辺の開放感をシーズンオフも感じさせてくれる空間で、冬場に氷の張る様子も一興かと思われます。
 以前は池だったくぼ地ですから、風が無ければこれからの季節にはひなたぼっこに絶好の場所になりそうです。

 入場料おとな800円(1時間につき300円)/こども300円(1時間につき100円)はちと高い気がしますが、皆さん利用法を工夫しているんでしょうね。


菊名池(Map)

 江戸時代から利用されたかんがい用の池で、大倉山方面の大豆戸(まめど)村が水利権を持っていました(勢力範囲が結構広いので、その村が一帯の中心だったのか?)。
 以前は上述のプールまで広がっていましたが、現在は半分ほどの面積になっています。
 
 現在も各地の湖沼で問題視される、ブルーギルやブラックバス(釣りを楽しもうと放された外来種が生態系を乱し、在来種が激減した)は駆除され平穏を取り戻したものの、今度はハスの大繁殖が問題となります。
 横浜市は秋口に、住み着いた水鳥たちを驚かさないよう、手作業で繁殖しすぎたハスの間引きをしています。
 上写真はその後のさっぱりとした光景で、そのおかげでバンという鳥も定着しているそうです(この鳥を見られるのがこの池の自慢らしい)。
 カルガモが子育てする姿や、カワセミも見られるそうで(写真の枝にとまるのかも)、近隣住民には「身近な自然環境」を楽しめる水辺のようです。


 そんなくぼ地の斜面には、もうススキの姿が見られます。
 近ごろの季節感では、ススキを目にする時季=乾燥肌で全身カサカサになるころなのですが、急に暑くジメジメした陽気が戻ったりするので今年はまだ軽傷で済んでいます。と書いた翌日に一気に来ました。
 昨シーズンの使いかけのクリームが残り少ないことに気付き、あわてて買いに行ったりと。
 以前は血がにじんでもなめて治したものですが、Macの白いマウスを染めるので、今晩からクリームを塗り手袋して寝ます……


 上写真左側は菊名池、右側は富士塚(地名)に向かう坂道になります。
 この坂の光景は映像等で目にした気がする、「おだやかな坂」という印象を受ける好きな場所です。

 富士塚(富士信仰から、富士山に模して造られた人工の山や塚)の名称も久しぶりなので、痕跡があれば歩こうと調べましたが「バス停に残される程度」とあるので、この坂を上るのやめました。
 ですが丘陵地ですし、富士山方面の見晴らしはよさそうなので、大豆戸村の有力者(大豆戸の勢力は強かったらしい)がこの地に塚を築いたかも知れませんし、反発する地元民に崩されたのかも知れません。

 この後、バスで岸根公園へ行く予定でしたが路線を乗り間違えてしまいました。着いた先は西菅田団地で、横浜の原風景が残される菅田地区付近。
 「これも散歩の楽しみ」と切り替えバスに揺られたものの、さっき来た道を戻るのでは興味も半減しただお尻が痛い印象だけでした……


■おまけ

 連載ものを続ける間、三河湾の残像から「海行きてぇ!」の思いが尾を引いたので、掲載するつもりなく海辺をブラブラした際のものです。

2011.10.1
【神奈川県】

江の島(Map)

 10月初旬にとても気持ちいい気候(日差しを浴びても汗をかかない)が続き、陽気に誘われ海を目指しました。
 ところが江の島に着くころには雲が出てしまい、ちょっと不完全燃焼です。


 片瀬海岸東浜(江の島へ向かう橋の鎌倉側)は海水浴シーズンを除くと、海辺をウインドサーフィンの連中が占領しています。
 そこに割って入り、浜辺で体操をする年配集団を目にしました。
 まさか、これから海に入らないでしょうが、多くの方が「年代的なポリシー」と思われる「(木綿らしき)白い体操着」を着ていますが、そんな統一感に「宗教集団?」の印象を受けてしまいます(ある意味、侵しがたい信念を持つ集団なのでしょう)。


2011.10.8
【神奈川県】

観音崎(Map)

 今回の三浦半島観音崎では、晴天に恵まれ実に心地よい散策ができました。
 岩場の海を歩きたい時、手軽な印象からよく来る散歩道なので目新しいものはありませんが、とても落ち着けた展望テラスが、前回は老朽化で立ち入り禁止(無視して入りました)とされたものが、撤去されました。
 戦時中に造営された砲台の遺構上に設置された、たかだか2m程度のテラスなので、見晴らしを劇的に変える施設ではありませんが、そこから浦賀水道を行き来する船舶の眺めは、戦争の過ちの上に築かれた現在の平穏のありがたみを感じさせてくれました。

 前回も触れましたが、ここだけに限らず各地にある主要な灯台を訪れる度、映画『喜びも悲しみも幾歳月』(1957年 木下惠介監督、佐田啓二、高峰秀子)を想起してしまいます。
 灯台守は重要な任務とはいえ、戦時中は砲台の横でいつ爆弾が落とされるか知れない不安な日々を過ごしたことになります。


 追記──やはり難航する「横浜ベイスターズ」買収問題

 前回は勝手な願望を書きましたが、結局はDeNA((株)ディー・エヌ・エー:インターネット関連企業)が交渉中とのことですが、球団名の「横浜モバゲーベイスターズ」変更(これも勝手な報道かも知れません)には驚きました(プロ球団も宣伝材料であるのは確かですが)。
 まるで、コンピューターゲームの中で「プロ野球チームを作ろう」と構想を練っているように思えてしまいます。
 生身の選手を、ゲームのキャラクター的に扱い「キミはトレード」「ダルちゃんを高額で買いましょう」なんてやりそうなイメージがあります。
 実際の交渉現場は分かりませんが、野次馬にも「バーチャル」な商売をする会社より「リアル」な仕事をする会社の方が「安心感がある」と思ってしまうのは、古い考え方なのだろうか?
 そこにはlivedoorというお粗末な教訓があるのも確かです……


 追記2

 10月最後の週末、少し遅い時間だったこともあり、地下鉄日比谷線六本木駅では高校の学園祭にでも向かうような、奇妙ではあってもチープな扮装をした連中が群れてきます。
 ハロウィンパーティに向かう扮装なのでしょうが、仮装大賞にエントリーしても予選で帰されるレベルで楽しめるのか? と思うのですが……
 そもそも、趣味の悪い扮装が許されること自体、理解しかねます(全然愛きょうがない)。

2011/10/24

住民の勝利!──黄金町バザール2011

2011.9.25
【神奈川県】


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 京浜急行日ノ出町駅から黄金町(こがねちょう)駅にかけてのガード下周辺には、数年前まで国の公認を受けたかのように、白昼堂々と営業する怖そうな売春施設がはびこっていました(通り抜けられるか不安になるほど)。
 そんな無法地帯も、2009年「開国博Y150」開催に向けたバイバイ作戦(2005年)により、半年余りで全店閉店に追い込まれました(だったら早くやればいいのに)。
 その後、町の再生に「アートによるまちづくり」を掲げ、まずは健全な人たち(?)に注目してもらおうと、2008年から年間行事として展覧会「黄金町バザール」を開催し、4回目の今年はヨコハマトリエンナーレ2011と連携開催されています。

 期間中有効のトリエンナーレとの連携入場券を買ったので、慌てることはないのですが、この日は日本丸の総帆展帆(そうはんてんぱん:29枚すべての帆をひろげる)が見られることから、連休でしたし連チャンで足を運びました。


日本丸(Map)


 帆をひらいた雄姿は初めて目にしましたが、やはり帆船には帆を張ってこそのカッコ良さがあります。
 しかし難を言わせてもらうと、その背後にランドマークタワー等のデッカイ建物がそびえているため、大きさの比較相手がビル群とされるのは、いかがなモノかと……
 この総帆展帆という姿には、大海原が似合うに決まってると思うも、どうやって見学するのか?
 それにはやはり「一度でいいから乗船してみたい」という夢を抱き続けるしかないのでしょうね(かなり揺れそうですが……)。


日ノ出町〜黄金町(Map)

 右写真の建物は、日ノ出町駅にほど近い路地裏にあり、以前訪れた際、映画『上海異人娼館/チャイナ・ドール』(1981年寺山修司監督)を想起した建物です。
 長い間使われてなかったようですが1年程前から「竜宮美術旅館」となり、1階は喫茶店とされ、全体が美術展の会場になっています。
 待ってました! と乗り込みます。だって中をのぞきたくなるでしょ?
 名称通り旅館的な作りですが、寿町方面(ドヤ街)にある簡易宿泊所的ではなく、観光旅館的な雰囲気があります。
 以前あった青線地帯のなごりを感じさせる建物ですから、まっとうな利用法は考えられません。
 立地からもお察しの通り、戦後の米軍占領時に建てられた米兵専用の連れ込み宿だったそうです(再開発計画地域に含まれるので、取り壊し予定)。
 歴史遺産には正も負も含まれるので、評価の高い建造物なら遊郭でも残されますが、チンピラみたいな建物ですから仕方ないのでしょう。
 のぞきたい方はお早めに……


 浴槽の中にライトを沈めた展示物のようですが、係の方が水面のあく取りをしていたので、人が入った時のように浮き上がってくるモノがあるようです。
 この作品が何を訴えたいのかちょっと分かりませんが、この「米兵専用の連れ込み宿にあるタイル張りの浴室」を利用しただけで、人目を引き、印象に残る成功が約束されていた(内容はなんでもよかった、では言い過ぎか?)、と思えてなりません。
 結局この会場では、この建造物に関する興味は大いに満足させられたものの、「何があったっけ?」とされてしまう展示物たちは、この建造物の存在感を超えられなかったことになります。
 そりゃ仕方ないさ、歴史と境遇の重みが違うもの……

 その一室で、畳に座り映像を観賞する女性の後ろ姿を撮りたいと思ったのですが、それをためらった自分には、この建物の歴史にその女性をはめ込んでいいのか? という気持ちがはたらいたかも知れません……


 この白塗りされた建物は、以前売春施設として使用されていました(現在展示施設)。
 一間程度の間口しかない入口から奧に細長い間取りが並ぶ、そんな用途のために設計された建物で、この地域の「標準モデル」といえます。
 そこが今や、若い女性が何の警戒感もなく足を踏み入れる環境となったことに驚き、思わず係の人に「やりましたねー!」と声を掛けてしまいます。
 「ここ3年くらいでようやくキレイになってきました」とのことですが、これはスゴイ事です!

 このような取り組みを進めるために、地域、行政、企業、大学、警察の協力の元「NPO法人黄金町エリアマネジメントセンター」が設立され、その組織が中心となり地域と連携し、クリエイターの活動拠点を管理運営しています。
 ここに至るまでも大変な労力と思いますが、これからも拠点の拡大や地域のマスタープランづくりをアートを通してさらに推進する、という意気込みだそうです。


 京浜急行の高架橋梁の耐震工事と並行してガード下に新しい施設が作られ、子どもたちの絵が描かれた工事用の塀があった場所にも新たな施設がオープンしています。
 上写真はスタジオとされるアトリエ施設で、新しい施設ながらもそんな連中(アーティスト?)が出入りした途端、雑然とした空間と化した様子がうかがえ、生きた施設の印象を受けます。
 そんな連中(さっきから失礼ですが親しみを込めたつもり)は結構フランクですから、気軽にのぞいたり立ち寄れる雰囲気があって、とっても明るく風通しのいい場になっています。
 また、高架下は雨の日でも遊べるわけですから、これから児童館のような施設が増えていけば、明るい希望が見えてくるように思えます。


 上写真は道路をはさんで大岡川(カメラの背後)に面した建物で、以前は外国籍の女性たちが川っぷちまでウロウロしていた場所です。
 そんな面影を消し去ろうと、間取りは変えずも外壁を全面作りかえ、以前の雰囲気すら想像できないオシャレな外観が目を引きます。
 ここまで明るくなれば、一間間口で仕切られた間取りを逆に活用し、小規模店舗として家賃を低めに設定してギャラリーや雑貨店などを誘致できれば、まるっきり生まれ変わった町の姿が、まだおぼろげな夢ですが見え始めるような気がしてきます……


 以下は、ひとつの報道に踊りその日に書いたもので現実とは異なりますが、ひとつの願望として流して下さい。
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 京急線がチラッと映っているので、ここでちょっと脱線。
 毎年秋風が吹くころに流れてきては散っていく、プロ野球「横浜ベイスターズ」の身売り話ですが、今年もダメだろうと思っていたら、ここへきて大本命「京浜急行電鉄」が手を挙げました。
 1社じゃ無理なので、地元企業が連合チームで買収に動き出すというのですから、チームもファンも地元も万々歳で、ファンじゃなくても応援したくなります。
 この話が進めば、地元カラーも強まりますから、選手たちも奮起せざるを得ないでしょうし、ファンも(電車通ってないけれど)「赤い電車に乗って〜♪」見に来てくれるのでは?(ユニフォームが赤くなってもええじゃないか!)と期待するところです。
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 と、はしゃいだものの一瞬のはかない幻でした。
 とっても素敵な筋書きなので応援したい気持ちはありますが、地元企業が集まっても球団を支えられない「横浜経済圏」の規模の小ささを思い知らされた気がします……

 「お嬢さん、ここは若い娘が一人で歩くような場所じゃないぜ」
 右写真の光景は以前の様子と変わらないように見えますが、彼女がのぞく場所にはポツンと小さな展示会場があります。
 狭い裏路地ですが、こういう所からも切り崩していくとは作戦が細やかなこと、と思うもそこには事情があるようです。
 終後、ガード下にバラック小屋が建てられたのが始まりで、飲食店〜女性が客を取る店〜青線地帯〜特殊飲食店(売春施設)の変遷があるため、地権者等の権利関係が複雑で調査に時間がかかり、話し合いや買い取りが進まないとのこと。
 それはヤクザな言い訳ですから、方向性を見失わず、慌てず地道に「新しい町」が作られていくことを、楽しみにしております。

 すっかり明るくなった界隈を一回りし、希望を感じて日ノ出町駅に戻ると、そこにはとても現実的な「よどんだ雰囲気を漂わせる」人の流れがあります。
 レースが終わったらしく、WINS(場外馬券売場)からはけてきたオヤジたちが駅に向かい流れてきます。
 これまでも労働者の「癒しの町」としてにぎわってきた場所柄ですから(ストリップ劇場も健在ですし)、無法地帯を一掃しても、法律と相談しながらの「憂さ晴らしの町」という性格は、今後も変わらないのかも知れません……

 右は以前の写真を物色したものですが(モノクロ、日ノ出町の表記あり)、核心部分のものは見当たりません。
 おそらくそんな場所でカメラを構えたら、カメラばかりか身ぐるみはがれるような怖さがあったんだと思います……

2011/10/17

生み出す力を探る──ヨコハマトリエンナーレ2011

2011.9.24
【神奈川県】


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横浜美術館(Map)

 トリエンナーレとは3年に1度開催される美術展のことで、横浜では4回目となります。
 前回の見学から3年たつわけで、わたしも大阪から戻って3年が過ぎたことになり、毎週末京都を歩いたことも、はるかな過去と自覚させられます。

 今回の会場にはメジャーな横浜美術館が加わり、連休だったせいか入場券売場には100mほどの列ができていました(いつもはガラガラなのにちょっとビックリ)。
 並びたくないので違う会場から見るかと歩き出すと、みなとみらいにあるトリエンナーレ案内窓口で入場券を入手できたので、そのまま戻りました(結局並ぶのと同じくらい時間かかったか? もっと計画的にね!)。


 やはり美術館で展示される作品には「重み」が感じられ、時間をかけないともったいないと思うのか、普段の美術展のような渋滞がみられます。
 わたしの見学態度は、パッと見てインスピレーションを感じない作品は素通りするので、人込みをすり抜けズンズン進んでしまいます。
 以前の展覧会では、15分程度で会場を完全に「スルー」したことがあり、何にしに来たんだか? と、縁のないことも……
 一般的な美術展では原則写真撮影禁止ですが、トリエンナーレでは撮影可の作品(みんなで楽しんでね!)が多いことも、足を運ぶ動機となります。

 上写真は、電球自体が大きなガラスカバーのフィラメントとなるような照明器具(?)が、たくさんぶら下がる展示物です。
 展示室は普通に明るいのですが、暗くするとガラスカバーに映る周囲の電球の様子がよく分かるので、写真を意図的に暗くしました。
 何でも、電球のスイッチは世界各地の家の電灯と同期していて、各家の電気が消えた時に電球が点灯される仕組みだそう。
 意味や状況は裏返しになりますが、ガラスカバーに映る明かりは、宇宙から見た地球上の明かりのように見える気がします。
 この作品には各人に感じるものがあるようで、その場に滞留する人たちの空気には「まったり感」があります。

 右上写真は、アクリル板と鏡で作られた迷路の真ん中に電話が置かれたオノ・ヨーコの作品で、不定期に彼女から電話がかかってくるそうです。
 実際見学中に電話が鳴り出し、周囲の人たちがはやし立てますから、迷路内の人たちが慌てる様子も「作品の一部?」に思えますし、彼女と話ができた人たちには「実感できる作品」となったことでしょう。

 美術館前には、12体のモンスターのような像(ウーゴ・ロンディノーネ作『月の出、東、』シリーズ)が並んでいます。(右写真)
 その中で、最も身近に感じられ安心できそうな像を撮りましたが、中心に笑顔はあるものの、上部の2つの黒丸はモンスターの目ですから、口の中に笑顔があることになります。
 エイリアンのようではありますが、わたしは新たな生命の誕生もしくは、再生(生まれ変わり)を表現しているものと解釈しました。

 そんな意味などおかまいなしに、奇妙な像の周囲を子どもたちは走り回り、カメラポーズを取っています。
 「キミ見慣れない格好してるけど、だあれ?」という本能的な接し方が、きっと正しいのだろうと思わされます。
 われらオヤジ族は、生きるために「さまざまなフィルター」を身につけていますが、状況によってその外し方を習得できれば、人生もっと楽しめるのでは? と思ったりします……


ヨコハマ創造都市センター(Map)

 ヨコハマトリエンナーレのもう一つの楽しみには、普段立ち寄る機会のない施設が展示会場とされるので、初めて建物に入る「ワクワク感」があります。
 展示会場を固定せず、町全体を少しずつでもアピールしようとする姿勢が、横浜の町に対する理解を深めますし、町全体に協力の気運をもたらしています。
 今回の目玉は右写真の「旧第一銀行横浜支店」です(中に入れると思ってなかった)。
 みなとみらい線馬車道駅付近にあるこの建造物の低層部は、1929年に建てられた第一銀行横浜支店のバルコニー部分を移築(曳き家工法)し、その後方部分は形態復元され背後にそびえる高層ビルとつないで2003年完成し、2010年から「ヨコハマ創造都市センター」とされました。
 ちなみに2階のバルコニー部分は飾りなんだそうです(右奧はランドマークタワー)。

 この建造物には時代を超えたカッコ良さがありますが、そもそも「金集め」の飾りなわけで、現在では「マネー惑星」と化した資本主義社会に参画するための覚悟の表れだったのかも知れません。

 横浜の町は、1923年関東大震災により壊滅的な被害を受け、港湾施設や倉庫など貿易港の重要な施設がすべて失われてしまい、横浜の経済は大混乱し金融機関も閉鎖されました。
 復興が進み整備された土地に、現在も残る歴史的建造物が作られ始めたのは震災から2〜3年後のことで、ほど近い横浜第2合同庁舎(旧生糸検査所)は26年、山下公園前のホテルニューグランド本館は29年などがあります。

 現在の震災被害地の様子からも、1〜2年で元に戻らないことは容易に想像できます。
 地元からの要望は、国民誰しも早期実現を願うものですが、すべてを同時に進めることは不可能です。
 現時点で求めに応じられるものは、希望を持てるビジョン作りとその段取り、そして日々の生活支援ではなかろうか。
 復興まで協力しなければと国民は思っていますから、その気持ちを国の責任できちんと代行する際の「納得できる説明」をしてくれれば、国民は応援したいはずです。
 前総理を悪者につるし上げたのだから、与野党の話し合いで前進できなければ「自分の首がかかっている」と思ってもらわねば、この国は被災地の地盤同様に沈むばかりと思えてなりません。(右は形態復元された内部)


 美術展には毎回テーマがあり、今回は「OUR MAGIC HOUR─世界はどこまで知ることができるか?─」(身の回りにある、科学や理性では説明できない「世界の不思議」に目を向ける)というものですが、多くの作品の焦点が「生み出す力を探る」点に集まっているように感じます。

 もちろん震災関連の展示もあるので、見る側の受け止め方によりますが、前回感じた「創造は破壊から生まれる」ゆえに「壊すことから何かを発見しよう」とする取り組みは皆無に見えます。
 それは、すでに「壊された国」で表現するにあたり、破壊という行為は不要と受け止められたからでしょう。
 被災国で展示される作品が、いかにこの国の見学者に訴えかけられるかを考えた結果、「周囲にあるものから生み出せるモノや、力を探る」という意図が込められたのではないかと思えます。


 上写真は、梱包材の発泡スチロールを積み重ねたもので、生活に密着した家電製品等の身近な立体感の積み重ねが、社会を構成しているという表現は、とても興味深く感じました。
 製品の凸部と梱包材の凹部がうまくはまらなかったり、異形の梱包材でもそれが無いと苦労しちゃうんだよな、等々色んなことが頭に浮かんできます。
 上のペンギン同様どこかで見た気がする下のシマウマは、胴体部分がエアコンになっています。


 現代美術展には、暴力的とも受け止められる作品があったりしますが、今回それが見当たらないことに芸術家の良心が感じられ、安心して楽しめる展覧会の印象を強く受けました。

 確かに今回の開催を取り巻く状況は特別でしたが、今後も見る側が希望を持てるような展覧会にしてもらえると、野毛大道芸のように、町全体が盛り上がるイベントになるのではないかと、期待できるきっかけの年になったように思います。


 追記──ジョブズなき今、iPhoneに求めたい機能

 アップルの故スティーブ・ジョブズの遺作とされる新型iPhoneが発売され、好評のようです。
 週末の終電近い混雑する電車内でも、女性たちは周囲にお構いなしでiPhone(みんなお決まりのようにiPhoneには驚き!)の文字入力に指を動かすので、高さ的にわたしの脇腹辺りを刺激します(わたしは仕事帰りです)。
 そんな様子から、iPhoneにあったらとても便利な機能を思いつきました。
 ジョブズが目指したのは「エンジョイ コンピューティング」なので別次元の話しになるが、「もしiPhoneに放射線測定機能があったなら」もっと早く縁の下の玉手箱(ラジウム)を発見できたでしょうし、あまりの反応に東京はもぬけの殻になっていたかも知れません……
 放射性物質というモノは身の回りに存在しないと信じ切っていた国民意識は、いかにいい加減な「だろう」という想定に基づいて「安心感」を築いてきたことか。
 それを反省し、次世代のiPhoneには「セーフティ コンピューティング」を目指すさまざまなセンサーを組み込み、身の安全を守るための機能が搭載されれば、身近に潜むまだ未知の放射性物質が入った宝箱(?)なども、あっと言う間に発見できるというもの。
 現在そんな商品があれば「これは、売れまっせ〜!」(どこかに売り込みたいと思うも、もう動き出していることでしょう)。
 これは、国や自治体に任せてられない不信感から、自衛手段を探りはじめた市民の危機意識の高まりなので、国や自治体への不満はレッドゾーンに突入して当然と思います……

 追記2
 原田芳雄の遺作となった映画『大鹿村騒動記』の舞台である、長野県大鹿村の国の無形民俗文化財「大鹿歌舞伎」が、映画公開による反響から、春秋1回ずつの定期公演が今秋初めて2回公演を行う盛況とのこと。映画を観た人からの問い合わせが殺到したため、それに応えたそうです。
 映画は原田芳雄自身の企画だったことからも、「少しは返せたかな……」の、照れる姿が目に浮かぶようです……

2011/09/21

谷間で交わる鉄道路線──菊名

 これほどまで自然災害の脅威にさらされねばならないのか?(せき止め湖は満水状態、名古屋では100万人単位の非難指示等)
 大震災でちょっと気の弱っている島国民族には、「いい薬だ」なんて強がれない状況に思えます。
 しかしこの国の民は、数知れない水害や飢饉(ききん)を経験し、その度ごとに助け合い存続してきた民族ですし、山の土砂崩れ(山は崩れて平地を作る)を防ぐことは無理でも、土石流から堤防の決壊を防ぐバッファ(緩衝地帯)構築については、何か知恵があるように思います。
 冷静に考えて、整理して可能な事から対処していけば、放射線汚染を含めて「日本沈没」しない限り、切り抜ける希望が持てるはずです。
 歴史の授業で学んだ「○○の大飢饉」のように、歴史に残るであろう「平成の大災害」から、「こうして立ち直りました!」の知恵を後世に残すくらいの意気込みが無ければ、子どもたちに笑われてしまうかも知れません……


2011.9.3
【神奈川県】

 菊名駅は、東急東横〜横浜線の乗り換えに利用しますが、改札を出ることはほとんど無く(一度新横浜まで歩いた覚えがありますが、理由は覚えていません)、何も浮かんでこない地なので寺社に頼ることとなります。


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菊名神社(Map)

 以前各地の神社でよく目にした案内板が現役で掲示されています。
 大量に配布するためイラストもプロに依頼したのでしょうし、ソックスにサクランボが飾られてたことも、記憶からよみがえって来そうな気がします……


 神社の伝えでは、室町時代初期に鎌倉鶴岡八幡宮から神霊を招き社殿を建立したそうで、明治時代の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく:仏教関連施設や、関連者等が受けていた特権を廃する)により格上げされます。
 しかし、以前訪れた住吉神社(元住吉)は、1909年(明治42年)政府の「神社合祀政策」により生まれ変わりますが、ここは1935年(昭和10年)周辺各村の神明社・杉山神社・阿附神社・浅間神社の合祀で「菊名神社」とされたので、当時はかなりの田舎だったように思ったりします。
 加えて神社自慢の、石造りの手水鉢を四方で支える鬼の石像「がまんさま」を無視して、その上の看板を撮ってしまい関係者にしかられそうです……

 現在社殿を修復中の菊名神社ですが、今年の例大祭は9月17〜18日に行われたようです。
 現在の境内は広くありませんが、多くの神社が合祀された経緯から氏子衆のすそ野は広く、多くの神輿が参加することで有名だそうです。

 この地は昔「葛名」とされますが、菊の花で名が知られるようになり「名菊」と改名しますが、その語感が「嘆く」を想起させるのため、菊名とされました(新編武蔵風土記)。

 江戸時代までは武蔵国橘樹郡菊名村と称したそうで、近隣でこれまでも橘樹郡(たちばなぐん)の字面を目にするも読めないので飛ばしていましたが、武蔵国なので東京に属していたわけです。
 他人事と思っていたら、そこには川崎市の大部分と横浜駅付近までが含まれていました。
 おそらく、氾らんを繰り返した多摩川両岸の東京と神奈川側に同じ地名が残る歴史同様に、川をはさんだ仲間意識があったように思われます。
 ましてや、現在からは想像できないほど貧しかったであろう神奈川の農民が、東京とのつながりを求める姿勢が強かったことは、当然ではないかと思われます……


菊名駅(Map)

 以前、東横線駅に停車する車両は踏切にはみ出していました。そこは活気ある駅前の生活道路だったので、「この踏切は閉鎖できないだろう」の印象がありました(現在も東急大井町線の九品仏・戸越公園駅では「ドアカット:ホームからはみ出す車両のドアを開かない」状況が続きます)。
 東急電鉄にすればメイン路線の、現東京メトロ日比谷線直通運転の起点駅でもあり、何としてもホームを伸ばす必要があったでしょう。
 結局は自治体の判断により、開かずの踏切に文句を言ってもらちが明かないため、踏切自体を無くす決断で「イライラ」から解放し、新たな町の発展につなげるビジョンのはずが、現在も駅前の渋滞は相変わらずです。
 人や車の流れは、利用しやすい谷間の平坦地を目指しますから、この地では、鉄道や街道の集中する駅前付近の再開発だけでは解決できない、立地問題(谷間に位置する)があります……(右上写真は閉鎖の踏切跡)

 JR横浜線は、1908年(明治41年)信州や八王子で生産された生糸を横浜から船で輸出するために、横浜鉄道により東神奈川駅〜八王子駅間が開業します。
 当時は貨物輸送が目的のため、横浜駅ではなく海神奈川駅(現在の瑞穂埠頭)にあった横浜倉庫を目指しました。

 菊名駅は、1926年(大正15年)2月に東京横浜電鉄(現東急東横線)開業、同年9月に国鉄の駅が開設されます(右写真)。
 しかし、東横線開通当時の駅予定地は現在より横浜寄りで、駅を中心とした放射線状の道路を基盤に田園調布・日吉のような住宅地開発の構想がありましたが、横浜線との乗り継ぎのため駅を現在地に変更したそうです。
 東横線横浜側最初の踏切付近には、その名残りのような錦が丘ロータリー(下写真)があり、そこを中心に放射状に伸びる道路に沿って住宅地が広がっています。

 閑静な住宅地ではあるものの、斜面が急なので徒歩での買い物には難儀そうですし、自転車はほとんど見かけません。
 駅には東横線をまたいで東口と西口があり、JRの改札は西口側にあります。
 直線距離では西口から近いこのロータリーですが、上の横浜線ホーム写真の場所から、かなり急勾配の丘を越える必要があります(右写真の桜並木は丘を越えた辺り)。
 写真にある桜の樹齢から推測すると、かなり以前からこの丘越えの道が生活道として利用された様子がうかがえ、わたしには無理ですが「坂のある町」に暮らす覚悟が感じられた気がします……

 駅自体が谷間に位置するので、周辺ではどちらの出口も道路は非常に狭く、バスやタクシー等のターミナルを作る余地はありません。
 そんな土地柄に新幹線の駅を作ろうにも(新横浜駅開設前には菊名を推す声もあった)、地形条件や将来性の観点からも無理だったこと納得できました。


 そうそう、1988年から横浜線で快速列車が運行されますが、当初菊名は通過駅でした。何でも「東横線への利用客の流出防止対策」というのがJRの主張だそうです。
 とても勝手な言い分に加え、駅周辺住民による市民運動も無視されます。
 それが2006年快速停車駅とされた理由には、「東横線の横浜〜桜木町間が廃止(みなとみらい線接続のため)され、東横線沿線から横浜線桜木町方面への乗客を取り込むための停車」へ方針転換したとされます。
 何だかよく分かりませんが、民営化後も大企業の「メンツ」が見え隠れするのは、公共性を重視すべき鉄道事業者として、どうかと思ってしまいます。


本乗寺(Map)

 上述の開かずの踏切付近に設置された歩道橋を渡った東横線の反対側には、大倉山駅近くから広がる大豆戸町(まめど)に本乗寺があります。
 おそらく丘陵地全体が寺の敷地だったようですが、端には八杉神社があり、縁からは住宅が迫っています。

 その本堂正面に上写真のニワトリが立ちつくしています。
 ニワトリって片足で立ちました? もし足が一本だけでは歩けないので、バタバタ飛ぶまねで移動するのか?
 賽銭箱の裏にいて気付くのが遅れ、近い距離で互いを意識し合うも、撮影の間ばかりか帰り際に振り返っても一歩も動かない姿には、寺の主のような存在か? と思ってしまいます……


法隆寺(Map)

 東神奈川方面に向かう横浜線が、尾根上を通る綱島街道をトンネルで抜ける辺りに、この寺があります。
 関心としては「横浜にも法隆寺がある」というものですが、現法隆寺交差点付近には高速道路横浜環状北線のインターチェンジが建設中で、京浜急行生麦駅付近の斜面に掘られたでっかい穴から地下でつながるようです(第三京浜まで接続の予定)。
 生麦付近の穴がどこに続くのか気になっており、納得できたので今夜はグッスリ眠れそうです……

 ここは日蓮宗の寺で、背後の丘陵地にお墓が並びますが、その上を綱島街道が通り、その地下に穴を掘られインターチェンジが作られると、これまで以上に騒々しくなりそうです。


蓮勝寺(Map)


 ここは綱島街道沿いにある寺で、帰り際に立ち寄りました。
 境内に京都でよく目にした、石に縄を縛った「禁足(立入禁止)」の印があります。
 アイコンとして示し、その姿から読み取れとする(?)狙いはとても粋に感じられます。
 でも今どきでは「あのアイテムは何?」「お宝ゲット!」とされては困りますから、くれぐれも手にせぬように……


 追記──昨日(更新予定日)に遭遇したトラブルについて

 本日の時点では復旧していますが、このBlogで使用しているBlogger(Google)システムのアップデート作業に巻き込まれたようです。
 近ごろ盛んに「新しいインターフェイスを使え」と勧誘されるも、使わないでいましたが(Topページはやむなく切り替えました)、本文ページにもその「押しつけ」が始まったようです。
 「ここ1週間程度のデータにアクセスできなくなっています」は、アップしていない編集中ページは「下書き」となり、新しいバージョンでは「下書きを表示しない」が選択されていたようです。
 それを知っていれば対処できても、編集中に切り替わってしまっては、どうしたものか? と途方に暮れてしまいました。
 どのシステムでも同様ですが、「これは素晴らしいから使ってみたい!」と、アクションを起こさせる魅力のないまま「お試し下さい」と、モルモット的に強要させるのはどうかと思います……