2013/06/17

「最後の家族旅行」は何度でも──箱根

2013.5.26・27
【神奈川県】──箱根


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2013.5.26
馬入ふれあい公園、湘南平(平塚)(Map)

今回は、父の傘寿(80歳)記念に家族で箱根に行った様子になります(母も今年80歳)。
 寿命が延びたとはいえ、両親共に自立活動可能な体で80歳を迎えることは立派ですし、子どもからすれば「とても助かる」と、改めて感謝する次第です。

 まずは、相模原出身者限定のローカル情報です。
 フィッシングパーク(1998年閉鎖)から原当麻(はらたいま)を抜けて相模川へ下った辺りに、圏央道相模原愛川インターチェンジが開業しました。現在は東名高速に新設された海老名ジャンクションまで通行可能。
 今後、原当麻周辺の道路整備が必要になりそうです。


 混雑を避けるため日程を日・月とするも、宿が箱根湯本なので初日は道草します。
 一枚目は平塚「馬入ふれあい公園:2002年日韓ワールドカップの収益余剰金で造られたサッカーグラウンドがある」河川敷に広がる花畑の風車(オーストラリア製)。
 二枚目の湘南平にある展望台(179mあり初訪問)からは湘南海岸が一望でき、神奈川県有数の夜景スポットとのこと。海風が斜面を駆け上がってきます。


箱根湯本:滝通り(Map)

箱根湯本は、鉄道の玄関口なので何度も降り立ちましたし、車で立ち寄り湯の訪問も付近の施設を選ぶことが多く、知ったつもりでいました。
 現在はメインである早川本流側(箱根駅伝ルート)に目が向きますが、旧東海道が通る須雲(すくも)川沿いにも温泉街が並びます(湯本付近で川筋が合流する)。
 駅前の道が右にカーブするあたり(その先は函嶺洞門(かんれいどうもん):その建設まで道はなかった)を、左に入ると旧東海道に通じる「滝通り」で、裏通り的ですがいかがわしい場所ではありません。

 滝通りは橋を越えると、右の温泉宿「萬寿福」玄関前で左に折れます。谷あいではよく目にする光景で宣伝にはなるが、車に突っ込まれる心配も……

右は与謝野晶子の歌にも詠まれた「玉簾の瀧:たまだれのたき」で、現在では「不老長寿の水」や滝上にある「縁結びの神」のパワースポットとして売り出しています。

 以前よく訪れた奧湯本「天山:立ち寄り湯」は川筋の奧と考えると、温泉の楽しみ方も変わり、奥まった場所でものんびりできる施設が人気の一方で、駅に近く道路に面しても小さな宿は閉鎖に追い込まれるようです。
 そんな変化から駅前通りには店舗が並び、城崎温泉のような「若者にアピール」する観光地を目指すようです。


2013.5.27
山のホテル(Map)


 ここの庭はツツジやシャクナゲが有名で、淡い期待を抱き足を運ぶも、完全に後の祭りでした……
 上は、ずいぶん前に小田急のポスターに使われた記憶が残るパラソル。

 この後、芦ノ湖スカイライン(富士山側の外輪山尾根道)を走りますが、雲に覆われ富士山は望めません。これこそ日頃の行いの悪さです……


大涌谷(Map)

箱根といえば、大涌谷の温泉タマゴは外せません。
 「1個食べると7年長生きする」のうたい文句は別にしても「また食べに来る!」と、心とらわれる存在は信仰対象のようもでもあります。

 イチオシのスポットですが、これまで経験したことのない渋滞(駐車場まで30分以上)に遭遇します。
 普通なら挫折するところですが、ここまできて目前の温泉タマゴをあきらめるわけにはいきません。
 確かに増えた海外からの観光客によるものか?

以前の姿をご存じの方も、年月は同じように進みますから、自分も含め家族(父・母・妹)も年を重ねました。
 何度も「家族旅行はこれが最後?」と話すものの、みな健在で出歩く意欲を持ち「また行きたいね」が希望になればと思います……(妹の回復は順調のようです)







箱根湿生花園(Map)


 ここは湿原の植物を育てる施設なので派手さはありませんが、仙石原の土地柄(火山灰土壌と湿原)に適した植物が手入れよく育成されています。
 ですがミズバショウには早く、目玉不足の時季だったようです。
 一番元気なのは、ゲート付近で販売される「あじさい」の鉢植えでした……


 湿原で最も記憶に残るのはガキ時分に家族と行った尾瀬で、泊まりがけで歩く広大さに圧倒されました(上は木道をたんたんと歩き続けたイメージを狙って)。
 園内で見ごろが絵になったのは右下のショウブ程度です。

「帰りは御殿場経由」に、両親とも「二の岡ハムを買おう」とノリノリです。
 わたしは初めてですが、農家の敷地内にある一般的な肉屋程度の販売所に、パラパラながらも次から次へと車がやって来る様子には、ちょっと驚きました。

 「また買いに行こう」の元気があれば運転手になるつもりでいますが、いつも付き合ってばかりも…… に「言い訳は無いか?」と自問し始めています。
 親が子どもの面倒を見てきたのは、負担や義務感は大きくも「未来の希望」のためと思いますが(ドライ過ぎますか?)、子どもが親の面倒を見る際には、仮に負担や義務感が同じとしても「未来を見たくない」気持ちから、ため息がでてしまいます。

 「面倒くさい」「やっかい」も家族の義務ですし、親のよろこぶ顔はうれしいながらも、双方とも「覚悟の季節」に足を踏み入れたような気がします……