2009/12/28

「ハフハフしたい!」白き肌の誘惑──三浦半島

2009.12.19
【神奈川県】

 横浜駅で京浜急行の電車を待っていると、車体が青く塗装された「BLUE SKY TRAIN」がやってきました。
 とても鮮やかなブルーは、「羽田空港の空」「三浦半島の海」をイメージしていて、2編成運行されているそうです(京急ホームページより)。
 少し前に『赤い電車』(くるり)という曲もありましたが、京浜急行といえば「赤いボディ」がシンボルカラーなので、とても斬新な印象を受けます。
 ホームで目にしたときは「オッ!」と思いますが、乗ってしまうと車内は他の車両と変わりませんし、外観も見えませんから、普段同様に眠りこけてしまいます。
 停車駅のホームに鏡などを増やして、「色の違う車両に乗っている」と自覚できるような工夫が欲しい、と思ったりしましたが、無理な要求ですよね……


 三浦海岸(Map)

 三浦海岸からの「冬の便り」を目にして、足を運びました。
 以前訪れたときは、カメラを持ち歩いてなかったので、一度撮りに来たいと思っていました。
 ──駅から海に下り、突き当たった右手側の砂浜になります。


 BLUE SKY TRAINでも、横浜〜三浦海岸間は50分程度かかりますから、決して近い場所ではありません。
 集落単位でパッチワークのように引き継がれた農地や、公園的な規模で自然が感じられる場所は近場にもありますが、農・漁業生活の営みから生まれた文化を体感するには、やはりそれだけの移動距離が必要になります。
 一般的なくくりでは「田舎」とされるのでしょうが、ここの立地は「都心に近い田舎」と感じられ、恵まれているような印象があります。(←都会側からの視点)

 畑や港で働く若者たちの多さが印象的なのですが、彼らは「田舎はイヤ」という気持ちより、「地元が好き」という意識の方が強いのかも知れません。
 生活圏は不便でも、1時間程度で横浜や東京に出られるならば、住み慣れた土地がいいと感じているのではないだろうか?
 都会側からの視点を逆転して、「田舎の近くに都会がある」と考えると、とても暮らしやすい土地のように思えてきます。


 海岸で5日間程天日干しされ、その後10日間前後漬け込まれて、たくあんになるそうです。
 三浦といえば「三浦大根」を想起しますが、ご覧のようによく見かけるスマートな青首大根に切り替えられています。
 三浦大根は練馬大根から改良されたもので、練馬大根より中央部がふくらんでおり、長さも短いようです(スマートではない)。
 1979年の台風により、三浦大根が壊滅的な被害を受けたため、 ほとんどの畑で青首大根に転換されたそうです。
 青首大根の品種名は「耐病総太り」といって、病気に強く、全体が太いことに加え、一年中栽培が可能とされます。
 また、上部(青首の部分)が土から顔を出すので引き抜くのが楽で(練馬・三浦を引き抜くには40kgの力が必要でも、青首は10kgで抜けるそう)、スマートな容姿(太さが変わらない寸胴)なので、運搬・梱包等で扱いやすいという理由もあるそうです。
 そこまでメリットを強調されては、心も動いてしまうことは理解できる気がします。

 ですが三浦大根は、辛味が強いので大根おろしに向いていて、 正月料理に付きものの大根ナマスには三浦大根が適しているそうなので(青首大根ではベチャベチャになるそう)、近ごろ栽培する農家が増えているそうです。


 この一画は、まだ干されたばかりで、みずみずしさがあります。
 実の上部に削られた部分が見えると思いますが、水分を蒸発させるために削っているようです。
 どの辺りで乾燥終了させるのか分かりませんが、上写真のようにピチピチしたものから、かなりしなびたおばあさんのようなものまでありました。
 何気なく用いた上記の表現では、当然のように大根を女性に例えています。
 「白い肌」や「みずみずしさ」の例えに適しているとの認識で……
 なんて申し開きも、グズグズに煮くずれしそうですが、大根足の例えではありません。
 ですが男に例え直してみると、筋肉がプリプリした兄ちゃんのようなものや、しなびたおじいさんのようなものまである、のようになります。
 おばあさんには可愛いイメージがありますが、しなびたおじいさんには、ちょっと哀れみ的なものを感じてしまいます……


 岩堂山付近(Map)

 岩堂山は、国土地理院の地形図に表記される山としては、神奈川県で最も低い(82m)そうですが、三浦市内では「最も高い山」になるそうです。
 それゆえ、明治時代の三浦半島要塞化(東京湾要塞)に伴い、山頂には三崎砲台の観測所が築かれたそうです。
 ──当時の気運については、NHKドラマ『坂の上の雲』に描かれているので、是非(おもしろ過ぎです!)。次回放映は1年後の2010年12月になるそうです。

 少し前、海側にバイパス道路が完成するまで、この付近(剱崎三崎)に点在する集落内の交通事情は、恒常的に行きつ戻りつするような、とても不便なものでした。
 1時間に1便あるかどうかのバス路線なのですが、そのバスが通る道路は、沖縄など離島の集落内ほどの道幅しかありません。
 そこで車がバスと対向すると、民家の敷地内に逃げ込むしかないような状況です。
 バイパスのおかげで通行量は減りましたが、バス路線は健在ですし道幅も変わらないので、相変わらずの光景が見られました。
 懐かしいと感じた部外者の意見とすれば、それを不便と感じなければ(渋滞にならないなら)、そんな田舎っぽさはそのままでいいのでは、と思ってしまいます。

 雲はかぶっていますが、富士山と久しぶりに対面したような印象があります。
 たかが、山が見えた・見えないだけの話しなのですが、やはり見えた時にはうれしく、励みに感じられる存在にも思えます(絵になりますもんねぇ)。


 この一帯が、三浦半島イチオシのオススメスポットになります。
 ──先日TV放映された映画『そのときは彼によろしく』(2007年)に、この付近が空撮で登場してました。

 富士山方向から振り返っても「神奈川とは思えないよなぁ〜」という光景が広がります。
 天気が良かったこともあり、冬でありながらも、空・海・畑の光がまぶしい景色の中を歩いていると、気持ちの良さに反応した体内成分が分泌されていると、実感できるような気がしてきます。
 これまでは車で立ち寄っていましたが(なので、ずいぶん久しぶり)、今回の徒歩でのアプローチは大正解だったと思います。
 海岸沿いの遊歩道を歩いてきたと思われる熟年夫婦が、バスに乗り込み「うわぁ、鮮やかなグリーン!」を連発していたので、「ここも絶好の散策路ですよ」と、誘いたいと思いつつバスを降りました。


 道々、大根の英語名は何だったっけ? と考え歩いていましたが「white radish(白いハツカダイコン)」もしくは「japanese radish」と言われるようです。
 ということは、西洋には無かったように思いますが、地中海地方や中東が原産で、古代エジプトでも食用とされた記録があるそうです。
 わたしたちには、ラディッシュより大根の方が大きいし、用途が広いように思えるのですが、食文化も違いますし、ソースやスープに合わなかったりしたのだろうか?(水分の多い食材は好まれなかったか)
 ──日本では「すずしろ」という名で、春の七草のひとつとされていたことは、向島百花園で学習させてもらい、ちゃんと覚えています。

 日本人からするとこの季節、その白き容姿からは「おでん」「ふろふき大根」等々を想起してしまうので、今晩は「ハフハフしたい」と、舌の要求が口いっぱいに広がり、収拾がつかなくなってしまいます。
 大阪在住のころ、京都の料亭系列の総菜店が近くにあり、そこの「あんかけ大根(?)」風な総菜の、「ダシがきちんとしていて、ほのかな甘みのある」味を思い出しました。
 料理は必ずしも、上品である必要はないと思うのですが、一度食べてしまうと「忘れられない味」として、勝手に記憶されてしまうので、自らの意志で消すことはできないようです……
 ならば記憶を塗り替えるような「もっとおいしいものを食べればいい」のかも知れません。
 それは、必ずしも高級なものに限らないわけですから、出会えない不幸を嘆く前に、舌なめずりしながら食欲のしもべとなって、探し回ることが大切なのでしょうね。


 大根畑はスズメたちの隠れ家だったりするようです。
 鳥たちも驚いたでしょうが、すぐ近くから群れで飛び立たれると、こちらも驚かされます。
 スズメは警戒心の強い鳥と思っていましたが、農家の人々との「共存関係」があるのか、隠れ場所がたくさんあるからか、遠くまで逃げていきません。
 そんな光景を、童謡「スズメのかくれんぼ」のようだと思っていたら、正しい題名は『かわいいかくれんぼ』で、スズメは2番の歌詞だったようです(ちなみに1番はひよこで、3番はこいぬ)。
 当時、作者(サトウ・ハチロー )の身近には、そんな情景があったのでしょう。
 でも、イマジネーションがあれば、いくら社会状況が変わってしまった現代でも、そのような情景描写は可能である、と思いたいところです。

 天気が良かったことが最大の要因と思いますが、とっても気持ちのいい一日を過ごせました。
 ちと遠いのと、響きはロマンチックではありませんが、冬の大根畑はオススメです!
 京急三浦海岸駅より、海35路線 三崎東岡行きバス 大乗下車。
 所要時間は30分程度ですが、バスの便数が少ないのでご注意下さい。

2009/12/21

泥にまみれて 紅葉狩り──獅子舞(鎌倉)

2009.12.13
【神奈川県】

 「まだ、紅葉狩りしてるのか?」と言われそうですが、都心の後に見頃を迎えるという、遅めの場所を楽しみに取って置きました。
 紅葉情報等には、「鎌倉イチオシの紅葉スポット」と紹介するところが多いのですが、その場所すら知らなかったので、是非とも行かねばと……
 その動機としては、紅葉よりも「歩いてみたい」という気持ちの方が強かったと思います。


 覚園寺(かくおんじ)(Map)

 今回は、住職さんの長話には付き合わず(拝観せずの意味)、表の写真だけ撮るつもりが、もう正面の木はスッカリ落葉していました。
 遅すぎたかと落胆するも、周囲にはまだ色づいた木々もあります。
 谷間にある印象ですが、門の周辺は思いのほか日当たりがいい場所なのか、早めに紅葉する樹種だったのかも知れません。
 拝観させてもらう境内は、とても素晴らしいと思うのですが、境内は撮影禁止とされています。
 ここの薬師堂は、1354年足利尊氏によって再建され、そのまま現存するとされるので、とても貴重なものになります(京都にあった室町時代以前の建造物は、応仁の乱(1467〜1477年)により、ことごとく焼き払われてしまいました)。
 確かにその重要性は、目にしてみれば理解できると思います。
 文化財は大切ですし、別に住職さんの悪口を言うつもりもありませんが、建造物の外観や庭だけでも撮らせてもらいたいと思うような、季節感のある庭だった記憶があります……


 瑞泉寺(Map)

 ここは「夢窓国師(むそうこくし)古道場」の石碑が立つ禅寺(臨済宗)で、京都の禅寺や、そこに作られた庭園に通じる精神が感じられることもあり、この季節の表現を感じてみたいと思っていました。 →前回訪問時
 門の周辺には大きなカエデ等がありますが(下写真)、庭園内には背丈の低い梅など、早春の樹木が目立ち(スイセンが有名だそう)、紅葉樹は右写真のように低く刈られてあります(背景は竹)。
 ここは「庭園」なので、このように盆栽的な姿もあるのかと、興味深く感じられます。
 これは想像ですが、下写真や後述の獅子舞で見られるように、カエデ等の紅葉樹は大きく成長し、他の植物の生育を阻害してしまうので、土地の狭いこの地では、せん定した低木として扱われているように見えました。
 迫力はありませんが、庭の一角にこの木が一本あるだけでも、季節感を感じられますし、どれだけ心が安らぐことでしょう。
 久しぶりに、わび・さび(侘・寂)というのか、「控えめな美しさ」に接した気がしました。


 上写真の彩りは、自然が生み出すにしても、とてもぜいたくに色が配されています。緑、黄色、橙(だいだい)、朱、紅。
 もしこれが、日当たり具合や、樹種の選択による庭師の計算だったとしたら? もう言葉が見つかりません……


 獅子舞(Map)

 どちらかというと、紅葉よりも「獅子舞ってどこ?」という関心の方が強かった気がします。
 ここは、建長寺奧の山中にある半僧坊(はんそうぼう)から、山の尾根づたいに整備された天園(てんえん)ハイキングコースにある、峠の茶屋の少し下から分かれる枝道沿いにある谷になります。

 小学生時分と思いますが、円覚寺・建長寺等の社会見学と、ハイキングを兼ねた行事として(学校側としてもおいしく感じるメニュー)メインコースを歩いた覚えがあります。
 神奈川育ちには、経験者が多いのではないでしょうか?
 現在でもハイキングコースの設定としては、JR北鎌倉駅〜円覚寺・建長寺〜天園ハイキングコース〜瑞泉寺〜鶴岡八幡宮等〜JR鎌倉駅というのが、人気コースになると思われます。
 わたしもそんな認識だったので、何度か歩きましたが、途中の枝道(この獅子舞や、覚園寺へ下る道)を選択することは、考えたことがありませんでした。
 何年か前に、メディアで紹介されてから、一躍人気スポットになったそうです。

 初めての地になるので、全行程を歩きたいと考え、上述の尾根道となるハイキングコースから下る道を選びましたが、それがそもそもの間違いでした。
 どの紹介サイトにもあった「ドロドロ道注意」の表現は、ある程度心配でしたが、枝道に入った途端に急傾斜の「ドロドロ坂道」が始まっています。
 「これかっ!」と思った瞬間にはちゅうちょし、しばらく進退を考えてしまいました。
 それでも下から、滑ってしまった奇声や、「うわぁ、キレイ!」などの歓声が聞こえてくるので、意を決してズルズル降りていきました。
 谷地形ですから、そこかしこからジワジワと地下水がにじみ出ているようです。


 獅子舞の名は、山頂の岩が獅子の形に似ていることによるそうで、地名にはなっていないようです。
 自生したと思われるカエデの大木が、密集する場所が何カ所かあって、野趣を感じさせてくれる紅葉の名所と言えます。
 また、もう少し早い時期には、イチョウが見事だそうで、落ち葉とギンナンのニオイに埋め尽くされた山道がキレイなんだそうです。

 下から登る方が多いようですが、登りはよくても下りが大変そうです。
 おばさんたちはステッキを準備している方が多いのですが、「何のために持ってきたの?」という使い方になってしまい、渋滞を生んでしまいます。
 それにイライラするおじさんが「滑りながら降りてくるんだよ」と叫びますが、「転びたくないからゆっくりなの」とアドバイスになりません。
 こちらはドロドロ状況に開き直り、おじさんのアドバイスに山を歩いた昔の感覚を思い出し、ズルズル滑りながら転ばずに降りてくることができました(数日間、階段降りるのがキツかった……)。

 谷の入口付近ですれ違った熟年夫婦から、「紅葉はどうですか?」と声を掛けられた会話の後、二人ともズボンの裾をまくりはじめていました。
 そんな姿を見て、「紅葉狩りにはドロドロがつきもの」との認識が根付いていると感じたのですが、後で考えると、わたしの靴が泥だらけだったせいかも知れない、と思ったりしました。
 ──靴の泥落としが大変でしたし、ズボンにはねた泥って、部分洗いの洗剤をつけても落ちないんですね……

 この体験からも、京都の貴族たちが手軽に紅葉を楽しめるよう、庭造りした理由が分かった気がします。
 当時の紅葉狩りも、結構こんな苦労があったのかも知れませんから、きっと「わらわは、ドロドロになるのはイヤじゃ!」とか言ったんでしょうねぇ……

2009/11/16

みんなの海──逗子

2009.11.7
【神奈川県】

 逗子の町には、隣接する鎌倉のように観光客が押し寄せることもない、静かな住宅街というイメージがあります。
 そんな住宅街だからか、駅周辺には食事どころが少なかったりします。
 何年前か忘れましたが、逗子を初めて散歩した帰りに、商店街を歩いても目ぼしい店が見当たらないので、パッとしないが最初に目に入った「ときわ軒」というラーメン屋ののれんをくぐりました。以来、逗子ではこの店になりました。
 おじいさん、おばあさんの店で、店内は広くありませんが大衆食堂といった雰囲気です。
 飾りっ気のない、むかしながらの澄んだ鶏ガラだしのラーメンですが、ふりかけたコショウとスープの相性がとてもよく、いつもスープを飲み干しちゃいます。
 見た感じ、若い世代の店員さんはいないようなので、食べられるうちに、と思っています。
 散歩の先々で、自分好みの店と出会うのは結構難しいことですが、地名からお店の味を舌で連想するのも、楽しみのひとつと思います。


 浪子不動(Map)

 逗子から鎌倉に続くシーサイドラインをドライブした際に、「あっ、海の中に何か立ってる!」と、印象に残っている方もいるのではないでしょうか。
 逆光で見えませんが、右写真の碑には「不如帰(ほととぎす)」と刻まれてます。
 明治時代にベストセラーとなった、徳富蘆花(とくとみろか)の小説『不如帰』(未読)の舞台だったことにちなむそうです。
 陸側には高養寺(真言宗)があり、古くは「浪切不動」「白滝不動」などの名で呼ばれていましたが、小説の人気から、主人公である「浪子」にあやかり「浪子不動」と呼ばれるようになったそうです。
 ──京王線の「芦花公園駅」や、近くにある「蘆花恒春園」は彼にちなむ名前だそうです。

 大潮の時には歩いて渡れるらしいので浅い海と思われますが、水上バイクがカメラのフレーム目がけて飛び込んできました。
 こちらを意識していたようにも思え、「カッコ良く撮ってよ!」てな声が聞こえてくるような、パフォーマンスでした。
 むちゃしないでね……


 披露山(ひろやま)公園(Map)

 浪子不動からハイキングコースを登ったところに、展望の開けた披露山公園があります。
 山の反対側の峠道にはバス停があるのですが、そこからも急坂を登った印象があるので、今回はゼロメートルから挑みました(標高93m)。
 頂上付近には駐車場があり、車ならあっという間ですから、子ども連れの家族が多く見られます。


 大きな電波塔が立っていることからも、経緯は想像できますが、戦時中には砲台が置かれていた場所になります。
 ここの砲台は何を守るのか? と思いますが、戦時中まで日本軍が使用していた池子弾薬庫(現米軍池子住宅)など、横須賀や横浜に点在していた軍事施設を守ろうとしていたのではないでしょうか(軍隊は軍隊を守るためにある、のです)。
 砲台の台座は、大砲の回転のため円形になっていますが、現在その跡地は「円形の展望台」「円形の花壇」「円形の猿舎」として、平和利用されているようです(逗子市の自慢だったりするのかな?)。


 この披露山と下記の大崎公園の間には、豪邸が建ち並ぶ披露山庭園住宅が広がっています。
 1965年にTBS興産が開発したことから、地元ではここを「TBS」と呼ぶんだそうです。
 ここを「日本のビバリーヒルズ」と称する向きもあるそうですが、各豪邸の敷地はとても広くオープンなので、建築物や庭園をアピールしているようにも見え、ちょっと他にはないと、口があんぐり開いてしまうような光景です。
 境界に塀を建てない決まりがあるそうですから、ほとんどの世帯が「セコムしている」そうですが、監視カメラらしきものは見あたりませんでした(どこから撮ってるんだろう?)。
 調べてみると、部外者の車両は進入できないよう、地域全体が「セコム」されているそうです……(宣伝ではありあせん)
 有名どころでは、みのもんた、反町隆史・松嶋菜々子夫妻、小田和正、松任谷正隆・由実夫妻らの、家や別荘があるそうです。


 大崎公園(Map)


 以前、あじさいの名所とされる披露山・大崎公園を訪れたことがあり、人出も少なく、とても好印象が残っていました。
 ですが今回は、花の助けもなく(楽しむこともできず)黙々と坂道を登るばかりだったので、季節でこうも印象が変わるものか、と思い知らされました。
 あじさいの花は放置しておくと、ドライフラワーのようにいつまでも花の形を保っているようです。

 見晴らしのいい日には、ここから江の島越しに富士山を望めるそうですが、今日もNG。
 こちらの意識としては、三浦半島西海岸のどこかで富士山の写真は撮れるだろうと思っていましたが、これだけ歩いても拝めないのですから、貴重なものだと再認識させられます……


 小坪(Map)

 現在では、山の上は披露山庭園住宅として開発され、海辺は下記の逗子マリーナとして埋め立てられたので、陸路は整備されましたが、以前のこの地は、陸の孤島的な地区だったのではないでしょうか。

 右写真は、天照皇大神(あまてらすすめおおみかみ:太陽の神、皇室の祖神のひとつ)を祭る、天照大神社(てんしょうだいじんじゃ)の参道になります。
 披露山住宅から急勾配の坂道を下りた所に、この階段があり登ってみれば、神社の背後には住宅街が広がり、子どもたちが道路でサッカーをしていました。降りて登っただけでした……
 がけ下の小坪側から見ると、右写真のような雰囲気がありますが、住宅地側から見ると神殿の背後が目の前に見えてしまいます。
 住宅地として開発されるまでは、神聖な地とされていたのではないでしょうか。

 社殿の修復を計画しているようで、寄付名簿には後にも先にも「石原慎太郎 金50万円」だけが張られてありました。
 土地の名士がいい顔したくて「まず、オレの所に持ってこい」と言ってそうにも思えます。
 でもそれが慣例になると、みんなが詣でて来るので断れなくなるという、政治家が抱える悪循環になるようにも思われました。


 神社の階段から海を振り返ると、上写真のような光景(逗子マリーナ方面)が見えます。
 部外者のわたしは「いい雰囲気じゃん」と感じたので、シャッターを切りましたが……
 以前は岩場が広がっていた海岸に、ヤシの木とマンションが立っているわけですから、地元の人々がそれを望んでいたとは思えません。
 地元への恩恵は、道路の確保と、堤防で釣りができるようになったくらいか?(でも、シラス等の直販店を見かけました)。
 自然が残された場所では「何にもなくてイイところ」との表現も使いますが、ここが岩場だけだったらシャッターは切らなかったかも知れません。
 難しいですね……


 ここは大崎の岬付近で、断崖が続くので陸路はありませんが、サーフィンのポイントとしては人気があるようです。
 上述の浪子不動のある、逗子海岸側でも見られましたが、ここにもサーフボードの上に立ち、オールをこいで移動するサーファーがいました。
 しばらく観察していると、長距離や、流れの速い海域を移動するために使用しているように見えました。
 確かにここまで、手でこぐパドリングで来るのは、それだけでバテちゃいそうです(海に入る砂浜からは結構遠い)。
 ですが、せっかく波に乗っても、オールは手放せませんから、あまりカッコイイ姿には見えませんでした。

 近くには、小規模ながら小坪マリーナがあり、ダイビングショップも併設されていて、ちょうどお客さんが船から上がってきました。
 この辺の海でも、透明度あるの? どの辺で潜るのだろうか。


 小坪漁港では、日中の漁に出るのでしょうか、土曜日の夕方近くでも港付近には、漁業関係者が多く見られました。
 写真の様子は、どうも船の修理をしていたようです。

 この場から振り返ると、ヤシの木が並木になっている、逗子マリーナのマンション群が並んでおり、前方と後方では、まるで異質な空間が隣接することになります。
 ですが、港には漁の活気がありますし、バーベキューする漁師グループもいました。
 海を生活の糧にする人々と、遊び場とする人とは確かに違いますが、海を必要とし楽しみたい(大漁を楽しみにする)気持ちの根底には、「畏怖(いふ)」や「あこがれ」という、人間が持つ共通の潜在意識があるのではないでしょうか。
 そんな願望を手助けし、「みんなで海を楽しみましょう」というコンセプトの施設であるなら、理解できると思います。
 問題は、利用料金です……


 逗子マリーナ(Map)

 ここは1971年に、セゾングループ系列の西洋環境開発が、鎌倉霊園造成工事に伴う残土で岩礁を埋め立て造成したそうです。
 ここには、分譲マンション、ヨットハーバー、結婚式場、レストラン、プールなどの施設が並びます。
 この日には、結婚披露パーティがいくつも開かれていたようです。
 東京の人にはちょっと遠いかも知れませんが、思い出に残りそうな場所です。
 今年の夏から、イルカとの交流ができる「ドルフィンブルー」という施設が開設されました。
 入ってみたいと思ったのですが、ドルフィンハグというプログラムは、6,300円するそうなので、気分も萎えてしまいました……


 写真右奧に「江の島が見え〜てき〜た♪」(サザンオールスターズ『勝手にシンドバッド』)ので、もう湘南ですから、三浦半島巡りは終了となります。
 でも、その「湘南」とは、どの地域を指す名称でしたっけ?
 神奈川育ちとしては、平塚、茅ヶ崎、藤沢、大磯あたりをイメージしていました。
 そこで、自動車の「湘南ナンバー」交付地域を調べてみましたが、藤沢市以西の地域が対象で、箱根も含まれるんだそうです。
 やはり明確ではなく、判断基準は自己申告のようなので、わたしも「湘南ボーイ」だったと言えるかも知れません……

2009/11/09

プライドが町を支える──葉山

2009.10.31
【神奈川県】

 葉山という地は、湘南の東端という印象もありますが、地元では「葉山」という独立ブランドの意識を持つ人が多いそうです。
 そんなプライドからでしょうか、葉山町は現在、三浦郡に属する唯一の自治体なんだそうです。
 町役場の住所は、神奈川県三浦郡葉山町堀内2135番地となっていました。
 心意気としては称賛したいところですが、単なるわがままなのではないか? という気もしてきます。
 産業で目につくのは葉山牛くらいで、ブランド牛らしいのですが、希少すぎてどんなモノなのか、判断すらできませんし、観光と言っても、それほどの規模とは思えません。
 しかしそんな町の人口は、なだらかでも右肩上がりで増えているようですから、住んでみると「やっぱり、葉山は葉山だ」と自負できるのかも知れません。
 都市部とは異なった豊かさを求めているようですし、ある意味理想的な自治体にも思えてきます。


 葉山御用邸(Map)

 ここは、1894年(明治27年)に作られた天皇家の別荘になります。他の別荘としては、那須(栃木県)、須崎(静岡県)があります。
 明治天皇は使用しなかったそうですが、病弱だった大正天皇はここで療養中に崩御(1926年:大正15年)したそうです。
 見舞いに訪れていた当時の皇太子(昭和天皇)は、この地で、践祚(せんそ:先帝の崩御あるいは譲位によって天子の位を受け継ぐこと)を行ったそうです。

 当時、年号の発表がどんな形式だったかは分かりませんが、この地で「昭和」が始まったとされるそうです。
 知るところでは、小渕官房長官(後の首相)が「平成」の書を掲げた発表は、とても印象に残っています。
 年号が変わるとはこういうことなのかと、初めての体験なので、興味深くニュースを見回していた印象があります。
 ですが、西暦に直すのが面倒になった、と感じるのも事実です。
 昭和の時代は、25を足せば西暦になると覚えたものですが……


 ここが、皇室一家が犬を連れて散策にお出ましになる海岸です。
 小磯の鼻という小さな岬なのですが、この一画だけは芝に覆われています。
 一般人も立ち入れる場所ですから、警備員の詰め所や、サーチライトが並んでいます。
 1971年には放火事件により全焼したこともあるので、警備も厳重にせざるを得ないのでしょう(犯人は心神喪失で不起訴処分)。


 小磯の鼻に伸びる「ゴジラのしっぽ」のような地層です。
 黒い部分は、見ての通りゴツゴツした富士山麓に見られるような、火山から噴出されたスコリア(黒い軽石のようなもの)の層になります。
 ──ゴジラと言えば、ヤンキースの松井がワールドシリーズで優勝して、MVPになりました。夢をかなえた男の表情とは「はじけ切れないものである」なら、日本男児としてとても理解できるところですが、来年の契約問題が絡んでいると、ちょっと複雑な気持ちにさせられます……


 葉山しおさい公園(Map)

 ここは御用邸に隣接する、旧葉山御用邸付属邸の跡地を整備したものです。
 大正天皇が亡くなられた1926年当時の御用邸は、1923年の関東大地震の被害により修復中だったため、現在の公園内の建物で療養していたそうです。


 公園内には、海が見晴らせる場所があります。この日も富士山は見えないので、釣り人を撮りました。
 でもこの人、本気で釣ろうとしているのか疑いたくなるほど、落ち着きがありません。
 糸は出しているけれど、さおを置いてポケットを探ったり、浮きを見ずにウロウロ歩いたりしていて、外野からは釣れそうに見えませんでした。
 そんな人が名人だったりするのかも知れませんが、見ている間にはヒットしていませんでした。


 庭園内の木々の様子から、もう紅葉が始まっていることを知らされました。
 人の意識の進み方には、個人差や勝手なものもありますが、季節の移ろいには、年ごとに多少の差異はあっても、確実な歩みがあります(今年は早めといわれています)。


 森戸(Map)

 この岬には、源頼朝によって祭られたとされる「森戸大明神」があります。
 伊豆に流された頼朝は、静岡県三島市にある三嶋大明神(現三嶋大社)にて、源氏の再興を祈願したこともあり、鎌倉に入ってすぐこの地に、三嶋大明神の分霊を祭ったそうです。
 ──明神とは、神道の神の称号の一つとされ「大」とは、さらに尊んだ呼び方になるそうです。いまどきは「○○大明神」などと称されると、「バカにしてるのか!」と、なりかねませんが……


 鳥居のある島は名島(菜島)と言い、むかしは陸続きで頼朝が別荘を建てた、との伝えもあるそうです。
 左の灯台は「裕次郎灯台」と呼ばれるそうで、岬には石原裕次郎のレリーフが立っていたりします(あまり似てない)。
 この灯台は、兄である石原慎太郎が、日本外洋帆走協会の会長を務めていたころに、基金を募って(約1億円)裕次郎の思い出のために建設したんだそうです。
 近くにある石原家の別荘から、その灯台が望めるんだそうです(どうでもいいですよね)。
 裕次郎主演映画『狂った果実』(1956年)の舞台で、青年時代を過ごした場所ですから、昭和の大スターとしての足跡が残されてもいいのかも知れませんが……(京都嵐山にある美空ひばり座ほどは目障りではないので、まだいいか)


 海辺にある、まき置き場とされる小屋です。
 付近に大きな船は見あたらないので、主に相模湾内の沿岸漁が行われているようですが、水揚げは逗子市の小坪港で行われるので、葉山町の水揚げ量はゼロなんだそうです。

 海岸沿いにある町中の道路は、バス通りも昔のままで、道幅が狭く折れ曲がった通りが、メインストリートとされています。
 これは、近隣住民が「ずっとこのままでいい」と考えている成果(?)と思われます。
 歯の欠けた櫛のように、所々にさら地や建て替えの様子は見受けられますが、ひと区画の面積が狭いので区画整理が難しそうな地域です。
 離島の漁師町のように、狭い地域に小さな家が密集して、幅の狭い路地がクネクネしているイメージです(歩くには楽しい)。
 だからでしょうか、富裕層の邸宅や別荘は、眺望のいい丘の上に建てられているようです(上を全然見ていなかったので、印象に残っていません……)


 日影茶屋(Map)

 ここは、江戸時代中期に料理茶屋として始まり、以前は旅館としても利用されたようです。
 何が言いたいかというと、京都とは違うかも知れませんが、むかしの「茶屋」には「色気」が付き物ではなかったか、ということです。
 目の前には鐙摺(あぶずり)港がありますが、大きくはありませんし、東海道のような主要街道沿いでもありませんから、店の継続には他に理由があると思われます。
 勝手な想像ですが、江戸から遊びに来た金持ちが、お妾さんに住まわせたのが、現在の葉山の原型なのではないか? なんて思ったりしました。
 と感じたのも、下写真のよしずを上げて、かつての遊女が客に声を掛けていたように思えたからです。
 ネーミングも意味ありげに感じられるところがあります……


 わたしは入ったことありませんが、原坊が歌うサザンオールスターズ『鎌倉物語』の「日影茶屋では お互いに声をひそめてた〜♪」等で名前は知られていると思います。
 
 現在はご存知の通り料亭とされ、とても人気がありそうです。
 晩の仕込みを終えた後の遅い休憩でしょうか、割烹着姿の板場の方々が、外から戻ってくる姿が見かけられました。
 形に弱い日本人のひとりとしても、「かっこいいなぁ」と思ってしまいます。

 お金を払えば、おいしいモノにありつける、のは当たり前と理解していても、わたしの金銭感覚としては、前回佐島の寿司屋の方に魅力を感じてしまいます……

 右写真は駐車場奧にある蔵ですが、この外壁の石は、化粧石のように模様が選ばれているように見え、感心させられました(蔵の壁ですよ!)。


 葉山マリーナ(Map)

 隣接する鐙摺港には「日本ヨット発祥の地」の碑があります。
 江戸時代の長崎で、外国人たちが開催したヨットレースの「長崎レガッタ」が記録に残るそうですが、日本人の手で初めて建造されたヨットが、この海を帆走したことによるそうです。


 ここの開業は1964年で、京浜急行グループが運営しているようです。
 有名な割には、規模としては小さい印象を受けます。先がけ的な(歴史のある)施設って、最初から大きな設備は持てませんものね。

 首都圏に近く、夕日のロケーションもいいことから、さまざまなメディアのロケや撮影に使われるそうです。
 ホームページには、そのための料金表なるものが掲載されていて、驚きました。
 ちなみに、2時間以内のスチールは21,000円、ムービーは42,000円だそうです。
 何だか「うちは知名度があるから、宣伝する必要は無いんだけど、撮らせてくれって言うなら、管理費としてお金もらうよ」との主張のようです。
 どうも「気にいらねぇなぁ」と思うものの、会員制の施設ですから、入場料というところでしょうか……

 右写真は、鐙摺港の入口にある灯台になります。
 漁港の入り口に立つ赤灯台ですが、港所属の船が認知できればいいのでしょう、独特のデザインになっています。
 ──灯台のデザインについて調べてみましたが、規定については見つかりませんでした。
 
 行政に対する住民の要望として「現状維持」(町のままでいい)が多数を占めるらしいことは理解できますが、改めて考えてみると、大多数の非富裕層の意見ではないか、と思えてきます。
 たくさん税金を治めてくれる人には、それなりのサービスをするべきだが、われわれに新しいサービスはいらないから、税金を上げないで欲しい、という切実な願いなのかも知れないと……
 むかしから地元で暮らしている人々にとっては「静かに暮らしたい」ということが、最大の願いなのかも知れない、と感じられる地でした。


 追記
 逗子市街を走るバスの車窓から、ハロウィーンの仮装をした子どもたちの群れを目にしました。
 日本で無理して盛り上げる必要もないと思うのですが、まあ、子どもにすればお祭りなら何でもいいんだよね……

2009/11/02

北風を意識し始めるころ──佐島、長者ヶ崎

2009.10.25
【神奈川県】

 ここしばらく、心地よい気候である「秋らしさ」を満喫していましたが、季節は進み、いつの間にか「冬の兆し」に震え始めるころとなってきました。
 先日テレビの天気予報で説明していた、二十四節気のひとつ「霜降(そうこう:露が冷気によって霜となって降り始めるころ ×しもふり)」でしたが、その次は「立冬(11月7日ころ)」ですから、もう冬支度の時季になります。
 霜降から立冬までの間に吹く北風を木枯らしと呼ぶそうですから、もうこれは「木枯らし」とされるのでしょうか?
 とても強く、寒いと感じられる北風でした……


 佐島(Map)

 ここは、先日の荒崎とは小田和湾を挟んだ対岸に位置します(陸地ではその間に、自衛隊駐屯地や林ロータリーがあります)。
 三浦半島の開発をリードしてきたと言える京浜急行グループですが、ここの丘陵地帯で大規模な宅地開発をし、「湘南佐島なぎさの丘」分譲地として大々的な宣伝をしており、京急の全駅(?)にポスターが貼られてあります。
 ここにも居住者用に、京急の急行バス(JR横須賀線逗子駅より)がありますが、まだ利用者が少ないのでマイクロバスでの運行でした。
 乗り合わせたおばさんの会話「東京から逗子までは1時間だけど、そこからが遠くてね(30分程度)」の通り、別荘なら分かるけれど、という立地になるでしょうか。


 佐島マリーナは以前から有名でしたが、利用者以外の駐車場は無いので、付近を歩けなかった印象があります。
 今回初めてバスを利用し歩いてみると、日曜日の昼時ということもあり、マリーナには関係ない人々の集まる場所を、知ることができました。
 車で食事に来る人たちが目につく、有名そうな寿司店や魚料理店があるのですが、駐車場が狭いので、店の前で交通整理をしていたりします。
 佐島漁港(上写真)の前にある鮮魚店も盛況で、店の前には車を置けないよう障害物が置いてあったりします。
 大きな港ではないので、地魚だけと思われますが、それこそ「地の味」ですから、きっと新鮮でおいしいのでしょう。
 テレビ等で紹介されたりして、知名度の高い店なのかも知れませんが、今度は是非食事目的で来たいと思っています。


 佐島の地名は島ではなく、港や分譲地のある陸地側の名称になります。
 その岬の先端に、10m程度の橋で結ばれた天神島があり、佐島マリーナや天神島臨海自然教育園は、その島にあります。
 数百m沖合にある笠島(上写真:天神島から笠島を望む)を含めたこの一帯は、ハマユウの北限自生地として神奈川県の天然記念物に指定されています(夏の花のようです)。


 案内板が無ければ見過ごしてしまう火山豆石(かざんまめいし 上写真)です。大きいモノでも直径2cm程度。
 これは、火山の水蒸気爆発で発生した噴煙内で、火山ガラスと水分が混じることで、生成されるそうです。
 最近では、雲仙普賢岳の噴火の際、雨の日に火山豆石が降った記録があるとのことです。
 火山豆石は、火口近くでしか発見されないそうなので、この地層が堆積した時代には近くに火山があったと考えられます。


 立石(Map)


 ここはご覧のように、切り立った岩と、岩場に立ちつくす松の木があるだけなのですが、天気のいい日にはこの奧に富士山が望めたり、夕日のキレイな場所なので、アマチュアカメラマンには人気のスポットなんだそうです。
 古くは、安藤広重の浮世絵に描かれ、その後も多くの画家や写真家がこの地で作品を残したそうです。
 どんな説明を聞いても、ここに富士山が見えなければ、納得できるものではありませんよね。
 富士山って、前回のようなピーカンでも見えなかったりしますから、出会うのは結構難しそうです。
 これから冬にかけての、空気の澄んだ時期が狙い目なのでしょう(台風一過の日には見えたかも知れません)。


 上下の写真は、長者ヶ崎に近い海岸になります。
 上は、スペースシャトルからの地球のように見えたりしません?(丸くないし、青くもありませんが)
 下は、ヒラメやカレイの縁側のようだ、と思っているのですが……(2枚ともカラー写真のままです)
 天気のいい日には、さまざまな色や光が見えてしまうので、曇天の日だから撮れたように思えます(それにしても2枚並ぶと暗いね)。

 湘南や鎌倉を通っている、渋滞で名高い国道134号線は、相模湾沿いにここを通って横須賀まで続きます。
 何だかこの付近には「西海岸通り」という、交通標識とは違った看板が並んでいます。どうやら、佐島から逗子にかけてのイメージアップ作戦のようです。
 むかしからとてもいい印象のシーサイドラインでしたが、商売で成功しているところは皆無だったと思います。
 でもいまでは、海を望めるおしゃれなレストランが目につくようになりました。
 立石のバス停から一緒に乗った、アラフォーの女性2人組は食事に来ていたようで、「座ったら苦しくなってきた」の会話が聞こえました(お腹周りの苦しそうな絵が浮かんじゃいました……)。
 ──アラフォーって表現は、使い勝手がいいですね。正確な年齢が分からない女性を表現する場合、おばさんと書いてしまうと反感を買うところでも、アバウトな表現ながらも受け手には「あぁ、おばさんね」と伝わりますから……(失礼)

 この一帯の難しいところは、ロケーションはとてもいい場所でも、平地が無いので建物や駐車スペースが限られてしまうということです。
 写真の海岸一帯では、海岸保全の名目で海側に人工の護岸を作り、スペースを作ろうとしているようにも見えます。
 海岸を狭めず、車窓から海の眺めが途切れない場所であって欲しいと思います。


 長者ヶ崎(Map)

 この地が、横須賀市と葉山町の境界になります(葉山って、市じゃないんですね)。
 平成の大合併の際には、三浦市から横須賀市へのアプローチがあったそうですが、メリットが無いと一蹴されたそうです。
 試算では、横須賀市、鎌倉市、逗子市、三浦市、葉山町の、三浦半島周辺の大合併があれば、政令指定都市への移行が見込めたそうですが、各自治体のプライドが強かったそうです。
 横須賀市以外には、取り立てて産業らしきものはありませんから、「静かに暮らしていきたい」という、葉山町住民の選択はとても理解できるところです。

 葉山町のホームページに、「長者ヶ崎:車を止めたくなる景色」とあるのは、とてもよく分かりますが、見るモノがない残念な場所になります。
 海側の展望は素晴らしいのですが、遊歩道は危険防止のため通行禁止になったままで、散策ができません(引き潮時のみ、海岸づたいに先端まで歩けるそうです)。
 難しいのかも知れませんが、もう少し整備すればこの地名も記憶に残ってくれると思うのですが……

 葉山町側の海水浴場には人出があるようで、一帯には海の家が並ぶのでしょう。その設備用と思われる電柱が、オフシーズンも放置されています(上写真)。


 ここは岬ですから、背後に続く尾根が風を遮ってくれます。
 ですが、ひとたび岬をかわした途端、しばらく忘れていた強風にさらされます(もう、寒いこと)。
 海水浴場の上には、海に面した駐車場があります。
 電柱の写真を撮ろうとウロウロしているとき、エンジンを止めた車内に人影のある車が多くありました。
 せっかく来たけど外は寒いから、どんよりとした海でも眺めるしかない気分も、仕方ないと思える天気でした。
 「暗い海に、パッシング……」(大瀧詠一『スピーチ・バルーン』)なんてやっていたころを、思い出したりしました……


 追記
 転覆漁船から船員を救出した横浜の海猿たちは、この時のために訓練をしていたんだと、改めて頭が下がる思いです。
 これからも、万が一の事態に備えての訓練を、お願いいたします!

2009/10/26

陽光を浴びながら──ソレイユの丘、荒崎

2009.10.18
【神奈川県】

 これまで何度も訪れている三浦半島ですが、「三浦ふれあいの村」「ソレイユの丘」という場所は初めてになります。
 京浜急行の三崎口駅からバスを利用しますが、自治体やバス会社も力を入れているらしく、ソレイユの丘行きの急行バスがあり、間違ってそれに乗ってしまいました。
 北に向かうバスならどれでも途中下車すればいい、と考えていたのですが、急行バスがあるとは調査不足でした……


 三浦ふれあいの村(Map)

 この日海岸では、おじさんたちの「シーカヤック釣り大会?」的な催しがあったようで、オレンジの旗をつけたボートが並んでいます。
 でもこの日は海からの風が強かったので、午後は続けられたのだろうか?


 「神奈川県立三浦ふれあいの村」は、青少年の体験・研修・宿泊施設になります。
 運営・管理は神奈川県の財団法人とされていますが、そこかしこに「横浜YMCA」の表記が見られます。
 おそらく施設を立ち上げたのが横浜YMCAということなのでしょう。
 いい機会と思い調べてみれば、YMCAとは「Young Men's Christian Association」の略とのこと(キリスト教青年会)。
 古い人間が想起したのは、西城秀樹の曲『YOUNG MAN (Y.M.C.A.)』(1979年)で、そのタイトルには、ちゃんと理由があったんだと、今さらながら納得した次第です。
 原曲はヴィレッジ・ピープル(Village People)の『Y.M.C.A.』で、ユースホステルのように相部屋のある宿泊施設のスラングとして、「ゲイの巣窟」との意味があるそうです(歌う彼らの風体もそんな印象がありました)。
 それではまずいと、西城秀樹のY.M.C.A.は「Young Man Can do Anything」の略なんだそうです。
 そんな古い話、どうでもいいよね……

 結構古そうな施設ですがこの日も、少年サッカーチームや、調理実習(?)の団体が利用していました(用もないのにズケズケ中まで入り込んで見学させてもらいました)。
 キャンプで利用するような、屋外炊事場の設備に「窯焼きピザ」用の窯があるのには驚きました。
 いまどきはキャンプでピザか? と思ったものの、屋外炊事場の施設を考えてみれば、レンガやブロックで作られていますから、少しの工夫でピザを焼く窯などはできるだろうと、納得させられました。
 キャンプでは、飯ごうで炊いたご飯とカレーの思い出しかありませんが、時代と共に楽める要素が増えているようです。

 右写真は隣接する畑で施設には関係ありませんが、大根はスクスクと育っているようで「あぁ、おでん食いてぇ!」です。


 ソレイユの丘(Map)

 ここは、南フランス・プロバンス地方をイメージした、農業等の体験学習を目指す公共の施設で、2005年にオープンしました。
 PFI方式(民間資金・技術を活用した公共施設の整備方法)で整備されたとあります。
 なので、入場は無料ですが、各施設の利用は有料になります。
 ソレイユとは、フランス語で「太陽」を意味します。
 天気が良かったこともあり、その場に立った瞬間に、「恵みの丘」にふさわしい立地であると、表情がゆるんでいることに気付かされます。

 戦前までは日本軍の飛行場として使用され、戦後は米軍住宅とされますが、返還後は通信施設として使用されていました。
 現在でも、この敷地を挟むようにレーダー施設が現存しています。
 その北側には自衛隊の駐屯地がありますし、行政区分では「ここも横須賀」になります。
 そんな視点で見直してみると、重要な軍事施設のあった場所を囲んだ線の内側を、「横須賀市」としているようにも思えてきます。


 園内には結構広めの牧場(まきば)があり、馬の飼育に力を入れていることをアピールしています。
 多くの馬を飼育するには、広い土地と手間と費用がかかりますから、好きなだけでは続けられないと思ってしまいます。
 馬事公苑にはかないませんが、近場ではそれに次ぐくらいの数ではないでしょうか。
 ちょうどショーの最中でしたが、馬のショーなので広い場所で行われているため(サッカーコート程度の広さ)、アナウンスで解説をしているのですが、どうも散漫な印象を受けます。
 結構腐心しているようには見えるのですが、観る側もアクロバットは求めていませんから、ほのぼのとした馬のショーってどうやって見せたらいいものか、工夫のしどころという印象です。

 上写真は、西部劇のような柵のセンスが気に入りましたし、その上に腰掛けている関係者と思われる方の姿が、とてもカッコよく見えました。


 この柵の板は、頭が挟まらない程度の間隔に配置されていると思われ、羊たちは鼻先だけを出してエサをねだっています。
 ねだるときは写真のようですが、食べるときは、口を開けると柵につっかえてしまうので、顔を横にして食べています。
 つわものには柵の上部に足をかけ、来園者が差し出すエサを遠慮無くムシャムシャやっているヤツもいました。


 子どもたちはこの斜面を、喜々として駆け上がっていきます。
 「走らないの!」と声を掛ける親たちですが、自分が駆け上れないことの言い訳のように感じられます。
 芝そりを担いで登り、人工芝をそりで滑り降りてきます。
 専用のゲレンデ(?)なので、滑りもいいようですし、ちゃんと受け止めてくれる係員の方がいてくれるので、思いっきり滑れそうです。

 子どもたちには楽園のようですが、ベンチであお向けに寝ているお父さんの姿がとても目につきました。横になれるベンチが多いのも事実です。
 子どもは遊具を目にすると「どうやって遊ぼうか」あれこれ考えますが、お父さんはベンチを目にすると「居眠りすることだけ」を考える存在かも知れません。
 でも、無事目的地に到着し(車では渋滞もあったでしょう)、子どもたちが遊び始めたところで急に気がゆるむというのは、とても分かる気がします。
 陽気に誘われて「頼む、15分だけ眠らせてくれ!」と、子どもにせがんでいたのかも知れません。
 大丈夫、ひと眠りして復活したお父さんはきっと遊んでくれるし、キミたちが帰りの車でスヤスヤ眠っていても、家まで連れて帰ってくれますから。

 ここには温浴施設もあるので(600円)、わたしの場合は「風呂入ってるから」と、そこで居眠りしていそうです……


 畑ではこの季節、落花生やサツマイモの収穫体験が、屋内では、パン・バター・ソーセージ作りなどを体験できます。
 そういった実体験というものが記憶に残り、三浦半島に対する好感度が大人になっても残っていれば、地域おこしの主旨としては狙いどおりと思われますが、それには継続が必要ですから、今後にも期待というところでしょうか。

 上写真はコスモス畑だったようですが、すでに刈り取られてしまったので紹介もできない状況ですが、雰囲気だけでも(写真奧がメーンゲート)。

 天気が良かったこともあり、名前の通り「太陽の恵み」が最も印象に残っています。
 何よりも、海を望める開けたロケーションというものが、気持ちをのびのびとさせてくれることを、再確認させてくれる場所です。


 荒崎(Map)

 本来ならば、上述のソレイユの丘や三浦ふれあいの村まで、磯伝いに歩けるハイキングコースがあるのですが、崩落のため通行禁止とされていました。
 おかげで写真すら撮れませんでした。
 以前の遊歩道は、下写真の洞穴を通り抜けるルートでしたが、現在は立ち入り禁止になっています。
 名前通りの荒い波が打ち寄せ、その影響を受けやすい場所なのかも知れません。
 確かに、危険な場所への立ち入りを禁止する姿勢は理解できるところですが、そんなことしていたら日本の海岸の岩場は、ほとんどが立ち入れなくなってしまいそうな気がします……


 基本的なことですが、海底などに堆積してできる堆積岩(砂岩や泥岩)は、一般的に平坦な海底に平らに積もるので、規則正しい模様を描く岩石として残されます。
 それを踏まえると、元は水平であるはずの地層が、これだけ傾いているのですから、そこには相当な力が加えられたわけで、巨大地震もたびたび起きていたのかも知れません。
 でもその時期は、人類が生まれる以前の時代ですし、その発生間隔の時間の単位も、人間の一生よりもはるかに長い間隔だったと思われます。


 厚みのある黒い地層を白線で示し、そのズレの境界と思われる断層を赤線で示しました。
 三浦半島には、このような地層の様子を観察できる場所が無数にあります。
 そんな視線で、波打ち際の岩場を歩いてみるのも、ひとつの楽しみ方ではないかと思います。


 この人たちは(他にも数人います)、もう夢中になっちゃって危険察知ができない状況に見えました。
 写真では分かりませんが、こちらまでしぶきが飛んでくるような強風の中、足元まで波がかぶっているにもかかわらず、釣りに熱中しています。
 「フィッシャーマンズ・ハイ」とでも言うのでしょうか? 動作は非常にキビキビしています。
 笑いが止まらないほど釣れているのかも知れません……


 この絵を見て「コハダ食いてぇ!」と思ったのは、わたしだけでしょうね(近ごろ食べてないもので)。
 何だか、寿司屋のネタケースに並ぶ「ひかりもの」(サバやイワシ)を想起してしまいました。

 一帯は「荒崎公園」として整備されており、「夕日の丘」とされる、相模湾越しに富士山を眺められる展望の開けた丘があります(この日は富士山を望めませんでした)。
 その展望台に三脚を据えたおばさんが陣取っていました。
 何を撮っているのかと思いながら、帰りのバスを待つこと40分(この地からの代替ルートは思い浮かばないので、覚悟して待ちました)。
 ようやく到着したバスからは、カメラバッグと三脚を担いだ熟年層男女が、グループで降りてきます。
 それを見てようやく「みんな夕日を撮りに来るんだ」と、先ほどのおばさんの気合いを理解できた気がしました。
 渋滞は夜まで続くので、何時に帰れるか分からんぞと思いながらも、自分は「気合いが足りないのか?」と、思わされたりもします……