2009/11/16

みんなの海──逗子

2009.11.7
【神奈川県】

 逗子の町には、隣接する鎌倉のように観光客が押し寄せることもない、静かな住宅街というイメージがあります。
 そんな住宅街だからか、駅周辺には食事どころが少なかったりします。
 何年前か忘れましたが、逗子を初めて散歩した帰りに、商店街を歩いても目ぼしい店が見当たらないので、パッとしないが最初に目に入った「ときわ軒」というラーメン屋ののれんをくぐりました。以来、逗子ではこの店になりました。
 おじいさん、おばあさんの店で、店内は広くありませんが大衆食堂といった雰囲気です。
 飾りっ気のない、むかしながらの澄んだ鶏ガラだしのラーメンですが、ふりかけたコショウとスープの相性がとてもよく、いつもスープを飲み干しちゃいます。
 見た感じ、若い世代の店員さんはいないようなので、食べられるうちに、と思っています。
 散歩の先々で、自分好みの店と出会うのは結構難しいことですが、地名からお店の味を舌で連想するのも、楽しみのひとつと思います。


 浪子不動(Map)

 逗子から鎌倉に続くシーサイドラインをドライブした際に、「あっ、海の中に何か立ってる!」と、印象に残っている方もいるのではないでしょうか。
 逆光で見えませんが、右写真の碑には「不如帰(ほととぎす)」と刻まれてます。
 明治時代にベストセラーとなった、徳富蘆花(とくとみろか)の小説『不如帰』(未読)の舞台だったことにちなむそうです。
 陸側には高養寺(真言宗)があり、古くは「浪切不動」「白滝不動」などの名で呼ばれていましたが、小説の人気から、主人公である「浪子」にあやかり「浪子不動」と呼ばれるようになったそうです。
 ──京王線の「芦花公園駅」や、近くにある「蘆花恒春園」は彼にちなむ名前だそうです。

 大潮の時には歩いて渡れるらしいので浅い海と思われますが、水上バイクがカメラのフレーム目がけて飛び込んできました。
 こちらを意識していたようにも思え、「カッコ良く撮ってよ!」てな声が聞こえてくるような、パフォーマンスでした。
 むちゃしないでね……


 披露山(ひろやま)公園(Map)

 浪子不動からハイキングコースを登ったところに、展望の開けた披露山公園があります。
 山の反対側の峠道にはバス停があるのですが、そこからも急坂を登った印象があるので、今回はゼロメートルから挑みました(標高93m)。
 頂上付近には駐車場があり、車ならあっという間ですから、子ども連れの家族が多く見られます。


 大きな電波塔が立っていることからも、経緯は想像できますが、戦時中には砲台が置かれていた場所になります。
 ここの砲台は何を守るのか? と思いますが、戦時中まで日本軍が使用していた池子弾薬庫(現米軍池子住宅)など、横須賀や横浜に点在していた軍事施設を守ろうとしていたのではないでしょうか(軍隊は軍隊を守るためにある、のです)。
 砲台の台座は、大砲の回転のため円形になっていますが、現在その跡地は「円形の展望台」「円形の花壇」「円形の猿舎」として、平和利用されているようです(逗子市の自慢だったりするのかな?)。


 この披露山と下記の大崎公園の間には、豪邸が建ち並ぶ披露山庭園住宅が広がっています。
 1965年にTBS興産が開発したことから、地元ではここを「TBS」と呼ぶんだそうです。
 ここを「日本のビバリーヒルズ」と称する向きもあるそうですが、各豪邸の敷地はとても広くオープンなので、建築物や庭園をアピールしているようにも見え、ちょっと他にはないと、口があんぐり開いてしまうような光景です。
 境界に塀を建てない決まりがあるそうですから、ほとんどの世帯が「セコムしている」そうですが、監視カメラらしきものは見あたりませんでした(どこから撮ってるんだろう?)。
 調べてみると、部外者の車両は進入できないよう、地域全体が「セコム」されているそうです……(宣伝ではありあせん)
 有名どころでは、みのもんた、反町隆史・松嶋菜々子夫妻、小田和正、松任谷正隆・由実夫妻らの、家や別荘があるそうです。


 大崎公園(Map)


 以前、あじさいの名所とされる披露山・大崎公園を訪れたことがあり、人出も少なく、とても好印象が残っていました。
 ですが今回は、花の助けもなく(楽しむこともできず)黙々と坂道を登るばかりだったので、季節でこうも印象が変わるものか、と思い知らされました。
 あじさいの花は放置しておくと、ドライフラワーのようにいつまでも花の形を保っているようです。

 見晴らしのいい日には、ここから江の島越しに富士山を望めるそうですが、今日もNG。
 こちらの意識としては、三浦半島西海岸のどこかで富士山の写真は撮れるだろうと思っていましたが、これだけ歩いても拝めないのですから、貴重なものだと再認識させられます……


 小坪(Map)

 現在では、山の上は披露山庭園住宅として開発され、海辺は下記の逗子マリーナとして埋め立てられたので、陸路は整備されましたが、以前のこの地は、陸の孤島的な地区だったのではないでしょうか。

 右写真は、天照皇大神(あまてらすすめおおみかみ:太陽の神、皇室の祖神のひとつ)を祭る、天照大神社(てんしょうだいじんじゃ)の参道になります。
 披露山住宅から急勾配の坂道を下りた所に、この階段があり登ってみれば、神社の背後には住宅街が広がり、子どもたちが道路でサッカーをしていました。降りて登っただけでした……
 がけ下の小坪側から見ると、右写真のような雰囲気がありますが、住宅地側から見ると神殿の背後が目の前に見えてしまいます。
 住宅地として開発されるまでは、神聖な地とされていたのではないでしょうか。

 社殿の修復を計画しているようで、寄付名簿には後にも先にも「石原慎太郎 金50万円」だけが張られてありました。
 土地の名士がいい顔したくて「まず、オレの所に持ってこい」と言ってそうにも思えます。
 でもそれが慣例になると、みんなが詣でて来るので断れなくなるという、政治家が抱える悪循環になるようにも思われました。


 神社の階段から海を振り返ると、上写真のような光景(逗子マリーナ方面)が見えます。
 部外者のわたしは「いい雰囲気じゃん」と感じたので、シャッターを切りましたが……
 以前は岩場が広がっていた海岸に、ヤシの木とマンションが立っているわけですから、地元の人々がそれを望んでいたとは思えません。
 地元への恩恵は、道路の確保と、堤防で釣りができるようになったくらいか?(でも、シラス等の直販店を見かけました)。
 自然が残された場所では「何にもなくてイイところ」との表現も使いますが、ここが岩場だけだったらシャッターは切らなかったかも知れません。
 難しいですね……


 ここは大崎の岬付近で、断崖が続くので陸路はありませんが、サーフィンのポイントとしては人気があるようです。
 上述の浪子不動のある、逗子海岸側でも見られましたが、ここにもサーフボードの上に立ち、オールをこいで移動するサーファーがいました。
 しばらく観察していると、長距離や、流れの速い海域を移動するために使用しているように見えました。
 確かにここまで、手でこぐパドリングで来るのは、それだけでバテちゃいそうです(海に入る砂浜からは結構遠い)。
 ですが、せっかく波に乗っても、オールは手放せませんから、あまりカッコイイ姿には見えませんでした。

 近くには、小規模ながら小坪マリーナがあり、ダイビングショップも併設されていて、ちょうどお客さんが船から上がってきました。
 この辺の海でも、透明度あるの? どの辺で潜るのだろうか。


 小坪漁港では、日中の漁に出るのでしょうか、土曜日の夕方近くでも港付近には、漁業関係者が多く見られました。
 写真の様子は、どうも船の修理をしていたようです。

 この場から振り返ると、ヤシの木が並木になっている、逗子マリーナのマンション群が並んでおり、前方と後方では、まるで異質な空間が隣接することになります。
 ですが、港には漁の活気がありますし、バーベキューする漁師グループもいました。
 海を生活の糧にする人々と、遊び場とする人とは確かに違いますが、海を必要とし楽しみたい(大漁を楽しみにする)気持ちの根底には、「畏怖(いふ)」や「あこがれ」という、人間が持つ共通の潜在意識があるのではないでしょうか。
 そんな願望を手助けし、「みんなで海を楽しみましょう」というコンセプトの施設であるなら、理解できると思います。
 問題は、利用料金です……


 逗子マリーナ(Map)

 ここは1971年に、セゾングループ系列の西洋環境開発が、鎌倉霊園造成工事に伴う残土で岩礁を埋め立て造成したそうです。
 ここには、分譲マンション、ヨットハーバー、結婚式場、レストラン、プールなどの施設が並びます。
 この日には、結婚披露パーティがいくつも開かれていたようです。
 東京の人にはちょっと遠いかも知れませんが、思い出に残りそうな場所です。
 今年の夏から、イルカとの交流ができる「ドルフィンブルー」という施設が開設されました。
 入ってみたいと思ったのですが、ドルフィンハグというプログラムは、6,300円するそうなので、気分も萎えてしまいました……


 写真右奧に「江の島が見え〜てき〜た♪」(サザンオールスターズ『勝手にシンドバッド』)ので、もう湘南ですから、三浦半島巡りは終了となります。
 でも、その「湘南」とは、どの地域を指す名称でしたっけ?
 神奈川育ちとしては、平塚、茅ヶ崎、藤沢、大磯あたりをイメージしていました。
 そこで、自動車の「湘南ナンバー」交付地域を調べてみましたが、藤沢市以西の地域が対象で、箱根も含まれるんだそうです。
 やはり明確ではなく、判断基準は自己申告のようなので、わたしも「湘南ボーイ」だったと言えるかも知れません……

2009/11/09

プライドが町を支える──葉山

2009.10.31
【神奈川県】

 葉山という地は、湘南の東端という印象もありますが、地元では「葉山」という独立ブランドの意識を持つ人が多いそうです。
 そんなプライドからでしょうか、葉山町は現在、三浦郡に属する唯一の自治体なんだそうです。
 町役場の住所は、神奈川県三浦郡葉山町堀内2135番地となっていました。
 心意気としては称賛したいところですが、単なるわがままなのではないか? という気もしてきます。
 産業で目につくのは葉山牛くらいで、ブランド牛らしいのですが、希少すぎてどんなモノなのか、判断すらできませんし、観光と言っても、それほどの規模とは思えません。
 しかしそんな町の人口は、なだらかでも右肩上がりで増えているようですから、住んでみると「やっぱり、葉山は葉山だ」と自負できるのかも知れません。
 都市部とは異なった豊かさを求めているようですし、ある意味理想的な自治体にも思えてきます。


 葉山御用邸(Map)

 ここは、1894年(明治27年)に作られた天皇家の別荘になります。他の別荘としては、那須(栃木県)、須崎(静岡県)があります。
 明治天皇は使用しなかったそうですが、病弱だった大正天皇はここで療養中に崩御(1926年:大正15年)したそうです。
 見舞いに訪れていた当時の皇太子(昭和天皇)は、この地で、践祚(せんそ:先帝の崩御あるいは譲位によって天子の位を受け継ぐこと)を行ったそうです。

 当時、年号の発表がどんな形式だったかは分かりませんが、この地で「昭和」が始まったとされるそうです。
 知るところでは、小渕官房長官(後の首相)が「平成」の書を掲げた発表は、とても印象に残っています。
 年号が変わるとはこういうことなのかと、初めての体験なので、興味深くニュースを見回していた印象があります。
 ですが、西暦に直すのが面倒になった、と感じるのも事実です。
 昭和の時代は、25を足せば西暦になると覚えたものですが……


 ここが、皇室一家が犬を連れて散策にお出ましになる海岸です。
 小磯の鼻という小さな岬なのですが、この一画だけは芝に覆われています。
 一般人も立ち入れる場所ですから、警備員の詰め所や、サーチライトが並んでいます。
 1971年には放火事件により全焼したこともあるので、警備も厳重にせざるを得ないのでしょう(犯人は心神喪失で不起訴処分)。


 小磯の鼻に伸びる「ゴジラのしっぽ」のような地層です。
 黒い部分は、見ての通りゴツゴツした富士山麓に見られるような、火山から噴出されたスコリア(黒い軽石のようなもの)の層になります。
 ──ゴジラと言えば、ヤンキースの松井がワールドシリーズで優勝して、MVPになりました。夢をかなえた男の表情とは「はじけ切れないものである」なら、日本男児としてとても理解できるところですが、来年の契約問題が絡んでいると、ちょっと複雑な気持ちにさせられます……


 葉山しおさい公園(Map)

 ここは御用邸に隣接する、旧葉山御用邸付属邸の跡地を整備したものです。
 大正天皇が亡くなられた1926年当時の御用邸は、1923年の関東大地震の被害により修復中だったため、現在の公園内の建物で療養していたそうです。


 公園内には、海が見晴らせる場所があります。この日も富士山は見えないので、釣り人を撮りました。
 でもこの人、本気で釣ろうとしているのか疑いたくなるほど、落ち着きがありません。
 糸は出しているけれど、さおを置いてポケットを探ったり、浮きを見ずにウロウロ歩いたりしていて、外野からは釣れそうに見えませんでした。
 そんな人が名人だったりするのかも知れませんが、見ている間にはヒットしていませんでした。


 庭園内の木々の様子から、もう紅葉が始まっていることを知らされました。
 人の意識の進み方には、個人差や勝手なものもありますが、季節の移ろいには、年ごとに多少の差異はあっても、確実な歩みがあります(今年は早めといわれています)。


 森戸(Map)

 この岬には、源頼朝によって祭られたとされる「森戸大明神」があります。
 伊豆に流された頼朝は、静岡県三島市にある三嶋大明神(現三嶋大社)にて、源氏の再興を祈願したこともあり、鎌倉に入ってすぐこの地に、三嶋大明神の分霊を祭ったそうです。
 ──明神とは、神道の神の称号の一つとされ「大」とは、さらに尊んだ呼び方になるそうです。いまどきは「○○大明神」などと称されると、「バカにしてるのか!」と、なりかねませんが……


 鳥居のある島は名島(菜島)と言い、むかしは陸続きで頼朝が別荘を建てた、との伝えもあるそうです。
 左の灯台は「裕次郎灯台」と呼ばれるそうで、岬には石原裕次郎のレリーフが立っていたりします(あまり似てない)。
 この灯台は、兄である石原慎太郎が、日本外洋帆走協会の会長を務めていたころに、基金を募って(約1億円)裕次郎の思い出のために建設したんだそうです。
 近くにある石原家の別荘から、その灯台が望めるんだそうです(どうでもいいですよね)。
 裕次郎主演映画『狂った果実』(1956年)の舞台で、青年時代を過ごした場所ですから、昭和の大スターとしての足跡が残されてもいいのかも知れませんが……(京都嵐山にある美空ひばり座ほどは目障りではないので、まだいいか)


 海辺にある、まき置き場とされる小屋です。
 付近に大きな船は見あたらないので、主に相模湾内の沿岸漁が行われているようですが、水揚げは逗子市の小坪港で行われるので、葉山町の水揚げ量はゼロなんだそうです。

 海岸沿いにある町中の道路は、バス通りも昔のままで、道幅が狭く折れ曲がった通りが、メインストリートとされています。
 これは、近隣住民が「ずっとこのままでいい」と考えている成果(?)と思われます。
 歯の欠けた櫛のように、所々にさら地や建て替えの様子は見受けられますが、ひと区画の面積が狭いので区画整理が難しそうな地域です。
 離島の漁師町のように、狭い地域に小さな家が密集して、幅の狭い路地がクネクネしているイメージです(歩くには楽しい)。
 だからでしょうか、富裕層の邸宅や別荘は、眺望のいい丘の上に建てられているようです(上を全然見ていなかったので、印象に残っていません……)


 日影茶屋(Map)

 ここは、江戸時代中期に料理茶屋として始まり、以前は旅館としても利用されたようです。
 何が言いたいかというと、京都とは違うかも知れませんが、むかしの「茶屋」には「色気」が付き物ではなかったか、ということです。
 目の前には鐙摺(あぶずり)港がありますが、大きくはありませんし、東海道のような主要街道沿いでもありませんから、店の継続には他に理由があると思われます。
 勝手な想像ですが、江戸から遊びに来た金持ちが、お妾さんに住まわせたのが、現在の葉山の原型なのではないか? なんて思ったりしました。
 と感じたのも、下写真のよしずを上げて、かつての遊女が客に声を掛けていたように思えたからです。
 ネーミングも意味ありげに感じられるところがあります……


 わたしは入ったことありませんが、原坊が歌うサザンオールスターズ『鎌倉物語』の「日影茶屋では お互いに声をひそめてた〜♪」等で名前は知られていると思います。
 
 現在はご存知の通り料亭とされ、とても人気がありそうです。
 晩の仕込みを終えた後の遅い休憩でしょうか、割烹着姿の板場の方々が、外から戻ってくる姿が見かけられました。
 形に弱い日本人のひとりとしても、「かっこいいなぁ」と思ってしまいます。

 お金を払えば、おいしいモノにありつける、のは当たり前と理解していても、わたしの金銭感覚としては、前回佐島の寿司屋の方に魅力を感じてしまいます……

 右写真は駐車場奧にある蔵ですが、この外壁の石は、化粧石のように模様が選ばれているように見え、感心させられました(蔵の壁ですよ!)。


 葉山マリーナ(Map)

 隣接する鐙摺港には「日本ヨット発祥の地」の碑があります。
 江戸時代の長崎で、外国人たちが開催したヨットレースの「長崎レガッタ」が記録に残るそうですが、日本人の手で初めて建造されたヨットが、この海を帆走したことによるそうです。


 ここの開業は1964年で、京浜急行グループが運営しているようです。
 有名な割には、規模としては小さい印象を受けます。先がけ的な(歴史のある)施設って、最初から大きな設備は持てませんものね。

 首都圏に近く、夕日のロケーションもいいことから、さまざまなメディアのロケや撮影に使われるそうです。
 ホームページには、そのための料金表なるものが掲載されていて、驚きました。
 ちなみに、2時間以内のスチールは21,000円、ムービーは42,000円だそうです。
 何だか「うちは知名度があるから、宣伝する必要は無いんだけど、撮らせてくれって言うなら、管理費としてお金もらうよ」との主張のようです。
 どうも「気にいらねぇなぁ」と思うものの、会員制の施設ですから、入場料というところでしょうか……

 右写真は、鐙摺港の入口にある灯台になります。
 漁港の入り口に立つ赤灯台ですが、港所属の船が認知できればいいのでしょう、独特のデザインになっています。
 ──灯台のデザインについて調べてみましたが、規定については見つかりませんでした。
 
 行政に対する住民の要望として「現状維持」(町のままでいい)が多数を占めるらしいことは理解できますが、改めて考えてみると、大多数の非富裕層の意見ではないか、と思えてきます。
 たくさん税金を治めてくれる人には、それなりのサービスをするべきだが、われわれに新しいサービスはいらないから、税金を上げないで欲しい、という切実な願いなのかも知れないと……
 むかしから地元で暮らしている人々にとっては「静かに暮らしたい」ということが、最大の願いなのかも知れない、と感じられる地でした。


 追記
 逗子市街を走るバスの車窓から、ハロウィーンの仮装をした子どもたちの群れを目にしました。
 日本で無理して盛り上げる必要もないと思うのですが、まあ、子どもにすればお祭りなら何でもいいんだよね……

2009/11/02

北風を意識し始めるころ──佐島、長者ヶ崎

2009.10.25
【神奈川県】

 ここしばらく、心地よい気候である「秋らしさ」を満喫していましたが、季節は進み、いつの間にか「冬の兆し」に震え始めるころとなってきました。
 先日テレビの天気予報で説明していた、二十四節気のひとつ「霜降(そうこう:露が冷気によって霜となって降り始めるころ ×しもふり)」でしたが、その次は「立冬(11月7日ころ)」ですから、もう冬支度の時季になります。
 霜降から立冬までの間に吹く北風を木枯らしと呼ぶそうですから、もうこれは「木枯らし」とされるのでしょうか?
 とても強く、寒いと感じられる北風でした……


 佐島(Map)

 ここは、先日の荒崎とは小田和湾を挟んだ対岸に位置します(陸地ではその間に、自衛隊駐屯地や林ロータリーがあります)。
 三浦半島の開発をリードしてきたと言える京浜急行グループですが、ここの丘陵地帯で大規模な宅地開発をし、「湘南佐島なぎさの丘」分譲地として大々的な宣伝をしており、京急の全駅(?)にポスターが貼られてあります。
 ここにも居住者用に、京急の急行バス(JR横須賀線逗子駅より)がありますが、まだ利用者が少ないのでマイクロバスでの運行でした。
 乗り合わせたおばさんの会話「東京から逗子までは1時間だけど、そこからが遠くてね(30分程度)」の通り、別荘なら分かるけれど、という立地になるでしょうか。


 佐島マリーナは以前から有名でしたが、利用者以外の駐車場は無いので、付近を歩けなかった印象があります。
 今回初めてバスを利用し歩いてみると、日曜日の昼時ということもあり、マリーナには関係ない人々の集まる場所を、知ることができました。
 車で食事に来る人たちが目につく、有名そうな寿司店や魚料理店があるのですが、駐車場が狭いので、店の前で交通整理をしていたりします。
 佐島漁港(上写真)の前にある鮮魚店も盛況で、店の前には車を置けないよう障害物が置いてあったりします。
 大きな港ではないので、地魚だけと思われますが、それこそ「地の味」ですから、きっと新鮮でおいしいのでしょう。
 テレビ等で紹介されたりして、知名度の高い店なのかも知れませんが、今度は是非食事目的で来たいと思っています。


 佐島の地名は島ではなく、港や分譲地のある陸地側の名称になります。
 その岬の先端に、10m程度の橋で結ばれた天神島があり、佐島マリーナや天神島臨海自然教育園は、その島にあります。
 数百m沖合にある笠島(上写真:天神島から笠島を望む)を含めたこの一帯は、ハマユウの北限自生地として神奈川県の天然記念物に指定されています(夏の花のようです)。


 案内板が無ければ見過ごしてしまう火山豆石(かざんまめいし 上写真)です。大きいモノでも直径2cm程度。
 これは、火山の水蒸気爆発で発生した噴煙内で、火山ガラスと水分が混じることで、生成されるそうです。
 最近では、雲仙普賢岳の噴火の際、雨の日に火山豆石が降った記録があるとのことです。
 火山豆石は、火口近くでしか発見されないそうなので、この地層が堆積した時代には近くに火山があったと考えられます。


 立石(Map)


 ここはご覧のように、切り立った岩と、岩場に立ちつくす松の木があるだけなのですが、天気のいい日にはこの奧に富士山が望めたり、夕日のキレイな場所なので、アマチュアカメラマンには人気のスポットなんだそうです。
 古くは、安藤広重の浮世絵に描かれ、その後も多くの画家や写真家がこの地で作品を残したそうです。
 どんな説明を聞いても、ここに富士山が見えなければ、納得できるものではありませんよね。
 富士山って、前回のようなピーカンでも見えなかったりしますから、出会うのは結構難しそうです。
 これから冬にかけての、空気の澄んだ時期が狙い目なのでしょう(台風一過の日には見えたかも知れません)。


 上下の写真は、長者ヶ崎に近い海岸になります。
 上は、スペースシャトルからの地球のように見えたりしません?(丸くないし、青くもありませんが)
 下は、ヒラメやカレイの縁側のようだ、と思っているのですが……(2枚ともカラー写真のままです)
 天気のいい日には、さまざまな色や光が見えてしまうので、曇天の日だから撮れたように思えます(それにしても2枚並ぶと暗いね)。

 湘南や鎌倉を通っている、渋滞で名高い国道134号線は、相模湾沿いにここを通って横須賀まで続きます。
 何だかこの付近には「西海岸通り」という、交通標識とは違った看板が並んでいます。どうやら、佐島から逗子にかけてのイメージアップ作戦のようです。
 むかしからとてもいい印象のシーサイドラインでしたが、商売で成功しているところは皆無だったと思います。
 でもいまでは、海を望めるおしゃれなレストランが目につくようになりました。
 立石のバス停から一緒に乗った、アラフォーの女性2人組は食事に来ていたようで、「座ったら苦しくなってきた」の会話が聞こえました(お腹周りの苦しそうな絵が浮かんじゃいました……)。
 ──アラフォーって表現は、使い勝手がいいですね。正確な年齢が分からない女性を表現する場合、おばさんと書いてしまうと反感を買うところでも、アバウトな表現ながらも受け手には「あぁ、おばさんね」と伝わりますから……(失礼)

 この一帯の難しいところは、ロケーションはとてもいい場所でも、平地が無いので建物や駐車スペースが限られてしまうということです。
 写真の海岸一帯では、海岸保全の名目で海側に人工の護岸を作り、スペースを作ろうとしているようにも見えます。
 海岸を狭めず、車窓から海の眺めが途切れない場所であって欲しいと思います。


 長者ヶ崎(Map)

 この地が、横須賀市と葉山町の境界になります(葉山って、市じゃないんですね)。
 平成の大合併の際には、三浦市から横須賀市へのアプローチがあったそうですが、メリットが無いと一蹴されたそうです。
 試算では、横須賀市、鎌倉市、逗子市、三浦市、葉山町の、三浦半島周辺の大合併があれば、政令指定都市への移行が見込めたそうですが、各自治体のプライドが強かったそうです。
 横須賀市以外には、取り立てて産業らしきものはありませんから、「静かに暮らしていきたい」という、葉山町住民の選択はとても理解できるところです。

 葉山町のホームページに、「長者ヶ崎:車を止めたくなる景色」とあるのは、とてもよく分かりますが、見るモノがない残念な場所になります。
 海側の展望は素晴らしいのですが、遊歩道は危険防止のため通行禁止になったままで、散策ができません(引き潮時のみ、海岸づたいに先端まで歩けるそうです)。
 難しいのかも知れませんが、もう少し整備すればこの地名も記憶に残ってくれると思うのですが……

 葉山町側の海水浴場には人出があるようで、一帯には海の家が並ぶのでしょう。その設備用と思われる電柱が、オフシーズンも放置されています(上写真)。


 ここは岬ですから、背後に続く尾根が風を遮ってくれます。
 ですが、ひとたび岬をかわした途端、しばらく忘れていた強風にさらされます(もう、寒いこと)。
 海水浴場の上には、海に面した駐車場があります。
 電柱の写真を撮ろうとウロウロしているとき、エンジンを止めた車内に人影のある車が多くありました。
 せっかく来たけど外は寒いから、どんよりとした海でも眺めるしかない気分も、仕方ないと思える天気でした。
 「暗い海に、パッシング……」(大瀧詠一『スピーチ・バルーン』)なんてやっていたころを、思い出したりしました……


 追記
 転覆漁船から船員を救出した横浜の海猿たちは、この時のために訓練をしていたんだと、改めて頭が下がる思いです。
 これからも、万が一の事態に備えての訓練を、お願いいたします!