2008/07/28

五感で楽しむ「風情」──根岸、三渓園

2008.7.26
【神奈川県】

 根岸森林公園(旧横浜競馬場)


 梅雨が明けてから関東地方もお暑うございますが、もう関係はないものの気象情報の画面を横目で大阪・京都をチラッと見ると34〜5度とあります。それを体験してきた者としては、この程度で音を上げる訳にはいきません。
 「いやぁー、東京の暑さなんてまだまだだよ!」だなんて、こっちの気質になじんできたということでしょうか……

 お花見の候補地と考えていたのに、ここも夏に来てしまいました。
 競馬場跡ということで、だだっ広い芝生の広場(競馬場のコースの内側を思い浮かべてください)と「馬の博物館」そして乗馬エリアがあります。
 ──本ブログの右側にリンクのある「ヨナグニウマふれあい広場」の友人に「もったいないなぁ、乗った方がイイよ」と言われるのですが、こっちだとなかなかチャレンジできなくて……
 でも、そんな施設が身近にあれば行く? かなぁ。
 子どもたちは馬に触れる機会が増えるのでいいのでは? などとお茶をにごして……


 起伏に富んだ広大な緑地公園を見下ろす丘の上に、上写真の一等席スタンドにあたる建造物の高い塔が3つ現存しています。
 ──「一等席スタンド」の表現は看板の説明によりますが、何しろ明治時代の「一等」ですから、庶民が立ち入れる場所ではなかったことと思われます。
 この建物群が修復されると数年前に目にしていたので、修復後の姿を見たいと再訪したのですが、どうも途中で予算打ち切られたような姿に見えてしまい「ならば、ツタよ全体を覆ってしまえ!」と言いたくなるというか、ガッカリです。
 売店でも(別に買い物をしたわけではないが)おばちゃんがアンケートを持ってきたりで、市の予算削減(増えることはないでしょう)対象として目を付けられているような印象もあります。横浜市でも、マイナーな場所への予算配分は厳しくなっているようです。


 この公園近くに、とても古いのですがユーミン(荒井由実)の『海を見ていた午後』に登場する「ドルフィン」というレストラン(喫茶店)があり、いまも健在でした。
 これも古い話ですが、アルバイトの現場がこの近くであったついでに作業服姿の野郎二人で入り、クリームソーダをすすったことがありました。歌の歌詞では「ソーダ水」なのですが、メニューになかったので上にアイスが浮かんでいました(いま思うと、恥ずかしい限りです……)。
 ──ユーミンって特に好きなわけでも思い出があるわけでもないと思っているのによく出てくるのは、若かりしころの「時代の空気感」へのあこがれなのだろうか?


 三渓園

 明治時代に絹の貿易により富を築き、富岡製糸場などをの工場経営によって財をなした原 富太郎(三渓)の邸宅だったそうです。
 でもこの方、横浜銀行の頭取などの経歴からでしょうか、関東大震災で被害を受けた横浜の復興支援に私財をつぎ込んだため、財力を失ってしまったそうです。
 こういった話しを「ハマっ子(横浜育ちの人々)」は粋に感じているのでしょう、キレイに整備され保存されています。右写真奧は、京都のお寺から移築した三重の塔。
 庭園内には結婚披露宴会場もあるようで、暑い中を正装された方々がダラダラとはけてきます。
 別の場所で写真撮影帰りの主役たちを見かけましたが、新婦は綺麗なお召し物を身につけているだけで、町中を友人と話しながら歩くOLの姿にしか見えず、絵になるとかいうレベル以前のお姿に、カメラを持とうとすら思えませんでした……(失礼)


 ここは以前、海岸沿いだったと思われますが、横浜という場所柄ご多分に漏れずはるか沖まで埋め立て地が広がっており、背景に煙突まで見えてしまうような状況です。
 でもやはり海の近くであると思える「海風」が入り込んできて、実際には暑いのですが藤棚の日陰などに腰掛けていると、実に心地いい風で涼むことができます。
 この時思ったのですが「風情は東西それぞれ」であるのは当たり前であり、地方には京都へのあこがれがあるかも知れませんが、その土地ごとに京とは違った「風情の感じ方」があるのではないでしょうか。
 ここの海風は京都では感じられない横浜ならではの「風情」であって、逆に京都にはまねのできないものだと思います。それを京都では「川床」や「納涼床」によって代用している、とも言えます。
 京都をじっくり見てしまうと、どの地方都市も「京都のまね事」をしているように思えたりもしました。しかし、いくらまねても同じものはできないわけで、その理由のひとつにそれぞれの土地の「環境」というものが挙げられます。それは逆に、京都にはまねのできないことを各地域の独自性としての表現を可能にしてくれます。
 精神性の相通じるものを、それぞれの土地ごとのバリエーションとして展開していくことを「日本文化」ととらえていいのではないだろうか。
 そんな当たり前と思われる「東国の風情」を感じることができ、再認識できたと思える本日です。

 散策前にお茶屋さんで冷たいうどんをいただきました。
 海風の通る軒先に出された席で、風鈴の音色を耳にしながら庭園の池を眺めてうどんを食して「風情は京だけにあらず」と…… そのこころは?
 うどんの上に乗せられた梅干し(かつおぶし同伴)の美味しかったこと!
 炎天下の中、体は水分だけではなく塩分も欲していたことを思い知らされました。それが、冷たいうどんの上に梅干しが乗せられている理由なのでしょう。そんな文化を日本人ならば、どの土地においてもうれしく感じることでしょう。
 味覚だけではなく、五感で楽しむことを「風情」というのではないでしょうか。
 それが場所を問わないことは、言うまでもありません。

2008/07/23

金網の向こう側──ズーラシア、米軍施設

2008.7.19-20
【神奈川県】

 動物園が続きますが別に人間嫌いになった訳ではなく、実家(相模大野)行きに便乗した企画を考えたらこうなってしまいました。
 ズーラシアへはJR横浜線・横浜市営地下鉄の中山駅からバスを利用します(相鉄線の鶴ヶ峰などからもバス路線あり)。
 ちょうどいい機会なので、08年3月に開通した横浜市営地下鉄グリーンライン(日吉〜中山)に乗ってみました。連休初日の土曜で、ショッピングモールや映画館などのあるセンター南・北駅で降りるお客さんが多かったのですが、そもそも「センター」って何でしたっけ?
 ──港北ニュータウンの中央地区(タウンセンター地区)にあたるそうです。多摩センターと同じだなんて言うと、将来に不安を感じちゃいます?
 横浜市の構想では、前述の2つの駅間は以前から運行されている市営地下鉄ブルーラインと2本の鉄道が並んで走る、まさに港北ニュータウンの中心地に位置づけられています。
 以前映画館に足を運んだとき、いまどきデパートの屋上に観覧車とは珍しい! と思っていましたが、関西で「回転するものが好きな土地柄やなぁ」と感じたとき、真っ先にここの観覧車を想起しました「そうや、港北の観覧車も阪急デパートやった!」。
 ──別に阪急グループに対して悪口を言うものではありません。

 地下鉄関連でもうひとつ、同じ市営地下鉄なのに何で規格が違うのだろう? と疑問に感じました。
 古いブルーラインは、丸ノ内線・銀座線のように線路脇から電気の供給を受ける方式なのに、新しいグリーンラインは屋根上のパンタグラフから電気を受ける方式となっています。
 お金は掛かるでしょうが、後者の方が汎用性もあり他社線との乗り入れ等が可能になるので、設計にも開放的なビジョンが取り入れられたということなのでしょう。これで、ブルー・グリーンラインが相互乗り入れできたりするとスゴイと思ってしまうのですが……
 これも、横浜市の歴史の古さを物語っているのかも知れません。


 ズーラシア(よこはま動物園)


 何で夏に動物園に来るかなぁ?
 ──前回来たときも、子どもたちが水の流れ落ちる壁で涼を取っていたこと思い出しました……
 コンセプトとして「生息環境に近い空間の再現」を掲げるので、動物たちの運動スペースは広く、木々や岩陰などが設けられているため、そこに隠れていたら目にすることもできないという動物園(?)で、「どこ、どこ?」と探すのがしんどい方には向かない施設かも知れません。
 ましてや暑いですから、動物たちも動き回るものはそれほどいません。だから空いているんですがね……


 開園が1999年で当初はかなりの人出がありましたし、さまざまな意見・要望が取り入れられているようで、見て歩いていても以前ほどのストレスを感じることなく回ることができたと思います。
 運動スペースだけではなく、室内スペースを見ることができるようになったこと。
 表に出ている時間帯の表示を掲示してくれたこと。
 これでかなり観る側でペースを考えられるようになったと思います。
 そして、周囲の木々が大きくなり日陰が増えたおかげで、ひと息つけるようになったことでしょうか……

 右写真が開園当初からの人気者の「オカピ」で、ジャイアントパンダ、コビトカバ(知りませんがな!)と世界三大珍獣と言われているそうです。
 体の模様からシマウマの仲間かと思ってしまいますが、キリンの仲間なんだそうです。
 開園当時からすると園内は結構広くなった印象で(まだ拡張中だそうです)、全部回ると2時間程度はかかり、終盤に差しかかるとみなさんバテ気味のようで、合い言葉のように「あと、オカピ観て終わりね」の声があちこちから聞こえてきます。
 前回訪問時も狭い敷地内の最後あたりにオカピ舎が位置していたのですが、現在は広くなった敷地の最後のあたりに移動しています。
 これは見事な演出で、見学者は最後の力を振り絞ってオカピを目指して歩んで行きます(子どもたちはそこからダッシュの元気さですから……)。
 ずいぶんと楽しめる動物園になってきたと思えますし、また来ようと思っておりますが、次回はすこし涼しい時期に来たいものです……


 キャンプ座間(米軍施設)

 在日アメリカ陸軍司令部が置かれており、米軍では「リトルペンタゴン」の通称で呼ばれているそうです。
 ──若いころ、施設内のレストランでアルバイトをしたことがあり、もらったチップで自販機からBillboard誌を入手できたのがとてもうれしかったこと思い出されます。
 こちらに戻り神奈川新聞のサイトで「在日米軍キャンプ座間からのゴルフボール飛び出し問題」についての記事を目にしました。
 相模原市において米軍施設は、ほかの一般企業の工場や、プロゴルフツアーも行われるカントリークラブ等と同じ扱いであると思えることに、「時折ヘリコプターが飛んでくる」くらいの「問題のない施設」としての認識を浸透させようしているようにも感じられ、とても落胆させられた思いがしました。
 平和ぼけの実態と言いましょうか、もちろん戦争も起こらず(このままであり続け)市民にも特段の問題が及ばなければいいのでしょうけれど……

 金網の向こう側は米軍施設のゴルフ場なのですが、どうも頻繁に日本語が聞こえてきます。
 日本人立ち入り禁止ではないので、ある程度理解できますが「この暑い中をプレーするのは日本人だけ」とか言われながらも「特権、特権!」などというやからがいたとしたら、「米軍施設のゴルフ場不要論」が出てきてもおかしくないと思うのですが、いかがでしょう?
 ──すんごく広い敷地です。


 厚木基地(米軍施設)


 この日、もしくは行った時間帯に飛行訓練は行われていませんでした。
 ここは自衛隊も遠慮がちに使用していますが、米軍のジェット機は昼夜問わずに我が物顔で任務の遂行(訓練)に励んでいます。
 確かに沖縄の嘉手納基地(あんなのあり得ない!)と比較すれば軽度と表現されるかも知れませんが、あの轟音が繰り返されるうちに「落ちて来やしないか」と身をすくめることが頻繁に繰り返される場所を、住宅地と言えるのか実際に現地で体験してもらいたいという気持ちはあります。
 小学校の校庭での朝礼が轟音で中断したこと。中学校のとなりにあった米軍病院に降り立つヘリコプターの異常音が聞こえて「落ちた?」と窓からのぞいたこと、等々……
 ガキのころは周囲に当たり前にあった事象なので、ありのままに受け入れるしかなかったのですが、どう考えても尋常な状況ではないと思えます。
 確かに以前に比べれば(ベトナム戦争当時)周辺からきな臭さは遠ざかっているように感じられますが、身近で感じなければよし(山口県岩国市に訓練場を移設する案もある)という問題ではないと思われます。
 国防は必要なことですから、どのように必要最低限の国防力を適切にまた均等に配備できるか、について国民がみんなで考える必要があるように思います。


 相模補給敞(米軍施設)


 上写真は米軍施設を取り囲む金網の、市民の最も有効な利用法だと思っています。
 ──沖縄普天間基地の周辺にもあり、そこも小さな畑になっています。
 勝手なイメージとしては、基地を取り囲む金網を草木が覆い、周囲から基地内部へ緑が浸食していくというものですが、夢物語に過ぎませんね……

 金網で囲われる場所は、それによって内部を守る必要があるから隔離されるのだと思われます。
 ──猛獣たちも野放しにしたら、すぐに駆除されてしまいます。
 以前もどこかで書いた気がしますが「軍隊は軍を守るために存在する」という言い分については、臨戦時等では理解できる面もありますが、平穏な市街地の中で、盗まれたら困る機密や武器などを守るために金網を張り巡らせるのは、正しい方法とは思えません。
 土地が無いのは理解できますが、きちんと隔離可能な(原発のような立地)場所を確保して(場所を明らかにする必要はないが)、維持のためにこれだけの予算が必要であることを国民の理解を得て、国防とすべきではないかと思います。
 否決されたなら、それも国民の意思なわけですから……

2008/07/14

横浜もお暑うございます──野毛山動物園、桜木町

2008.7.12
【神奈川県】

 転居の後片付けもメドが付いてきたので、どこに住んでいようが週に一度くらいは散歩に出ようと、33度の猛暑の中を歩いてきました。
 以前こちらにいたころも休みの日には歩いていたのですが、カメラは持っていませんでした(フィルムカメラのせいもあり)。
 京都で散歩しながら写真を撮るいいクセが身に付いたので、可能な間(のんきでいられるうち)だけでも続けようと考えています。


 野毛山動物園


 前回訪問時に最も印象に残っていたレッサーパンダを撮りに来ました。
 ちょこちょこと動き回るのでなかなか撮れず、カメラを構えて待つも太陽光線が欲しいので日なたにいたもんだから、熱中症寸前? クラクラしてきました。
 彼女はメス(メスの方が顔の模様が可愛いと思います)なのですが「キンタ」(以前の職場仲間の女性にもそんなあだ名を付けられた方がいました)と名付けられています。幼少のころ雌雄の判別ができなかったことが理由のようです。
 説明員の方が、以前は肉食だったので腸が短く、食べた順番にうんちが出ます、の説明の後「きょうのうんちを取ってありますので後でにおいをかいでみてください。ササの新鮮なにおいがしますよ」って、実行した子どもたちは何人いたのだろうか……
 それも大切な実地体験ではあります。


 インドゾウの「はま子」が死んだというニュースは聞いていました。その後、ゾウ舎はどうなったのかを知りたい気持ちもありました。
 跡地は写真のような広場になっていました。
 ──どこの動物園でもゾウ舎は円形の場合が多いので、この絵からも想像しやすいのではないかと思われます。
 無理して新しい象を連れてくるのではなく、はま子の記憶と共にゾウ舎を閉じようとした姿勢には、気持ちが込められているようにも感じられました(大きな動物はズーラシアへ移す方針であるようです)。
 横浜市にはここ以外に、金沢動物園、ズーラシアと市内にいくつあるんだ、と言いたくなるほど動物園好きな自治体です。
 だったら、こんな狭い動物園はいらないんじゃないか? というご意見もあるかと思われますが、ここ(身近な場所)にあることに意味がある動物園だと思います(入園無料ですし)。
 すぐ隣には横浜の上水を支えてきた配水池が健在ですし(ここの水は相模湖近くから引かれていて、高校時代まで暮らしていた相模原市には幅20m程の水道道路が一直線にここを目指して伸びています)、この野毛山という場所は、横浜という都市の記念碑的な性格を持ち続けている場所であると思われます。


 桜木町(西側)

 猛暑の後の夕立に遭われた方もおられたと思われる土曜日の午後、わたしは「野毛ちかみち」(地下道・近道の両方にかけている?)に逃げ込み「ぴおCity」の飲食街でひと息ついていました。
 東急東横線の桜木町駅が閉鎖され(みなとみらい地区に路線変更のため)その影響が心配されていたのですが、正にシャッター地下街に。空き店舗で写真展やってるというのも、表現に困ってしまいます。
 馬車道にも通じる洋食の老舗や、寄席の「横浜にぎわい座」などのある下町ではあるのですが、何せ「WINS」(場外馬券売場)があったりその先には歓楽街である日ノ出町、黄金町につながっていくので(機会があったら潜入してみようと思いますが、スンゴイところです)やはり健全な町とは言えないかも知れません。
 「野毛大道芸」で有名だと思いますが(イベント期間以外はみなとみらい地区でやっているし、頑張らないと取られてしまうのでは?)、そんなイメージアップと同時に町の活性化を進めていかないとシャッターの数がどんどん増えてしまうのでは、と心配です。

 暑さで頭がクラクラしながら駆け込んだ「ぴおCity」の中華屋、冷房のガンガン効いた店内で食べた「サンマーメン(野菜うま煮そば)」に「これぞ神奈川の味!」と、シビレながら体力回復をはかりました。
 ──品のあるような食べ物ではないのですが、実利的なメニューだと思います。


 先ほども触れましたが東急東横線が廃止となった現在、あのガード下の落書き(いまやアート?)がどうなっているのか関心があったので寄ってみました。
 写真のように健在と言うか「○○小学校卒業生」などの署名入りの子どもの絵があったりして、公認された落書きの場になったということなのか?
 以前からそうでしたがここの落書きはみんな一所懸命描かれているので、好き嫌いは別にして関係者や周辺の人たちも「お手並み拝見」的に見てくれる方が増えたのだと思えるのですが、まあこれも桜木町の名物ではありますよね。
 これらの絵の上にもスプレーでちゃちな文字の落書きをするチンピラがいます。
 そんなケチな落書きではなく、堂々とこの壁をキャンバスに自己を表現してみろ、と言いたくなります。


 この上の線路や駅舎などの構造物は撤去されているようです。
 そう言えば、この跡地を遊歩道にするという話しを以前耳にしたこと思い出しました。
 横浜から桜木町へ歩くなら、みなとみらいを歩いた方が楽しいと思っていましたが、あの埋め立て地には次々と高層ビルが建てられていて、どれが何だか分からなくなりつつあります。
 だったら以前の東横線の車窓を想起しつつ、軌道跡を歩いてみたいと思っています。