2011/02/28

めざせ、体脂肪率6%!──本町田

2011.2.19
【東京都】


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日向山公園(ひなた村)


 JR横浜線・小田急線町田駅から「日向山公園」を目指して乗ったバス路線に「ひなた村」というバス停があります。
 自治体名ではないので目的地のようでしたが、以前車でよく通った道を久しぶりに見たくなり、2つ先の「今井谷戸」まで乗って引き返しました。

 丘陵地を整備しただけの公園と思っていたら、カリヨンホール(コンサートホール)や、青少年活動支援施設(レクチャールーム、屋外炊事場)等が整う、団体活動拠点の砦(?)のようでした(東京都町田市が管理)。
 バス通りからはのんびりした光景の坂道を登りますが、丘陵の反対側には藤の台団地が隠れていて「何だかなあ〜」と興ざめする立地です。
 それにしても、こどもたちの歓声が雑木林に響く様子には、とても健全な印象があります。
 
 上写真施設の注意書きには「実習で使用するのでぶら下がったりしないように」とあります。おそらく、わらをふいて古代住居を作るのでしょう。
 近くで古代遺跡が発掘されたことから、身近な歴史を学ぶメニューとされたようで、近くには「縄文人になろう」という大きな看板があります。
 もう思い出ですから文句はありませんが、小学校の社会見学で静岡県の「登呂遺跡」(とろ)まで行ったことがあり、教科書に取り上げられる場所に立つことは大切ですが、そこまで行かなくても? という気もしました。
 当時は「登呂」の漢字を読めるようになり、うれしかったような記憶もあります……

 近くに「本町田遺跡公園」「町田市立博物館」がありますが、公園は整備工事中で立ち入れず、博物館は「歴史・民族系」ではないので(ガラス工芸の展示中)、知りたい情報は得られませんでした。


 周辺の雑木林には、カラフルな巣箱が多数設置されていますが、意図的と思われるほど派手なものばかりです(ほほ笑ましくも鬱陶しい光景)。
 これは、巣箱を利用する鳥たちの色彩感覚を学習するための、実験のように思えます。
 鳥によって、色に無頓着だったり識別できない種類を、利用状況から判別するのでは?(小学生にそこまでやらせないか?)
 結果を見ない推測ですが、きっとどの鳥も気にしないんでしょうね。
 でなかったら、「わたしの巣箱には鳥が来なかった」と騒ぎになってしまうでしょうから…… 違ってたらゴメンナサイ。

 カリヨンホールの石碑に「ロータリークラブ」と刻まれてあり、いい機会なので調べてみました。
 ロータリークラブとは、アメリカで生まれた国際的な社会奉仕連合団体「国際ロータリー」のメンバークラブで、そこから分かれた「ライオンズクラブ」は、現在世界最大の社会奉仕団体なんだそうです。
 どうもそんな碑には企業の名前が多く、売名行為的な印象を持っていましたが、お金を出してくれた会社を大きく扱うのは当然ですよね……


菅原神社(本町田)


 この地は鎌倉時代末期の「井手の沢古戦場」(1335年足利尊氏の弟・直義が北条時行に破れる。鎌倉幕府を滅ぼされた北条家残党が鎌倉に反攻の際の戦)とされ、江戸時代初頭(1630年)に創建された本町田の鎮守様が現在に至ります。
 現在町田の中心部は町田駅周辺ですが、以前の中心地は鎌倉街道筋のこの付近になります。
 国鉄時代は原町田駅とされていましたが、農地拡大のため開拓した地域を原町田村とした経緯によります(駅周辺は村はずれだった)。
 本町田地区の面積は広く、大規模な集合住宅(団地)が集中するので、人口に関しては市内トップの座に返り咲きます。
 でも「町田からバス」(口にはしませんが、付近を知る者には「大変そう…」の印象があります)という地域なのでどの路線も町田駅に集中し、渋滞が常態化しているため利用者にはストレスがたまりそうです……

 花はあまりキレイな状態ではありませんが、中心部が腐ってしまった大木の空間を花壇に仕立てています。
 こんな利用をするうちに、親木の新芽が出てくればそちらを応援するでしょうから、とても理にかなった利用法かも知れません(もう無理?)。


 彼は、神社の参道でたそがれているわけではなく、石段ダッシュを終えてひと息ついているところです。
 神社仏閣に石段が付きもののように、われわれの意識には、石段には「汗して励む姿が似合う」と感じる心情が染み込んでいるところがあります。
 そんな修行者(?)が「虎の穴」のような特訓ではなく、多少は人目に触れる場所を選ぶ気持ちも理解できますし、他人の視線は刺激になります。
 気持としては、何より神様には見ていて欲しい「神様お願い!」であっても、おそらく神様は何も言ってくれないでしょうから、オッサンが「体脂肪率6%(イチロー体質)を目指せ!」のアドバイスを贈ります。
 簡単に言ってますが(他人事?)、甲子園がダメだとしても、体脂肪率6%を目指していれば「イチロー体質」を手に入れられるし、ひょっとすると「あしたのジョー」に出られるかも知れません(?)。
 モテモテの保証はできませんが、そんな体形を作り維持し続けられれば、それはきっと「男の自信」になるはずです!(通販の宣伝文句か!?)
 でも現実は、甲子園、イチローどちらも並の努力ではたどり着けないんだろうなぁ〜

 名称に「菅原」とあれば=菅原道真を祭る天神様ですから、梅の写真を撮ろうと思ったものの、木の少なさにちょっと肩透かしです。
 これまで早咲きの梅を目にするも(ロウバイは別種)、先取りし過ぎてもと遠慮していましたが、そこには素直さが欠けていることに気付かされました。
 冬の寒い京都だから「兆し」だけでもうれしく感じられ、凍えながらも「春は近い!」のよろこびを発していたのに、何をもったいぶっているんだか……(意識は完全に関東風に戻っているということです)

 この付近を通る鎌倉街道、鶴川街道は、学生時代から車・バイクでよく通った道筋で、細かくは覚えていませんが、そこを歩いてみると断片的でも当時の記憶がよみがえる場所であることに驚き、うれしく感じられます。
 会話にならない「つぶやき」のようなやり取りが、何で今ごろよみがえるのだろうと、不思議に思ったりします(相手の彼は故人)……


かしの木山自然公園

 正月に実家から、JR横浜線成瀬駅〜町田駅まで歩いた際に撮ったものです(この辺りは実家からの方が近い)。
 その時は「鎌倉古道」の案内に納得したのですが、調べてみると、どうもこの付近はメインの鎌倉街道ではなかったようです。
 まあ、鎌倉時代に利用された道全般を鎌倉古道とするならば間違いではありませんが、本町田付近に旧鎌倉街道とされる道が残されているようなので、この先、鶴見川本流を巡る際に歩いてみるつもりです。
 付近の分水界となる尾根の反対側は、鶴見川本流の水域になり、かなり道草を食った恩田川沿いは今回で終了になります。


 追記
 近ごろの地デジ化準備を訴える広報は、これはもう「イジメ(差別)か?」と思わせる有り様です。
 「アナログです」表示から、「(ザーッの画面表示で)驚かせてゴメンナサイ」の手法には、趣味の悪さを通り越して、サラ金業者の取り立てに通じるイヤらしさを感じます。
 「あぁ、仕方ないね。テレビがついてないと寂しいから」と、あの画面を一日中つけっぱなしにするお年寄りがいそうで、シャレになりません(それでも緊急災害情報のテロップが流れれば、きっとよろこばれることでしょう)。
 うちはケーブルテレビで(契約はしてません)、先日リコール端末機交換の際に聞いてみいると「アナログ回線が空くため、現状のまま信号を流すのでそのまま視聴できます」とのこと。
 CATV会社のサービスのおかげでひと安心とは言え、アナログのままなので「ザーッの画面表示」の脅迫を受け続けることになります。
 もう開き直って(テレビ買い換える気もないし)、カウントダウンまで脅され続ける側の心境を共有するいい機会と受け止める心づもりです。
 この先、どんな非道な仕打ちがあるか分かりませんし、何も変わらないのかも知れません。
 早々に「地デジ化」した人には経験できないのですから!

2011/02/21

雪のなごりは寒さだけ──奈良川、こどもの国

2011.2.12-13
【神奈川県】


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奈良川(2月12日 土曜日)

 連休初日から雪が降る空模様に「今週は出かけられないか?」と思ったものの、訪問予定の農地が広がる光景を思い浮かべ「雪景色の田んぼが見たい!」と盛り上がり、小雨の中を出かけましたが、雪などどこにも残っちゃいません。
 盛んに降ったものの、ここまで跡形も無くなるとは、読みの甘さというか、雪慣れしていない都会っ子の空騒ぎとなりました……


 現在位置は、鶴見川支流の恩田川(JR中山駅付近で合流)沿いを上流に向かい、そのまた支流(梅田川・岩川等)で道草を食ったところです。
 この日は、JR横浜線十日市場駅から恩田川沿いに歩きましたが、東急こどもの国線の手前で支流の奈良川が合流しており、またそこで道草です。
 奈良川の上流には「こどもの国」がありますがこの日は断念し、こどもの国線恩田駅で引き返すことにします(恩田川の由来とされる以前の恩田村は、かなり広かったそうです)。
 特に駅の入場券やスタンプを集めるわけではありませんが、展望台や道の駅などでも、妙に絵や雰囲気が印象に残ることがあるので、「経験してない者には語れない」との精神で、立ち寄るようにしています。
 とはいえ、1時間に3本の列車をホームで待つのは寒いので、駅近くの徳恩寺を見学しましたが、残されている雪はこんな程度というオチでした。

 田園風景の中では鉄塔がランドマークとして目につくので、看板をのぞいてみると「橋本線」とあります。
 仲町台付近の港北変電所から、池辺富士川和富士付近を経由し、ここを通っています。
 地上の土地利用には関係なく伸びる送電線をたどると、道なき道を歩くことになるので、さまざまな苦労話が生まれそうですから、それもおもしろそうと思ったりします。

 帰りの田園都市線の車窓から目に入った気温表示板には「3℃」の数字。そりゃ寒いわけだよ……


こどもの国(2月13日 日曜日)

 何で条件の悪い昨日に出かけたかといえば、この日は仕事の可能性があったためですが、休みと決まり天気もいいので昨日のリベンジに足を運びました。

 関東では連休の最終日にようやく晴天となったので、施設の駐車場には多くの車が並んでいます。
 子どもたちにせがまれるのも理解できるので、混雑を覚悟しましたが思ったほどの人出はありません。
 どこへ行ったのかといえば、季節柄スケートリンクが混雑していたようです。
 幼児くらいの子どもたちが遊びでスケートするならば、ここは比較的安価なのかも知れません。

 スケートをやっていたのはガキの時分だけですが、冬のスポーツはスケートという「時代」だったようにも思います。
 小学生時代から、フィギュアスケートをやっていた同級生の女の子がいて、彼女が持っていた「白いフィギュアスケート靴」がとてもまぶしかった印象があります(彼女はここで滑っていました)。
 確かに、男子たちも「ハーフスピード靴」を持っているヤツはいましたが、それは比較の対象になりません。
 というのも、札幌冬季オリンピック(1972年)の女子フィギュアスケートで銅メダルの、ジャネット・リンが注目を集めた時期なので、ガキの目には「白いフィギュアシューズ=リンさん」(当時は「ちゃん」ではなく「さん」と呼んでいた気がする)というイメージがあったのかも知れません(いまどきは、YouTubeで当時の演技を見られるんですね。見た映像には転倒シーンはありませんでした)。
 そう考えると、小学生時代から彼女は見事にトレンドを取り入れていた、ことになるのでしょう……

 写真に「しがみつき系」が並びましたが、上はフリークライミング(道具を使わない人工壁)の施設で高さは3m弱でしょうか、男女を問わずチャレンジャーは多いようです。
 中には、なかなか登れない子どもを見かねたお母さんもいて、「こうやるのよ!」とササッと登る姿には身のこなしの軽快さを感じさせますが、イラッとした親は発散できても、この先もそんな親についていかねばならない子どもたちを心配してしまいます……

 右は、トーテムポールのような柱の周囲を、地に足を着けずに1周することを目指す施設です。
 これは結構難しそうで、みなハダシになって取りつきますが、ゴール手前が難関のようです。
 外野のお父さんたちは必死にアドバイスしてますが、皆あえなく落ちてしまいます(お父さんは手本見せてくれないの?)。
 それぞれの年代ごとに「チャレンジしてみたい」と思わせる環境整備が、この公園施設のテーマなのだと感じます。


 この施設開園(1965年5月5日。「こどもの日」祝日制定は1948年)のきっかけは、当時の皇太子(平成天皇)の結婚(1959年:昭和34年)に際して国民から寄せられたお祝いを「こどものための施設に使ってほしい」との意向から、プロジェクトが立ち上がります。
 何度か、一家そろって訪問の様子を目にしましたから、平成天皇にとっては「家族」「こども」というテーマの象徴的施設という位置づけのようです。

 ここには以前、旧陸軍田奈弾薬庫補給廠があり、丘陵に掘られた弾薬庫の遺構が数多く残されています。
 そのひとつに「無名戦士の像」が設置されています(裏が弾薬庫跡)。
 ──第二次世界大戦時、南洋の戦場で、傷を負い動けない米兵を日本兵がとどめを刺そうとした時、米兵はボーイスカウトの「三指の礼」(敬礼)を無意識に取った。するとその日本兵もボーイスカウト出身で、同じく「三指の礼」で返し、米兵の傷の手当てをし去っていった、というエピソードをレリーフにしたもの(ボーイスカウトは世界共通の人道活動であるとアピール)。

 若い時分は、社会ルールや道徳観は自分で身につけるものとの意識がありましたが、近ごろ世間全般から感じるだらしなさには、ボーイスカウトのように規律や道徳心を学ぶことを必修授業とすべき、と思ったりします(オヤジ入ってきたかなぁ……)。

 本施設一番の売り物とされるのは、動物と触れあえるゾーンです。
 ガキの時分には「ポニーって何?」から、当然「乗りたい!」ですが、結局あこがれのまま現在に至る「ポニー牧場」があります。
 もう少しうれしそうな表情の欲しい彼女ですが、大人でも馬に乗ると見える景色が違うと感じますから、驚いて目を丸くしているのかも知れません。

 牛やヒツジがいる牧場には、乳搾りの疑似体験ができる「モーモーヒップ」なるマシン(?)があります。
 牛の下半身を型どり、乳の部分から乳牛が搾りだせるもので、結構人気があります。
 本物の体験もあるそうですが、口蹄疫感染予防の為、疑似体験だけになっています。
 自然界の病気から身を守る(感染拡大を防ぐ)必要から、活動範囲や内容の制限が増えていくと、いつの間にか周囲は「疑似体験」ばかりとなり、しまいにはそれで事が足りるようになってしまうかも知れません(バーチャルリアリティとはそのための技術だったの?)。
 防疫措置は文明の成果であることは理解しますが、この先は人間も家畜のように耐性が弱くなってしまい、感染者は処分されてしまうのでは? との危惧を感じたりします……

 入口正面広場は「落書き広場」とされ、自由な発想から遊びを作り出しています。ツッコミどころではないかも知れないが、彼女らの絵はどうも先細り(進むにつれ○が小さくなる)に見えてしまいます。
 ガキの時分は車も少なかったので、路面に「ろう石」で落書きしたり、結構道路で遊べたものでした。
 自家用車が少ない(ステータスだった)時代にはオーナーの鼻は高かったわけで、その分運転は横暴になり「そこのけ そこのけ 車が通る」と、子どもなどはけ散らして走り抜けていった印象があります(子供心に反抗して立ち向かっていったのかも……)。
 いまどきでは、子どもに写メを撮られて即通報されかねません。
 そんなことはないにしても、夢中になって落書きをする姿には、こんな場所の必要性を感じさせられます。



 追記
 連日ニュースからは、拡大し続ける「中東革命」の様子が伝えられます。
 いつかは暴発する火種とはいえ、影響で原油供給が不安定になると、薄日が差してきた経済状況が台無しになってしまいそうで、怖くなります。
 でもそれ以上に恐ろしいのは中国で、中東各国で庶民をつないだネットを、以前から遮断して言論を弾圧しているわけですから、そこにくすぶる火種が燃えさかった際の爆発の威力はすさまじいでしょうし、日本への影響は中東の比ではないと思われます。
 革命で生まれた国家体制ですから、何としても革命を防ごうと躍起になる姿勢は理解できますが、それは革命で転覆することを覚悟している「思想集団」の逃れられない姿なのではあるまいか。
 日本の産業界も、心の準備が必要な時期を向かえたのかも知れません……

2011/02/14

寒さなんか吹き飛ばせ!──岡部谷戸、高尾山

2011.1.29
【神奈川県】


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 この日は、JR横浜線十日市場駅をバスで出発し、長津田駅にたどり着くというコースを歩きました。
 長津田(地名は「ながつだ」でも駅名は「ながつた」)駅は、田園都市線、こどもの国線との乗り換え駅ですが、土曜日の夕方に腹をすかせて歩き回っても、食事できる店がまったくない駅前であることを、決して忘れません……
 近くに国道246号線(大山街道:起源は奈良時代の東海道、鎌倉時代は鎌倉古道、江戸時代は矢倉沢往還)が通るので、宿場町として栄えたようですが、見聞不足か寺社以外に面影を感じることはできませんでした。
 横浜港の開港により、絹糸生産地の八王子方面と横浜の中継地になりますが、そのころから近隣の町田には対抗できなかったようです。


若葉台団地

 以前歩いた、三保市民の森に接している若葉台住宅地の中心部です。
 遠目からは、比較的なだらかな丘陵地帯の開発に見えましたが、足を踏み入れてみると多摩ニュータウンさながらの急傾斜地開発なので、失礼ながら「町の寿命は短かそう」という印象を受けます。
 傾斜地の不便さを裏返した「高低差の多い地形を利用して、車道と歩道・自転車道を立体交差させ、横断歩道の少ない町」を売り文句としています。
 1979年の分譲開始から30年が経過し、入居者の子供もここから巣立つ季節を向かえ、人口は減少に転じているそうです。
 横浜市営バスを調べていて、「最も便数の多い路線」とあったのもよく理解できましたし、横浜市がここに市営地下鉄グリーンラインを延伸させたい、動機の切実さが分かった気がします(陸の孤島ですもの)。


 そのマンション群の壁面を飾っているのが、上写真のようなタイルによる黄色のグラデーションです(ここは低層のスポーツ施設)。
 明るさが欲しいにしても、14階建ての壁面にこのセンスはどうなんでしょう?
 ちょっと安直なイメージで申し訳ないのですが、このカラーリングの建物群から「黄色い救急車」(精神病院行きの救急車)を想起してしまいました。
 勢いで調べてみると、実在せずともそんなうわさ話は、全国的に広まっているようです。
 関連となるのか、「ドクターイエロー」と呼ばれる黄色い新幹線(架線や線路を点検する車両)は、現役で走っているのを見たことがあります(フォローになってないね……)。


高尾山

 ここは国土地理院の地形図(2万5千分の一)に「高尾山」と記される、横浜市北部の最高峰(100.46m)になります(市内では鎌倉市境界にある大丸山(おまるやま)156mが最高峰)。
 見晴らしの良さを期待していたら、向かう道からこんな光景に遭遇してしまいます。
 左のうっとおしい建物は、東京工業大学すずかけ台キャンパスになります。
 大学の反対側は田園都市線の駅に近く、便利なことは分かりますが、研究には視点を変えた考察も大切ですから、こちらからの景観にも配慮してもらいたかった、とも思います。

 山頂の飯縄(いいづな)神社は、八王子市の高尾山薬王院から勧請(かんじょう:神仏の分霊を他の地に移して祭る)され、地元では「高尾様」と親しまれています。
 でも、真言宗智山派の関東三大本山(高尾山薬王院、川崎大師、成田山新勝寺)とされるのに、何で神社? ですよね。
 起源となる寺院は聖武天皇勅命(奈良時代)により建立されますが、室町時代の住職が飯縄権現を守護神に祭って以来、修験道道場として栄えるようになります。
 修験道は神仏習合の信仰なので、寺に鳥居があるなどの形式には無頓着らしく、現代人のこだわりの無い宗教観は、彼らが根付かせたのかも知れません。

 山頂に設置された一等三角点は、日本の三角測量の基線(相模野基線)から、最初のターゲット(三角点設置場所)にされますから、当時は目標にしやすい場所柄だったようです(いまも建物の反対側は視界良好)。
 ※相模野基線:1882年(明治15年)陸軍参謀本部測量課(小説・映画『剣岳 点の記』の世界)→現在の国土地理院が定めた国土測量の基準線。

 この背中側には、東名高速道路横浜町田インターチェンジが広がります。
 国道16号線の慢性的渋滞緩和のためか、高速入口と246号線をまたぐような2層構造のバイパス路(?)工事の様子が見られます。
 完成したら、付近の渋滞をスルーして走ってみたいものです。

 高尾山下からわき出す岩川に沿って伸びる谷は、岡部谷戸と呼ばれます。
 付近の家の表札は「岡部」姓が多く見られるのでそう呼ばれたのか、岡部谷戸に暮らすので岡部さんになったのか?
 日本の地名や姓名のルーツを現代に感じさせてくれる地域です。


フィールドアスレチック 横浜つくし野コース

 国土地理院の地形図に記された、小さな谷戸の奥にある「ため池」らしい表記が気になり、そこを目指して歩いていると……
 池の表記が写真のフィールドアスレチック施設だとは、うれしい誤算でした。
 ここは「フィールドアスレチック 横浜つくし野コース」という、かなり本格的な施設ですから、気持ちも着替えもちゃんとした準備が必要です。
 偶然遭遇したわたしと違い、意気込んで訪れたチャレンジャーたちは、この寒さでも池落ちを恐れず挑んでいきます。
 尻込みしていた彼女を誘い出すように、彼氏が先にクリアしたものだから、負けん気に火がついた彼女は、盛んに「開き直れ!」「落ちてもいい!」と叫んで気合いを入れ、突撃していき見事にクリアしました。
 彼氏の「バッチリ撮ってもらったし」の言葉には恐縮してしまいますが、こんな写真でよければお送りしますので、連絡いただければと思います。
 手と足がよく動いていたので成功したのでしょう……

 そんな人たちがいる一方、右写真の彼はもうグズグズ状態です。上の「いかだ渡り」で「沈」し、この「たらい」も浸水状態。
 一度濡れてしまうと、気持ちが切れてしまうのは分かるのですが、風邪引かないようにと声を掛けたくなります。この日は寒かったし、日影が多い場所ですし……

 「これもアスレチック?」下写真の施設には驚きました。アリ地獄というか『砂の女』(1962年 安部公房の小説)を想起するのは古すぎでしょうか。
 現場でもこの写真からも、かなり絶望的な印象を受けますが、子どもたちは結構やすやすとはい上がってきます。
 恐れを知らないことの素晴らしさは感じますが、大人たちには「はい上がれなかったらどうしよう」という奈落に思えるかも知れません
 これを書いていても、小説・映画の「砂地獄」から逃げ出せないイメージが頭をよぎりますから、自分にとっての「苦手なイメージ」を再確認させられた施設といえそうです……


 足を踏み入れたときは、ここが有料施設とは知らないので「何で道路にネットが張ってあるの?」程度によけて入りましたが、帰りは「やっぱり有料だよね」を確認するために、門までいって出てきました……(よい子はまねしないでね!)


玄海田公園

 どうにも撮りようのない場所なので、こんな絵で失礼。
 ここは「玄海田公園」(げんかいだ 限界だ?)とされる2007年に一部オープンし、2010年に運動公園が完成した総合公園で、グランドの人工芝はまだピッカピカでまぶしいのですが、関心の対象はこの田んぼです。
 玄海田の名に関心を持ち由緒を調べても、かつて町内に存在した字(あざ)名程度の記述だけで、手がかりも見つかりません。
 横浜市もそれほど力を入れておらず、市の広報に「公園がオープンします」以外に登場しないというのも不思議に思えます。


 玄海田と思われる上写真の区域は、立ち入り禁止とされています。
 その説明書きの「生物の保護」は理解できますが、危険な個所があるとの表記には、言葉を濁している印象を受けます。
 玄海田という名称のルーツは不明でも、「自然生態保護区域」への立ち入りが、どんな理由で禁止なのかを説明する義務があるのではあるまいか(ホタルを育てているらしいのですが、うまくいってないのか?)。

 全般的にモヤモヤした印象から、ワケあり? と感じたのは「玄海田公園」等で検索して、工事業者のサイトがトップに表示されたことによります。
 サイトの認知度アップを目指した、検索エンジン対策をやり過ぎて台無しのいい例と思いますし、横浜市の及び腰にも勘ぐりを入れたくなり、情報公開の不十分さから不信感を抱いてしまう例ではないか、との印象を受けました。

2011/02/07

川を目指す男ども──梅田川

2011.1.22
【神奈川県】


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 近ごろ各地では、空から訪れる厄介者に悩まされる日々が続きます。
 豪雪、火山灰、鳥インフルエンザと、避けられないものもありますが、鳥インフルエンザは養鶏場などの防疫を徹底すれば、防げるのではないかと思う面があります。
 2004年国内で初めて確認されてから7年になります。人も含めて伝染病との闘いはこの先も続くのでしょうが、それを乗り越えなければ未来は開けません。

 寒さにひと息し「ホッ」とすると、次なる厄介者「花粉」が迫ってきます。
 先日、国有林のスギを広葉樹にというニュースを目にしました。
 いままで何を検討してきたのだろう? とも思いますが、苦しむ人は増える傾向にあるようなので、希望にしてもらいたいところです。
 森が育つまでは(明治神宮の森のように)100年近くかかりますが、まずは花粉を大量にまき散らす杉の数を減らしてもらいましょう(私見として、原因は花粉だけではなく大気汚染にあるのでは、と考えています)。


三保念珠坂公園


 かなり急な斜面に芝生が敷かれていますが、ちゃんと整備されているようなので、これはアリという印象の公園です。
 ここは横浜市の環境創造局がサポートする「プレイパーク」のひとつで、これまで歩いた、鴨池公園(都筑)三ツ池公園にもあるとのこと。
 プレイパークとは「子どもたちが思いっきり遊べるように、極力禁止事項をなくし、自分の責任で自由に遊ぶことを大切にした活動」で、「ケガと弁当は自分持ち?!」のキャッチを掲げています。
 自己責任の下であれば、遊び道具の工作やたき火も可能だそうで、ガキが聞いたら「絶対行く!」と、眠れなくなりそうな公園です。
 各パークには大人のプレイリーダーがいて、それをサポートするボランティア中心の市民団体に支えられています。
 ボランティアの人たちはアウトドア遊び好きに決まっていますから、そんな大人たちも待ち遠しかったりするのでしょう。
 幼なじみで、ガキのころからボーイスカウトに入ってたヤツなら、よろこんで参加するだろうと思ったりしましたが、現在もボーイスカウトって活動しているんですよね?

 冬でも水辺には「さかなどこにいるの〜?」という息子を連れた父子が川をのぞいていたり、小さな水槽を手にしたガキンチョが川の水をくみに来たりと、男にとって川という存在は、放っておけないもののようです。
 そこをわたしも歩いたのですから、気持ちを理解できるというか、実践する口になります。
 川という存在には、特に親や異性を意識させるイメージはないと思うので、純粋に「水辺の生物への関心」から足が向くように思いますが、ガキどもが「ボクはここから流れて、一体どこにたどり着くのだろう」なんて思っていたとしたら、頭をこづいて「弟子にしてやる」なんて言ってしまいそうです……

 源流に近い小さな流れでも、キレイな水といえない状況に大人たちが立ち上がったようで、川辺の清掃・整備を行うボランティア団体があるそうです。
 ですがゴミは片付けられても、水の浄化までは無理というものです。
 少し上流に、治水用の調整池があるせいかも知れませんが、基本的に川沿いに住宅が建ち並んでしまうと、アスファルトやコンクリート上の汚れが直接もしくは下水路を通して運ばれるため、汚れが土壌等でろ過されずに川に流れ込みます。
 下水路にろ過施設を設置すれば、大雨時にはあふれてしまいますから、何かいい手は無いかと思うところです。

 春に向けて水草が成長し始めたと思ったのですが、どうもこの種類が特定できません。水草ではないのかしら?
 ここは以前歩いた新治ふるさと村のすぐそばで、田園風景の小川も流れ込んでいます。
 歩けば5分程度の距離であっても、無意識の意識なのでしょう、田園の空気に浸った後に、侵攻してきた新しい住宅地に踏みいるのは違うだろうと、避けていました。
 どこにでもある住宅地なのですが、田園風景の側から眺めると、敵に攻め込まれてきたような印象を受けます。
 前回までは昔の香りの残る峠道を登りましたが、川沿いを進めば住宅地を抜けて恩田川沿いに開けた農地に至ります。


旧城寺(舊城寺)

 JR横浜線が梅田川を越える辺りに、城跡に建てられた「旧城寺」があるはずなのに「舊城寺入口」の看板しかありません。
 目に入った瞬間、「菖蒲(しょうぶ)」の字に似ている気がして「しょじょじ?」と読んでしまいましたが、「舊」は「旧」の旧字だそうです(読めないよね)。

 以前この辺りに恩田川の渡しがあったそうで、見晴らしの利くこの地に榎下城(えのしたじょう)が築かれます。
 城主上杉憲直が、室町時代の永享の乱(1438年:足利家出身の鎌倉公方と、補佐する上杉家出身の関東管領の争い)に敗れ、金沢(文庫)称名寺で自決したことにより廃城となります。
 小田原北条氏の勢力下となった戦国時代には、距離的に近い小机城を拠点とする小机衆に対するくさび的な役目がありました。
 城跡に旧城寺が建てられたのは、江戸幕府開府のころとされます。

 小机城ほど急斜面・複雑な地形でないせいか、寺院という施設があるためか、敷地の境界があいまいな印象があります。
 本堂の背後に広がる墓地は寺の施設なのでしずしずとは入れますが、その奧には民家が並んでいて、私道でもあれば入れるのですが「庭先ゃ〜墓地よ♪」(境界が不明)にためらい、川方面の展望はあきらめました。

 一段高い旧本丸付近には弓道場があり、ちょうど練習が行われています。
 人が少ないのか寒いのか、射場(弓を引く場所)のサッシが射手(弓を射る人)の立つ場所だけ開けられています。
 それが集中力を高める訓練だとすると、だんだん狭めて最後は、星飛雄馬が壁の穴を通すひとりキャッチボールのように?
 とても効果的な訓練だったりするかも……

 枯れ木の中にカラスウリの実が目を引きます。人には苦く食用には適さないので、主に鳥が食べて種を広めますが、特にカラスの好物ではないそうです。
 これも帰ってから調べました。
 でも、そんなことを続けるうちに少しずつでも学習しているようです(忘れるスピードの方が速いが)。
 植物には関心すら無かったのに「ミツマタ」などは、季節感のイメージが一緒に記憶の引き出しに入っているようで、引き出しが開いた瞬間に「全身(五感)がその記憶を思い出す」ような印象(春への期待感)がありました。
 文句をいっても仕方ないのですが、それって「頭がにぶくなった分、五感とのバランスが取れるようになったのでは?」(頭デッカチではなくなった)という、いわゆる「実年齢を実感する季節」に至ったという印象すら受けました。
 そんな現状を、リタイア組の「悠々俱楽部」に片足を突っ込んだ、と感じるのはひがみ過ぎだろうか?

 旧城寺のふもとを走るJR横浜線の恩田川方面には、農業専用地区が広がります。
 横浜線の線路をくぐったところに、農家が運営する野菜直売小屋があります(小規模)。
 人気は高いようで「車で来たんですが、入口が分からなくてウロウロしちゃいました」という、口コミらしきお客さんもいます。
 数がそろわず市場に出回らなくても、新鮮で質のいい食材であれば、畑まで買いに来てくれる場所柄の優位性をアピールして、仕事の充実感を宣伝すれば「やりがいのある仕事」と認知されるであろうと思います。

 TPP(環太平洋戦略的経済連携協定:貿易関税に例外を認めない関税撤廃をめざす多国間協定)参加となると、米など日持ちする作物や冷凍保存可能な作物には、輸出という可能性が開ける反面、価格の安い輸入品との競争下に置かれることになります(日本の存続に貿易は血液のように不可欠なものです)。
 その一方で軟弱野菜(葉もの)は、規模は小さくとも環境は変わりません。
 「そんな余裕はない」と言われるかも知れませんが、国や農協の様子をうかがうより、消費者の「表情」「反応」を見て仕事に励む方が、どれだけ健全な労働か? と思ったりしました。
 同じ農地を歩くにしても、元気な農地周辺を歩く方が、力をもらえるような気がするものですから……