2010/02/22

ちょっと窮屈な──横浜駅周辺

2010.2.14
【神奈川県】

 メディアはすっかり冬季五輪モードなので、扱いが小さくなったプロ野球では、オープン戦が始まっていたんだと、後から気付いたりします。
 常々思うのは、プレシーズンなんですからいくら活躍し注目されようが、本戦には関係ないわけですから、そんなに盛り上げなくてもいいのに、と。
 とは言え、雪や氷の絵ばかりでは、季節感が一向に進みません。
 プロ野球のキャンプやオープン戦の情報には、「季語」に近い季節感があることに気付かされました。


 横浜駅(Map)


 横浜駅の上には「あぶない刑事」の2人が走って来そうな跨線橋が、まだ現役で残されています。
 地下道が整備されたので、取り壊されてもおかしくないのですが、人気があるようで、週末には人影が途切れません。
 古い構造物(昭和初期にはあったそう)なので、架線スレスレに作られていて、電車の屋根に手が届きそうな臨場感が人気のようです。
 アクション映画のように、電車の屋根に飛び乗れそうな距離ですが、ここでのアクションが似合いそうなのは千葉真一では? と思ったりしました。
 ちと古めですが、そんなイメージの構造物です。

 下写真の中央に真っすぐ続く東海道線の2本の線路は、まさしく「本線」という存在感で、右の横須賀線、左の京浜東北・根岸線は格下扱いのようにも見え、なるほどと納得できる構造となっています。


 日本初の鉄道路線である新橋~横浜の横浜駅とは、この辺りではなく現桜木町駅だそうです(今度歩いてみます)。
 明治政府樹立(1868年)から4年後の1872年に開業したのですから(イギリスの技術協力による)、当時の人は驚いたでしょうし、時間感覚がせわしない方向に進み始めたのは、その時だったように思えます。
 開業当初の運賃設定を、上等(現在のグリーン車か?)は同区間の早カゴ料金、下等(普通車)は並カゴの料金と同等にしたそうで、それがサービス差別化の原点というか、他に基準が無いための試行錯誤であった様が、とても伝わって来る気がします。
 それでも庶民には高かったようで、利用者数は伸び悩みます。そこで料金を半額にしたところ、2年目には売り上げの50%弱程度が利益となり「鉄道は儲かる」との認識が広まり、近代国家への車輪が回り始めたようです。
 ──「料金半額」に客は殺到しても、そのまましぼんでしまう現代のデフレ社会とは、社会が秘めたポテンシャルの違いは明らかです。

 右写真は、東横線の廃線部分に残る鉄橋です(横浜〜桜木町を廃止し、みなとみらい線に接続)。
 それに伴いホームも地下化し、渋谷方面の反町(たんまち)への線路跡とトンネルを遊歩道化する工事が行われています。
 この春には完成するようなので、歩いてみたいと思います。
 前後しますが、右の桜木町への高架線路跡にも整備計画があるそうなので、楽しみにしています(あまり景色がいいとは思えませんが)。

 旧国鉄横浜駅は、時代の要請に伴い何度も場所が変更されますが、結局東横線の駅が先に作られていた現在の場所に落ち着いたそうです。
 現在横浜駅には6つの鉄道事業者が乗り入れており、その数は日本一だそうです(JR東日本、東急、京急、相鉄、市営地下鉄、横浜高速鉄道:みなとみらい線)。


 正面が東口の駅ビルで、右の平坦な建造物がホーム方面になりますが、狭い場所を有効活用というか、無理やり機能を詰め込んだ印象すら受けます。
 地下のロータリーはタクシーと一般車。地上の道は箱根駅伝で走る国道1号線。わたしが立つのは2階の歩道橋。その上に高速道路が2段重なっています(こんな場所にジャンクション作らなくてもいいのに)。
 これまで歩いてきた埋め立て地(みなとみらい方面)は、ゆったりと土地を利用していたせいか、駅周辺にはとても窮屈な印象を受けます。
 横浜という土地柄は、周囲から丘陵地帯が迫っていて平坦地は狭いので、土地事情からすれば広い土地が欲しかったはずなのに、埋め立て地は港湾施設や工場用地に回す等、産業主体の運営が続けられてきました(神戸も同様)。
 そんな経緯からも、商業・住宅地域として使えるみなとみらい地区への期待が大きかったことは、とてもよく分かる気がします。

 そして今度は「エキサイトよこはま22」という計画で、駅周辺の整備をするらしく、ホームの上方への立体利用、河川へのシーバスの乗り入れ、水上飛行機の発着駅整備(どこに着陸するの?)等々の、構想があるそうです。
 しっかし、お金のある自治体だよねぇ。
 みなとみらいの土地を完売して住民を集めれば、何でもできるってか?
 まあ、「夢を追ってまい進する町」(わたしの創作)でもいいですが、資源は「人」しかないことを、忘れないで欲しいと思います。


 上写真はそごうの駐車場になります(夜景だったか? こんな構図のプロ写真見覚えあります)。
 百貨店氷河期の近ごろでも週末は大にぎわいで、店舗面積が広い(1985年開業当時は東洋一の売場面積)こともあり、買い物客が押し寄せてきます。
 わたしも買い物に来ますが、やはり「フロアが広い=品ぞろえが豊富そう」とのイメージがあります。
 一方、駅の反対側にある高島屋には「高そう」なイメージがあるので、立ち寄ったことありません(新宿の高島屋には入るのにね)。
 「お金を使いたいおばさまたち」を相手にイメージ作りしたのですから、相手にされないわれわれが近寄らないのは当然(百貨店不況は自業自得)です。
 でも、そごうのような「売場の広さ」には、並の庶民にも「買えるモノがあるかも?」と、思わせる集客力があると思います。

 右写真は港をめぐるシーバスの、横浜駅東口発着場がある横浜ベイクォーター(ショッピングモール)です。
 だだっ広いそごう駐車場だった様子しか知りませんが、以前は三菱系列の倉庫で、現在も系列会社が管理しています。
 海運から始まった三菱グループが、主要な港周辺を押さえていったことは理解できるところです。
 ランドマークタワー周辺は旧横浜駅(現桜木町)や新港ふ頭に近く、ここは現横浜駅に近い土地柄ですから、そんな場所を買い付けた判断には先見性が感じられます。

 ドラマに毒されている感もありますが、近ごろ三菱の名からは、岩崎弥太郎(三菱財閥の創設者→『龍馬伝』の香川照之)を想起してしまい、香川・弥太郎が「見たか龍馬!」と、豪快に笑っている絵を思い浮かべてしまいます(これ、まさしく術中です)。
 岩崎弥太郎という人物に対するイメージは、人それぞれでしょうが、ドラマ作りにおいては実に魅力的な人物造形と、楽しんでいます。


 堅い絵(鉄やコンクリート)や話題ばかりだったので、柔らかいネタ(?)をひとつ。

■今週のGirls' Talk
 横浜駅近くの上島珈琲店、午後4時過ぎ。
 大学生 or 専門学校生らしき3人組の話しは突然、彼氏自慢に移り……
A子「ルックス的にB子は無理だけど」
B子「メガネ系?」
A子「そう。でも、うまいの」
B子「?」
C子 理解している様子。
A子「長いの」
C子 大ウケ。
B子「何それ、気持ちいいの?」
A子「気持ちいいの」
B子、C子 奇声。
A子「B子も試してみたら?」
C子「でも、A子気に入ってるんじゃないの?」
A子「うん。手放せない感じ……」

 年ごろの娘さんを持つオヤジたちが聞いたら、卒倒しそうな内容です。
 「親の顔が見たい」と思っても、知ってる顔が出てきたらどうしよう、と思ったりもするので、もうやめにします……
 でも、Girls' Talkとは、こういう話しのことなんですよね?

2010/02/15

「みらい」の作り方──みなとみらい

2010.2.6
【神奈川県】

 冬季五輪バンクーバー大会が始まりました。
 大会前のインタビューや、開会式の入場行進でとても目を引いたのが、スピードスケートの岡崎朋美選手の、精悍(せいかん)な表情です。
 以前「朋ちゃんスマイル」と取り上げられた笑顔は、現在もすてきですが、思いを語るときの目には、獲物を狙うような鋭さや迫力が感じられます。
 近ごろなかなか感じることのない「カッコ良さ」だと思いました。
 冬季五輪は往々にして、不完全燃焼で終わってしまうので、応援しましょう。


 みなとみらい(Map)

 みなとみらい地区で最もにぎわうのが、ランドマークプラザ(タワーの低階層部分)や、みなとみらい駅直結のクイーンズスクエア周辺になります。

 「さっきと違う人がやってる」という子どもの声が聞こえました。
 これは、JR桜木町駅反対側の野毛地区で開かれてきた、「野毛大道芸」という催しの流れと思われますが、ウォーターフロント地域にも定着しました(山下公園でもやってます)。
 この辺りではドック跡付近と、アット! 付近で行われ、スケジュールも決められているようで、組織的な芸人集団みたいです(ヨコハマ大道芸が近い気がします)。
 野毛大道芸とは違うみたいですが、イベントの開催日(4月17〜18日)は、野毛のイベント開催日(4月24〜25日)に近く、海外(遠方)からの参加者への配慮として、調整しているようです(両方に参加する方もいそうですね)。

 みなさん芸はもちろんのこと、口も達者なので、いっとき彼らに付き合ってみても楽しいかと思います。
 最後には、観客を含めた小さな輪の、一体感を味わうことができます(上写真では、観客の女性が参加しています)。


 パシフィコ横浜(国際会議場・展示ホール・ホテルの複合施設)には、展示会見学に何度か足を運びましたが、中でも「ロボットの展示会」がとても印象に残っています。
 ちょうど、ASIMOや踊るロボットが注目されたころと思います。
 まるで子どものように、口をあんぐり開けて見入った当時の夢は確実に進化していて、近ごろではパワースーツのような援助ロボットなど、身の回りでとても役立ちそうなものが増えてきました。
 いまどきのロボットを見たくなりました。きっと、スゴイんだろうな〜。
 上写真は屋根上の構造物(排気口等)。

 みなとみらい地区の建造物(特に海側)には、「壁や柱の外装は白を基調とする」等の取り決めがあるように見えます。
 近ごろのはやりはこの地区でもトレンドなのか、ガラスを多用した建造物が目につきます。
 建物内に太陽光を取り込めるので、明るくエコなイメージがありますが、夜や冬場は冷気が伝わるので、空調効率は悪くなります。
 外観でも、窓ガラスに反射する太陽光を、とてもまぶしく感じることが増えました。
 TVドラマ『ガリレオ』ではありませんが、ガラス張りのビルが隣接する場所では、合わせ鏡のように光が反射して、火のないところに火事をおこしたりするのでは? と思ったりも。
 このガラス窓が、太陽電池になればとってもエコなんですがね(もう、研究してるんだろうなぁ)。
 でも、大地震で割れたガラスが落ちてきたら大変ですから、それを含めて研究願います。

 不謹慎に聞こえるかも知れませんが、最新の耐震・免震技術で建てられた建造物も、一度大地震や長周期振動を経験して、その被害評価を見てみないと、信用できるものではない、と考えています。


 手前はぷかり桟橋といって、浮きさん橋の上に建造物をのせたもので、2階はレストランになります。
 昼間はシーバス(右下)の乗降客程度で、閑散としていますが、夜景を眺めながらのディナーが人気なのかも知れません。
 隣接するホテルの宿泊客向けでしょうか、ここから屋形船も出るそうです。
 ナイトスポットのようですが、夜景撮影はしばらくやめときます……

 そうそう、この付近(パシフィコ横浜、臨港パーク)の警備員は、セグウェイに乗ってパトロールをしています。
 2001年発表前の「ジンジャーって何だ?」という騒ぎが懐かしいところですが、全然売れてないようです。
 公道は通行できませんが、公園内は思いっきり走れそうですから、乗ってみたいと思ったりします。
 それも、この一帯がバリアフリーだから、導入できたことになります。
 施設設計の思想には大切ですし、将来(みらい)を見据えていたと言えるのかも知れません。近い将来、ロボットが巡回しているかも……


 海に面した臨港パークで、久しぶりに落ち着く絵に出会えました。この地区の中では最も身近な「みらい」を感じさせてくれます。
 寒い季節なので人出は少ないですが、隣接するクイーンズスクエアとは客層がガラリと変わって、ローカル色が強くなります。
 先ほどはネガティブなことを書きましたが、お父さんの勤め先が東京・横浜近郊であれば、通勤圏ですし、買い物にも便利です(スーパー等は未確認)。
 休みの日に子ども連れで海(横浜港ですが)を眺めて過ごせるのですから、不動産会社の売りとしてはかなり上位ランクと思われます。

 観光客の集まる場所はごく限られていて、点(クイーンズスクエア、ワールドポーターズ、赤レンガ倉庫)から線(その間だけは人の流れが多い)にできても、面にすることは難しい(海沿いは閑散としている)ことを実感しました。
 だから自治体には、企業や住民を増やそうとまい進する姿勢が必要なことも、理解できるところではあります。


 かつてこの地で「横浜博覧会(YOKOHAMA EXOTIC SHOWCASE '89 : YES'89)」が開かれたことを、先日の横浜みなと博物館で知りました。
 「開国博Y150」とは比べものにならない大規模な催しで、横浜市制100周年、開港130周年の記念だったそうです。
 埋め立てという事業には、計画から完成まで長い年月と巨額の費用がかかります。社会情勢が変わっても、造っちゃったものは、元を取るために高く売る必要があるので、宣伝のための博覧会とも思えます。
 たとえ土地が完売したとしても、計画当時とは求められる住民サービスのレベルが違うので、その対応にお金が必要になりそうです。
 また、いまどきの庶民が抱く「みらい」を考えると、「必要なモノ」を並べても人は集まらず、「欲しいモノ」を提供する必要があるように思います。
 「エコ」を口にする庶民の、欲しがりすぎる「エゴ」を、どうコントロールすれば、地域や社会の「明るいみらい」を築けるのだろうか?
 まだ、そこに潜んでいるビジネスチャンスとエコライフの扉は、開かれていないような気がしています……

 機を逸して書けなかった山下臨港線ですが、YES'89の旅客輸送で、日本丸駅(現展示場所付近)〜山下公園駅に気動車が運行されたそうです。
 本貨物線は、山下埠頭(山下公園東側)造成に伴い、横浜港駅(赤レンガ倉庫前)〜山下埠頭駅間に建設されました(1965年〜2000年撤去)。
 ガキのころ、山下公園脇の高架軌道が遊園地の乗り物のように見えたのでしょう、「乗ってみたいなぁ」と思ったことを、まだ覚えていたりします。
 現在の、赤レンガ倉庫から山下公園への高架の歩道は、軌道跡を整備したものになります。


 日産本社が移転(2009年)してきた付近(横浜そごうの近く)に、横浜駅方面とを結ぶ橋が架けられたので、横浜駅側からみなとみらい方面へのアクセスが、とても便利になりました。
 それに先立つ2007年に、Jリーグ横浜F・マリノスの本社・練習施設であるマリノスタウンがオープンしました。
 この付近では週末になると、ユニフォーム姿の集団(子どもから大人まで)をよく見かけます。
 グラウンドが結構オープン(ネット越しに見える)なので、広々としたグリーンを外からも共有でき、天気のいい日には眺めるだけでもリフレッシュできそうです。
 ちょうどこの日は、ファン感謝デー的な催しがあったようで、壇上には選手と思われるメンバーが、志村けんが着るような白鳥の衣装で並んでいます。
 そんなサービスより、勝たなくちゃ!
 近ごろ低迷してるんじゃないの?

2010/02/08

ハマのシンボル──ランドマークタワー

2010.1.30
【神奈川県】

 横浜市のシンボルマーク(市章)について、これまで何を図案化したものか分からないでおりました。
 この日訪れた「横浜みなと博物館」(日本丸に併設)で、ようやくそのルーツ(「ハマ」の文字の図案化)を知ることができました。
 モダンとかハイカラとは別次元と感じられる「これでいいのだ!」には、ちょっと驚きました。
 歴史の浅い町(開港により始まったので150年)には、口うるさい年寄り連中もいないので、通っちゃったのかも知れません。


 ランドマークタワー(Map)

 開港以来、みなと横浜のシンボルというのは、象の鼻防波堤〜鉄さん橋(現在の大さん橋の原型)〜新港ふ頭〜マリンタワー&氷川丸等、代々港にかかわる施設が務めてきました。
 現在のシンボルは、みなとみらい地区にそびえるランドマークタワーであることに、異を唱える人は少ないと思いますが、海とは直接関係のない大きなビルが、その座を継いだことになります。
 この地域が、港機能と決別したことを示すために、打たれたくさびのようにも感じられます。
 オフィス、ホテル、ショッピングモールとして利用されており、オフィスの入居率が90%を超えるそうですから、ビル建設のもくろみは大成功だったようです(横浜市のビジョンが良かったのかも)。
 ──2月6・7日(土・日)の2日間、全施設を休館し、全館一斉停電させて施設全体の点検を実施しました。商業施設もあるのにあえて週末を選んだのは、メインはオフィスビルであるからなのでしょう。

 69階にあるスカイガーデンは、地上からの高さが272mあり、現在日本で最も高い展望フロアになります(70階はホテルの施設)。
 ちなみに、東京タワーの特別展望台:250m、六本木ヒルズのスカイデッキ:238m、サンシャイン60のスカイデッキ:232m、東京都庁舎:202m、とのこと(いずれも地上高)。

 今回で2度目と思いますが、エレベーターに乗るたびに、開業当初(1993年)の「(立てた)10円玉も倒れない滑らかな乗り心地」とのキャッチフレーズを思い出してしまいます。
 最大時速は45km/hと、2004年まで世界最速ながらも、とても静かなエレベーターであること、再確認しました。
 ──実際に試した方も、大勢いたみたいです……

 ここはある意味、三菱グループの城と言えるのかも知れません。
 (後述の)敷地は三菱重工業、建物は三菱地所、エレベーターは三菱電機等、グループの力を結集した事業だったようです。
 ちなみに、隣接する三菱重工業のビルには「三菱みなとみらい技術館」がありす(大阪万博の「三菱未来館」を想起しました)。
 話しはそれますが、NHK大河ドラマ『龍馬伝』の岩崎弥太郎(三菱財閥の創業者)の描き様は、関係者の怒りを買いそうなほど貧困が強調されています。
 香川照之の怪演もありますが、あの境遇から成功を収めたからこそ、旧岩崎邸等の成金趣味に向かうパッションのような執着心が、スッキリと納得できる気がしています。


 眼下に港の輪郭が広がる光景には、思わずうなってしまいます。
 ここからの眺めが心地いいのは、高さや立地だけではなく、強固なビルの中にいるという安心感も重要な要素と思われます。
 タワーは、ガッチリした4本の足で支えられた「やぐら」のようで、その容姿からも安定感が伝わってきます。
 ここからだと真下を見下ろしても、高さから感じる「ビビリ感」(年と共に弱くなりました)は迫ってきません。
 東京タワーやマリンタワー等の、足元が透けて見える演出を見てしまうと、「揺れてるんじゃないか?」と感じたりします。
 そんなことでは「東京スカイツリーに昇れないぞ」と思うのですが、高所恐怖症と言うか、体力(動体視力や反射神経)の衰えから、万が一に対応できないかも? との不安感かも知れません。
 だったら、行かなきゃいいのですが、下のような写真も撮りたかったりします(直下の日本丸をガラスにへばりついて撮りました)。


 高い建物にはアンテナが立つもので、屋上には主要テレビ局の中継局や、テレビ神奈川(tvk)のUHF中継局があります。
 おそらくそのUHF中継局が重要と思われますが、UHFアンテナだけで全局視聴可能になるらしく、ランドマークタワーにアンテナを向ける世帯が多いそうですが、地デジ化により中継局は廃局されるそうです。
 地デジ放送には、長距離通信には向かないUHF帯の電波が使われると聞きますが、新たな通信網を準備しているのかも知れません。
 うちもまだ地デジ化してませんし、ケーブルテレビなので関係ないこともあり気合いが入らず、詳細まではたどり着けませんでした。


 ランドマークタワーは旧造船所のドック跡地に建設され、その足元には復元されたドックが現存します(上写真すぐ奧がタワーの根元)。
 日本に現存する最古の石造りドックヤードで(横浜船渠(せんきょ)〜三菱重工業)、1896年(明治29年)〜1973年(昭和48年)まで使用されました。
 現在では、イベントスペースやオープンテラスとして利用され、この石積みの内側(地下部)は飲食店街になっています。
 手を加えていますが、1989年に横浜市認定歴史的建造物とされ、1997年には国の重要文化財とされます。
 結構前の印象ですが、中央のフロアを舞台等にして、両側の石積みを観客席にしたイベントがあったような気がしますが、現在は石積みの部分には入れなくなっています。手すり等はありませんから、危ないことは確かです。

 浦賀にも日本最古のドックがあった気がしまいたが、日本初のドライドックだったようです。当時のドックは、何で作られていたのでしょうね(素堀りに木組みの足場程度か?)。


 日本丸は、1930年に進水した当時の文部省の航海練習帆船で、1984年に退役後、1985年からこの地で展示されています。
 「日本丸メモリアルパーク」とされ、ここも上述同様のドック跡地に海水を入れて船を浮かべてあります。こちらも2000年に国の重要文化財に指定されました。
 普段帆は畳まれていますが、年に12回、市民ボランティアの協力で、29枚あるすべての帆を広げる「総帆展帆(そうはんてんぱん)」が行われるそうです。
 ですが、冬季には帆は外されてしまうので、一番悪い季節に来たということになります。お気をつけ下さい……
 上写真は船首付近で、張られた網はへさきに渡されたロープでの作業を補助するものです。
 若いころなら「自分が行きます」とか言ってたと思います……


 帆船といえばロープですから、ビレイング・ピン(ロープを止める棒)付近は、海賊映画でなくても重要な設備になります。
 特段に複雑な仕掛けはありませんが、ずっと以前、船に乗っていた時分に感じた、ロープさばきの大切さを思い出しました。
 素人が力任せにたぐり寄せると、力負けしたときには凶器となる、とても危険な存在です。
 でも、大勢で力を合わせる作業では、体でリズムとして覚えてしまえば、漁場でうたわれた「ソーラン節」に合わせて網を引くタイミングと同じではあるまいか。
 この実習船においても、独特なかけ声等があると思います。
 タイミングが狂えばそのリズムの速さを調整して、スローになった節を口にする時に普段と同じことをすればいいわけです。
 引き手の力配分を均等にすること、危険を避けること、そして意志を統一するには、かけ声はとても重要と思われますし、同じ作業の繰り返しとなる漁場において、それが歌となったことは、すんなりと理解できるところです。

 そしてロープといえば「滑車」と思ったのですが、やはり帆を広げないと、彼らにも躍動感が感じられず、「休業中」の札を下げて休んでいるように見えてしまいます。

 日本丸のつながれたドックのすぐ海側に、シーカヤックで運河を回るツアーを運営してい団体があります。
 以前、象の鼻パーク辺りで10艇程度がジタバタするのを目にして、どこから来たのかと思っていました。
 ここからなら、運河伝いにこげば15分くらいでたどり着くと思います(赤レンガ倉庫をバックに撮った写真、もう消しちゃいました……)。
 下から見上げて楽しいのかと思いましたが、NHKの『ブラタモリ』(日本橋を水上から眺める)のように、水面付近からでないと見ることのできない、むかしの遺構が見えたりするのかも知れません。
 そのように、視点を変えて観察することはとても大切なことですから、ランドマークタワーから見下ろしたり、シーカヤックから見上げたりできるこの地は、観光客に「この地を知ってもらう」ための環境整備が整いつつあり、それが有効活用され始めていると言えるのかも知れません。
 いまでは、コンクリートで固められた「ハマ」しかありませんが、海や港を自慢できる町であり続けたなら、ファンはきっと増えていくと思います。

2010/02/01

モノから、人の集まる場所に──新港ふ頭

2010.1.23
【神奈川県】

 近ごろの横浜散策では、隣接する場所からテーマ地を切り取っているので、紹介済みの場所が再登場したり、撮影日が前後するものも混在しています。
 前回までの夜景は、正月の夜なら人は少ないだろうと、1月3日の夕方に撮ったものです(寒いのによく行ったもんです)。
 三脚撮影は久しぶりだったので、あんなもんかとも。
 練習しないといけませんね……


 新港ふ頭(Map)

 前回の赤レンガ倉庫も新港ふ頭にありますから、汽車道(きしゃみち:線路はレプリカだそう)伝いに歩けば下写真のように、倉庫方面に向かいます。
 その奧には大さん橋があるので、右上には紅白のラインが入った大型客船「飛鳥」の煙突が見えます。
 そんな光景を眺めて歩いていると、「やっぱり港町だよなぁ」という空気感になじんでいきます。


 新港ふ頭は、1899年(明治32年)に工事が開始された(赤レンガ倉庫建設と同じ事業)、日本で最初の近代港湾施設になるそうです。
 その建設資金には、幕末期の「下関戦争」(開国に反対した長州藩が、関門海峡を封鎖し外国船を砲撃したため、イギリス・オランダ・フランス・アメリカの連合軍に、こてんぱんにやられた)で支払わされた賠償金のうち、アメリカから返還されたお金(不当に受領したとの認識があったらしい)が充てられたそうです。
 関東大震災(1923年)、第二次世界大戦(1941〜5年)で大きな被害を受けた後、国営だった港湾施設は、1951年から横浜市の管理下に置かれます。

 現在では、赤レンガ倉庫、海上保安庁の横浜海上防災基地、横浜国際船員センター(ナビオス横浜:最初の写真の上に建つ汽車道をまたぐ建物)、JICA横浜、ワールドポーターズ、よこはまコスモワールド(遊戯施設)、東京芸術大学校舎、万葉倶楽部(温浴施設)等や、先端には歴史的建造物とされるハンマーヘッドクレーンがあります。
 それでも空き地が散在しているので、そこで「開国博Y150」でもやろうか? との、中途半端な志を見透かされたのでしょうか、大きな赤字を出したそうです。
 その損失は戻りませんから、将来に向けてのビジョンを話し合うべきなのでしょう。
 でも、高層ビルはやめて欲しいなぁ……
 右下は、海上保安庁のさん橋に停泊する、タグボートや消防船(と思う)。


 馬車道方面からの道と、みなとみらい方面からの道の交差点に、サークルウォークという鉄橋のような、楕円形の歩道橋があります。
 トラス橋(きょう)といって、細長い材料の両端を三角形につなぐ構造(トラス)によって強度を保つものです。
 武骨な印象のデザインはとても好きなのですが、むき出しの鉄骨からは重量感が感じられます。そのイメージ通りに、この歩道橋はよく揺れます。
 子どもたちはそれを面白がって、わざとバタバタ走っていきます(わたしも小学校の通学路にできた歩道橋の上で、飛び跳ねていた記憶があります)。
 「開国博Y150」開催当時は会場に隣接するので、交通整理のためこの下に臨時の横断歩道が設置され、渡った覚えがあります。
 そりゃ当たり前だよ! 1999年に完成しましたが、現在でも信号は必要? という交通量の少ない交差点なので、建設は時期尚早と思う人が多いと思われます(建築物としては好きなんですが……)。

 その交差点の角にJICA横浜支部があります。
 JICA(ジャイカ)とは、外務省所管の独立行政法人国際協力機構で、政府開発援助(ODA)の実施機関の一つになり、開発途上地域等での「人を通じた国際協力」を目的としています。
 ですが国際協力の成果ではなく、現地で事件や災害等に遭われた派遣員の安否に関するニュースしか、伝わってこない印象があります。
 ODAには、双方の国においての不明瞭なお金の流れがつきまとうイメージがありますが、JICAから派遣された方々が、海外で流された汗こそが「日本の顔」なのではないかと、いつも頭が下がる思いがします……


 写真はありませんが、ワールドポーターズという、ショッピングセンター+シネコンという大型施設があります。
 以前映画を観に来ましたが駅からは遠く、上映時間に間に合うか焦った覚えがあり、映画目的で訪れるにはとても不便な場所という印象があります(上写真は「よこはまコスモワールド」のジェットコースター「バニッシュ!」。右下は、みなとみらいの顔となった「コスモクロック21」)。

 しかし、週末の人出はかなりのもので、店内は人でごった返し、駐車場への車の列は交差点の信号を渡れず、入場渋滞となっています。
 横浜辺りでも、家族で出かけるには(子どもが小さいと)車が便利になっちゃうんですね。
 なるほど、店舗も周辺の施設も、若い家族や、その予備軍(カップル)向けの施設が並んでいます。
 町作りも、ニョキニョキそびえる高層マンション群は、そんな年代向けなのかも知れません。だから「みなとみらい」なわけね!?
 何か「サァー」っと潮の引く音が聞こえた気がしますが、中高年はクレイジーケンバンドでも聞きながら、「野毛や伊勢佐木町辺りでくだを巻け」ってことですな。
 別にひがんじゃいませんが、今度歩かなくては、と思わされました……

 汽車道は、新港ふ頭への輸送路として作られた鉄道の遺構で、現在は遊歩道になります。
 当時の物資輸送の主力は鉄道ですから、ふ頭が埋め立て地ならば、輸送路も新設する必要がありました。
 桜木町付近から、埋め立て地と橋を組み合わせて、新港ふ頭への専用路線が造られました(「岸壁列車」も通った経路)。
 復元された線路周辺(道幅の三分の一程度)は、ウッドフロアになっています。
 この道を歩くときは、その部分を歩きたいと思うのですが、おばさん等の団体と向き合うと、力関係(気持ち)で負けてしまいます……

 前回の赤レンガ倉庫を調べた際に行き当たった、「岸壁列車」という存在やひびきが、わたしの中ではとても印象深く残っています。
 新港ふ頭は「日本初の近代港湾施設」ですから、当時一般の港は木造のさん橋程度と考えれば、「岸壁」って何? という認識だったのではあるまいか。
 そこに汽車が走り、その先から海外へ向かう「客船」が出航するのですから、島国に暮らす庶民の想像範囲を超えた存在だったように思えます。
 現在の港町風情というものには、物資を集める力はありませんが、人を引きつける力はあるようなので、それを失うことなく歩んで欲しいと思います。