2010/02/01

モノから、人の集まる場所に──新港ふ頭

2010.1.23
【神奈川県】

 近ごろの横浜散策では、隣接する場所からテーマ地を切り取っているので、紹介済みの場所が再登場したり、撮影日が前後するものも混在しています。
 前回までの夜景は、正月の夜なら人は少ないだろうと、1月3日の夕方に撮ったものです(寒いのによく行ったもんです)。
 三脚撮影は久しぶりだったので、あんなもんかとも。
 練習しないといけませんね……


 新港ふ頭(Map)

 前回の赤レンガ倉庫も新港ふ頭にありますから、汽車道(きしゃみち:線路はレプリカだそう)伝いに歩けば下写真のように、倉庫方面に向かいます。
 その奧には大さん橋があるので、右上には紅白のラインが入った大型客船「飛鳥」の煙突が見えます。
 そんな光景を眺めて歩いていると、「やっぱり港町だよなぁ」という空気感になじんでいきます。


 新港ふ頭は、1899年(明治32年)に工事が開始された(赤レンガ倉庫建設と同じ事業)、日本で最初の近代港湾施設になるそうです。
 その建設資金には、幕末期の「下関戦争」(開国に反対した長州藩が、関門海峡を封鎖し外国船を砲撃したため、イギリス・オランダ・フランス・アメリカの連合軍に、こてんぱんにやられた)で支払わされた賠償金のうち、アメリカから返還されたお金(不当に受領したとの認識があったらしい)が充てられたそうです。
 関東大震災(1923年)、第二次世界大戦(1941〜5年)で大きな被害を受けた後、国営だった港湾施設は、1951年から横浜市の管理下に置かれます。

 現在では、赤レンガ倉庫、海上保安庁の横浜海上防災基地、横浜国際船員センター(ナビオス横浜:最初の写真の上に建つ汽車道をまたぐ建物)、JICA横浜、ワールドポーターズ、よこはまコスモワールド(遊戯施設)、東京芸術大学校舎、万葉倶楽部(温浴施設)等や、先端には歴史的建造物とされるハンマーヘッドクレーンがあります。
 それでも空き地が散在しているので、そこで「開国博Y150」でもやろうか? との、中途半端な志を見透かされたのでしょうか、大きな赤字を出したそうです。
 その損失は戻りませんから、将来に向けてのビジョンを話し合うべきなのでしょう。
 でも、高層ビルはやめて欲しいなぁ……
 右下は、海上保安庁のさん橋に停泊する、タグボートや消防船(と思う)。


 馬車道方面からの道と、みなとみらい方面からの道の交差点に、サークルウォークという鉄橋のような、楕円形の歩道橋があります。
 トラス橋(きょう)といって、細長い材料の両端を三角形につなぐ構造(トラス)によって強度を保つものです。
 武骨な印象のデザインはとても好きなのですが、むき出しの鉄骨からは重量感が感じられます。そのイメージ通りに、この歩道橋はよく揺れます。
 子どもたちはそれを面白がって、わざとバタバタ走っていきます(わたしも小学校の通学路にできた歩道橋の上で、飛び跳ねていた記憶があります)。
 「開国博Y150」開催当時は会場に隣接するので、交通整理のためこの下に臨時の横断歩道が設置され、渡った覚えがあります。
 そりゃ当たり前だよ! 1999年に完成しましたが、現在でも信号は必要? という交通量の少ない交差点なので、建設は時期尚早と思う人が多いと思われます(建築物としては好きなんですが……)。

 その交差点の角にJICA横浜支部があります。
 JICA(ジャイカ)とは、外務省所管の独立行政法人国際協力機構で、政府開発援助(ODA)の実施機関の一つになり、開発途上地域等での「人を通じた国際協力」を目的としています。
 ですが国際協力の成果ではなく、現地で事件や災害等に遭われた派遣員の安否に関するニュースしか、伝わってこない印象があります。
 ODAには、双方の国においての不明瞭なお金の流れがつきまとうイメージがありますが、JICAから派遣された方々が、海外で流された汗こそが「日本の顔」なのではないかと、いつも頭が下がる思いがします……


 写真はありませんが、ワールドポーターズという、ショッピングセンター+シネコンという大型施設があります。
 以前映画を観に来ましたが駅からは遠く、上映時間に間に合うか焦った覚えがあり、映画目的で訪れるにはとても不便な場所という印象があります(上写真は「よこはまコスモワールド」のジェットコースター「バニッシュ!」。右下は、みなとみらいの顔となった「コスモクロック21」)。

 しかし、週末の人出はかなりのもので、店内は人でごった返し、駐車場への車の列は交差点の信号を渡れず、入場渋滞となっています。
 横浜辺りでも、家族で出かけるには(子どもが小さいと)車が便利になっちゃうんですね。
 なるほど、店舗も周辺の施設も、若い家族や、その予備軍(カップル)向けの施設が並んでいます。
 町作りも、ニョキニョキそびえる高層マンション群は、そんな年代向けなのかも知れません。だから「みなとみらい」なわけね!?
 何か「サァー」っと潮の引く音が聞こえた気がしますが、中高年はクレイジーケンバンドでも聞きながら、「野毛や伊勢佐木町辺りでくだを巻け」ってことですな。
 別にひがんじゃいませんが、今度歩かなくては、と思わされました……

 汽車道は、新港ふ頭への輸送路として作られた鉄道の遺構で、現在は遊歩道になります。
 当時の物資輸送の主力は鉄道ですから、ふ頭が埋め立て地ならば、輸送路も新設する必要がありました。
 桜木町付近から、埋め立て地と橋を組み合わせて、新港ふ頭への専用路線が造られました(「岸壁列車」も通った経路)。
 復元された線路周辺(道幅の三分の一程度)は、ウッドフロアになっています。
 この道を歩くときは、その部分を歩きたいと思うのですが、おばさん等の団体と向き合うと、力関係(気持ち)で負けてしまいます……

 前回の赤レンガ倉庫を調べた際に行き当たった、「岸壁列車」という存在やひびきが、わたしの中ではとても印象深く残っています。
 新港ふ頭は「日本初の近代港湾施設」ですから、当時一般の港は木造のさん橋程度と考えれば、「岸壁」って何? という認識だったのではあるまいか。
 そこに汽車が走り、その先から海外へ向かう「客船」が出航するのですから、島国に暮らす庶民の想像範囲を超えた存在だったように思えます。
 現在の港町風情というものには、物資を集める力はありませんが、人を引きつける力はあるようなので、それを失うことなく歩んで欲しいと思います。

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