2009/11/09

プライドが町を支える──葉山

2009.10.31
【神奈川県】

 葉山という地は、湘南の東端という印象もありますが、地元では「葉山」という独立ブランドの意識を持つ人が多いそうです。
 そんなプライドからでしょうか、葉山町は現在、三浦郡に属する唯一の自治体なんだそうです。
 町役場の住所は、神奈川県三浦郡葉山町堀内2135番地となっていました。
 心意気としては称賛したいところですが、単なるわがままなのではないか? という気もしてきます。
 産業で目につくのは葉山牛くらいで、ブランド牛らしいのですが、希少すぎてどんなモノなのか、判断すらできませんし、観光と言っても、それほどの規模とは思えません。
 しかしそんな町の人口は、なだらかでも右肩上がりで増えているようですから、住んでみると「やっぱり、葉山は葉山だ」と自負できるのかも知れません。
 都市部とは異なった豊かさを求めているようですし、ある意味理想的な自治体にも思えてきます。


 葉山御用邸(Map)

 ここは、1894年(明治27年)に作られた天皇家の別荘になります。他の別荘としては、那須(栃木県)、須崎(静岡県)があります。
 明治天皇は使用しなかったそうですが、病弱だった大正天皇はここで療養中に崩御(1926年:大正15年)したそうです。
 見舞いに訪れていた当時の皇太子(昭和天皇)は、この地で、践祚(せんそ:先帝の崩御あるいは譲位によって天子の位を受け継ぐこと)を行ったそうです。

 当時、年号の発表がどんな形式だったかは分かりませんが、この地で「昭和」が始まったとされるそうです。
 知るところでは、小渕官房長官(後の首相)が「平成」の書を掲げた発表は、とても印象に残っています。
 年号が変わるとはこういうことなのかと、初めての体験なので、興味深くニュースを見回していた印象があります。
 ですが、西暦に直すのが面倒になった、と感じるのも事実です。
 昭和の時代は、25を足せば西暦になると覚えたものですが……


 ここが、皇室一家が犬を連れて散策にお出ましになる海岸です。
 小磯の鼻という小さな岬なのですが、この一画だけは芝に覆われています。
 一般人も立ち入れる場所ですから、警備員の詰め所や、サーチライトが並んでいます。
 1971年には放火事件により全焼したこともあるので、警備も厳重にせざるを得ないのでしょう(犯人は心神喪失で不起訴処分)。


 小磯の鼻に伸びる「ゴジラのしっぽ」のような地層です。
 黒い部分は、見ての通りゴツゴツした富士山麓に見られるような、火山から噴出されたスコリア(黒い軽石のようなもの)の層になります。
 ──ゴジラと言えば、ヤンキースの松井がワールドシリーズで優勝して、MVPになりました。夢をかなえた男の表情とは「はじけ切れないものである」なら、日本男児としてとても理解できるところですが、来年の契約問題が絡んでいると、ちょっと複雑な気持ちにさせられます……


 葉山しおさい公園(Map)

 ここは御用邸に隣接する、旧葉山御用邸付属邸の跡地を整備したものです。
 大正天皇が亡くなられた1926年当時の御用邸は、1923年の関東大地震の被害により修復中だったため、現在の公園内の建物で療養していたそうです。


 公園内には、海が見晴らせる場所があります。この日も富士山は見えないので、釣り人を撮りました。
 でもこの人、本気で釣ろうとしているのか疑いたくなるほど、落ち着きがありません。
 糸は出しているけれど、さおを置いてポケットを探ったり、浮きを見ずにウロウロ歩いたりしていて、外野からは釣れそうに見えませんでした。
 そんな人が名人だったりするのかも知れませんが、見ている間にはヒットしていませんでした。


 庭園内の木々の様子から、もう紅葉が始まっていることを知らされました。
 人の意識の進み方には、個人差や勝手なものもありますが、季節の移ろいには、年ごとに多少の差異はあっても、確実な歩みがあります(今年は早めといわれています)。


 森戸(Map)

 この岬には、源頼朝によって祭られたとされる「森戸大明神」があります。
 伊豆に流された頼朝は、静岡県三島市にある三嶋大明神(現三嶋大社)にて、源氏の再興を祈願したこともあり、鎌倉に入ってすぐこの地に、三嶋大明神の分霊を祭ったそうです。
 ──明神とは、神道の神の称号の一つとされ「大」とは、さらに尊んだ呼び方になるそうです。いまどきは「○○大明神」などと称されると、「バカにしてるのか!」と、なりかねませんが……


 鳥居のある島は名島(菜島)と言い、むかしは陸続きで頼朝が別荘を建てた、との伝えもあるそうです。
 左の灯台は「裕次郎灯台」と呼ばれるそうで、岬には石原裕次郎のレリーフが立っていたりします(あまり似てない)。
 この灯台は、兄である石原慎太郎が、日本外洋帆走協会の会長を務めていたころに、基金を募って(約1億円)裕次郎の思い出のために建設したんだそうです。
 近くにある石原家の別荘から、その灯台が望めるんだそうです(どうでもいいですよね)。
 裕次郎主演映画『狂った果実』(1956年)の舞台で、青年時代を過ごした場所ですから、昭和の大スターとしての足跡が残されてもいいのかも知れませんが……(京都嵐山にある美空ひばり座ほどは目障りではないので、まだいいか)


 海辺にある、まき置き場とされる小屋です。
 付近に大きな船は見あたらないので、主に相模湾内の沿岸漁が行われているようですが、水揚げは逗子市の小坪港で行われるので、葉山町の水揚げ量はゼロなんだそうです。

 海岸沿いにある町中の道路は、バス通りも昔のままで、道幅が狭く折れ曲がった通りが、メインストリートとされています。
 これは、近隣住民が「ずっとこのままでいい」と考えている成果(?)と思われます。
 歯の欠けた櫛のように、所々にさら地や建て替えの様子は見受けられますが、ひと区画の面積が狭いので区画整理が難しそうな地域です。
 離島の漁師町のように、狭い地域に小さな家が密集して、幅の狭い路地がクネクネしているイメージです(歩くには楽しい)。
 だからでしょうか、富裕層の邸宅や別荘は、眺望のいい丘の上に建てられているようです(上を全然見ていなかったので、印象に残っていません……)


 日影茶屋(Map)

 ここは、江戸時代中期に料理茶屋として始まり、以前は旅館としても利用されたようです。
 何が言いたいかというと、京都とは違うかも知れませんが、むかしの「茶屋」には「色気」が付き物ではなかったか、ということです。
 目の前には鐙摺(あぶずり)港がありますが、大きくはありませんし、東海道のような主要街道沿いでもありませんから、店の継続には他に理由があると思われます。
 勝手な想像ですが、江戸から遊びに来た金持ちが、お妾さんに住まわせたのが、現在の葉山の原型なのではないか? なんて思ったりしました。
 と感じたのも、下写真のよしずを上げて、かつての遊女が客に声を掛けていたように思えたからです。
 ネーミングも意味ありげに感じられるところがあります……


 わたしは入ったことありませんが、原坊が歌うサザンオールスターズ『鎌倉物語』の「日影茶屋では お互いに声をひそめてた〜♪」等で名前は知られていると思います。
 
 現在はご存知の通り料亭とされ、とても人気がありそうです。
 晩の仕込みを終えた後の遅い休憩でしょうか、割烹着姿の板場の方々が、外から戻ってくる姿が見かけられました。
 形に弱い日本人のひとりとしても、「かっこいいなぁ」と思ってしまいます。

 お金を払えば、おいしいモノにありつける、のは当たり前と理解していても、わたしの金銭感覚としては、前回佐島の寿司屋の方に魅力を感じてしまいます……

 右写真は駐車場奧にある蔵ですが、この外壁の石は、化粧石のように模様が選ばれているように見え、感心させられました(蔵の壁ですよ!)。


 葉山マリーナ(Map)

 隣接する鐙摺港には「日本ヨット発祥の地」の碑があります。
 江戸時代の長崎で、外国人たちが開催したヨットレースの「長崎レガッタ」が記録に残るそうですが、日本人の手で初めて建造されたヨットが、この海を帆走したことによるそうです。


 ここの開業は1964年で、京浜急行グループが運営しているようです。
 有名な割には、規模としては小さい印象を受けます。先がけ的な(歴史のある)施設って、最初から大きな設備は持てませんものね。

 首都圏に近く、夕日のロケーションもいいことから、さまざまなメディアのロケや撮影に使われるそうです。
 ホームページには、そのための料金表なるものが掲載されていて、驚きました。
 ちなみに、2時間以内のスチールは21,000円、ムービーは42,000円だそうです。
 何だか「うちは知名度があるから、宣伝する必要は無いんだけど、撮らせてくれって言うなら、管理費としてお金もらうよ」との主張のようです。
 どうも「気にいらねぇなぁ」と思うものの、会員制の施設ですから、入場料というところでしょうか……

 右写真は、鐙摺港の入口にある灯台になります。
 漁港の入り口に立つ赤灯台ですが、港所属の船が認知できればいいのでしょう、独特のデザインになっています。
 ──灯台のデザインについて調べてみましたが、規定については見つかりませんでした。
 
 行政に対する住民の要望として「現状維持」(町のままでいい)が多数を占めるらしいことは理解できますが、改めて考えてみると、大多数の非富裕層の意見ではないか、と思えてきます。
 たくさん税金を治めてくれる人には、それなりのサービスをするべきだが、われわれに新しいサービスはいらないから、税金を上げないで欲しい、という切実な願いなのかも知れないと……
 むかしから地元で暮らしている人々にとっては「静かに暮らしたい」ということが、最大の願いなのかも知れない、と感じられる地でした。


 追記
 逗子市街を走るバスの車窓から、ハロウィーンの仮装をした子どもたちの群れを目にしました。
 日本で無理して盛り上げる必要もないと思うのですが、まあ、子どもにすればお祭りなら何でもいいんだよね……

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