2009/10/12

家族で来たかった海──三崎漁港、城ヶ島

2009.10.04
【神奈川県】

 しばらくぶりに降り立った京浜急行終点の三崎口駅。
 三崎港方面に向かうバスの車窓には、右も左も展望の開けた大根畑が広がり、右手奥は海まで見渡せます。
 この光景が「三浦半島のイメージ」と言いますか、そんな景色が好きで何度となく訪れていたころを思い出しますし、満足と同時に気持ちのモードも切り替わっていきます。
 以前と印象は変わっておらず「この田舎っぽさがいい」と、改めて感じ入ったりして、スタートからいい感じです。


 三崎漁港(Map)

 三崎漁港と言えば、遠洋マグロ(はえなわ)漁の陸揚げ港として有名です。
 マグロの陸揚げでは、焼津漁港(静岡県)に次ぐ国内第二位だそうです。
 ちなみに生マグロは、勝浦漁港(和歌山県)が最も多いそうです(種類は不明)。
 ──小学校の社会見学で訪れた記憶があり、カチンカチンの冷凍マグロがゴロゴロ転がっていたことを覚えています。

 冷凍施設〜市場〜加工施設〜流通システム等が整備されていますが、それは三崎漁港に所属する船の専用システムではなく、遠洋漁業の陸揚げ基地として各地に整備されている施設のひとつになります。
 近ごろ耳にする、船を丸ごと買い付けられた漁獲量については、市場の集計数値が推定とされていました。
 「三崎のマグロ」と言われますが、冷凍物ですから捕獲地は同じ海域でも、陸揚げされた港によって名称が変わってしまいます。
 現在では冷凍技術が発達したので、陸揚げ港と消費地の距離は関係ないように思われますし、陸揚げNo.1の焼津ブランド人気が高まっているのかも知れません。
 冷凍マグロに旬はないでしょうが、入荷が増える季節があります。
 暮れから正月にかけては、需要が増えて価格も上がるので、その季節に陸揚げする船が増えるそうです。

 港周辺の裏路地を歩き始めると、昔ながらの港町風情を感じられる光景が次々と目に入ってくるので、ついつい誘われてしまい、なかなかマグロにありつけません。
 大根畑などが広がる丘陵地は、海岸近くで急峻(きゅうしゅん)なガケとなって海に接しています。
 この港も、振り返れば目前にガケが迫っており、平坦な土地は広くありません。
 そんな土地柄にもかかわらず、港として栄えたわけですから、狭い路地や斜面に建つ家、高台へと続く坂道や階段が、昔のままと思われる姿で残されていて、同じように整備のしようもない尾道の町並みを想起したりしました。
 

 ここは海南(かいなん)神社で、海上安全の鎮守様と思われますが、下げられている綱が、船をつなぐロープに見えてしまいましたが、そんな訳ないですよね?
 狭い町ながらも、参道がそのまま残されているところに、神社と住民の一体感が感じられます。
 先日の剱崎で紹介した、海に剣を投げ入れ嵐をおさめた神社の神主さんは、ここの方なんだそうです。

 しかし、むかしからの商店街は他の地方都市と同様に、シャッターが閉まっています。
 営業中の店の主人にもお年寄りが多く、新たな展開ができないと言うか「やれるうちはこのままやりたい」と思われているようで、後継者はいないが家を手放すわけにもいかない、という状況に思われました。
 ですが近ごろは、高速道路も延伸され「東京から気軽に訪れることのできる日帰り観光地」とされていますから、ビジネスチャンスはあると思います(渋滞は覚悟して下さいね)。
 古くからの方も、新規参入の人たちも、さまざまなやり方で町のリニューアルに取り組んでいて、昼時の飲食店のにぎわいは、まさしく観光地と感じられました(関西だと明石のイメージでしょうか)。

 町おこしの姿勢は伝わってきましたが、中身はどうなの? と、事前に何も調べず店に飛び込み、昼食にマグロ丼を食べてみましたが……
 冷凍物であればどこで食べても同じである、という認識を再確認するだけで、三崎だから安い・量がスゴイ等のサプライズが何もありませんでした。
 特徴と言うならば「特製のタレがかかっていますので、そのままお召し上がり下さい」ということでしょうか(右下写真の老舗の姉妹店でした)。
 ──以前、漁港から離れた三浦海岸方面の国道沿いに、安価でたらふくマグロを食べさせてくれるお店があり、値段と量に満足した記憶があります。港から離れたお店の方が狙い目なのかも……

 そんな状況に、関西での「マグロは東京にもっていかれちゃう」の言葉を思い出し、魚の食文化に関しては関西の方が格段に「美食」であると感じたことを思い出しました。
 東京圏での需要の規模は大きいですから、安定的に供給できる冷凍物が重宝されるのは理解できる気もします。
 しかし、冷凍マグロが主役にならない関西ですが、魚売場のいろどりは豊かです。
 瀬戸内海という魚介の宝庫が近くにありますから、スーパーに並ぶ魚の種類が季節や漁獲の状況によってコロコロ変わります。
 それが「旬を大切にする」ように思え、見ているだけでも楽しかったですし、それぞれがとてもおいしかったことが印象に残っています。

 先日「養殖マグロの生産が2倍」というニュースを目にしました。
 ある程度の条件をクリアしてくれれば、とても素晴らしい努力だと思います。
 タイと比べるのはおかしいかも知れませんが、瀬戸内の料理人の方々は「養殖の方がサイズがそろっていて、味が一定している」と褒めていましたし、とてもおいしかった印象があります。
 マグロも計画生産ができるようになれば、海外からのバッシングも弱まるかも知れません(日本としては全面禁漁は避けたいので)。
 遠洋漁師の方々の新たな職場として、養殖業に携わってもらえるような、採算の取れる産業となるよう期待したいと思います。


 城ヶ島(Map)

 ペリーの黒船来航(1853年)を、最初に目撃したのは城ヶ島の漁師であったと伝えられています。
 三浦半島の最先端の地で、東京湾の入口に当たりますから、それ以降は東京湾要塞とされ砲台が存在しましたが、戦後は城ヶ島公園とされます。

 以前運行されていた、城ヶ島~油壺間の観光船(船から投げるエサにカモメ等が群れている宣伝ポスター、覚えていません?)は2007年に廃止され、島を周遊する遊覧船に衣替えしたようです。
 城ヶ島や油壺より、三崎漁港周辺をベースにした観光の人気が高まっていることの表れかも知れません。
 三崎漁港から城ヶ島への渡し船に初めて乗りました(城ヶ島大橋の架橋で廃止され、2008年に約50年ぶりの復活)。
 船名は「白秋」(北原白秋の詩『城ヶ島の雨』にちなみます)で、燃料に食用廃油を再生したバイオディーゼルを使用していることを、盛んにアピールしていました。


 地学ファンの皆さまお待たせしました。城ヶ島の地質構造の紹介です。
 上写真は、城ヶ島灯台から見下ろす事ができる、褶曲(しゅうきょく)の様子になります(写真は付近から)。
 白っぽく見えるシルト(砂と粘土との中間サイズ粒子の堆積物)と、黒っぽく見えるスコリア(火山噴出物で黒い軽石のようなもので、富士山表面の小石と同類)の筋が、円を描くように見えると思います。
 そんな視点で初めて灯台から光景を目にした時、「おわん」のような立体的なイメージを頭の中で描けたことが、とてもうれしく感じられた記憶があります。
 ──下写真矢印の方向のおわんの底に、地層が傾斜しているイメージになります。


 三浦半島の先端にある島として、古くから観光地とされたそうで、鎌倉時代には源頼朝が度々訪れ、頼朝由来の地名がいくつも残されると伝わるそうです。
 明治時代には、三崎~東京間に汽船が就航し、城ヶ島には避暑客でにぎわう海水浴場もあったそうです。
 大正時代には、北原白秋の詩に梁田貞(やなだてい)が曲をつけた歌謡曲『城ヶ島の雨』の流行により、若い男女が憧れるロマンの島としてその名が広まったそうです。
 ──白秋は、不倫相手と暮らす場所をこの地に求めますが、当時の不倫は「姦通罪」の対象ですから、訴えられた白秋は監獄に入ったそうです。

 しかし、関東大地震(1923年:大正12年)によってこの地では地盤の隆起が起こり、砂に埋もれていた岩礁が露出して砂浜が狭まってしまい、現在のように海水浴には適さない海岸となりました。
 ──地震発生後の数日間は、三崎漁港から歩いて城ヶ島に渡ることができた、との言い伝えもあります。


 ここは、赤羽根崎の突端にある馬ノ背洞門です。
 海水に浸食された岩(海食洞門)で、関東大地震前にはその中を小船で通り抜けられたそうです。
 ──むかし、上を渡ったような記憶もありますが、現在は立ち入り禁止。

 この辺りは、東側の安房崎一帯の城ヶ島公園と、西側の城ヶ崎灯台の中間に当たるので、多少の距離を歩かなければなりません。
 磯遊びなら、どこでもできると思うのですが、この景観があるためでしょうか、多くはありませんが何となくたまり場となっています。
 親子で磯遊びに興じている姿では、お父さんの方が夢中になっているようにも見えます。
 ──下写真の出来はよくないと思うのですが、逆光でも親子の表情が伝わって来る気がして、好きです。


 写真とは別の家族ですがその付近で、日差しから乳児を守るように、海に背を向けてずっとダッコしているお母さんがいました(近くに日陰はないので仕方ない)。
 子守も大変そうだし、こんなところまで乳児を連れてくることないのに、と思って見ていました。
 お守りの交代時間が来たのでしょうか、お父さんが幼児のお姉ちゃんと海から戻って乳児を受け取ります。
 その交代してもらった瞬間です。
 お母さんは、お姉ちゃんに声を掛けることもなく、出足鋭く海に向かってダッシュで駆けていきました(母が獣にひょう変したようで驚きました)。
 その姿には周囲の他人にも「家族で来たかった海」の理由が伝わってくる気がしました。
 親とすればまず第一に「子ども」であると思われますが、「お母さんも発散したーい!」と、はじけてしまった内面が、他人にまで伝わってきましたし、これで満足してくれることを祈っております……

 家に戻ってから思ったのですが、パパ・ママの思い出の地なのかしら? いろいろあったりしたのかも……
 デートに最適な場所であることは確かです。

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