2009.8.29
【神奈川県】
横須賀を題材とした楽曲は多いと思い調べてみたのですが、それほどではないようです。
宇崎竜童にはダウン・タウン・ブギウギ・バンドの『港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ』(1975年)、山口百恵の『横須賀ストーリー』(1976年)(タイトル引用元)があるのと、地元出身渡辺真知子の『かもめが翔んだ日』(1978年)から連想される程度のようです。
多感な年頃に耳にしたので、印象が強いのでしょうか?
近ごろでは、クレイジーケンバンドの『タイガー&ドラゴン』(俺の話を聞け~!)が耳に残ります。
三笠公園(Map)
上述『タイガー&ドラゴン』にある
「トンネル抜ければ 海が見えるから そのまま ドン突きの三笠公園で」(どこのトンネルか分かりませんが、雰囲気は伝わる)の公園になります。
この公園は、軍事都市横須賀らしいと言っていいのか、いにしえの日本軍の功績を賛美するような施設です。
入口正面には東郷平八郎(1904〜05年の日露戦争でロシアのバルチック艦隊を破り、世界的に注目を集め国民的英雄とされた人物)の銅像があったり、その海戦で活躍したとされる「戦艦 三笠」が保存展示される公園になります。
その戦争に直接関わった方は、現在ではほとんどおられないと思われますが、家族や遺族の方にとっては祈念の地であるのかも知れません。
──第二次世界大戦を後世に伝えようとする施設においても、将来はこのような受け止め方をされるようになるのだと思われます。
上写真の本意としては、三笠の船体とこれから訪れる予定の猿島(奧の島影)を撮れれば、と思ったのですが、船首には「菊の紋章」が輝いており(曲げてもいいの?)、軍の賛美に加担してしまったような気もします……
この船首は、皇居の方角を向いているそうです。
三笠は、1926年(大正15年)に保存されたそうですから、時代の空気が感じられる施設と言えるのかも知れません。
──幕末に訪れた黒船に度肝を抜かれたちょんまげ姿の日本人が、数十年後に「欧米列強」としたロシアとの戦いに勝ったわけですから、浮かれる気分も理解できますが、浮かれすぎることになってしまいます……
第二次世界大戦後この施設に対して、米国には文句がないので放置されたそうですが、ロシアからは当然のように抗議があったようです。
ここには小学校時代、社会見学に訪れた記憶があります。
この現場での事だったと思われますが、先生方が言い争っていたという印象が、記憶の片隅の方に残っているような気がします。
担任の若い女先生は、それまでの指導方針に対して異議を唱えていたのかも知れず、現在までそんな意志が、自分の中で息づいていると感じられることに、感謝する次第です(古い話なので勘違いかも知れませんが、この地で記憶がよみがえりました……)。
いまから振り返ると、この「戦艦 三笠」は小学校の社会見学で訪れるべき施設なのかと、疑問に思ったりします。
現代ではそう考えられるとしても、当時はちょうど疑問視され始めた時代だったのかも知れません。
猿島(Map)
猿島は、横須賀新港の沖2km弱に位置する島で、連絡船桟橋は三笠公園の隣にあります。
これまで何度かチャレンジしたものの、人の少ない冬場は営業していなかったりで、今回初めての上陸になります。
この島は東京湾内唯一の自然島で、古い時代(縄文・弥生時代)には人が暮らしていたそうです(現在無人島)。
その立地が湾の入口に近いため首都防衛拠点とされ、明治以降は軍隊の要塞島とされます。
幕末、明治、(大正期の関東大地震で被害を受けたため)昭和と、3度にわたり砲台が築かれたそうです。
その気持ちは察しますが、結局東京湾には幕末の黒船以降、国を脅かすような海外の船は訪れてないと思われます(上空から攻撃されました)。
まあ、当時の島国の住人たちが講ずる国土防衛策としては、入江の中に敵を入らせないようにすべき、との考え方は納得できるところです。
無人島ですがレジャー設備は整っており、この時期には海水浴、バーベキュー、釣りに訪れる人たちでにぎわっています。
1995年に大蔵省から管理委託を受けた横須賀市が、散策路等の整備、航路および海水浴場を再開し、2003年に国から横須賀市が無償譲与を受けたそうです。
横須賀市の運営もしくは委託事業と思われますが、この辺りでは珍しい「10分で渡れる無人島」というイメージが受けているようで、成功している行政サービスと言えると思います。
どぶ板通り(Map)
心から胸を張っていたのかは分かりませんが、横須賀の代名詞的な基地前の商店街であることは確かです。
現在では「DOBUITA STREET」なる看板や旗が並ぶ、いまどきの通りになりつつあります(訪れる度にキレイになっていく)。
下写真は、付近の諏訪神社にある「Off Limits(立ち入り禁止)」の看板ですが、以前は比較にならないほど多くの看板が見られた記憶があります。
おそらく、日本人であれば即刻刑務所行きというような、犯罪行為が頻発した頃の「日本語が理解できなかった」という言い訳に対する防衛策なのだと思われます。
横須賀でも少し前に米兵による犯罪がありましたが、沖縄で米兵が起こす犯罪の数に比べれば非常に少ないように思われます。
その違いは、基地依存に対する地元住民の意識の差なのではないか? とも思えます。
基地にベッタリな沖縄とは違い、横須賀には軍需産業や、首都圏に近いため他にも働き口等の選択肢があります。
そんな比較から、産業なくして「基地サービス」だけを押しつけられても、身動きが取れないのは当たり前、と思える沖縄の応援をしたくなってしまいます。
基地が無くなるのが一番であると思いますが、その途端に彼らは途方に暮れてしまいます。
産業を振興しつつ、基地の縮小へと結びつくような妙案ってないのでしょうか?
明治時代から第二次世界大戦まで続いた、海軍横須賀鎮守府(ちんじゅふ:海軍の根拠地で艦隊の後方を統轄した機関。通称 横鎮:よこちん)の門前町として栄えたのが始まりだそうです。
以前は通りにどぶ川が流れていたため、海軍から厚い鉄板を提供してもらいどぶ川に蓋をしたことから「どぶ板通り」と呼ばれるようになったそうです。
戦後はアメリカ軍向けの土産物店、飲食店等が軒を連ねたそうですが、年々そんな面影も薄れているように思われます。
むかしは、肖像画店(あった、あった!)、ワッペン屋やミリタリーショップが、もっと多く並んでいた印象があります。
ここはご存知「スカジャン」の発祥の地になります。
はじまりは、米軍兵士が自分のジャケットに派手な、鷲・虎・龍等のオリエンタルテイストの柄や、所属部隊・基地等のエンブレムをデザインした刺繍を入れて、お土産にしたことによるそうです(それが『タイガー&ドラゴン』の元ネタなのかも知れません)。
またその名称は、土産物のジャケットの意味である「スーベニールジャケット」から「スカジャン」と略されたとする説が本筋のようです。
わたしは「ヨコスカのジャンパー」が略されたとばかり思っていました……
横須賀の町はそれほど大きくありませんから、兵士たちの遊び場も限られているように思われます(横浜辺りまで行くのだろうか?)。
ですが、「ジョージ・ワシントン」(原子力空母)が出航中は、町も静かになってしまうと思われます(現在は不在も、先日まで「ニミッツ」(原子力空母)が寄港していたそうです)。
基地の縮小を訴えるわたしも、空母一隻の出入りで町の景気が左右されては、商売にならないのでは? と思ったりします。
──「今度、ニミッツが来るよ」「いつ? 今年の夏休みなしだね」なんて会話は、ドラマでは使えると思われますが……
基地依存からの脱却を目指そうと考える人たちは着実に増えているようで、その結果「いまどきの商売」に切り替える人が増えているため、「どぶ板通り」という個性が失われているようにも思われました。
ファッションには詳しくないのですが、横田基地の門前町である福生はプチ・ブランド化しているように思えたので、横須賀も若い女性をターゲットにして、「ハマトラ」(ノスタルジーです…)ならぬ「スカトラ」(ネイビー感覚で少し活発なイメージ、とか)あたりを狙ってはどうか? と思ったりしました……
横須賀港(Map)
JR横須賀駅近くの岸壁には「ヴェルニー公園」のウッドデッキが広がっています。
──レオンス・ヴェルニー:横須賀海軍工廠(よこすかかいぐんこうしょう)等、日本の近代建設を指導したフランス人技術者。
ウッドデッキの足裏の感触はとても好きですし、写真のような電灯やベンチなどが配されていて、夕暮れ時などにはとてもいい雰囲気を演出してくれます。
しかし、海の向こうは米軍基地と自衛隊基地ですから、それをムーディーと受け止めていいものか? とも思ってしまいます。
これまでも「横須賀の基盤は軍需産業」を改善することなく、地元出身の元首相が支持されてきたわけですから、この町からは基地を切り離すこと、もしくは、軍需産業依存から脱却することは、非常に困難な事と思われます。
タイトルに込めた意味が、「ここは横須賀 軍事都市」と伝わればと思います……
P.S. 先日電車で、遠足と思われる小学生たちの団体と乗り合わせました。
いつもなら「ピーチク、パーチク」とやかましいはずの車内が静かなので、見回してみると、全員が新型インフルエンザ予防のマスクをしています。
確かに静かでいいのですが、「おしゃべりをするな」と、口をふさがれているようにも思えましたし、元気が無いようにも見えてしまいます。
普段の姿には「やかましいー!」と言いたいところですが、ボソボソしゃべる子どもたちの姿には、ゾッとさせられました(未来が暗くなりそう)……
可能な限り早い時期に、以前の「やかましさ」が見られることを願うばかりです。
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