2011.10.16
【神奈川県】
このところ連載ものが続きましたが、しばらくぶりに以前のテーマ「東横沿線を歩く」に戻ります。
横浜線と接続する菊名駅の次は妙蓮寺駅(みょうれんじ)になります。
東横線で横浜方面へ向かう際、各停や日比谷線直通列車(菊名止まり)に乗ったとしても菊名駅で特急・急行に乗り換えるので、菊名〜横浜間にある妙蓮寺、白楽、東白楽、反町駅はどうしても軽視しがちになります。
確かに立ち寄る用事もないので、機会を作らないと降り立てない「駅たち」(ちょっと同情)といえます。
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妙蓮寺(Map)
お寺の名称が付けられた駅名は祐天寺とここだけですが、同じ東急の田園都市線の駅名と比較すると、全通した時代の違い(東横線:渋谷〜桜木町 1932年、田園都市線:溝の口〜長津田 1966年)が、駅名にも反映されていることがうかがえます。
高度経済成長期に誕生する田園都市線の新駅に、お寺の名前はあるまいという気分はとても理解できますし、「たまプラーザ駅:1966年開業」「あざみ野の町名:1977年新設」などには、横浜市と組んだ都市開発の明るい未来への願いが込められたことでしょう。
1350年(南北朝時代)創建当時このお寺(池上本門寺の末寺:日蓮宗)は、神奈川区神明町(現東神奈川)にありましたが、1908年横浜鉄道臨港線(現JR横浜線)建設にあたり、移転を迫られ現在の地に移転します。
ところが1926年東京横浜電鉄(現東急)開設時に、またも境内に軌道敷設計画が持ち上がり「もう移転はイヤ」と、境内を無償で提供することとします。
そんな経緯からすれば駅名の由来ばかりか、この町はお寺のおかげで開かれたことに感謝すべきようです。
取り立てて慌ただしい場所柄ではありませんし、門前に踏み切りがあることを風情と受け止め、踏切待ちの時間に「門外から失礼します」と祈れば義理も果たせるのではないでしょうか(映画『男はつらいよ』で、さくらがやってた印象があります)。
以前改札口は線路を渡った上りホームだけでしたが、少し前に寺側の下りホームにも開設されました。
寺側の丘陵地が開発されたこともあるようで、いくら門前でも一刻を争い殺気立つ朝の通勤時の空気を静めるため、「門前側にも改札を」のご意向が実現したのかも知れません。
菊名プール(Map)
お寺とは線路の反対側にある駅前商店街の路地(こまごまと店が並ぶ)をクネクネ歩くうちに、正面に緑が見えてきます。
そのまま進むと「アレ、民間の駐車場!?」に進入します。でも、皆さん歩いているので、公認の近道なのでしょう。
その駐車場の出口正面に菊名池弁財天があります。
以前はここにも後述の菊名池が広がりましたが現在はプールとされています。
周回する流れるプール(今どきは流水プールだそう)をまたぐ橋がまっ赤(逆光で不明だが写真奧の橋)なのは、弁天様が池に浮かぶ島に祭られた様子を伝えているようにも見えます。
一般のプール施設はオフシーズンにはシャットアウトされますが、ここは水に入れないにしても近くを散策できる水辺の施設として提供されます(後述の池の改修時には、池のさかなをここに移したそう)。
プールに水が張ってあるだけですが、水辺の開放感をシーズンオフも感じさせてくれる空間で、冬場に氷の張る様子も一興かと思われます。
以前は池だったくぼ地ですから、風が無ければこれからの季節にはひなたぼっこに絶好の場所になりそうです。
入場料おとな800円(1時間につき300円)/こども300円(1時間につき100円)はちと高い気がしますが、皆さん利用法を工夫しているんでしょうね。
菊名池(Map)
江戸時代から利用されたかんがい用の池で、大倉山方面の大豆戸(まめど)村が水利権を持っていました(勢力範囲が結構広いので、その村が一帯の中心だったのか?)。
以前は上述のプールまで広がっていましたが、現在は半分ほどの面積になっています。
現在も各地の湖沼で問題視される、ブルーギルやブラックバス(釣りを楽しもうと放された外来種が生態系を乱し、在来種が激減した)は駆除され平穏を取り戻したものの、今度はハスの大繁殖が問題となります。
横浜市は秋口に、住み着いた水鳥たちを驚かさないよう、手作業で繁殖しすぎたハスの間引きをしています。
上写真はその後のさっぱりとした光景で、そのおかげでバンという鳥も定着しているそうです(この鳥を見られるのがこの池の自慢らしい)。
カルガモが子育てする姿や、カワセミも見られるそうで(写真の枝にとまるのかも)、近隣住民には「身近な自然環境」を楽しめる水辺のようです。
そんなくぼ地の斜面には、もうススキの姿が見られます。
近ごろの季節感では、ススキを目にする時季=乾燥肌で全身カサカサになるころなのですが、急に暑くジメジメした陽気が戻ったりするので今年はまだ軽傷で済んでいます。と書いた翌日に一気に来ました。
昨シーズンの使いかけのクリームが残り少ないことに気付き、あわてて買いに行ったりと。
以前は血がにじんでもなめて治したものですが、Macの白いマウスを染めるので、今晩からクリームを塗り手袋して寝ます……
上写真左側は菊名池、右側は富士塚(地名)に向かう坂道になります。
この坂の光景は映像等で目にした気がする、「おだやかな坂」という印象を受ける好きな場所です。
富士塚(富士信仰から、富士山に模して造られた人工の山や塚)の名称も久しぶりなので、痕跡があれば歩こうと調べましたが「バス停に残される程度」とあるので、この坂を上るのやめました。
ですが丘陵地ですし、富士山方面の見晴らしはよさそうなので、大豆戸村の有力者(大豆戸の勢力は強かったらしい)がこの地に塚を築いたかも知れませんし、反発する地元民に崩されたのかも知れません。
この後、バスで岸根公園へ行く予定でしたが路線を乗り間違えてしまいました。着いた先は西菅田団地で、横浜の原風景が残される菅田地区付近。
「これも散歩の楽しみ」と切り替えバスに揺られたものの、さっき来た道を戻るのでは興味も半減しただお尻が痛い印象だけでした……
■おまけ
連載ものを続ける間、三河湾の残像から「海行きてぇ!」の思いが尾を引いたので、掲載するつもりなく海辺をブラブラした際のものです。
2011.10.1
【神奈川県】
江の島(Map)
10月初旬にとても気持ちいい気候(日差しを浴びても汗をかかない)が続き、陽気に誘われ海を目指しました。
ところが江の島に着くころには雲が出てしまい、ちょっと不完全燃焼です。
片瀬海岸東浜(江の島へ向かう橋の鎌倉側)は海水浴シーズンを除くと、海辺をウインドサーフィンの連中が占領しています。
そこに割って入り、浜辺で体操をする年配集団を目にしました。
まさか、これから海に入らないでしょうが、多くの方が「年代的なポリシー」と思われる「(木綿らしき)白い体操着」を着ていますが、そんな統一感に「宗教集団?」の印象を受けてしまいます(ある意味、侵しがたい信念を持つ集団なのでしょう)。
2011.10.8
【神奈川県】
観音崎(Map)
今回の三浦半島観音崎では、晴天に恵まれ実に心地よい散策ができました。
岩場の海を歩きたい時、手軽な印象からよく来る散歩道なので目新しいものはありませんが、とても落ち着けた展望テラスが、前回は老朽化で立ち入り禁止(無視して入りました)とされたものが、撤去されました。
戦時中に造営された砲台の遺構上に設置された、たかだか2m程度のテラスなので、見晴らしを劇的に変える施設ではありませんが、そこから浦賀水道を行き来する船舶の眺めは、戦争の過ちの上に築かれた現在の平穏のありがたみを感じさせてくれました。
前回も触れましたが、ここだけに限らず各地にある主要な灯台を訪れる度、映画『喜びも悲しみも幾歳月』(1957年 木下惠介監督、佐田啓二、高峰秀子)を想起してしまいます。
灯台守は重要な任務とはいえ、戦時中は砲台の横でいつ爆弾が落とされるか知れない不安な日々を過ごしたことになります。
追記──やはり難航する「横浜ベイスターズ」買収問題
前回は勝手な願望を書きましたが、結局はDeNA((株)ディー・エヌ・エー:インターネット関連企業)が交渉中とのことですが、球団名の「横浜モバゲーベイスターズ」変更(これも勝手な報道かも知れません)には驚きました(プロ球団も宣伝材料であるのは確かですが)。
まるで、コンピューターゲームの中で「プロ野球チームを作ろう」と構想を練っているように思えてしまいます。
生身の選手を、ゲームのキャラクター的に扱い「キミはトレード」「ダルちゃんを高額で買いましょう」なんてやりそうなイメージがあります。
実際の交渉現場は分かりませんが、野次馬にも「バーチャル」な商売をする会社より「リアル」な仕事をする会社の方が「安心感がある」と思ってしまうのは、古い考え方なのだろうか?
そこにはlivedoorというお粗末な教訓があるのも確かです……
追記2
10月最後の週末、少し遅い時間だったこともあり、地下鉄日比谷線六本木駅では高校の学園祭にでも向かうような、奇妙ではあってもチープな扮装をした連中が群れてきます。
ハロウィンパーティに向かう扮装なのでしょうが、仮装大賞にエントリーしても予選で帰されるレベルで楽しめるのか? と思うのですが……
そもそも、趣味の悪い扮装が許されること自体、理解しかねます(全然愛きょうがない)。
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