2011.9.24
【神奈川県】
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横浜美術館(Map)
トリエンナーレとは3年に1度開催される美術展のことで、横浜では4回目となります。
前回の見学から3年たつわけで、わたしも大阪から戻って3年が過ぎたことになり、毎週末京都を歩いたことも、はるかな過去と自覚させられます。
今回の会場にはメジャーな横浜美術館が加わり、連休だったせいか入場券売場には100mほどの列ができていました(いつもはガラガラなのにちょっとビックリ)。
並びたくないので違う会場から見るかと歩き出すと、みなとみらいにあるトリエンナーレ案内窓口で入場券を入手できたので、そのまま戻りました(結局並ぶのと同じくらい時間かかったか? もっと計画的にね!)。
やはり美術館で展示される作品には「重み」が感じられ、時間をかけないともったいないと思うのか、普段の美術展のような渋滞がみられます。
わたしの見学態度は、パッと見てインスピレーションを感じない作品は素通りするので、人込みをすり抜けズンズン進んでしまいます。
以前の展覧会では、15分程度で会場を完全に「スルー」したことがあり、何にしに来たんだか? と、縁のないことも……
一般的な美術展では原則写真撮影禁止ですが、トリエンナーレでは撮影可の作品(みんなで楽しんでね!)が多いことも、足を運ぶ動機となります。
上写真は、電球自体が大きなガラスカバーのフィラメントとなるような照明器具(?)が、たくさんぶら下がる展示物です。
展示室は普通に明るいのですが、暗くするとガラスカバーに映る周囲の電球の様子がよく分かるので、写真を意図的に暗くしました。
何でも、電球のスイッチは世界各地の家の電灯と同期していて、各家の電気が消えた時に電球が点灯される仕組みだそう。
意味や状況は裏返しになりますが、ガラスカバーに映る明かりは、宇宙から見た地球上の明かりのように見える気がします。
この作品には各人に感じるものがあるようで、その場に滞留する人たちの空気には「まったり感」があります。
右上写真は、アクリル板と鏡で作られた迷路の真ん中に電話が置かれたオノ・ヨーコの作品で、不定期に彼女から電話がかかってくるそうです。
実際見学中に電話が鳴り出し、周囲の人たちがはやし立てますから、迷路内の人たちが慌てる様子も「作品の一部?」に思えますし、彼女と話ができた人たちには「実感できる作品」となったことでしょう。
美術館前には、12体のモンスターのような像(ウーゴ・ロンディノーネ作『月の出、東、』シリーズ)が並んでいます。(右写真)
その中で、最も身近に感じられ安心できそうな像を撮りましたが、中心に笑顔はあるものの、上部の2つの黒丸はモンスターの目ですから、口の中に笑顔があることになります。
エイリアンのようではありますが、わたしは新たな生命の誕生もしくは、再生(生まれ変わり)を表現しているものと解釈しました。
そんな意味などおかまいなしに、奇妙な像の周囲を子どもたちは走り回り、カメラポーズを取っています。
「キミ見慣れない格好してるけど、だあれ?」という本能的な接し方が、きっと正しいのだろうと思わされます。
われらオヤジ族は、生きるために「さまざまなフィルター」を身につけていますが、状況によってその外し方を習得できれば、人生もっと楽しめるのでは? と思ったりします……
ヨコハマ創造都市センター(Map)
ヨコハマトリエンナーレのもう一つの楽しみには、普段立ち寄る機会のない施設が展示会場とされるので、初めて建物に入る「ワクワク感」があります。
展示会場を固定せず、町全体を少しずつでもアピールしようとする姿勢が、横浜の町に対する理解を深めますし、町全体に協力の気運をもたらしています。
今回の目玉は右写真の「旧第一銀行横浜支店」です(中に入れると思ってなかった)。
みなとみらい線馬車道駅付近にあるこの建造物の低層部は、1929年に建てられた第一銀行横浜支店のバルコニー部分を移築(曳き家工法)し、その後方部分は形態復元され背後にそびえる高層ビルとつないで2003年完成し、2010年から「ヨコハマ創造都市センター」とされました。
ちなみに2階のバルコニー部分は飾りなんだそうです(右奧はランドマークタワー)。
この建造物には時代を超えたカッコ良さがありますが、そもそも「金集め」の飾りなわけで、現在では「マネー惑星」と化した資本主義社会に参画するための覚悟の表れだったのかも知れません。
横浜の町は、1923年関東大震災により壊滅的な被害を受け、港湾施設や倉庫など貿易港の重要な施設がすべて失われてしまい、横浜の経済は大混乱し金融機関も閉鎖されました。
復興が進み整備された土地に、現在も残る歴史的建造物が作られ始めたのは震災から2〜3年後のことで、ほど近い横浜第2合同庁舎(旧生糸検査所)は26年、山下公園前のホテルニューグランド本館は29年などがあります。
現在の震災被害地の様子からも、1〜2年で元に戻らないことは容易に想像できます。
地元からの要望は、国民誰しも早期実現を願うものですが、すべてを同時に進めることは不可能です。
現時点で求めに応じられるものは、希望を持てるビジョン作りとその段取り、そして日々の生活支援ではなかろうか。
復興まで協力しなければと国民は思っていますから、その気持ちを国の責任できちんと代行する際の「納得できる説明」をしてくれれば、国民は応援したいはずです。
前総理を悪者につるし上げたのだから、与野党の話し合いで前進できなければ「自分の首がかかっている」と思ってもらわねば、この国は被災地の地盤同様に沈むばかりと思えてなりません。(右は形態復元された内部)
美術展には毎回テーマがあり、今回は「OUR MAGIC HOUR─世界はどこまで知ることができるか?─」(身の回りにある、科学や理性では説明できない「世界の不思議」に目を向ける)というものですが、多くの作品の焦点が「生み出す力を探る」点に集まっているように感じます。
もちろん震災関連の展示もあるので、見る側の受け止め方によりますが、前回感じた「創造は破壊から生まれる」ゆえに「壊すことから何かを発見しよう」とする取り組みは皆無に見えます。
それは、すでに「壊された国」で表現するにあたり、破壊という行為は不要と受け止められたからでしょう。
被災国で展示される作品が、いかにこの国の見学者に訴えかけられるかを考えた結果、「周囲にあるものから生み出せるモノや、力を探る」という意図が込められたのではないかと思えます。
上写真は、梱包材の発泡スチロールを積み重ねたもので、生活に密着した家電製品等の身近な立体感の積み重ねが、社会を構成しているという表現は、とても興味深く感じました。
製品の凸部と梱包材の凹部がうまくはまらなかったり、異形の梱包材でもそれが無いと苦労しちゃうんだよな、等々色んなことが頭に浮かんできます。
上のペンギン同様どこかで見た気がする下のシマウマは、胴体部分がエアコンになっています。
現代美術展には、暴力的とも受け止められる作品があったりしますが、今回それが見当たらないことに芸術家の良心が感じられ、安心して楽しめる展覧会の印象を強く受けました。
確かに今回の開催を取り巻く状況は特別でしたが、今後も見る側が希望を持てるような展覧会にしてもらえると、野毛大道芸のように、町全体が盛り上がるイベントになるのではないかと、期待できるきっかけの年になったように思います。
追記──ジョブズなき今、iPhoneに求めたい機能
アップルの故スティーブ・ジョブズの遺作とされる新型iPhoneが発売され、好評のようです。
週末の終電近い混雑する電車内でも、女性たちは周囲にお構いなしでiPhone(みんなお決まりのようにiPhoneには驚き!)の文字入力に指を動かすので、高さ的にわたしの脇腹辺りを刺激します(わたしは仕事帰りです)。
そんな様子から、iPhoneにあったらとても便利な機能を思いつきました。
ジョブズが目指したのは「エンジョイ コンピューティング」なので別次元の話しになるが、「もしiPhoneに放射線測定機能があったなら」もっと早く縁の下の玉手箱(ラジウム)を発見できたでしょうし、あまりの反応に東京はもぬけの殻になっていたかも知れません……
放射性物質というモノは身の回りに存在しないと信じ切っていた国民意識は、いかにいい加減な「だろう」という想定に基づいて「安心感」を築いてきたことか。
それを反省し、次世代のiPhoneには「セーフティ コンピューティング」を目指すさまざまなセンサーを組み込み、身の安全を守るための機能が搭載されれば、身近に潜むまだ未知の放射性物質が入った宝箱(?)なども、あっと言う間に発見できるというもの。
現在そんな商品があれば「これは、売れまっせ〜!」(どこかに売り込みたいと思うも、もう動き出していることでしょう)。
これは、国や自治体に任せてられない不信感から、自衛手段を探りはじめた市民の危機意識の高まりなので、国や自治体への不満はレッドゾーンに突入して当然と思います……
追記2
原田芳雄の遺作となった映画『大鹿村騒動記』の舞台である、長野県大鹿村の国の無形民俗文化財「大鹿歌舞伎」が、映画公開による反響から、春秋1回ずつの定期公演が今秋初めて2回公演を行う盛況とのこと。映画を観た人からの問い合わせが殺到したため、それに応えたそうです。
映画は原田芳雄自身の企画だったことからも、「少しは返せたかな……」の、照れる姿が目に浮かぶようです……
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