2010/03/22

飛行場も作られた占領地──伊勢佐木町周辺

2010.3.13
【神奈川県】

 季節の変わり目というものは、どの季節でも気候が安定しません。
 でも今の時期には、春の嵐が来て黄砂が降ろうとも、それを受け止められる心の余裕があります。
 「季節変わりへの期待感」が最も大きいと思われるこのころは、多少大きな問題でも軽やかに飛び越えられる「明るい気分」があります。


伊勢佐木町周辺(Map)

 「ドゥドゥビ ドゥビドゥビ ドゥビドゥバー」って分かります?
 おまじないや、左卜全(ひだりぼくぜん:『老人と子供のポルカ』は「ズビズバー」)さんではなく、青江三奈『伊勢佐木町ブルース』(1968年)の一節で、ガキの時分よく口にした覚えがあります。
 それにしても、ガキが真似してもうまくできない「ア〜ン!」の吐息って、何だったんでしょうね?
 NHK出演時には、擬音に置き換えられたとありました。

 何と言われようが、伊勢佐木町の名を全国的に広めたのはこの曲ですから、記念碑やパネルがあるのも当然と思われます。
 でも、後継者は? に応えたのが「ゆず」で、すぐ脇に2010年3月にオープンする「CROSS STREET」という多目的スペースの名付け親だそうです。


 下写真は2008年に閉店された、伊勢佐木町のシンボルだった松坂屋です。
 赤いひさしが残され営業当時の面影もあるので「あれ、今日は休み?」と錯覚しそうな姿です。
 幕末に茂木惣兵衛が、前身である「野澤屋呉服店」を創業し、1910年(明治43年)現店舗付近に百貨店を開きます。
 当時の茂木家は、三渓園の原家と並び称される財閥を形成したそうです。
 関東大震災後に再建され、横浜大空襲では奇跡的に空襲を逃れますが、売り上げ低迷や、横井英樹の乗っ取り騒動を経て、1977年より横浜松坂屋となります。その際「ホワイトナイト」と表されたのは、かなりの好感度でしたが……

 閉店当時親会社が、現在の建物を解体し高層ビルを新築すると発表したところ、周囲から「歴史的建造物の景観維持」の猛反対を受けたため、閉鎖したままの状態で塩漬けにされています。
 反対意見の「無くなってしまうと、ほかの街と同じになってしまう」という視点を大切にしないと、個性を生かしたみらいは開けないと思います。

 建物前には、ここで路上ライブをしていた「ゆず」が、2003年のNHK紅白歌合戦で、この場所から生中継をした時の写真が飾られてあります。


 隣接する西館(同じ流れの外観)が、JRA(日本中央競馬会)の「有料会員制の場外馬券場」になってから、その賃料収入が安定したとあります。
 桜木町でも目にし「何なの?」と思っていました。
 ここは「エクセル伊勢佐木」という、1,000〜1,500円の利用料で座席に座りながら、地方競馬の馬券を買ってモニタ観戦できる施設なんだそうです。
 多少は、イギリス紳士に近い気分を味わえるのかも知れませんが、さっそうとした姿で歩く人は目にできません……

 以前は、横浜(というか神奈川県内)で本屋といえば「有隣堂」と、広く認知された本店が旧松坂屋の向かいにあります。
 少し前まで本を探すには、大きな書店が頼りでしたが、いまどきはネットで見つかりますから、生き残りも大変そうです(文房具コーナーは人気だそうですが…)。

 むかしは「ハマブラ」とか言ったのでしょうか?(イセブラだそう)
 伊勢佐木モールは、現在もにぎわっているように見えますが(地元の人は「むかしと比べれば格段に減った」と言うでしょうが)、少し大きな地元商店街にも見えてきます。
 早く対策を考えないと、風俗街に飲み込まれてしまうかも知れません。


 横浜の町並みについて、ガキ時分の印象と思うものに、繁華街に写真のような4階建て程度のコンクリートの建物が並んでいた(4階建てもむかしは珍しかった)という記憶が残っています。
 そんな時分に町を歩くわけもないので、おそらく小学校の社会見学等でバスの車窓から見たのではないかと思います(キョロキョロしてたんでしょう)。
 それは接収地返還後の町並み復興にあたり、空襲で延焼したことを教訓に、不燃化都市を目指した横浜市が、広い通り沿いを防火建築帯に指定したことによります(1958年)。
 「横浜ってスゲェなぁー」とキョロキョロしたことで、授業では教わらない(教わったこと自体を忘れたのか?)記憶が残っていることに、当時の社会見学も役に立っていたと、この年になってフォローしたい気持ちになりました。
 そんな建物群も、表には年代物の味がにじんでいますが、裏側など結構ボロボロだったりします。
 老朽化した町並みの再開発を機に、繁華街の環境浄化を進めてもらいたいと思います。


 敗戦後、軍関連施設が占領軍に接収されるのは当然の話ですが、横浜は町全体(伊勢佐木町から港にかけて、中華街と県庁付近をのぞくほとんど)が接収されました。
 港町の利便性から、占領統治のベース基地とされたため、敗戦(1945年)〜占領終了(1952年)までの間、町の機能は失われていたそうです。
 当時の写真で印象的なのが、福富町付近に建てられた「カマボコ型兵舎」と、若葉町付近に伸びる滑走路です。
 滑走路は、旧横浜日劇(以前映画『私立探偵 濱マイク』等の舞台とされた。現シネマ・ジャック&ベティ)付近にあったようです。
 軍隊とは「必要なものを必要な場所に作る」ことを理解していても(日本軍も占領地でやったことでしょう)、横浜に飛行場を作るという発想すら持たないわれわれは、かなりのショックを受けます。
 突然米軍がやって来て占領されれば、反感もあるわけで、スキを見て滑走路を突っ切って伊勢佐木町に映画を観に行った、なんてコメントを見かけたりすると、基地周辺に暮らす沖縄の人々と同様のバイタリティを感じたりします。

 返還後は、町の姿をできるだけ以前の形に戻したそうですが、そのスキをヤクザ者が狙っていたような印象を受けます。
 時間は経過していますが、若葉町の通り(現シネマ・ジャック&ベティ前)はエスニック通りと化し、韓国・タイ系の飲食店が多いばかりか、住民も海外の人が多いようです。
 下写真の、福富町仲通の飲食店街では、韓国料理店が圧倒的に強く、ミニコリアタウン的な町になっています。
 また、古くからのチャイナタウンとは了見の違う中国勢の触手が伸びています。
 以前暮らした土地に、元の住民が戻ってこられない理由はさまざまとは思いますが、その結果がこれでは「横浜市は何をやってきたんだろう?」と感じざるを得ません。
 はて、誰に占領されたのでしたっけ?


 そして、現在横浜の風俗産業の中心と思われる福富町です。
 おそらく黄金町と「川をはさんだ縄張り争い」をした地域と思われます。
 近ごろでは、目を付けられた川向こうから流れてくる女性もいるでしょうから、一層濃くなっているのかも知れません。
 「一見さんは福富町にひとりで飲みに行ってはいけない」と目にしたので、狭い路地には入れませんし、昼間っから黒服のお兄さんが声を掛けてきますから、現在横浜で最も怖い町かも知れません(イエイエ、まだまだ……)。
 福富町は、伊勢佐木モールの北側に当たりますが、南側には「親不孝通り」なるものが存在し(博多にある同名の通りが印象に残っていますが、各地にありそうです)、ポツポツ風俗店が点在しながら西側の曙町に続きます。
 2009年5月には、韓国人の売春婦が30人検挙される等、アジア系の「遠征売春」が急増しているんだそうです。
 それは国際的都市というよりも、単なる「ヤクザ者がはびこる田舎町」という印象を受けます。

 そうか!(目からうろこがポロリ) 博覧会好きでアピールしたがる本音は、横浜市は現在も「非文化都市」の負い目を感じていて、香港や上海と同じレベルの「発展途上都市」を自認していることの表れかも知れない、と……
 ですが港町の治安維持は、一般的な都市とは比較にならないほど大変で、「あぶない刑事」等が活躍する下地がある、ということかも知れません。


 地域住民には、最も改善して欲しい場所ではないかと思った公園です。
 収入が期待できる地下駐車場の地上施設のためか、ままお金がかけられていて、市街地では珍しく3階程度の高さからの滑り台があり、子どもに人気があります(上写真は別施設。後方の看板は風俗店)。
 しかし、どこもホームレスの仕業と思われるゴミだらけで、おまけに階段では汚れた腹を日光浴しながら昼寝していたりします。
 お母さんは行きたくないのに、子どもがせがむのでイヤイヤ階段を上がっているように見えます。
 横浜市の職員はそんな光景を見ても、何も感じないのだろうか?

 2010年11月に「APEC(アジア太平洋経済協力)首脳会議」が開かれるんですから、それまでに環境整備しておかないと、海外のニュースにそんな映像が流れちゃいますよ。
 そこで「アジアの国々と同じ問題を、われわれも抱えているのです」と、ケツをまくる覚悟があるのなら、その勇気は評価できると思いますが……

2010/03/15

バイバイ、売春──日ノ出町、黄金町

2010.3.5
【神奈川県】

 町に定着した「負のイメージ」は、これまで見ぬふりをしてきた行政側にも責任があると思います。
 キャンペーンコピーのようなタイトルですが、地域住民の切実な願いを応援する意思表示でもあります。
 だってむかしは、とても怖い町だったんですから……


日ノ出町、黄金町(Map)

 まずは、日ノ出町駅前で軽く肩ならしを。
 桜木町方面から野毛山動物園へ向かうバスは、建物前の交差点を大きく右折します。
 以前バスの車内で女の子が、見上げる子どもの視線で上部だけが見えたのか「ストリップ!」と声を上げ、車内が失笑に包まれた記憶があります。
 堂々とした劇場ですから、条例等には従っているのでしょうが、それだけでは片付けられない問題があります。
 学校帰りにその前を通る子どもたちを目にし、すみ分けできないものか? と書こうとした時、ガキ時分の様子を思い出しました。
 当時隣駅(町田)には、ポルノ専門の映画館があったため、市中にポルノ映画のポスターが堂々と貼られていましたが、現在ではあり得ない状況です。
 いくらガキでも男子たちは、PTAが抗議するポスターの前で仲間たちと騒いでいたような記憶があります。
 大人たちが言うように、そんなポスターが無ければ、わたしもさぞかし「健全な大人」になったのだろうか?
 大人となりそんなことは棚に上げますが、現代のネット情報を「のぞき見る」状況には、どうも湿っぽさを感じてしまい、何らかの対策が必要などと、PTA的な発想になったりします。
 いつの時代も、大人の心配をよそに子どもたちは「ハイハイ、健全な大人を目指しま〜す」なんて思ってないでしょうが、外から見ていると今どきの子どもたちは、とっても危うく見えてしまいます……

 さて本題です。
 ここは、京急日ノ出町〜黄金町(こがねちょう)駅間のガード下になります。
 黄金町付近は、第二次世界大戦の空襲で壊滅し、米軍に接収された横浜中心部の周縁地に当たるせいもあってか、戦後はヒロポンや麻薬の密売所、非公認の特殊飲食店街(青線地帯:関東屈指の規模)になり果てます。
 ──「青線」とは、1956年(昭和31年)施行の「売春禁止法」で売春が公認された「赤線」に対し、非公認の地域を指したもの。

 脇を流れる大岡川を境界とした、密売組織の縄張り争いが頻発し、警官も身の危険を感じる程の地域だったとか。
 そんな地は、黒澤明監督の映画『天国と地獄』(1963年)で「地獄」の舞台として描かれました(再見したら気持ちが沈みました)。
 
 10年以上前ですが、この地を歩いた際のインパクトが強く、昼間でさえ二度と近づくまいと思っていました。
 風紀の乱れたこの地も、開発の波に取り囲まれたようで、近年、町内会やPTAを中心とした「初黄(はつこう)・日ノ出町環境浄化推進協議会」が発足し、地域、警察、行政の連携が生まれます。
 2005年からは神奈川県警の「バイバイ作戦」(24時間警官監視)がスタートし、違法営業店舗は次々と撤退し売春が一掃されたことを知り、その後の様子を見たく足を運びました(確かに警官が立っています)。

 右写真の並んだ室外機は、その数だけ個室があることを示しています。
 「ちょんの間」と呼ばれる売春施設で、ウナギの寝床のように仕切られ、寝泊まりしながら客を取る部屋が、長屋風に作られています。
 一眼レフカメラを買ったばかりのころ、モノクロ写真を撮りたくて野毛山動物園から下り、何も知らずにヒョコヒョコ路地に入ってビックリ、ドッキリ!(関東屈指の存在を知らないというのが、ウブだよね)
 まだ明るいうちから、ロシア系(?)のおばさんたち(お姉さんではない)が、ホットパンツ(ってもう死語?)で口々に「1万円」と手を差し伸べてくるし(他の日本語知らないのかよ?)、路地には黒い服のおっさんが何人も立っているし……
 狭い路地では逃げられませんから「ヤベッ、挟まれた…」と、結構ビビッた記憶が残っています。
 もちろん当時は写真を撮る余裕もありませんが、現在はひさしの下に干し物が見える部屋以外は使われてないようです。

 地元系新聞のサイトで見つけた表現に(無断転載できないので要約)、「セクシーな衣装の女性たちが道ゆく男を誘う街の情景は、アムステルダムの「飾り窓」のようでもあり、良くも悪くもハマの風物詩となっている」というのがありました。
 締めに「近隣住民にとっては迷惑千万」とありますが、地元民の間では周知の事実であったとしても、これが新聞に掲載されたと考えると、ちょっと品性を疑いたくなります。
 それほど昔の記事ではないのですが、時代背景の違いということなのだろうか。

 やがて「バイバイ作戦」の警官が立ち始めると、まず客がいなくなるんでしょうね。次第に女性たちも立ち去り、人通りも少なくなり、そして町には誰もいなくなった(この町は何だったんだ?)、というのが現実のようです。
 確かにゴーストタウン化したとしても、健全性を取り戻したのですから、これからが地域住民・行政にとって町作りのスタートになります。
 地獄(古い話を蒸し返すなと怒られそう)からの再生を目指す「みらいビジョン」に期待しています。

 上の建物から、寺山修司監督の映画『上海異人娼館/チャイナ・ドール』(1981年)を想起しました。
 映画には退廃的な雰囲気がありましたが、そこまで連想できなくても、中国料理店だったようには見えませんよね?


 上写真はガード下に展示されている、近隣の子どもたちの希望を絵にしたものです(真ん中が大岡川で、両脇は桜並木)。
 川の両岸を埋め尽くす桜は理解できるのですが(大岡川の桜はキレイです)、川の流れに込めた思いが、何だかゴミが浮いているように見えてしまいます。指導した先生、どう思われます?

 行政側が重い腰を上げた理由について「2009年(平成21年)の横浜開港150年までに一掃することを目指しています」とありました。
 東京オリンピックで野毛を整備した時と同じ動機であることに、行政はきっかけがないと動かないことを、復習させられた気がします。

 しかし、売春は「人類最古の職業のひとつ」と言われるほどですから、これでめでたしになるとは思えません。
 川を渡ると、公認の(?)組織的な営業が盛んで、ビルの入口に黒いスーツのお兄さんが立っています。
 以前縄張りを争った川の対岸については、また次回にでも(それを追っていると切りがなさそう……)。

2010/03/08

にぎわいを取り戻せるか?──野毛(桜木町)

2010.2.28
【神奈川県】

 これまでの横浜散策では、みなと「みらい」という命名にこだわりましたが、今回からは、みらいから取り残されながらも、繁栄していた「過去」の面影を継承する町並みの「現在(いま)」を歩きます。


野毛(桜木町)(Map)

 東横線の横浜〜桜木町が廃止され、みなとみらい線に接続したので、人の流れが埋め立て地側(みらい側)に移動してしまい、昔からの繁華街である野毛一帯からは「にぎわい」が失われつつあります。


 上写真はどこの歩道か分かります?
 ここは、ストリートアート(落書き)で有名だった、旧東横線の桜木町の高架下です。
 壮観としか言いようのない数と、幾重にも塗り重ねられ、歴史(?)すら感じさせる絵の並んでいた壁が、真っさらにリニューアルされており、かなり驚きました。
 2008年08月から、東横線の高架部分を遊歩道にする整備工事が始まり、柱や壁面の補強工事のため、数々の絵たちは撤去されました(ゴミとされたんでしょうね)。
 「もう落書きしちゃダメよ」と言われて、誰も描いていないお行儀の良さには、とてもすがすがしさを感じます。
 でも結局、排気ガスで真っ黒になっちゃうんでしょうに……
 落書きのルーツは、1970年代に壁画アーティストが、白いチョークで絵を描いたのが始まりだそうですから、薄汚れたころに復活するかも知れません。


 桜木町駅には何度も来てるのに、存在すら知らなかった「鉄道発祥の地 記念碑」を見つけました。かつてここに日本最初の駅舎がありました。開通は1872年(明治5年)。
 当時は、横浜ステイションとされ、品川ステイションとの間を35分かけ(馬車だと4時間)、1日9往復していたそうです。
 横浜〜品川間はテスト運行で、新橋までは53分かかりました。現在乗り換えを含め29分ですから、それほど遅くない気がします。
 料金の高さは以前もふれましたが、下等料金でもそば100杯分相当だそうです(前回はカゴの運賃との比較でしたが、この方がイメージしやすい)。
 現在の立ち食いそばを300円程度と考えれば、3万円ですから、新幹線のぞみの自由席なら東京〜博多が2万円程度ですし、飛行機でも格安チケットなら沖縄往復できそうです。
 当時は、発車時刻の15分前までにステイションに来ることを求めており、現在の飛行機のような感覚だったようです。

 現在JRで使用されている軌道規格(2本ある線路の間隔:ゲージ)は、この時点で決められましたが、東京を走る主な鉄道のゲージには、3種類あることご存じだったでしょうか?(わたしは調べるまで、下記の上2つを同一と思っていました)
 ●欧米の標準規格とされる1,435mmあるのは、新幹線、京浜急行、京成、地下鉄丸の内、銀座線等──どう考えても正しそう。
 ●東京オリジナルとされる1,372mmが、京王、地下鉄新宿、都電、東急世田谷線等──東京の馬車鉄道に由来する、以前の市電規格。
 ●本記述の動機となった1,067mm が、JR在来線、東急、小田急線等──上述の横浜〜新橋に採用された規格を継承している。
 ──ちなみに鉄道模型で耳にする、Nゲージ規格はレール間隔が9mm。

 明治政府発足当時は予算の無い時期ですから、当時の判断としては現実的だったのかも知れませんが、大隈重信(新政府財政担当)は狭い軌道を選択したことを「一世一代の失策」と後悔したそうです。
 やはりレール間隔の広い方が、安定したスピード走行は可能になりますが、急カーブを作れない等の制限もあり、多額のお金が必要になります。
 もし、直線性が要求される広い軌道を全国に敷いたなら、小回りが必要な山間部・海岸や港湾地域を含め、日本列島のイメージも現在とは違うものになっていたかも知れません。
 でも、関西の私鉄はほとんど広い軌道でしたが(近鉄、阪急等)、だから有利と思える面は「スピード出すなぁ」(京浜急行が速いと感じる程度)くらいだったような気もします……


 野毛は桜木町駅の陸側に広がる飲食店中心の繁華街で、背後に迫る丘陵の上には野毛山動物園、市立中央図書館や県立図書館があり、自治体としては文化的施設を置いて、好感度を上げたい土地柄だったように思えます。

 陸蒸気(おかじょうき──蒸気機関車の俗称。蒸気船は「蒸気」と略された)の開通や港湾施設の整備が進み、現在のランドマークタワー付近にあった造船所などが活況を呈した時代には、町もにぎわったと思われますが(氷川丸はここで建造されました)、第二次世界大戦で壊滅的な被害を受けます。
 戦後(1945年)、港を中心とした市街地のほとんどを進駐軍に接収されたため、接収をまぬがれた野毛に人が集まり、闇市や露店が密集します。
 そんな時代に登場した美空ひばり(磯子出身)の、デビューの場となった横浜国際劇場(現ウインズ横浜)や、12歳で映画初主演した『悲しき口笛』(1949年)の舞台となったこの地からの声援は、復興への希望だったことがとてもよく分かる気がします(時代が求めたスタアだったようです)。

 JR桜木町駅からは「野毛ちかみち」という地下道が近道になります。
 ──その名称は「近道」と「地下道」とをかけている。という説明があったので、よく分かってますと思いつつも、乗っかってみました。


 上写真2枚は都橋商店街という、川のカーブに沿って建てられた長屋的な飲食店街で、「ハーモニカ横丁」とも呼ばれる野毛らしい建物です。
 東京オリンピック(1964年)開催に伴い、街並みの美化(汚いものを隠す)が進められ、付近で営業していた露店や屋台を、建物に収めるために作られたそうです。
 何で東京オリンピックが横浜に関係あるのかというと、バレーボールの競技を横浜文化体育館(1962年建設)で行ったことによります(当時は東京周辺でも約5000席の客席数を持つ室内競技場は少なかったため)。
 海外から訪れる観客や取材陣には見せたくない「現実」(北京五輪同様の状況だったのでしょう)が広がっていたようです。
 東洋の魔女(女子バレーボール金メダル:もう知らない人もいるよね)がここで試合したことを書こうと調べていたら、プロレスの力道山(1924年〜1963年)もここで試合したそうで、ちょっと驚きました。
 どうも関心の向く話題が古すぎてゴメンナサイね。今度、体育館の外観だけでも見てきます。


 ここで開かれる「野毛大道芸」は、町の活性化のため1986年に始まったイベントで、現在では、春(野毛大道芸)、夏(夏の陣!)、秋(オータムフェスティバル )の年3回開催されています。
 現在横浜市の中では、観客動員数最多のイベントなんだそうです。
 みなとみらいで見かけたパフォーマー同様、観客を楽しませようとする人たちが乗り込んで来ますし、観客たちも一緒になって盛り上がる「一体感の輪」の楽しみ方を知っているのだと思います。
 「お代は見てのお帰り」(入場は自由、でも帰りに払ってね→「金返せ」への対抗手段)と言うか、基本的に入場料も払いようがありませんから、チップ制と思うので、ハシゴしてもそんなにお金は掛かりません。
 きっと楽しいイベントだと思うのですが、何せ狭い路地に大勢の人が押し寄せるので、大変な混雑(まさにお祭り)になりそうです。
 2010年は4月24〜25日に開催されます。

 とても素晴らしい町おこしですし、イベントをここまで育てるのは大変だったことも理解できますが、外から芸人を呼ぶだけでは、町の発展につながらないのでは? と思ったりします(サーカス用品店を1軒目にしましたが)。


 上写真の「横浜にぎわい座」は、2002年に開場した大衆芸能施設で、館長は先日亡くなられた玉置宏(たまおきひろし:川崎市出身)さんでした。
 落語家の桂歌丸さん(横浜在住)が、以前から盛んに応援していましたが、近ごろの落語ブームもあってかホームページには「完売御礼!」の文字が並ぶ、盛況のようです。
 先日の歌丸さん無事退院の知らせは何よりでしたが、後継者を育てないと本当のぎわいは取り戻せないようにも思います。
 歌丸さんは「おかげで、わたしゃいつまでも逝けないよ!」なんて言うんでしょうね。

 こんなにも「昭和」から活躍した人たちの名前が登場するとは、自分でも驚きました(だから「過去の町」?)。
 みなとみらい地区をいくら掘り下げても、出てくるのは泥や石だけです。
 たかが150年でも、ここには確かに「庶民文化の歴史」が刻まれているように思えました。

 現在関内駅前にある横浜市庁舎が、建物が手狭、老朽化および耐震性等の問題で、桜木町・馬車道付近(日本丸付近から大きく「帝蚕(ていさん)倉庫」の文字が見えた倉庫跡辺り)に移転する計画があるそうです。
 そうなると、野毛・桜木町は喜んでも、すでに陥没している関内はどうなっちゃうんだろうか?
 それこそ「自転車操業的みらい志向」と思える横浜市の、腕の見せ所になるのかも知れません……

2010/03/01

ほのかな早春の香り──三渓園

2010.2.20
【神奈川県】

 2月の東京は、雪のちらつく日が多かったので、寒さを一層印象づけられましたが、下旬には「記録的な暖かさ」が訪れ、桜も咲きそうな陽気に、ひと息というか、一汗かいたのではないでしょうか。
 季節としてはまだ早春ですから、今回のテーマは梅になります。


 三渓園(Map)

 三渓園(横浜市本牧)の紹介はこれで3回目(夏、紅葉)になります。
 神奈川県には、このように大きな庭園施設は皆無ですし、季節ごとの手入れも行き届いているので、機会があれば足を運んでしまいます。
 でも、本牧一帯はとても不便な場所で、横浜の陸の孤島と言われたりします(クレイジーケンバンドの横山剣は「本牧は車社会ですから…」とも)。
 みなとみらい線の延伸計画もあるそうですが、反対運動等でもめているらしく、凍結状態だそうです。どうするんでしょう……


 梅の名所は数々ありますが、ちょうど電車の中刷り広告で「観梅会」なるものを目にしたので、誘われるままに足を運びました。
 梅の楽しみ方には、桜のように「こぞって満開を迎える」迫力とは違った「風情を味わう」楽しみがあると思います。
 花見の対象とされる花には歴史的変遷があり、平安時代初期まで梅だったものを、平安貴族が桜に切り替えていったそうです。
 時代のイメージとしても、奈良時代までが清らかな「梅」とすれば、平安時代は華やかな「桜」に例えられますし、江戸時代以降のお祭り騒ぎの「ソメイヨシノ」への変遷は、とても納得できる印象があります。

 ここは、明治時代に製糸業で富をなした原富太郎(三渓)の邸宅でした。
 日本初の器械製糸工場である富岡製糸工場(群馬県富岡市:教科書で習いました)を、官営→三井家から受け継ぎ富を得ます。

 嫌みな表現をすれば、金にものをいわせて関心のある古い建築物を買いあさったと言えますが、現在でもきちんと整備され使用に耐えていますから、建設に携わった当時の職人や、持ち主も喜んでいると思われます。
 茶室や別荘を買い取る程度なら分かりますが、仏塔(三重の塔)まで移築するのですから、ちょっとレベルが違います。
 また、そんな建築物をきちんと据えられる広い土地を用意できるなんて、庶民感覚とは別次元の世界です。


 上写真は、織田有楽斎(うらくさい)によると伝わる茶室です。彼が建てた「如庵」という茶室(現在愛知県で保存)は、国宝なんだそうです。
 有楽斎は織田信長の弟(信長は次男、有楽斎は十一男)で戦国武将ですから、武勇伝も伝わりますが、千利休に茶を学び、独自に開いた流派(有楽流)の祖として知られています。
 「織田家」のひびきからは、茶道の家元よりも、アイススケートの織田信成選手の「やんちゃさ」の方が、しっくり感じられる気がします。

 三渓園の素晴らしさは、大きな建物(古くからの木造と思う)は会議・パーティ・結婚披露宴に、上下写真のような茶室は小規模な茶会に貸し出すなど、移築した建築物を現役活用しているところにあります。
 上写真の沓脱石(くつぬぎいし)脇に、草履等が見えると思いますが、この室内では茶会が開かれているようで、中から笑い声が聞こえてきます。
 そんな談笑も、破顔を隠してくれる簡素な小屋のおかげで、上品さが感じられます。

 有楽斎の名から連想しがちな、有楽町の地名との関係ですが、彼が江戸に住んだという記録はないそうです。


 ウグイスの声は耳にできませんが、池のほとりで丸々と太ったスズメたちを目にしました。
 この辺りはエサが豊富なんだろう、と思っていたのですが、ひょっとすると繁殖の季節が近いのか? と、調べると、やはり春が繁殖期のようです。
 都市部でも多く見かけますから、巣は身近にあるはずなので、どんな所にあるのか見てみたい気もします。
 スズメは鳥獣保護法で狩猟鳥に指定されているので、捕獲可能だそうですが、食用のスズメは主に中国・韓国から輸入しているそうです。若い時分、話しの種に食べたことありますが、いい印象は無かった気がします。
 スズメのお宿(何で竹林にあるイメージを持ってるのだろう?)の話題にするつもりが、これでは恨まれそうです……

 暦では立春を過ぎた「春」になりますが、雪も舞う寒い日に漂う「香り」は、鳥や人の生命力を刺激してくれます。
 待ってましたと、飛びつきたい「衝動」にかられるのは、本能なのかも知れません(別名に春告草(はるつげぐさ)があるそうです)。
 梅の香りというのは不思議なもので、近くに花が無くても香るかと思えば、近づいてもイメージしている香りがしなかったりします。
 先日、梅の香りは咲き始めに漂う、と目にしました。
 ほのかな香りに「春への期待感」を感じられたなら、その年の儀式は済んだとされ、最初の感激はもう得られないのだろうか?(まさか免疫ができてしまうことはないでしょうが)。

 天満宮(天神様)で見かける梅の紋章は、どこか古くさくシンプルすぎる印象もありますが、実に分かりやすい図案と思います。
 初めて訪れる神社で、この紋章を見るとなぜかホッとしたりします。
 他の神社を怪しく思っているわけではありませんが、天神様への祈りには善意というか、願い事にも悪意が混在しない、純粋な信仰対象ではないかと思ったりするのですが、そんなに単純なものではないのか?

 「もうすぐ、は〜るですねぇ!」(東京でも春一番が吹きました)と、心の準備は万端なので、春の雪に気をつければ(津波も注意です)、季節だけは「春」がやってきます…… ?
 「さくら」関連の楽曲が多い昨今ですが、『春一番』的な春への期待感を込めた曲を作ってもらえると、心情的にはとても励みになると思うのですが、いかがでしょうか?

2010/02/22

ちょっと窮屈な──横浜駅周辺

2010.2.14
【神奈川県】

 メディアはすっかり冬季五輪モードなので、扱いが小さくなったプロ野球では、オープン戦が始まっていたんだと、後から気付いたりします。
 常々思うのは、プレシーズンなんですからいくら活躍し注目されようが、本戦には関係ないわけですから、そんなに盛り上げなくてもいいのに、と。
 とは言え、雪や氷の絵ばかりでは、季節感が一向に進みません。
 プロ野球のキャンプやオープン戦の情報には、「季語」に近い季節感があることに気付かされました。


 横浜駅(Map)


 横浜駅の上には「あぶない刑事」の2人が走って来そうな跨線橋が、まだ現役で残されています。
 地下道が整備されたので、取り壊されてもおかしくないのですが、人気があるようで、週末には人影が途切れません。
 古い構造物(昭和初期にはあったそう)なので、架線スレスレに作られていて、電車の屋根に手が届きそうな臨場感が人気のようです。
 アクション映画のように、電車の屋根に飛び乗れそうな距離ですが、ここでのアクションが似合いそうなのは千葉真一では? と思ったりしました。
 ちと古めですが、そんなイメージの構造物です。

 下写真の中央に真っすぐ続く東海道線の2本の線路は、まさしく「本線」という存在感で、右の横須賀線、左の京浜東北・根岸線は格下扱いのようにも見え、なるほどと納得できる構造となっています。


 日本初の鉄道路線である新橋~横浜の横浜駅とは、この辺りではなく現桜木町駅だそうです(今度歩いてみます)。
 明治政府樹立(1868年)から4年後の1872年に開業したのですから(イギリスの技術協力による)、当時の人は驚いたでしょうし、時間感覚がせわしない方向に進み始めたのは、その時だったように思えます。
 開業当初の運賃設定を、上等(現在のグリーン車か?)は同区間の早カゴ料金、下等(普通車)は並カゴの料金と同等にしたそうで、それがサービス差別化の原点というか、他に基準が無いための試行錯誤であった様が、とても伝わって来る気がします。
 それでも庶民には高かったようで、利用者数は伸び悩みます。そこで料金を半額にしたところ、2年目には売り上げの50%弱程度が利益となり「鉄道は儲かる」との認識が広まり、近代国家への車輪が回り始めたようです。
 ──「料金半額」に客は殺到しても、そのまましぼんでしまう現代のデフレ社会とは、社会が秘めたポテンシャルの違いは明らかです。

 右写真は、東横線の廃線部分に残る鉄橋です(横浜〜桜木町を廃止し、みなとみらい線に接続)。
 それに伴いホームも地下化し、渋谷方面の反町(たんまち)への線路跡とトンネルを遊歩道化する工事が行われています。
 この春には完成するようなので、歩いてみたいと思います。
 前後しますが、右の桜木町への高架線路跡にも整備計画があるそうなので、楽しみにしています(あまり景色がいいとは思えませんが)。

 旧国鉄横浜駅は、時代の要請に伴い何度も場所が変更されますが、結局東横線の駅が先に作られていた現在の場所に落ち着いたそうです。
 現在横浜駅には6つの鉄道事業者が乗り入れており、その数は日本一だそうです(JR東日本、東急、京急、相鉄、市営地下鉄、横浜高速鉄道:みなとみらい線)。


 正面が東口の駅ビルで、右の平坦な建造物がホーム方面になりますが、狭い場所を有効活用というか、無理やり機能を詰め込んだ印象すら受けます。
 地下のロータリーはタクシーと一般車。地上の道は箱根駅伝で走る国道1号線。わたしが立つのは2階の歩道橋。その上に高速道路が2段重なっています(こんな場所にジャンクション作らなくてもいいのに)。
 これまで歩いてきた埋め立て地(みなとみらい方面)は、ゆったりと土地を利用していたせいか、駅周辺にはとても窮屈な印象を受けます。
 横浜という土地柄は、周囲から丘陵地帯が迫っていて平坦地は狭いので、土地事情からすれば広い土地が欲しかったはずなのに、埋め立て地は港湾施設や工場用地に回す等、産業主体の運営が続けられてきました(神戸も同様)。
 そんな経緯からも、商業・住宅地域として使えるみなとみらい地区への期待が大きかったことは、とてもよく分かる気がします。

 そして今度は「エキサイトよこはま22」という計画で、駅周辺の整備をするらしく、ホームの上方への立体利用、河川へのシーバスの乗り入れ、水上飛行機の発着駅整備(どこに着陸するの?)等々の、構想があるそうです。
 しっかし、お金のある自治体だよねぇ。
 みなとみらいの土地を完売して住民を集めれば、何でもできるってか?
 まあ、「夢を追ってまい進する町」(わたしの創作)でもいいですが、資源は「人」しかないことを、忘れないで欲しいと思います。


 上写真はそごうの駐車場になります(夜景だったか? こんな構図のプロ写真見覚えあります)。
 百貨店氷河期の近ごろでも週末は大にぎわいで、店舗面積が広い(1985年開業当時は東洋一の売場面積)こともあり、買い物客が押し寄せてきます。
 わたしも買い物に来ますが、やはり「フロアが広い=品ぞろえが豊富そう」とのイメージがあります。
 一方、駅の反対側にある高島屋には「高そう」なイメージがあるので、立ち寄ったことありません(新宿の高島屋には入るのにね)。
 「お金を使いたいおばさまたち」を相手にイメージ作りしたのですから、相手にされないわれわれが近寄らないのは当然(百貨店不況は自業自得)です。
 でも、そごうのような「売場の広さ」には、並の庶民にも「買えるモノがあるかも?」と、思わせる集客力があると思います。

 右写真は港をめぐるシーバスの、横浜駅東口発着場がある横浜ベイクォーター(ショッピングモール)です。
 だだっ広いそごう駐車場だった様子しか知りませんが、以前は三菱系列の倉庫で、現在も系列会社が管理しています。
 海運から始まった三菱グループが、主要な港周辺を押さえていったことは理解できるところです。
 ランドマークタワー周辺は旧横浜駅(現桜木町)や新港ふ頭に近く、ここは現横浜駅に近い土地柄ですから、そんな場所を買い付けた判断には先見性が感じられます。

 ドラマに毒されている感もありますが、近ごろ三菱の名からは、岩崎弥太郎(三菱財閥の創設者→『龍馬伝』の香川照之)を想起してしまい、香川・弥太郎が「見たか龍馬!」と、豪快に笑っている絵を思い浮かべてしまいます(これ、まさしく術中です)。
 岩崎弥太郎という人物に対するイメージは、人それぞれでしょうが、ドラマ作りにおいては実に魅力的な人物造形と、楽しんでいます。


 堅い絵(鉄やコンクリート)や話題ばかりだったので、柔らかいネタ(?)をひとつ。

■今週のGirls' Talk
 横浜駅近くの上島珈琲店、午後4時過ぎ。
 大学生 or 専門学校生らしき3人組の話しは突然、彼氏自慢に移り……
A子「ルックス的にB子は無理だけど」
B子「メガネ系?」
A子「そう。でも、うまいの」
B子「?」
C子 理解している様子。
A子「長いの」
C子 大ウケ。
B子「何それ、気持ちいいの?」
A子「気持ちいいの」
B子、C子 奇声。
A子「B子も試してみたら?」
C子「でも、A子気に入ってるんじゃないの?」
A子「うん。手放せない感じ……」

 年ごろの娘さんを持つオヤジたちが聞いたら、卒倒しそうな内容です。
 「親の顔が見たい」と思っても、知ってる顔が出てきたらどうしよう、と思ったりもするので、もうやめにします……
 でも、Girls' Talkとは、こういう話しのことなんですよね?

2010/02/15

「みらい」の作り方──みなとみらい

2010.2.6
【神奈川県】

 冬季五輪バンクーバー大会が始まりました。
 大会前のインタビューや、開会式の入場行進でとても目を引いたのが、スピードスケートの岡崎朋美選手の、精悍(せいかん)な表情です。
 以前「朋ちゃんスマイル」と取り上げられた笑顔は、現在もすてきですが、思いを語るときの目には、獲物を狙うような鋭さや迫力が感じられます。
 近ごろなかなか感じることのない「カッコ良さ」だと思いました。
 冬季五輪は往々にして、不完全燃焼で終わってしまうので、応援しましょう。


 みなとみらい(Map)

 みなとみらい地区で最もにぎわうのが、ランドマークプラザ(タワーの低階層部分)や、みなとみらい駅直結のクイーンズスクエア周辺になります。

 「さっきと違う人がやってる」という子どもの声が聞こえました。
 これは、JR桜木町駅反対側の野毛地区で開かれてきた、「野毛大道芸」という催しの流れと思われますが、ウォーターフロント地域にも定着しました(山下公園でもやってます)。
 この辺りではドック跡付近と、アット! 付近で行われ、スケジュールも決められているようで、組織的な芸人集団みたいです(ヨコハマ大道芸が近い気がします)。
 野毛大道芸とは違うみたいですが、イベントの開催日(4月17〜18日)は、野毛のイベント開催日(4月24〜25日)に近く、海外(遠方)からの参加者への配慮として、調整しているようです(両方に参加する方もいそうですね)。

 みなさん芸はもちろんのこと、口も達者なので、いっとき彼らに付き合ってみても楽しいかと思います。
 最後には、観客を含めた小さな輪の、一体感を味わうことができます(上写真では、観客の女性が参加しています)。


 パシフィコ横浜(国際会議場・展示ホール・ホテルの複合施設)には、展示会見学に何度か足を運びましたが、中でも「ロボットの展示会」がとても印象に残っています。
 ちょうど、ASIMOや踊るロボットが注目されたころと思います。
 まるで子どものように、口をあんぐり開けて見入った当時の夢は確実に進化していて、近ごろではパワースーツのような援助ロボットなど、身の回りでとても役立ちそうなものが増えてきました。
 いまどきのロボットを見たくなりました。きっと、スゴイんだろうな〜。
 上写真は屋根上の構造物(排気口等)。

 みなとみらい地区の建造物(特に海側)には、「壁や柱の外装は白を基調とする」等の取り決めがあるように見えます。
 近ごろのはやりはこの地区でもトレンドなのか、ガラスを多用した建造物が目につきます。
 建物内に太陽光を取り込めるので、明るくエコなイメージがありますが、夜や冬場は冷気が伝わるので、空調効率は悪くなります。
 外観でも、窓ガラスに反射する太陽光を、とてもまぶしく感じることが増えました。
 TVドラマ『ガリレオ』ではありませんが、ガラス張りのビルが隣接する場所では、合わせ鏡のように光が反射して、火のないところに火事をおこしたりするのでは? と思ったりも。
 このガラス窓が、太陽電池になればとってもエコなんですがね(もう、研究してるんだろうなぁ)。
 でも、大地震で割れたガラスが落ちてきたら大変ですから、それを含めて研究願います。

 不謹慎に聞こえるかも知れませんが、最新の耐震・免震技術で建てられた建造物も、一度大地震や長周期振動を経験して、その被害評価を見てみないと、信用できるものではない、と考えています。


 手前はぷかり桟橋といって、浮きさん橋の上に建造物をのせたもので、2階はレストランになります。
 昼間はシーバス(右下)の乗降客程度で、閑散としていますが、夜景を眺めながらのディナーが人気なのかも知れません。
 隣接するホテルの宿泊客向けでしょうか、ここから屋形船も出るそうです。
 ナイトスポットのようですが、夜景撮影はしばらくやめときます……

 そうそう、この付近(パシフィコ横浜、臨港パーク)の警備員は、セグウェイに乗ってパトロールをしています。
 2001年発表前の「ジンジャーって何だ?」という騒ぎが懐かしいところですが、全然売れてないようです。
 公道は通行できませんが、公園内は思いっきり走れそうですから、乗ってみたいと思ったりします。
 それも、この一帯がバリアフリーだから、導入できたことになります。
 施設設計の思想には大切ですし、将来(みらい)を見据えていたと言えるのかも知れません。近い将来、ロボットが巡回しているかも……


 海に面した臨港パークで、久しぶりに落ち着く絵に出会えました。この地区の中では最も身近な「みらい」を感じさせてくれます。
 寒い季節なので人出は少ないですが、隣接するクイーンズスクエアとは客層がガラリと変わって、ローカル色が強くなります。
 先ほどはネガティブなことを書きましたが、お父さんの勤め先が東京・横浜近郊であれば、通勤圏ですし、買い物にも便利です(スーパー等は未確認)。
 休みの日に子ども連れで海(横浜港ですが)を眺めて過ごせるのですから、不動産会社の売りとしてはかなり上位ランクと思われます。

 観光客の集まる場所はごく限られていて、点(クイーンズスクエア、ワールドポーターズ、赤レンガ倉庫)から線(その間だけは人の流れが多い)にできても、面にすることは難しい(海沿いは閑散としている)ことを実感しました。
 だから自治体には、企業や住民を増やそうとまい進する姿勢が必要なことも、理解できるところではあります。


 かつてこの地で「横浜博覧会(YOKOHAMA EXOTIC SHOWCASE '89 : YES'89)」が開かれたことを、先日の横浜みなと博物館で知りました。
 「開国博Y150」とは比べものにならない大規模な催しで、横浜市制100周年、開港130周年の記念だったそうです。
 埋め立てという事業には、計画から完成まで長い年月と巨額の費用がかかります。社会情勢が変わっても、造っちゃったものは、元を取るために高く売る必要があるので、宣伝のための博覧会とも思えます。
 たとえ土地が完売したとしても、計画当時とは求められる住民サービスのレベルが違うので、その対応にお金が必要になりそうです。
 また、いまどきの庶民が抱く「みらい」を考えると、「必要なモノ」を並べても人は集まらず、「欲しいモノ」を提供する必要があるように思います。
 「エコ」を口にする庶民の、欲しがりすぎる「エゴ」を、どうコントロールすれば、地域や社会の「明るいみらい」を築けるのだろうか?
 まだ、そこに潜んでいるビジネスチャンスとエコライフの扉は、開かれていないような気がしています……

 機を逸して書けなかった山下臨港線ですが、YES'89の旅客輸送で、日本丸駅(現展示場所付近)〜山下公園駅に気動車が運行されたそうです。
 本貨物線は、山下埠頭(山下公園東側)造成に伴い、横浜港駅(赤レンガ倉庫前)〜山下埠頭駅間に建設されました(1965年〜2000年撤去)。
 ガキのころ、山下公園脇の高架軌道が遊園地の乗り物のように見えたのでしょう、「乗ってみたいなぁ」と思ったことを、まだ覚えていたりします。
 現在の、赤レンガ倉庫から山下公園への高架の歩道は、軌道跡を整備したものになります。


 日産本社が移転(2009年)してきた付近(横浜そごうの近く)に、横浜駅方面とを結ぶ橋が架けられたので、横浜駅側からみなとみらい方面へのアクセスが、とても便利になりました。
 それに先立つ2007年に、Jリーグ横浜F・マリノスの本社・練習施設であるマリノスタウンがオープンしました。
 この付近では週末になると、ユニフォーム姿の集団(子どもから大人まで)をよく見かけます。
 グラウンドが結構オープン(ネット越しに見える)なので、広々としたグリーンを外からも共有でき、天気のいい日には眺めるだけでもリフレッシュできそうです。
 ちょうどこの日は、ファン感謝デー的な催しがあったようで、壇上には選手と思われるメンバーが、志村けんが着るような白鳥の衣装で並んでいます。
 そんなサービスより、勝たなくちゃ!
 近ごろ低迷してるんじゃないの?

2010/02/08

ハマのシンボル──ランドマークタワー

2010.1.30
【神奈川県】

 横浜市のシンボルマーク(市章)について、これまで何を図案化したものか分からないでおりました。
 この日訪れた「横浜みなと博物館」(日本丸に併設)で、ようやくそのルーツ(「ハマ」の文字の図案化)を知ることができました。
 モダンとかハイカラとは別次元と感じられる「これでいいのだ!」には、ちょっと驚きました。
 歴史の浅い町(開港により始まったので150年)には、口うるさい年寄り連中もいないので、通っちゃったのかも知れません。


 ランドマークタワー(Map)

 開港以来、みなと横浜のシンボルというのは、象の鼻防波堤〜鉄さん橋(現在の大さん橋の原型)〜新港ふ頭〜マリンタワー&氷川丸等、代々港にかかわる施設が務めてきました。
 現在のシンボルは、みなとみらい地区にそびえるランドマークタワーであることに、異を唱える人は少ないと思いますが、海とは直接関係のない大きなビルが、その座を継いだことになります。
 この地域が、港機能と決別したことを示すために、打たれたくさびのようにも感じられます。
 オフィス、ホテル、ショッピングモールとして利用されており、オフィスの入居率が90%を超えるそうですから、ビル建設のもくろみは大成功だったようです(横浜市のビジョンが良かったのかも)。
 ──2月6・7日(土・日)の2日間、全施設を休館し、全館一斉停電させて施設全体の点検を実施しました。商業施設もあるのにあえて週末を選んだのは、メインはオフィスビルであるからなのでしょう。

 69階にあるスカイガーデンは、地上からの高さが272mあり、現在日本で最も高い展望フロアになります(70階はホテルの施設)。
 ちなみに、東京タワーの特別展望台:250m、六本木ヒルズのスカイデッキ:238m、サンシャイン60のスカイデッキ:232m、東京都庁舎:202m、とのこと(いずれも地上高)。

 今回で2度目と思いますが、エレベーターに乗るたびに、開業当初(1993年)の「(立てた)10円玉も倒れない滑らかな乗り心地」とのキャッチフレーズを思い出してしまいます。
 最大時速は45km/hと、2004年まで世界最速ながらも、とても静かなエレベーターであること、再確認しました。
 ──実際に試した方も、大勢いたみたいです……

 ここはある意味、三菱グループの城と言えるのかも知れません。
 (後述の)敷地は三菱重工業、建物は三菱地所、エレベーターは三菱電機等、グループの力を結集した事業だったようです。
 ちなみに、隣接する三菱重工業のビルには「三菱みなとみらい技術館」がありす(大阪万博の「三菱未来館」を想起しました)。
 話しはそれますが、NHK大河ドラマ『龍馬伝』の岩崎弥太郎(三菱財閥の創業者)の描き様は、関係者の怒りを買いそうなほど貧困が強調されています。
 香川照之の怪演もありますが、あの境遇から成功を収めたからこそ、旧岩崎邸等の成金趣味に向かうパッションのような執着心が、スッキリと納得できる気がしています。


 眼下に港の輪郭が広がる光景には、思わずうなってしまいます。
 ここからの眺めが心地いいのは、高さや立地だけではなく、強固なビルの中にいるという安心感も重要な要素と思われます。
 タワーは、ガッチリした4本の足で支えられた「やぐら」のようで、その容姿からも安定感が伝わってきます。
 ここからだと真下を見下ろしても、高さから感じる「ビビリ感」(年と共に弱くなりました)は迫ってきません。
 東京タワーやマリンタワー等の、足元が透けて見える演出を見てしまうと、「揺れてるんじゃないか?」と感じたりします。
 そんなことでは「東京スカイツリーに昇れないぞ」と思うのですが、高所恐怖症と言うか、体力(動体視力や反射神経)の衰えから、万が一に対応できないかも? との不安感かも知れません。
 だったら、行かなきゃいいのですが、下のような写真も撮りたかったりします(直下の日本丸をガラスにへばりついて撮りました)。


 高い建物にはアンテナが立つもので、屋上には主要テレビ局の中継局や、テレビ神奈川(tvk)のUHF中継局があります。
 おそらくそのUHF中継局が重要と思われますが、UHFアンテナだけで全局視聴可能になるらしく、ランドマークタワーにアンテナを向ける世帯が多いそうですが、地デジ化により中継局は廃局されるそうです。
 地デジ放送には、長距離通信には向かないUHF帯の電波が使われると聞きますが、新たな通信網を準備しているのかも知れません。
 うちもまだ地デジ化してませんし、ケーブルテレビなので関係ないこともあり気合いが入らず、詳細まではたどり着けませんでした。


 ランドマークタワーは旧造船所のドック跡地に建設され、その足元には復元されたドックが現存します(上写真すぐ奧がタワーの根元)。
 日本に現存する最古の石造りドックヤードで(横浜船渠(せんきょ)〜三菱重工業)、1896年(明治29年)〜1973年(昭和48年)まで使用されました。
 現在では、イベントスペースやオープンテラスとして利用され、この石積みの内側(地下部)は飲食店街になっています。
 手を加えていますが、1989年に横浜市認定歴史的建造物とされ、1997年には国の重要文化財とされます。
 結構前の印象ですが、中央のフロアを舞台等にして、両側の石積みを観客席にしたイベントがあったような気がしますが、現在は石積みの部分には入れなくなっています。手すり等はありませんから、危ないことは確かです。

 浦賀にも日本最古のドックがあった気がしまいたが、日本初のドライドックだったようです。当時のドックは、何で作られていたのでしょうね(素堀りに木組みの足場程度か?)。


 日本丸は、1930年に進水した当時の文部省の航海練習帆船で、1984年に退役後、1985年からこの地で展示されています。
 「日本丸メモリアルパーク」とされ、ここも上述同様のドック跡地に海水を入れて船を浮かべてあります。こちらも2000年に国の重要文化財に指定されました。
 普段帆は畳まれていますが、年に12回、市民ボランティアの協力で、29枚あるすべての帆を広げる「総帆展帆(そうはんてんぱん)」が行われるそうです。
 ですが、冬季には帆は外されてしまうので、一番悪い季節に来たということになります。お気をつけ下さい……
 上写真は船首付近で、張られた網はへさきに渡されたロープでの作業を補助するものです。
 若いころなら「自分が行きます」とか言ってたと思います……


 帆船といえばロープですから、ビレイング・ピン(ロープを止める棒)付近は、海賊映画でなくても重要な設備になります。
 特段に複雑な仕掛けはありませんが、ずっと以前、船に乗っていた時分に感じた、ロープさばきの大切さを思い出しました。
 素人が力任せにたぐり寄せると、力負けしたときには凶器となる、とても危険な存在です。
 でも、大勢で力を合わせる作業では、体でリズムとして覚えてしまえば、漁場でうたわれた「ソーラン節」に合わせて網を引くタイミングと同じではあるまいか。
 この実習船においても、独特なかけ声等があると思います。
 タイミングが狂えばそのリズムの速さを調整して、スローになった節を口にする時に普段と同じことをすればいいわけです。
 引き手の力配分を均等にすること、危険を避けること、そして意志を統一するには、かけ声はとても重要と思われますし、同じ作業の繰り返しとなる漁場において、それが歌となったことは、すんなりと理解できるところです。

 そしてロープといえば「滑車」と思ったのですが、やはり帆を広げないと、彼らにも躍動感が感じられず、「休業中」の札を下げて休んでいるように見えてしまいます。

 日本丸のつながれたドックのすぐ海側に、シーカヤックで運河を回るツアーを運営してい団体があります。
 以前、象の鼻パーク辺りで10艇程度がジタバタするのを目にして、どこから来たのかと思っていました。
 ここからなら、運河伝いにこげば15分くらいでたどり着くと思います(赤レンガ倉庫をバックに撮った写真、もう消しちゃいました……)。
 下から見上げて楽しいのかと思いましたが、NHKの『ブラタモリ』(日本橋を水上から眺める)のように、水面付近からでないと見ることのできない、むかしの遺構が見えたりするのかも知れません。
 そのように、視点を変えて観察することはとても大切なことですから、ランドマークタワーから見下ろしたり、シーカヤックから見上げたりできるこの地は、観光客に「この地を知ってもらう」ための環境整備が整いつつあり、それが有効活用され始めていると言えるのかも知れません。
 いまでは、コンクリートで固められた「ハマ」しかありませんが、海や港を自慢できる町であり続けたなら、ファンはきっと増えていくと思います。