2010/02/08

ハマのシンボル──ランドマークタワー

2010.1.30
【神奈川県】

 横浜市のシンボルマーク(市章)について、これまで何を図案化したものか分からないでおりました。
 この日訪れた「横浜みなと博物館」(日本丸に併設)で、ようやくそのルーツ(「ハマ」の文字の図案化)を知ることができました。
 モダンとかハイカラとは別次元と感じられる「これでいいのだ!」には、ちょっと驚きました。
 歴史の浅い町(開港により始まったので150年)には、口うるさい年寄り連中もいないので、通っちゃったのかも知れません。


 ランドマークタワー(Map)

 開港以来、みなと横浜のシンボルというのは、象の鼻防波堤〜鉄さん橋(現在の大さん橋の原型)〜新港ふ頭〜マリンタワー&氷川丸等、代々港にかかわる施設が務めてきました。
 現在のシンボルは、みなとみらい地区にそびえるランドマークタワーであることに、異を唱える人は少ないと思いますが、海とは直接関係のない大きなビルが、その座を継いだことになります。
 この地域が、港機能と決別したことを示すために、打たれたくさびのようにも感じられます。
 オフィス、ホテル、ショッピングモールとして利用されており、オフィスの入居率が90%を超えるそうですから、ビル建設のもくろみは大成功だったようです(横浜市のビジョンが良かったのかも)。
 ──2月6・7日(土・日)の2日間、全施設を休館し、全館一斉停電させて施設全体の点検を実施しました。商業施設もあるのにあえて週末を選んだのは、メインはオフィスビルであるからなのでしょう。

 69階にあるスカイガーデンは、地上からの高さが272mあり、現在日本で最も高い展望フロアになります(70階はホテルの施設)。
 ちなみに、東京タワーの特別展望台:250m、六本木ヒルズのスカイデッキ:238m、サンシャイン60のスカイデッキ:232m、東京都庁舎:202m、とのこと(いずれも地上高)。

 今回で2度目と思いますが、エレベーターに乗るたびに、開業当初(1993年)の「(立てた)10円玉も倒れない滑らかな乗り心地」とのキャッチフレーズを思い出してしまいます。
 最大時速は45km/hと、2004年まで世界最速ながらも、とても静かなエレベーターであること、再確認しました。
 ──実際に試した方も、大勢いたみたいです……

 ここはある意味、三菱グループの城と言えるのかも知れません。
 (後述の)敷地は三菱重工業、建物は三菱地所、エレベーターは三菱電機等、グループの力を結集した事業だったようです。
 ちなみに、隣接する三菱重工業のビルには「三菱みなとみらい技術館」がありす(大阪万博の「三菱未来館」を想起しました)。
 話しはそれますが、NHK大河ドラマ『龍馬伝』の岩崎弥太郎(三菱財閥の創業者)の描き様は、関係者の怒りを買いそうなほど貧困が強調されています。
 香川照之の怪演もありますが、あの境遇から成功を収めたからこそ、旧岩崎邸等の成金趣味に向かうパッションのような執着心が、スッキリと納得できる気がしています。


 眼下に港の輪郭が広がる光景には、思わずうなってしまいます。
 ここからの眺めが心地いいのは、高さや立地だけではなく、強固なビルの中にいるという安心感も重要な要素と思われます。
 タワーは、ガッチリした4本の足で支えられた「やぐら」のようで、その容姿からも安定感が伝わってきます。
 ここからだと真下を見下ろしても、高さから感じる「ビビリ感」(年と共に弱くなりました)は迫ってきません。
 東京タワーやマリンタワー等の、足元が透けて見える演出を見てしまうと、「揺れてるんじゃないか?」と感じたりします。
 そんなことでは「東京スカイツリーに昇れないぞ」と思うのですが、高所恐怖症と言うか、体力(動体視力や反射神経)の衰えから、万が一に対応できないかも? との不安感かも知れません。
 だったら、行かなきゃいいのですが、下のような写真も撮りたかったりします(直下の日本丸をガラスにへばりついて撮りました)。


 高い建物にはアンテナが立つもので、屋上には主要テレビ局の中継局や、テレビ神奈川(tvk)のUHF中継局があります。
 おそらくそのUHF中継局が重要と思われますが、UHFアンテナだけで全局視聴可能になるらしく、ランドマークタワーにアンテナを向ける世帯が多いそうですが、地デジ化により中継局は廃局されるそうです。
 地デジ放送には、長距離通信には向かないUHF帯の電波が使われると聞きますが、新たな通信網を準備しているのかも知れません。
 うちもまだ地デジ化してませんし、ケーブルテレビなので関係ないこともあり気合いが入らず、詳細まではたどり着けませんでした。


 ランドマークタワーは旧造船所のドック跡地に建設され、その足元には復元されたドックが現存します(上写真すぐ奧がタワーの根元)。
 日本に現存する最古の石造りドックヤードで(横浜船渠(せんきょ)〜三菱重工業)、1896年(明治29年)〜1973年(昭和48年)まで使用されました。
 現在では、イベントスペースやオープンテラスとして利用され、この石積みの内側(地下部)は飲食店街になっています。
 手を加えていますが、1989年に横浜市認定歴史的建造物とされ、1997年には国の重要文化財とされます。
 結構前の印象ですが、中央のフロアを舞台等にして、両側の石積みを観客席にしたイベントがあったような気がしますが、現在は石積みの部分には入れなくなっています。手すり等はありませんから、危ないことは確かです。

 浦賀にも日本最古のドックがあった気がしまいたが、日本初のドライドックだったようです。当時のドックは、何で作られていたのでしょうね(素堀りに木組みの足場程度か?)。


 日本丸は、1930年に進水した当時の文部省の航海練習帆船で、1984年に退役後、1985年からこの地で展示されています。
 「日本丸メモリアルパーク」とされ、ここも上述同様のドック跡地に海水を入れて船を浮かべてあります。こちらも2000年に国の重要文化財に指定されました。
 普段帆は畳まれていますが、年に12回、市民ボランティアの協力で、29枚あるすべての帆を広げる「総帆展帆(そうはんてんぱん)」が行われるそうです。
 ですが、冬季には帆は外されてしまうので、一番悪い季節に来たということになります。お気をつけ下さい……
 上写真は船首付近で、張られた網はへさきに渡されたロープでの作業を補助するものです。
 若いころなら「自分が行きます」とか言ってたと思います……


 帆船といえばロープですから、ビレイング・ピン(ロープを止める棒)付近は、海賊映画でなくても重要な設備になります。
 特段に複雑な仕掛けはありませんが、ずっと以前、船に乗っていた時分に感じた、ロープさばきの大切さを思い出しました。
 素人が力任せにたぐり寄せると、力負けしたときには凶器となる、とても危険な存在です。
 でも、大勢で力を合わせる作業では、体でリズムとして覚えてしまえば、漁場でうたわれた「ソーラン節」に合わせて網を引くタイミングと同じではあるまいか。
 この実習船においても、独特なかけ声等があると思います。
 タイミングが狂えばそのリズムの速さを調整して、スローになった節を口にする時に普段と同じことをすればいいわけです。
 引き手の力配分を均等にすること、危険を避けること、そして意志を統一するには、かけ声はとても重要と思われますし、同じ作業の繰り返しとなる漁場において、それが歌となったことは、すんなりと理解できるところです。

 そしてロープといえば「滑車」と思ったのですが、やはり帆を広げないと、彼らにも躍動感が感じられず、「休業中」の札を下げて休んでいるように見えてしまいます。

 日本丸のつながれたドックのすぐ海側に、シーカヤックで運河を回るツアーを運営してい団体があります。
 以前、象の鼻パーク辺りで10艇程度がジタバタするのを目にして、どこから来たのかと思っていました。
 ここからなら、運河伝いにこげば15分くらいでたどり着くと思います(赤レンガ倉庫をバックに撮った写真、もう消しちゃいました……)。
 下から見上げて楽しいのかと思いましたが、NHKの『ブラタモリ』(日本橋を水上から眺める)のように、水面付近からでないと見ることのできない、むかしの遺構が見えたりするのかも知れません。
 そのように、視点を変えて観察することはとても大切なことですから、ランドマークタワーから見下ろしたり、シーカヤックから見上げたりできるこの地は、観光客に「この地を知ってもらう」ための環境整備が整いつつあり、それが有効活用され始めていると言えるのかも知れません。
 いまでは、コンクリートで固められた「ハマ」しかありませんが、海や港を自慢できる町であり続けたなら、ファンはきっと増えていくと思います。

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