2010/01/12

『ブルー・ライト・ヨコハマ』を探して……

2010.1.3
【神奈川県】

 また少し、横浜を歩いてみようと考えています。
 前回避けていた人気スポットで立ち止まり、人をよけてみようかと……

 京浜急行では少し前に、沿線のご当地ソングを駅メロにしようと、乗客からリクエストを募集したそうです。
 その結果、横浜駅『ブルー・ライト・ヨコハマ』(いしだあゆみ)、横須賀中央駅『横須賀ストーリー』(山口百恵)の支持が、圧倒的に高かったそうで、とてもよく分かる気がします。
 ご当地ソングがヒットすることは、町と曲にリンクした相乗効果を生み出すので、双方共とてもハッピーなのではないでしょうか。
 『よこはま・たそがれ』(五木ひろし)も印象に残っていますが、「町がたそがれては困る」住民の心情があったのでは?

 今回のタイトルは、横浜と出会い、この土地を初めて認識したころ(ガキの時分)の印象、という程度のものです。
 

 マリンタワー(Map)

 メタリックボディ(注:メタボリックではありません。敏感な人を刺激したかと…)にリニューアルされた、マリンタワーです。以前は紅白のカラーリングでした。
 昨年の「開国博Y150」に合わせて改装されましたが、肝心のY150は惨たんたる成績だったようです。
 建設は1961年で、当時は横浜港開港100周年の記念行事の一環として建設されました。
 灯台のイメージでデザインされ、実際に灯台の機能を持っていたので、「最も高い灯台」としてギネスブックに掲載されたそうです。
 しかし、2008年の改装工事に伴い、灯台の機能は廃止されました。
 あまり役立ってなかったようですが、建設当時の写真からは、何もないところにポツンと建てられた様子が分かります。
 灯台らしく、とても目立っていたでしょうから、当時の船はその明かりを目印にしたはずです。


 ガキのころの横浜では、マリンタワーと氷川丸がセットで、シンボル的な存在として輝いていた記憶があります。
 しかし現在では、ランドマークタワーや観覧車等がある、みなとみらい地区に人出を奪われてしまいました。
 そんな時代の変遷を踏まえて、「みなとみらい」のネーミングだったのかと、初めて気付いた気がします(この地に「未来はない」と?)。
 当然ながら客足も遠のき、運営会社の「氷川丸マリンタワー株式会社」は、2006年に営業を終了〜解散しました。
 マリンタワーは横浜市に、氷川丸は日本郵船に譲渡され、マリンタワーは2009年5月、氷川丸(下写真)は2008年4月に、それぞれリニューアルオープンしました。
 ショッピングの客足も、みなとみらい地区に吸い上げられてしまい、関内や伊勢佐木町(「ゆず」が路上ライブをしていた高島屋も閉店)の人出は、減少の一途だそうです。
 そうそう『伊勢佐木町ブルース』(青江三奈)もありましたが、この曲も町のイメージアップにはつながりそうにありませんね。


 付近では、高層ビルがニョキニョキ伸びているので、陸側からの姿は最初の写真のように「肩身が狭く」なってしまいました。
 タワーは106mありますが、付近には肩を並べそうな高さのマンションやホテルがあり、あのビルからタワーを撮ってみたいと思わせるような近さだったりします。
 となれば、見晴らしのいい場所に付き物である、コイン式の双眼鏡も撤去されてしまいます。
 別にのぞきたくもありませんが、ひょんな事で子どもが「あれなぁ〜に?」と、スクープしちゃうかも知れませんしね。

 この手のタワーを降りてくると、必ず土産物店を一周させられますが、ここは意外なくらいあっさりしていて、「エレベーターで昇って降りただけ?」という、とてもシンプルな施設になっていました。
 別にお土産など買いませんし、「ダイヤモンドが当たりました!」(分かります?)と構って欲しいわけでもありませんが、以前は、鳥類園のバードケージで、鳥たちと触れあえる場所があったと記憶しています。
 それが楽しかった訳でもないのですが、あっさりした終わり方だなぁ、と感じる自分に「既成概念で生きている」ことを自覚しました……
 リニューアルに伴い、コンセプトを変更したようで、地上の建物はウエディングホールやレストランとして営業していて、用のないヤツは立ち入れなくなっています(シックな印象はあります)。
 想像ですが、以前鶏小屋のあった場所で、パーティや食事をしているのかしら?


 氷川丸(Map)


 氷川丸の前で、海鳥に餌づけをしているオッサンに、群がる鳥たちの絵になります。
 カモメとウミネコ等の違いが分からず、上では海鳥としましたが、いい機会なので調べました。
 分類からは、カモメっぽく見える海鳥は「カモメ科」(総称)に含まれます(説明になってない!)。
 日本で見られるカモメ科の鳥には、ユリカモメ、オオセグロカモメ、セグロカモメ、シロカモメ、ワシカモメ、ウミネコ等がいるそうです。
 ウミネコ以外は冬の渡り鳥なので(オオセグロカモメは北海道で繁殖)、夏場にカモメっぽく見える海鳥はウミネコなんだそうです。
 冬にもウミネコはいますが、それは名の通り「ミャーミャー」という鳴き声で見分けるそうです。
 専門家は「嘴(くちばし)」「足」「羽」で区別するらしいのですが、鳴き声が違うので、この鳥はユリカモメではないか? と思っています。
 確信はないので、違ったらご指摘下さい。


 氷川丸は、1930年から1960年まで北太平洋航路(横浜〜シアトル)等で運航された貨客船になります。
 当時でも、決して大きな船ではなかったようですが、チャップリンが乗ったり、嘉納治五郎(柔道の父)が船内で亡くなった等、エピソードには事欠かないようです。
 それも、設備と接客サービスが良かったためとされますが、内部では規律の厳しさに「軍艦氷川丸」と言われていた、とありました。
 昭和の初めから第二次世界大戦に向かう時代ですから、海外とじかに接する船員達の「意地」のようなものだったのかも知れません。
 戦時中は病院船として徴用され、戦火の中を生き延びたそうです。
 船名の「氷川」とは、さいたま市にある氷川神社に由来するそうで、船内の神棚には氷川神社の祭神が祭られてあります。

 一等室を見学しているとき、以前一度だけ入らせてもらった特等室(だったと思う)の様子を思い浮かべていました(竹芝〜父島航路)。
 小笠原(父島)で知り合った新婚旅行の夫婦に招かれて、小笠原丸の特等室(大奮発したらしい)に入ったことがあります。
 そんな部屋でくつろいだのは、後にも先にもその時限りですが、何と船長があいさつに来ました。
 そんな行事があること自体、大部屋で雑魚寝の庶民には知るよしもありません……


 この船と最初に出会ったのは、おそらく小学校の社会見学だったと思いますが、細かな記憶はありません。
 古い船なんかより記憶に残っているのが、港内遊覧船で見た「うわぁ、クラゲがいっぱい!」です(いまの子どもたちと一緒……)。
 そんな印象が今でも残っているくらいですから、その場で「クラゲというのはね…」という解説をしてくれる先生がいたら、「クラゲ先生」として、この日も思い浮かんだかも知れません。
 教育って、ひょんなきっかけが大切なのでは? と感じたので。

 帰り際にすれ違った娘っ子(高校生?)たちが、「氷川きよしって芸名だと思う〜?」「本名じゃな〜い?」と話しながら、船に向かっていきました。
 ひょっとして「氷川きよしの記念艦」のつもりで来たの?
 調べる自分もどうかと思いますが、彼の本名は山田清志で、ビートたけしが赤坂の氷川神社から拝借して命名したそうです。
 そうなると、あながち無縁とも言えない、ってどうでもいいですよね……


 小学時代以降では、マリンタワーは展望がいいので何度か昇った気がしますが、氷川丸はそれ以来かも知れません。
 1度ビアガーデンに来た気がしますが、記憶をたどれません……
 でもこの日の印象は「思ったより楽しめた」というものでした。
 第二次世界大戦へと向かう時代背景で造られた、この船の存在意義を多少なりとも理解できるようになった、ということでしょうか?
 ガキの時分に、理解しろと言われてもそれは無理ですが、「もう一度、行ってみようか」という「種」をまいてもらったと思えば、感謝しないといけませんね……

 やはり『ブルー・ライト・ヨコハマ』(1968年)という曲は、この辺りをイメージしていたと思われ、マリンタワーがブルーにライトアップされている姿を見て、自分の中のイメージを再確認できた気がしました。
 YouTubeで再見した当時のいしだあゆみさんは、西洋人形(この表現も古いね)のように可愛らしい姿です。
 でも現代の表現では、アップにした髪、前髪カール、マスカラ命(当時はつけまつげか?)ですから、元祖キャバクラ嬢スタイル、と言われてしまうかも知れません……(ファンのおじさま方には、失礼)

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