2011/09/05

古くから山がシンボル──大倉山

 8月一杯で、東日本大震災被災地への自衛隊「大規模震災災害派遣」が終了しました(原発周辺の支援などは継続)。
 国民は皆、とにかく自衛隊には頑張ってもらいたいと応援していましたから、お疲れ様でしたと共に「ありがとうございました!」と感謝を伝えたいところです。
 約5ヶ月半、延べ約1063万人が動員され、とりあえずの緊急対応が済んだとされますが、これからの復興「さぁ、どうしよう」が始まります。
 私利私欲を抜きにしても、「一から始まる町づくり」に携わる人たちは、責任の重大さから気概・やりがいに満ちていることでしょう。
 困難さは周知のところですが、1000年に一度の大災害と考えると、例えとして正しいか分かりませんが「奈良の大仏(743年)」を作るような意気込みを持てたなら、必ず成し遂げられると信じられる気がします。
 そんな「神でも仏でも」、とにかく何を利用してでも立ち直りたいとすがる(?)思いにこそ、不信心な国民の本質(たくましさ)が表れているのではないだろうか……


2011.8.13
【神奈川県】


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大倉山(Map)

 この駅を利用した方はイメージできると思いますが、右写真は渋谷方面のホームに隣接する、大倉山公園へと続く急傾斜の坂道です。
 ホームがほぼ平坦とすればその傾斜が見て取れますから、車窓から坂を登る人を目にする度「あの坂は大変だよなぁ」と、応援したくなります。
 ここまで登りたくないと書いたし(?)、前回登りましたから、今回は遠慮させていただきました……

 丘陵地には、梅林で有名な大倉山公園や大倉山記念館があり、現在は公民館的な施設とされ図書館やホールがあり、駅には演奏会イベントのポスターが貼られてあります。
 大倉山記念館はギリシャ神殿風な西洋建築の外観を持つため、大倉山駅前の商店街には、店の門構えに神殿風の柱をディスプレイした建物が並んでいます。
 外見だけ豪華そうに見せて、実は全然出ないパチンコ店のようにも見えますが、町全体として胸を張れる象徴があることは、うらやましいことかも知れません。

 ここは綱島同様に駅周辺が込み入っていて、駅に向かうバスは「ここをバスが通るかね」という道を徐行運転で走ります。
 東京虎ノ門を始点とする中原街道から、多摩川を渡った付近で分岐する綱島街道は、妙蓮寺駅付近までほぼ東横線と並行しますが、東横線新丸子〜妙蓮寺駅周辺の道路事情は概してお粗末で、綱島街道の反対側は、戦後のバラックが商店街になったような雑然とした姿のまま現在に至ります。
 整理されたように見える日吉でも道幅は狭く、到底文化的都市には見えません(バスを通すつもりはなくとも、要求に屈した町の姿か?)。
 東横線建設当時は、渋谷と横浜を結ぶことが大命題で、周囲への配慮や町づくりに対するビジョンが欠けていたようです。
 その反省からか田園都市線建設に当たっては、周辺の大規模開発を念頭に置いた沿線自治体との連携から、現在の発展が生み出されたようです。

 大倉山には新幹線のイメージがあります。菊名駅との間で東横線と交差するからか?
 以前この付近に暮らしていた女性が「大倉山に新幹線の駅があれば会社まで15分で来られる」と、遅刻の言い訳をしていたのを思い出します(会社は浜松町)。
 新幹線の沿線というのは、駅に近い限られた場所以外はまったく便利ではありませんし、騒音・電波障害等々の迷惑ばかりの貧乏クジの土地が延々と続きます。
 それではあんまりなので、税金の優遇くらいしてあげるべきと思ったりします。

 まだ影も見えないリニア新幹線は、東京近郊のほとんどは地下化されるようですが、不気味な振動が伝わることもありそうなので、路線上では見えない敵になるのかも知れません。

 周辺の地図を見ていて気になったのが「トンネル内で新幹線の線路が屈曲している!」ように見える地図上の表現です(赤の点線が新幹線)。これはGoogleですが、Yahoo!も同様です。


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 周辺の道路や住宅の大きさから比べると、新幹線がこんな急カーブを曲がれないだろうと思う程の角度に見えます。


法華寺(Map)


 予備知識を持たぬまま下述の師岡熊野神社を目指していたら、隣にお寺があった、程度の認識でしたが、どうもこちらが本家のようです。
 724年の記録が残るとされ(「794ウグイス平安京」以前の奈良時代)、この地で法華経(日本仏教の原点で聖徳太子が広めたとされる)を唱える僧侶が、夢の中に熊野権現(天皇を神とする神社の信仰対象)のお告を受けたことから、天皇の命で885年創建されたそうです。
 夢の話は都合よすぎるのでおそらく作為的なものでしょう。

 土着的な古神道から発展したとされる神道の根付く日本に仏教が伝来し(552年)、仏の下に神と人間を位置づけ、日本の神々も人間同様に苦しみから逃れ、仏の救済を願うという認識がされるようになります。715年に最初の神宮寺(神仏習合施設:神社境内に仏教寺院が併設されるもの。鎌倉鶴岡八幡宮などが含まれる)が創建され、この地でも江戸末期まで法華経と熊野権現が一体化した信仰が息づいていたようです。

 都合よすぎる話は、明治時代の廃仏毀釈(神道と仏教の分離)により熊野権現が熊野神社に(教えを含め)リニューアルして隣接地に独立すると共に、法華寺が廃寺同然とされた歴史からもうかがえる気がします。


 現在の質素ながらも手入れの行き届いた境内には、清らかさが感じられます。
 この時季に花開くハスを、いくつもの鉢で育てていて、そのつぼみから種が落ちる様子までのさまざまな姿を見ることができました。
 ひっそりした境内に、お寺の方が出てきて本堂へ向かいます。
 戻る際にあいさつしますが、気になって向かってみると、本堂に新しい線香がたかれていました。
 その対象は仏様に限らず、この日が命日の檀家供養かも知れませんが、それは寺のおつとめであるとしても、そんな姿には心に伝わる暖かさを感じます。
 その積み重ねが、仏様への祈りの気持ちに通じていくのでしょうね……


師岡(もろおか)熊野神社(Map)


 ここは横浜北部総鎮守の「郷社」とされ、和歌山県熊野三社の祭神である熊野権現を祭神とします(今回の台風被害に遭われた方にお見舞い申し上げます)。
 神道の社格の順位では、県社>郷社>村社とされる下から2番目ですが、何でも氏子の陳情により県社から郷社に格下げられたとのこと。
 おそらく高い社格を維持するためには、それなりの貢ぎ物が要求されたのではあるまいか?
 格下げを願い出る行為は恥ずかしいものと思われますが、この地域の厳しい事情が察せられます。

 いまどきの「熊野三山」は、世界文化遺産の「熊野古道」や、日本サッカー協会シンボルマークの「八咫烏(やたがらす:神話で、神武天皇を熊野国(和歌山県)から大和国(奈良県)へ案内したとされる三本足のカラス)」のおかげで、認知度が格段に高まっています。
 この神社の社紋である三足烏は、八咫烏に由来すると考えられるため、近ごろでは「サッカー神社」とされるようになり、サッカー日本代表の「必勝祈願」奉納品(実際に祈願したのでしょう。出場選手のサイン入りの旗やボール)が飾られる、有名スポットとなりました。
 公式エンブレムのついた日本サッカー協会公認のお守りや絵馬が販売されるのには、ちょっと驚きました。

 右写真は、杉山神社裏手の切り通し。


トレッサ横浜(Map)

 近ごろ横浜・川崎周辺で、特にバス路線を調べていると目につくのが、新設されたらしき施設の名称です。
 これは例えですが「ららぽーと行き(IKEA経由)」とされても、周辺の町名と結びつかない訪問者には非常に困る表示になります。
 同様に「トレッサ横浜」とはどこにあるのかと思っていましたが、施設の近くを歩いたので立ち寄りました。

 第一印象は今どきの郊外型ショッピングモール同様で、車の来店が前提なのに駐車場入り口で渋滞してしまう、渋滞解消のアイデアが足りないという一般的なものです。
 ここの特徴には、自動車販売のディーラーが屋内の一般店舗と同じフロアに車を展示するスペースがあったり、自動車部品・修理等の大型店舗が入っているので、一般的なショッピングモールに比べるとオッサンの比率が高いように見えることが挙げられます。
 確かにそれも客層拡大のひとつの手なのでしょうね。

 ここの送電線は高いので建設は可能だったようですが、その直下部分は背の低い構造物になっています。


二ツ池(Map)


 ここは以前訪問した三ツ池公園に近く、谷戸からのわき水を有効活用するための農業用水に利用されました。
 三ツ池では段差を作り、貯水量を増やそうとの工夫がありましたが、ここは同じ高さの水面の中央に池を二分する堤が作られています。
 その堤の「龍」に関するいい伝えが、隣接する2つの村にそれぞれ存在します。
 ひとつは、池のさかなを食べ過ぎて飛べなくなったとし、もうひとつは、龍と闘った10頭のクマと共に横たわったとされます。
 そのオチは、池の水をめぐり争いの絶えなかった2つの村で分け合うために、池が分割されたとのこと。水源の問題はいつの時代でも死活問題です……

 現在はフェンスで囲われ、立ち入り禁止&釣り禁止の看板がありますが、水辺には写真のように立派な釣り場がいくつも作られています。
 この日も数人釣りをする姿がありましたが、どうもブラックバス釣りで人気があるようです。
 もともとこの池にそんな魚はいませんから、誰かが放したのでしょう。
 現在使われていないため池なら、釣りが楽しめると考えるのも分かりますが、完全に閉じられた環境ではないので、周辺への影響を考えると、あきらめさせる措置を取るべきと思います。
 少数派の釣りバカの楽しみのために、この地域にしか無い生態系の「自然破壊」は、許すべきではありません。


追記
 先週からトップページのレイアウトが変わりました。
 変更を望んだわけではないのですが、これまで使用していたサイト側から提供されるテンプレートが古いため、システムのバージョンアップに付いていけず、更新がうまくできないので仕方なく変更しました。
 こういうところがコンピュータ環境の無粋なところで、「便利になったから新しいのを使え!」と押しつけられ、うれしくもない機能変更を「無理やり使わされる」こととなります。
 これがまた、レイアウト変更をテストする度にアクセスカウントが増えていくという仕組みで、システム提供側(Google)だけがよろこぶような仕掛けになっています。
 利用する側は「Googleをよがらせるためにブログを書いているのか?」と、興ざめする面を感じ始めています……

2011/08/29

川沿いに開けた「東京の奥座敷」──綱島

2011.7.30
【神奈川県】

 夏の空気と秋の空気が日本列島上でせめぎ合うせいで、連日全国各地から局地的豪雨による被害のニュースが届けられます。
 かと思えば今度は台風です。夏の訪れは早かったものの、夏休み期間中は天気が安定しなかった印象があるので、子どもたちは夏休みをエンジョイできたのか心配になります。
 電力不足でパンクしなかったのも、天候不順のおかげかも知れません……


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綱島駅(Map)

 東急東横線は2012年度に、渋谷から東京メトロ副都心線との相互直通運転が開始される予定です。
 乗り入れる路線には、地下鉄副都心線、西武池袋線、東武東上線があり、東横線側では受け入れの準備が進んでいます。
 複数の鉄道会社が乗り入れるための統一規格として、東横線・みなとみらい線の優等列車(特急・通勤特急・急行をそう呼びます)の編成を、現在の8両から10両編成に変更する必要があります。
 東横線って8両だったの? と驚く向き(関心のある方)には、鉄道会社側の怠慢がバレてしまいます。だから混んでたんだと……
 また副都心線は、ホームドアを設置したワンマン運転なので、東横線の新型車両には運転士用ドア開閉ボタンが設置されています(目黒線は既にワンマン運転に対応済み)。

 10両編成受け入れのホーム拡張工事が急行停車駅で進められますが、ここや多摩川駅等ではやりかけのまま放置された姿が現在も見られます。
 計画変更を強いられる問題(事故)等があったのかも知れませんが、「いつ完成するの?」という姿がさらされています。

 横浜方面と新宿・池袋を一足先に結んだJR湘南新宿ライン(2001年運行開始でもう10年になります)は、宇都宮線・高崎線が上野駅経由とは別ルートで東海道線・横須賀線と結ばれ、ビジネスや観光の足として定着しています。
 JR武蔵小杉駅で湘南新宿ラインの混雑を目にすると、同路線でもすいている横須賀線を待ちたくなるほど、利用率に違いがあります。
 その湘南新宿ラインは、横浜を経由して鎌倉・逗子方面や、平塚・小田原方面まで伸びている強みがありますが、これから開通する副都心線の直通運転では、横浜(元町・中華街)までとなります。
 ビジネスや観光でも中途半端な印象を受けるので、その効果については経過を見る必要があります。
 東横線側の利用者からすれば、確かに新宿や池袋まで乗り換えなしで行けるのはとても助かるので、反対側からも、渋谷まで乗り換え無しは助かるのでしょう(開通済み)。
 しかし、利用者のビジョンはメジャーなターミナル駅までで、その先はどちら方面も急激に利用率が下がる気がします(横浜には大きな魅力があるが)。

 便利になることは歓迎ですが、これまでの渋谷で1本待てば座れるという安心感が無くなるのは、ちょっと気が重くなります。
 既に地下鉄と直通運転する田園都市線渋谷駅を利用する方には、「渋谷駅の憂鬱感を味わうがよい!」(ここでまた混むのよ)と言われるようです……


綱島公園(Map)

 ここは丘陵地の尾根沿いに続く公園施設で、子ども用プール、子どもログハウス「ロッキー」(右写真)等の施設があり、一画には古墳が残されています。
 今どきの子どもっていいよね!
 雨の日でも騒いで遊べる施設が多いことを(センター南付近にも「鴨池公園こどもログハウス」があり)うらやましく感じます。
 それは現在親となった世代の願望で、子ども時代に「欲しかったモノ」を自分の子どもに与えられたのかも知れません。
 また、現在の子どもが「欲しい」と感じたモノを次世代への贈り物とできるような、世代間でのリレーの連鎖こそが理想ですが、社会全般からすると「少子」の部分に割り当てられる予算に限りがあることも事実です(この国の将来には大切な投資と思うのですが)。

 この地で遊んだ経験があるのか、大学生くらいの若いカップルと何組もすれ違いました。
 最後にすれ違ったカップルの会話から
男「アレッ、ここ前来たっけ?」
女「うん、覚えてる」
 坂道を登る彼らの会話はのんびりしたもので、バックのヒグラシの鳴き声が雰囲気を演出しています。
 そこから何か読み取るにしても、遊ぶ場所のない綱島でデートすること自体「?」ですし、手をつなげるような人目の少ないスポットも限られています。
 でも「鶴見川があるじゃないか」と思うも、そこには外壁が色鮮やかなホテルが並んでいますから「エッ、そういうこと?」……


諏訪神社(Map)


 渋谷→横浜に向かう駅手前左手の丘陵地に見える社が諏訪神社です。
 神社の由緒によると、最初の記録は「綱島三郎信照の領地」(年代不明)ですが、1573年には甲州武田信玄家臣の領地とされます。
 甲州武田家は信玄に従い、長野県諏訪湖周辺に構える諏訪大社(4箇所の境内を持つ)を信仰するため、その境内の桜の枝をこの地の山上に立て「武運の守護として桜を根かせ給へ」の祈りが通じ、大木に育ったとされます。
 その後の、小田原北条氏攻め・関ヶ原の合戦での武運を導いたとされ、1605年頃この地に神社が創建されます。
 この地が武田家とつながりがあるとは意外ですが、後の桃栽培等が盛んになるのは、甲州仕込みと考えたくなります。

 諏訪神社の例大祭では、付近の各町内から多くの神輿が諏訪神社や駅周辺を練り歩きます。
 それは綱島諏訪神社の神輿連合渡御(とぎょ)とされ、8月末に行われるそうです。


綱島温泉(Map)

 この地は、戦前から「東京の奥座敷」と呼ばれる温泉街で、80軒程の宿泊施設があり、1926年東京横浜電鉄神奈川線(現東横線)開通時には「綱島温泉駅」とされます。
 当時の駅前では、無料入湯券の配布など温泉街の様相を呈してにぎわうも、第二次世界大戦下の「旅館業廃業命令」で下火となります。
 戦後は花街として再生しますが、「関東の有馬温泉」とも呼ばれ、アメリカ兵の特殊慰安所にも使用されたようです。
 米軍に完全に乗っ取られた、横浜に近い場所柄のせいもあるのでしょう。
 2008年最後の宿泊施設が閉店し「綱島温泉」の旅館は無くなり、現在は温泉銭湯が残るだけとなります。

 現在営業中の「綱島ラジウム温泉 東京園」(上写真)は、繁華街に隣接しながらも煙突からは時折黒煙をはき出しています。
 この源泉は18℃程度と低いため(黒色水で透明度はない)、ボイラーで温める必要があります。

 これまで湯温の低いものを「鉱泉」と思っていましたし、「温泉法」にも「25度以上の湧水を温泉、それ未満を鉱泉(冷鉱泉)」とありますが、温泉は「鉱泉の中でも、特に治療の目的に供されるものを療養泉とする」そうなので、温泉は鉱泉に含まれると理解するところです。

 しかし温泉法の成分要件には「ストロンチウムイオン(Sr++) 10mg以上(必要)」の表記があります。
 原発事故の後、ストロンチウムが観測されたと耳にしましたが、近ごろアレルギー反応を示す「セシウム」とはどう違うのか? に関心が向きます。
 これまで何の不安もなく立ち寄っていた「ラドン・ラジウム温泉」を調べると、ラドンはラジウムから生まれる気体で、ラドンを含むものは「放射能泉」とあります(怪獣ではない)。

 Googleで「ラジウム温泉」の検索結果Topにはラジウム温泉 ラドン温泉の紹介 効能の、新潟県五頭(ごず)温泉の旅館が表示されます。
 そこには、線量計の画像や温泉の放射線量の説明に「マイクロシーベルト」の表現を使用した、具体的な説明があります。
 そのページを見て感じたのは、これまでの経験を振り返り自身で冷静に再評価する必要性です。
 問題意識には各自の基準があります。その判断にこれまで知らなかった知識を加えることは大切ですが、その基準を決めるのはきっとこれまでの生活環境がベースとされるのでしょう。
 将来というものは常に不安の嵐に包まれていますが、そのビジョンを開くのは「現在」の自分であり、日々刻々と移ろいゆくものです。

 でも確かに思えるのは、原爆で「放射線汚染」を経験したこの国が、何で「オレたち何も学んでいませんでした」という経験をしなければいけないのかという「自責」です。
 「キモ」であるその点には、どんな論理的な説明を受けても納得できるものではありません。
 本当に、われわれが何も学んでいないならば、この国に未来を抱ける国民は一人もいないはずです。
 人類は「トライ&エラー」で前へ歩むしかないならば、残酷でも礎となってくれた方々への感謝を常に抱くべきと思えてなりません……

 遅くなりましたが地名由来について。
 「つなしま」の平仮名「つ」は「州」「川」の草書体、「な」→「中」にある「島」とする説や、連なり島(つらなりしま)との解釈から、かつて一帯が海であった時分(縄文時代)に、現在の綱島公園等の丘陵地が複数の島であった様子から名付けられた等、の説があります。

 現在鶴見川沿いには、ゴルフ練習場、ラブホテル、自動車教習所と、川沿いにありそうな施設のフルコースがそろいますが、多摩川の丸子付近も同様と考えればそのルーツとしては、鴨川に接する京都祗園界隈となるのではあるまいか。

 以前は、花火大会も行われるような景気のいい場所柄(工場が多い)でしたが、周辺の宅地化により1999年で中止とされ、現在は下流の森永製菓の工場付近(JR東海道線等の鉄橋近く)で行われています。

2011/08/22

背伸びしたがる──日吉

2011.7.23
【神奈川県】

 お盆明けにこの夏の最高気温を記録した関東地方ですが、一転して秋口を思わせるひんやりとした空気に包まれました。
 そんな気候変化の極端さに閉口する近ごろですから、この後に再度「猛暑日来襲!」があったのでは、心身共にうんざりさせれられ、夏の疲れが出てしまいそうです。
 油断の無きよう……


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日吉(Map)

 東急東横・目黒線、横浜市営地下鉄日吉駅は、駅前の慶應大学日吉キャンパスや住宅地のイメージから、好感度はあっても何か気取っているような印象もあります。
 慶應の学生でも、クラブ活動帰りにはラーメン屋でガッツリ食べたいわけで、今どきの学生街にはきれいな店も増えましたが、実情は変わらないようで安心したりします。

 駅西側は田園調布のような、駅を中心に放射状+円周状の道路で区画される町並みが広がります(下写真、全景撮影は無理なので、その一部)。
 田園調布同様に起伏のある地域の都市計画では、格子状の町並みで生じる不都合が、放射状の区割りではごまかせるのでは、と思ったりします(直線よりも曲線の道の方が、傾斜がゆるやかに感じられる等)。
 住宅地として開発されたため、建築物の高さ制限ばかりか店舗の営業制限もあり、終電後(25時以降)は真っ暗になるそうです(第二の田園調布を目指すよう)。
 日吉キャンパスは教養課程的な性格(1・2年生が多い)のため、未成年者の学生が多く、学生が夜中まで騒がしいのはおかしい場所柄なのは確かです。
 キャンパスとは駅の反対側にある商店街を、慶大生は「ひようら(日吉駅の裏?)」と呼ぶそうですが、教養を学ぶヒヨコが遊ぶ裏庭のようなキレイな繁華街、では言い過ぎか?

 この付近に暮らしていればとりあえず「OK!」という若いおばちゃんが多そうに見えますが、横浜には都会っぽい下町という印象がありますから、同じ市内でも要求の対象が違うというか、東京へ向けられる関心の高さがとても強く感じられる町との印象を受けます。


 1889年(明治22年)市町村制施行の町村合併で日吉村が誕生します。
 川崎市や横浜市から合併の誘いを受けるも、分割を望まない村側との話は進展しません。
 当時の日吉村は矢上川を境に、東部は二ヶ領用水を利用した稲作を行う川崎市側と結び付きが、西部は桃などの果物生産で横浜市側との結び付きがありました。
 1933年(昭和8年)東京横浜電鉄(現在の東急)が慶應義塾を誘致する際、横浜市から水道を引いたことで合併問題が再燃します。
 結局県知事の裁定で、1937年矢上川の東側は川崎市に、西側は横浜市に編入され、川を境に分割されることになります。

 その横浜市側では、昭和初期からイチジクの栽培が盛んになり、最盛期(1960年頃)には、春のイチゴ、夏のイチジク狩りの観光地として東京からの観光人気を集める農作地域になります。
 当時は、出かけるにはちょうどいい郊外という立地だったようです。

 かつて日吉には「東急電鉄発祥の地」記念碑がありましたが、現在は元住吉駅の車庫に移設されています。
 ここは東急電鉄の前身である東京横浜電鐡が、鉄道建設の最初に着手した日吉〜新丸子間の水田を買収した記念の地とされます。
 都心側では、多摩川の砂利採取に利用された軌道は、後に都電(路面電車)や旅客鉄道に転用されますが、神奈川県側に軌道はありませんから、東京圏から鉄道網を広げようとする意欲のおかげでこの地域は開かれ、五島慶太(東急会長)は大きな富を手にすることになります。


星宿山 正福寺(Map)


 以前訪れた、柿生の地名由来地とされる王禅寺と同じ山号(仏教寺院に付ける称号)「星宿山」を持つ正福寺です。
 わたしはガキ時分天体観測が好きでしたが、そうでない方にも星宿山の響きには引かれるものがあるのでは?

 この寺の記録は見当たらないのですが、王禅寺では創建当時に毎晩天から星が降り、その光があたり一面を照らすことから「星降山(ほしくだりやま)」と呼ばれ、それが星宿山となる話が残るので、この寺についても同様のことが推測されます。
 王禅寺は757年創建の記録が残る真言宗(空海)の寺院で、正福寺の開創年代は不明ですが天台宗(最澄)の寺院になります。
 何かとライバル視される空海(天才肌)と最澄(努力家)ですが、この山号の符合は、和解できない教義間の敵対心ではなく、創建時に流星群が盛んに星を降らしていただけかも知れませんし、両寺院とも「とても星空がキレイな丘陵地」とした方が、すんなりと納得できる気がします。
 近しい場所ですし、それぞれに「星宿山」を守ってきたことは、「天」「空」からの恵みへの感謝の気持ちが根付いたことを示しているのではないでしょうか。

 このお寺では上写真の御霊堂が重要なようで、この建物が旧小机領三十三観音霊場めぐりの霊場札所とされています。


 上写真は高田(たかた)付近の切り通し。


鯛ヶ崎公園(Map)

 横浜市営地下鉄グリーンライン日吉本町駅から5分ほどの場所にある鯛ヶ崎公園には、「プレイパーク:自己責任で自由に遊べる空間」があります。
 プレイパークはこれまで何カ所も紹介していますが、ガキ時分に遊んだ秘密基地的要素に引かれるのかも知れません。
 YPCネット(横浜にプレイパークを創ろうネットワーク:2002年発足)に賛同する方々の活動で、現在横浜市内には20のプレイパークがあります。

 子どもたちに「自由さ」をアピールするためか、公衆トイレの外壁がカラフルに装飾されています。
 この原色的な色合いから想起するのは、1960年代末期の「フラワームーブメント」のイメージです。
 現在では多様な美意識が混在・氾らんしており、この絵はその中から選択されたことを踏まえると(作者の有名無名は関係ない)、当時一世を風靡した「カラフル主義」一辺倒の風潮は「革命なのか、新芽発芽期の幼稚さだったのか?」と、時代を振り返らせてくれるインパクトあるトイレでした。

 手作りブランコに立って乗っている娘の声が聞こえてきました。
 「わたしこの前もおばさんに写真撮られたけど、今日はオジサンに撮られてる……」
 ──ハイハイそうですよ、わたしが変なオジサン、ってか?
 「本とかに載っちゃうのかなぁ? でもわたし載ってみたいんだぁ」
 ──本じゃなくてゴメンね……

 そんな状況で、変なオジサンから声を掛けると怪しまれそうですし(左上にこちらをうかがう顔があります)、撮らせてもらって目が合えばニコッとするのが関の山というところです。

 以前の地名である鯛ケ崎は現在日吉本町五丁目とされ、その地名由来はどうも見当たりません。
 傾斜地の地名で丘陵地も含まれるので、以前(と言っても縄文時代)海だったころには鯛が捕れたかも知れませんが、縄文時代の伝えは残らないでしょうから、古墳・貝塚から鯛の骨が多く出土した等の理由が考えられます。


金蔵寺(こんぞうじ)(Map)

 横浜市営地下鉄グリーンラインには、日吉駅の隣に日吉本町駅があります。
 「本町」の響きには古くから栄えた町並みのイメージがあり、懐かしい感じの商店街に「ここが本町か!」を期待していましたが、そんな理由ではなかったようです。
 傾斜地が多く大規模開発ができない日吉駅周辺から離れた、平地の広がる谷戸地に旧住宅公団が団地を建設したことで、商業地域が発展します。
 現在団地はリニューアルされ、新駅も誕生したので住宅圏として発展しそうです。

 近くの丘陵を背にした地に金蔵寺(天台宗)があり、その斜面の上にある「日吉権現」(不動明王:密教根本尊の大日如来の化身。お不動さん)が、日吉の地名由来とされます。そのためここが本町とされたようです(日吉権現は比叡山の日吉山王(ひえさんのう)、現在の日枝神社の分霊)。
 隣駅元住吉命名の庶民的な由緒とは違い重い印象もありますが、そんな響きにも品格が感じられるところが、人気住宅地の理由のひとつかも知れません。

 ここは別称「国家鎮護道場」とされますが、これは最澄が天台宗を開く際、当時の政府から命を受け(国家のための宗教)、比叡山に鎮護国家の根本道場開いた流れと思われます。
 時を同じくしてライバルとされる空海も国家困窮に際し、密教の即身成仏の思想を国家と結びつけ「国家の鎮護」を目指します。
 当時の宗教は「国を守るため」の手段と期待されていました。

 上記写真中央の派手な色遣いの灯ろうは「キリシタン灯篭」とされますが由緒は不明です。
 他の施設にも、目を引く派手な配色がみられることから、密教(天台宗・真言宗等)のルーツとされるインドを意識しているように感じられます。
 でも、龍の絵があったりするので、それは中国起源か? と考えた末、折衷(せっちゅう)が得意な日本流なんでしょ!? と感じた瞬間から、和める印象に変わるところが不思議です(心理と認識のいい加減さを自覚します)。

 江戸時代には徳川将軍家の菩提寺である上野寛永寺の末寺とされ、家康・秀忠父子から寄進された梵鐘が現存するので、おそらく江戸を守る役割が託された寺院なのでしょう。

 NHK大河ドラマ『江』は、関ヶ原の戦いから徳川の世に向かおうとしていますが、今回の田渕久美子の脚本(『篤姫』も担当)には「思いが強すぎる」印象があります。
 知識の裏付けがあるにせよ、歴史上特段に注目を集める時代に、「アレ?」という設定を持ち込まれた時の視聴者の反応は、視点の転換好きなわたしでも「これじゃマンガだよ」と思う場面の連続です。
 いつ見るのをやめようかと思っていますが、徳川幕府が盤石となる三代家光の時代に至るまでの状況を知りたい気持ちで見続けています……(江は家康の息子秀忠の妻で家光の母なので、徳川の母と言えるような存在)

2011/08/08

地名は大切な財産──元住吉

2011.7.17
【神奈川県】

 暑さとゲリラ豪雨で迎えた8月ですが、自分の中にある「8月」に対する意識というものは、年齢を重ねるごとにその重みが増しているような印象があります。
 夏の甲子園が開幕し、広島・長崎原爆の日があり、終戦(敗戦)の日があり、お盆を迎えます。
 大地震被災地の思いを背負った球児が、苦悩を抱えながらも晴れの舞台で躍動する姿や、被災者の新盆なのに「今年の夏祭りは無理だろう…」の葛藤から、自身や周囲を鼓舞しながら規模は小さくとも祭りを作り上げていく姿のTVレポートに、涙が止まらなくなります……
 この国の人々は、数々の苦しみや痛みを今回のように共有することから、地域〜島国全体へと絆を深めていったことが、痛いほど伝わってきますし、自分の流す涙からもその一員であるとの「自覚」をしっかりと感じることができました……



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法政二高(Map)

 東横線武蔵小杉駅〜元住吉駅間の西側に法政大学第二中・高等学校(法政二高)があります。
 大学などでは目にしますが、高校に時計台があることは自慢として記憶に残るでしょうし、高い建物が増えた現在でも、東横線やJR南武線の車窓からもこの白い塔は目につくので、その存在感は健在です。
 時計台や教会の尖塔(せんとう)のように、地域のシンボルとなる建造物を作る側には、その姿に恥じぬ自覚が求められますから、そこに通う生徒たちの気持ちも引き締まるのでしょう。実際生徒たちの品行はいいように見受けられます。

 法政二高といえば「柴田勲(元巨人)率いる野球部の甲子園夏春連覇(1960〜61年)」と語られたのはかなり古い話ですが、当時騒ぎすぎたためか、それ以降の伝説を耳にしていない気がします。
 しかし卒業名簿には、神和住純(テニス選手)、岩合光昭(写真家)、寺尾聰(中退)等々、名の知れた方々の名前が並びます。

 高校2年時だったか夏の甲子園予選で、在籍校がシードの法政二高に勝利したことがありました。開校4年目の新参者としては快挙と、大いに盛り上がりましたが、ご想像の通り次戦で敗退しました。
 何年たっても話のネタにできるのだから立派なものです。他のネタは思い浮かびませんが「青春してたんだろうなぁ〜」だけは、きっと確かなのでしょう……


住吉神社(Map)


 上写真は、駅近くの線路沿いにある住吉神社です。
 夏祭り(盆踊り)で使用されるやぐらが準備されていますが、その骨組みはどこもこんな夢のない姿なのかも知れません。
 そんな準備中のやぐらでも、ガキ時分には祭りへの期待感からか、用もないのに遊び場にして怒られたことを思い出したりします。

 元は矢倉神社の名が、明治42年(1909年)政府の「神社合祀政策」(神社の数を減らして経費節減し「国家の宗祀」体制を守るため)により、10の神社が合祀(ごうし)され、当時の村名から「住吉神社」となります。
 同様の経緯を持つ神社をよく目にするので、「富国強兵」時代の経費節減策規模の大きさが想像されます。
 しかし現在は、エネルギー政策立て直しに向け国民は節電に努力しているのですから、「余剰脂肪」だけでも削った国政運営をしてくれなければ、それに腹を立てたクーデターが起きたとしても、非難できないと思ったりします……

 「住吉」の響きから、大阪住吉大社の由来と思っていたのでこの経緯には驚きました(現在は江戸っ子気質バリバリの佃島の住吉神社も、大阪に由来します)。
 この「住吉」の名は、「瑞祥地名(ずいしょうちめい:めでたい言葉が由緒無く使われる地名)」とされるそうです。
 「住吉」とは海の神に由来するらしいので、海辺だったと思われる縄文時代までさかのぼれば、接点が見つかるのかも知れません……


元住吉駅(Map)


 ところが、1925年(大正14年)に住吉村は中原町に合併され、「住吉」の地名は消滅してしまいます。
 住民が失望した翌年に開業する東京横浜電鉄(現東急)駅名決定には、地元の強い要望から「元住吉:元の住吉村」とされた経緯があるそうです。
 「住吉」という全国区のメジャーな地名に「元」がついているので、歴史へのロマンが大きく膨らみますが、実に分かりやすいオチなのが、歴史の浅い関東的という気もします。
 ですが、元の「住吉村」のネーミングには、関西出身者が関係していたように思えてなりません……


 ここは2006年目黒線の日吉延伸(複々線化)工事により、巨大な高架駅とされました。
 当駅付近には東横線最大の元住吉検車区(車両基地)があるので、土地の工面は何とかできても要件が多いため、工事に伴い自治体は振り回されることになります。
 以前日吉側の尻手黒川道路は、地上を走る線路と高架で交差していましたが、今度は線路を高架にするので道路は地上にしてくれの要望。
 そればかりか、武蔵小杉側の踏切は線路が高架になったのに、車両基地への進入路確保のため継続使用され、道路を地下道の交差にしろと(現在準備中)、わがまま放題です(これは自治体側の提案か?)。
 結局は、駅の東西を結ぶメインストリート(商店街)の踏切は車両基地の関係でそのまま(はるかに警報の鳴る時間は短くなりましたが)ですから、川崎市は東急に頭が上がらないのだろうか? と思うも、市民交通の利便性が第一ですものね。

 また車庫への入線経路が変わったため、それまでは「元住吉止まり」でそのまま車庫に入れたものが、武蔵小杉側からしか入れなくなったため、元住吉ではなく「武蔵小杉止まり」となり不便になったとのぼやきが聞こえそうです。
 でも、最終電車は元住吉止まりで、車両はホームで夜を明かすそうです。列車で宿泊はできないと思いますが……


ブレーメン通り商店街(Map)


 ここは元住吉駅西口を起点とする商店街で、1985年中小企業庁の「コミュニティマート構想モデル商店街」とされ、「中世ヨーロッパ風の街づくり」を目指し、1990年に「元住吉西口商店街」→「モトスミ・ブレーメン通り商店街振興組合」となります。
 1991年には、ドイツ ブレーメン市の商店街と友好提携し、商店街には友好の証に贈られた「ブレーメンの音楽隊像」があります。
 狙いでは音楽隊の像を撮るつもりでしたが、商店街の催しで像の存在を無視た出店のパラソルがあり断念しました(もう少し考えろよ!)。
 戸越銀座ほど長くありませんが、空き店舗にもすぐ新しい店が開店するとても活気のある商店街なので、歩くだけでも楽しいストリートが実現できたのではないでしょうか。

 一方、東横線を挟んだ東口にある「オズ通り商店街」(「オズの魔法使い」より)は、1992年西口の「ブレーメン」に対抗して命名されます。
 どちらもファンタジックな命名ですが、それが嫌みにならないのは、店を構える方々の努力によるものと思いますし、これこそが現在の「元住吉の売り!」なのでしょう。
 2駅でも歩いて行っちゃう(これ普通じゃないが、普段歩いているので30分弱と考えると歩いてしまう)「500円ランチの寿司や(名前忘れた)」「肉屋の正直食堂」等、モトスミらしい庶民的な魅力があります。


 東横線元住吉駅と日吉駅の間には矢上川(鶴見川水系)が流れますが、そこから多摩川までは平坦地が広がるので、どこに分水界(雨水が流れ込む川の境界)があるのか見当もつかず調べました。
 中間の武蔵小杉付近には現在も、多摩川の登戸付近にある宿河原堰(TVドラマ『岸辺のアルバム』舞台:洪水時に堰を爆破した様子が記憶に残ります)から取水された二ヶ領(にかりょう)用水が流れていますが、その流れを多摩川と鶴見川の分水界としているようです(用水建設当時も広く水を行き渡らせる目的から、付近で最も高い場所に建設した)。
 その用水が武蔵小杉付近で分流し、渋川とされる流れは慶應大矢上キャンパス付近で矢上川(鶴見川)に合流しますが、そこまで考えて設計していたことに驚いてしまいます。

 当時周辺には網の目のような水路が存在しており、上写真は、そんな水路の記憶をとどめた場所のひとつに見えます。


 上述水路跡近くのマンションのベランダで大きなパラボラアンテナを見かけ、「何を見てるのか?」と考えながらも、いくら何でも今どきの「日よけ対策」でないだろうと……
 大きなパラボラアンテナを立てる理由には、「海外の衛星放送」を無料で見られることがあるようです。
 そのひとつに「ASIANSAT-3S衛星」があり、そこでは「STAR SPORTS:世界中の様々なスポーツ」「Channel[V]:中国・香港・台湾のポップス音楽」「鳳凰衛視:中国・香港・台湾のドラマ」等が見られるそうです。
 しかし、いくら国際色に富んだ映像が楽しめても、字幕が無ければただのディスプレイでしかありません。
 でも、外国籍の方が母国放送を見ようとするならば、その努力はとても理解できるところです。
 今どきのスパイはこんな鈍くさい手は使わないでしょうし、と思うところが盲点だったりして……


 追記
 週明けの金融市場の動向が不安です。
 これまでは関心もないので「勝手にやってくれ」くらいにしか思っていませんでしたが、日本が再生するためには希望が必要です。
 現在の世界経済には3つの懸念材料あるとされます。
 ・アメリカの財政状況の不透明さ
 ・EU諸国の信用不安
 ・日本の財政不安と震災被害

 アメリカやEUは世界の看板役者ですし、格付けでも日本より上位ですから、多少の不安材料があっても頑張ってもらわなきゃ困るのに、同じように財政赤字が莫大で、震災を受けヨレヨレの「Yen」を頼るんじゃないよ! と言いたくなります。
 円はドルの後ろ盾(アメリカ国債保有額では中国に抜かれるも2位)とされるのか、この3極低迷(米・欧・日)の中で「まだマシ」とされることをこの国は、素直によろこべない状況にあります。
 それを好機ととらえ行動に移すには時間が必要です。まずはこの時期を何とか耐えなければ光も見えてきません。

 でも、不安払しょくに懸命なアメリカやEU諸国には協調性が感じられますが、「鉄道事故クーデター」になりかねない中国は、バブル崩壊を目前にしていますから、「ネオ チャイナシンドローム」(原発ではない)からの痛手を減らすため、進出企業には早急なシフトチェンジが課題と思えてなりません……
 

2011/08/01

若い汗は「サラサラ」と感じる場面──武蔵小杉

2011.7.16
【神奈川県】

 台風に続き今度はゲリラ豪雨と、歯止めのきかない「極端な気候」が日常化した昨今は、気の休まる間がありません。
 そんな不安定な気候の中、東京の気温だけに限れば、猛暑日も限られ「むかしの夏はこんな感じだった」と、「夏の記憶」をたどるゆとりを与えてくれます。
 梅雨明け10日は猛烈に暑かったものの、台風が来てクールダウン、豪雨でまたクールダウンと、むかしの夏も台風や大雨で被害を受けたにしても、暑さはそこでひと息つけた気がします。
 近ごろでは夏のプールで唇が紫になる(ガキ時分の経験)ような陽気は、まるっきりなかった印象があります。
 暑さ一辺倒で「夏の間の季節感」のメリハリもありませんでしたが、この夏の気温だけには「懐かしい夏の肌ざわり」があるように思います。
 とは言え、これから8月ですから、気を引き締めて……


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西明寺(Map)


 等々力緑地へ向かう途中、以前にも立ち寄った西明寺入口付近の様子が変わっていることに驚きました。
 付近は江戸時代徳川将軍家の「小杉御殿」(鷹狩り等に利用された宿泊施設)があった場所で、現在もわずかながら面影が残される地区です。
 付近でとても印象に残るのが、西明寺参道へと向かう中原街道が入口付近で鉤(かぎ)状に折れ曲がり続く形状です。
 将軍が訪れる地への外敵進入を防ぐ作りとされますが、現在の街道を往来する車もしっかり足止めを食らう渋滞地区となっています。
 渋滞は困るが、歴史の名残を感じさせてくれる場所に違いありません。
 そこに、曲がり角をショートカットする方向に整地された空き地が伸びています。あらあら、町並みを壊すとは思い切ったことを……

 歴史と共存する開発か、さら地の再開発かの判断は、どこかの時代で求められるにしても、その我慢できない飽和点が現代に訪れたことを(存続への意志が弱まった時代と思われる)、後の時代に伝えられる形で記録する義務があるように思います。
 これで地元自慢が半減するような気がします。地名だけ残ってもねぇ……


 お寺の池はとても狭く(10m四方も無い程度)こんな池でヒナが育てられるのか、という環境で子育てをするカモの家族です。
 上写真は、彼らを追い回すうちに親鳥が岸に上がってしまい、ヒナの力では上がれない状況に追い込んでしまった様子です。ゴメンね……(すぐに親がくわえて引き上げていました)
 でもこんな狭い場所では、カラスやネコに襲われたら親でもヒナを守れないのではあるまいか?
 子育ての環境を含めて、子孫を残すために苦難を乗り越えねばならないのは、人間と同じなのでしょう。


等々力緑地(Map)

 ここは川崎市営の施設で、陸上競技場、硬式野球場、テニスコート、プール、とどろきアリーナ等の施設があり、陸上競技場はJリーグ「川崎フロンターレ」のホームグラウンドになります(Jリーグ発足時の1993年から2000年まで「ヴェルディ川崎」がホーム使用)。


 梅雨明け直後のあきれてしまう「日差し」「暑さ」の中で、全国高等学校野球選手権神奈川大会が行われています(その結果、横浜高校が代表に)。
 大会の頂点である甲子園ではもちろんのこと、地区予選球場の現場に接すると「夏の国民的行事」のすそ野の広さを実感します。
 甲子園に注がれるエネルギー量のすさまじさには毎回感心しますが、そこに至る地方大会で流された関係者・応援の汗をトータルすると、驚愕するような代謝が行われたことになります。
 そんな活動を計測する目安(単位)があれば、国内大会ではギネス級になるのではあるまいか?(国際大会ではオリンピックやW杯がある)

 自分の高校当時は、何かの理由で在籍校の応援に行けなかったのですが、今さらながら行っておくべきだったと……

 上写真は、試合に勝利した学校のブラスバンド部(?)です。
 普段町中で大きな楽器を運ぶ姿を目にし「演奏のためとはいえ大変そう」と感じる対象が、大挙して押し寄せる姿を目にすると、練習を含めた彼らのエネルギー消費量も大変なものだろうと思ってしまいます。
 でもあの年代の回復力は驚異的ですから、「疲れてもうドロドロ…」も一晩寝た翌朝にはケロッとして練習に向かったものです。

 汗くささしか思い浮かばない部活の思い出ですが、外野の視点から見ると野球部員を含め、何て「サラサラ」した汗なのだろうと、美しいモノを見るような気持ちにさせられます。
 年齢や生活習慣から「血液ドロドロ」が避けられない身には、「輝かしき年代」と映るのでしょう。
 女子も男子も懸命に立ち向かい、勝敗は別にしても成し遂げた後の無邪気な姿を「カワイイ」と感じてしまうオヤジは、また来年も立ち寄ってしまいそうです。
 でも、そんな姿が人間社会の営みであり、世代の上下や横の広がりをつなぐ「マトリックス:核」を共有する大切さを、再認識する年齢になったのかも知れません……

 右写真は隣接の陸上トラックで、ウォームアップしている姿です。
 改修直後の競技場は、まぶしいほどのコントラスト(芝の緑、トラックの赤、外側の青)でしたが、いい感じになじんできたように見えます。
 道すがら「トラック&フィールド」(解釈に細かくこだわる向きもあるようだが、陸上部でいいじゃん!)と染められたTシャツ姿の高校生を見かけたので、競技場では大会・記録会が開かれていたようです。


 同敷地には川崎市民ミュージアムがあり(1988年開館の博物館&美術館の複合文化施設)、その前に「トーマス転炉」が保存・展示されています(旧日本鋼管から寄付)。
 製鉄について知識のない者は「炉=溶鉱炉」となりますが、「転炉」とは、製鋼過程で使用された不純物を取り除いて鉄鋼にするための設備のようです。
 これは、世界で唯一保存されているトーマス転炉だそうで、工業で発展してきた川崎市の遺産になります。

 その背後には、付近に広がっていた工場の敷地を再開発し、新たな「売り」にしようともくろんでいる、武蔵小杉の高層ビル群が並びます。
 現在見えるビル群を第一期工事とするならば、第二期工事では東横線の駅に面した両側の再開発が進んでいます(中原区役所周辺の再開発も始まっています)。
 まだこの後も東京機械の工場跡地が控えるので、ホコリっぽさはしばらく続きそうです……


泉沢寺(せんたくじ)(Map)

 これまでも等々力緑地散歩の際は、すぐ脇を流れる二ヶ領用水(にかりょうようすい)沿いをよく歩きましたが、大きな木のある寺の印象があるも立ち寄ることはありませんでした。
 以前訪れた「尾山台の傳乗寺は、川崎の泉沢寺と九品仏浄真寺の中間拠点とされた」と知り、引き寄せられました。


 この寺は以前、東京都世田谷区千歳烏山にあり、世田谷吉良氏の菩提寺でしたが、焼失のためこの地に移されたそうです。
 その吉良氏のイメージには、広く知られる「赤穂浪士の敵役:上野介(こうずけのすけ)の家柄」から、偉ぶった印象があり調べると、室町幕府の足利氏が途絶えたとしたら、関東出身の武家から代わりの将軍を立てられる家柄は吉良氏、という名門なんだそうです。
 なるほど、世田谷だけでなく多摩川の対岸にも影響力があったことから、この寺が最先鋒の要塞として水堀が作られた理由も理解できる気がします。
 二ヶ領用水はこの区間で、その旧水堀を利用しているようです。


 上述の学習から地図を見て思ったのは、江戸時代の小杉御殿および中原街道は現在の西明寺門前で鉤状に屈曲しますが、その延長上には以前からあったと思われる泉沢寺が存在するので、この寺の影響もあったのではないか? という想像です。
 少し視野が広がったように感じましたが、その先はまたの機会にでも……


 地元での明るい話題といえば、Jリーグ「川崎フロンターレ」がここ数年上位にくい込んでいることではあるまいか?
 年に20回程度のホーム試合ですが、その当日はホーム・アウエー双方のユニホームを着たやからが駅前(バス待ちの列)や歩道(町中を歩く列)にあふれますから、地元の店舗は「さぁ、いらっしゃい!」と気合いが入ります。
 日数は少なくとも、活気があることは張り合いにできるのではないでしょうか。

 ちょうど試合があったので、そんな盛り上がる様子を何か撮れないかと三脚担いで夜間撮影に向かいました。
 スタジアムを一周して撮影場所を探してみると、ホームレスがたむろする裏手からの光景がちょうどよかったりしたので……(左側は月)

2011/07/25

川辺は貴重なグラウンド──新丸子

2011.7.16
【神奈川県】

 この夏東京では、まだセミの鳴き声が聞こえてきません。
 今年の梅雨明けは早かったものの、平年が7月20日前後と思うので、もう鳴き始めてもおかしくないはずです。
 春先の低温が影響しているようですが、「放射線の影響」とか言わないで下さいね!
 何かにつけ放射線の影響か? とおびえる東日本の住民は、近ごろちょっとノイローゼ気味なんですから。
 「牛丼は外国産牛肉だから大丈夫だよね?」って話になってしまうのは、お粗末にすぎます……


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多摩川河川敷 神奈川県側(Map)

 前回紹介した調布取水堰の神奈川県側になります。
 写真では分かりませんが、東京側(写真奧)には階段状の水路があり、そこが堰を越える魚たちの魚道と思っていましたが、鮎たちは手前の水しぶきを乗り越えていくようで、炎天下でも「熱中症が怖くて釣りができるか」と? 釣りバカたちが並んでいます。
 水しぶきの合間に鵜の仲間と思われる水鳥の首が見えます。種類の違う鳥も集まるようなので、やはり格好の漁場のようです。

 かなり以前に「カムバックサーモン(多摩川にサケを!)」という運動(テレビCM)がありました。「多摩川にもサケを放流し、市民の環境意識を啓蒙して、多摩川の環境を改善しよう」というもので、1982年から稚魚放流が始まります。
 その後どうなったのか調べると、累計で数百万単位の稚魚を放流し、数百程度のサケが確認されたそうで、ローカルなニュースでは結構取り上げられていたようです(水質を改善しなければ無理だったのでしょう)。
 活動の中心となった「多摩川サケの会」のホームページは、2010年1月以来更新されてないようなので、現在は活動してないかも知れません。
 そもそも多摩川に生息していなかったサケを放流すること自体、無理があったのかも知れません(化石は発見されるも、現在は房総半島周辺が南限とされます)。


 訪問は「なでしこフィーバー」や台風来襲以前の、梅雨明け直後だったので河川敷はカラカラに乾いていました。
 夢中で走り回る子どもたちは気にならないでしょうが、審判や応援・付き添いの親たちは彼らの巻き上げた土埃を浴びるわけですから、紫外線対策を含めて完全防備でないと家に帰ってから大変そうです。
 昔の親はガキの事など放ったらかしなので、「何でこんなに汚れたの!」という結果だけ見て文句を言われたものです。
 活躍の武勇伝が無い日は、へこむばかりでした……

 通勤電車の車窓から見ていると、数年に一度河川敷のグラウンド整備が行われていて、その都度キッチリと芝生が敷きつめられます。
 ご想像の通りアッという間に荒れ果ててしまいますから(ここにも芝生が敷かれていました)、あの作業って「砂漠に水」≒「河川敷に芝生」に思えて仕方ありません(工事完了直後は確かに走りたくなるようなグリーンです)。


 以前丸子橋の川崎側のたもとには、プロ野球巨人の多摩川寮がありました。
 現在ダイエーの王さんや、ジャイアント馬場(馬場正平の名でプレー)までいたそうで、東京側河川敷にあった巨人多摩川グラウンドも近いので、以前は巨人ファンがたむろしたことでしょう(そんな響きから、星飛雄馬(巨人の星)が浮かんでしまう年代です)。
 現在寮の跡地には、室内の天井が高そうなマンションが建っていますが(車窓より)、すぐそばのバッティングセンターは健在です。
 付近を歩くといつもボールを打つ音が響きますが、4〜5打席しかない小規模な施設なんですね。
 パコンパコン打っていたこの兄ちゃんのスイングはキレイなので、それだけ撮ってきました。

 大きな川でよく見かけるゴルフ練習場は、河川敷の最適な利用法ではないかと思う面があります。
 都市周辺でも広い土地を確保できますし、ボールを川に打ち込んでも文句言われないし(練習場の損害?)、とりあえず緑が敷きつめてあれば雰囲気も出るので、利用者は気分よくミスショットができそうです。
 また時折川が氾らんした時もネットを片付けておけば、泥はかぶるにしても大きな損害は無いように思えます。

 新幹線橋りょう下流の東京側にも同様の施設がありますから、ゴルフ好きの多さ(付き合いで足を引っ張らないように? 現在でも接待ゴルフってあるのでしょう)が見て取れる気がします。

 一方、少し下流にあるゴルフ場では芝の手入れが大変そうです。
 ゴルフコースにすれば河川敷は狭い敷地でしょうが、コースにお客を迎えるにはそれなりの手入れが必要になります。

 しかし、期待したのはこの光景ではなく、ゴルファーが帰った後のコースが、犬散歩の「ドッグラン」と化す様子です。
 ゴルフコースを犬が走り回っていいの? という光景は、どうもオフシーズン限定のようです。ゴルフ場も夏場は営業時間が長いようですし、手入れにも時間が必要です。
 夕暮れ時を狙ったつもりですが、夕方とはいえまだ暑いので、犬たちも散歩をせがむころ合いを計っているのかも知れません……(暗くなってからにぎわうのだろうか?)


 今では新幹線が通りますが、江戸時代には中原街道(虎ノ門〜平塚)の街道筋で、橋のない時代は「丸子の渡し」の渡船がありました。
 当時「暴れ川」とされた多摩川を渡るには苦労したようで、多摩川の対岸は別世界と考えられたことも理解できる気がします。
 そんな江戸の出入り前後の憂さを晴らす場とされたのか、新丸子付近には遊郭があったとされます。
 近所で食事する際、時折以前の様子などが耳に入りますが、その痕跡は残っていないようです。
 現在も「昔の色町の流れ」とされるラブホテルが目につきますが、綱島街道沿いに目立っていた一軒が建て替え中です(またホテルができたら驚きですが、おそらくマンションでしょう)。
 出入りする姿はたまに目にしますが、ここは現在でもはやる場所柄なのだろうか? 他の川沿いの町(登戸など)にもその名残が見られます。
 武蔵小杉に越してきたころ(十数年前)から変わらない流れとして、交通の便がいい新丸子周辺では規模の大小を問わず、マンションの建設ラッシュ(再開発)が続いており、実感として駅を利用する人が多くなった印象があります(近ごろは供給過剰かも)。
 そんな流れに飲み込まれ、遊郭の流れとされるラブホテルも「単身向けマンション」になっていくのかも知れません。


 ここは日枝神社の神輿庫(しんよこ)で、大祭では自宅前を練り歩くお神輿が納められており、ここはちょうど自宅地区の神輿庫のようです。
 この大祭は現在も地域全体が盛り上がりますが、この日、日枝神社近くの昨年まで接待場(休憩場)とされた駐車場に、家が建っているのを目にしました。
 年々運営は難しくなっても、切り抜けてきたのですから問題ないでしょうが、今年はちゃんと追いかけてみようかと思っています。

 駅ホームの階段に「ここは新丸子駅です。お間違いのないように」の張り紙があります。
 多摩川線の「下丸子」との勘違いが多いと思っていましたが、複雑な経緯があったようです。
 新丸子駅開設当時、旧目蒲線(現多摩川線)に「丸子駅」(現沼部駅)があったため、混同を避けようと「新丸子駅」とされます。
 その「丸子駅」は東横線開業後に「武蔵丸子駅」に改称され、さらに現「沼部駅」に改称されています。
 そんなにコロコロ変わったのでは、おばあちゃんでなくとも混乱するのは当たり前です。

 人の意識とは、関心のない対象には「ゆるい」方面になびき易いようで、「最寄り駅は下丸子?」と「下」の方に関心が向きやすいようだと、勝手な認識を持っています。
 「新丸子だ!」と何度言っても分からないヤツは仕方ないにせよ、要注意はタクシーで「丸子橋を渡って下さい」(「下」の方は川を渡らない)で気付くようです。
 みんな下ネタ好きで片付けていいなら、それでいいのですが……

2011/05/16

GWにGWが…… ──湘南海岸、下小山田

2011.5.4
【神奈川県】

湘南海岸(Map)

 連休で実家に帰った際、定番ながら鵠沼(くげぬま)〜茅ヶ崎の「湘南海岸サイクリングロード」を歩きました。
 歩き始めた途端、響き渡る轟音に「GW(ゴールデンウィーク)にGW(ジョージワシントン)が来てるのか……」と、空を見上げます。
 このシャレにならない不満は、神奈川県央地区・多摩地区で生活される方にはピンと来ることでしょう。
 これは横須賀に空母が寄港すると、厚木基地で米軍戦闘機の飛行訓練が盛んになり、飛行区域周辺の騒音がやかましくなることを意味します。
 ここ湘南の海でも、多摩センター近くの小山田でも同じようにやかましいのですから、その範囲の広さが理解いただけるでしょう(実家の相模原市も含まれます)。

 震災被災地への米軍の災害救助活動「トモダチ作戦:Operation Tomodachi」報道に隠れ、横須賀に停泊していたGWは、放射能汚染を避けるために佐世保に避難したとのこと(GWには戻りました)。
 軍隊を守るための判断とはいえ、原子力空母である自分たちは大丈夫なのか? とツッコミたくなります。
 ですが、自衛隊の総兵力約24万人のうち被災地支援が「10万人態勢」となれば、国防に当たる人員が半減し自衛不可能ですから、北朝鮮以外は妙な行動は取らないにしても、外敵を構ってられなくなります。
 そこで「体力の弱った同盟国をサポートする軍事力」として、横須賀にGWが構える陣形を維持することは、アメリカの存在感をアピールするには絶好のタイミングであり、見事な外交戦略と感心します(しかし平和ボケの日本人はそれを知らず、ありがたくも感じていません)。
 「何もGWに飛行訓練することはねぇだろ!」と思うも、それがグローバル化(連休関係なし)の一端であり、自国の防衛すら「米軍の保護下」でしか保てない(自立できない)ことを、思い知らされた気がします。


 仮に日本が米軍から自立したとしても、この機に乗じて北朝鮮もしくは話し合い不能な国がミサイルを撃ち込んできたら?
 日本人はおそらく、ミサイル被害を受けた地域の救援を最優先するも、当事国には反撃せず国連軍等の援護を待つのではないでしょうか。
 日本は、人民を守るための「最低限の軍隊」しか保持しないことは理解できましたが、外国からのミサイル攻撃を防ぐことも「国の威信」にかかわる大きな課題です。
 米国のいいなりだった政府はこれまで、その考え方について国民の意見に耳を傾けようとすらしていません。
 今回のような大災害で「頼りになる自衛隊」への感謝は大切ですが、国防をどう考えるのか? この経験を踏まえた国民の意見を聞いた上で、基地問題を再考する必要があるのではないでしょうか。(上写真奧は江の島)


 上写真は、砂浜の防砂柵に吹きだまった砂が流れ落ちる様子ですが、その形が中国西部の敦煌(とんこう)にある「莫高窟(ばっこうくつ:360年前後から千年近く利用された)の外観のように見えました。
 敦煌は古代シルクロードの要所で、仏教はインドからこの地を経て中国に伝来した事を示す、経典や古文書が多く残されています。
 莫高窟は垂直に浸食された山腹の崖にあり、背後の砂丘から押し寄せる砂に埋もれたおかげで盗掘からまぬがれたとも聞きます。

 写真左側に黒っぽい帯状の層が見えますが、おそらくその層が水分をためているため崩れにくく、その上部に柱状の砂が残されているようです。
 黒っぽい層は他では見られませんし、付近の遊歩道の砂が片けられ歩きやすかったことから、砂浜整備作業のショベルカー等で運ばれた粘土質のモノかも知れません。


 海岸を歩く立場からすると、砂を巻き上げる風はやっかいですが、しけ気味の海はサーファーにとっては好都合と思われます。
 風浪が強すぎてよくないのか、丘ではポイントを探すような黒装束を見かけますが、海に入っているサーファーは少ないようです。
 もし「放射能汚染水が流れてきたら」との心理であれば、その敏感さは海で磨かれたモノとも思えますが(ガブガブ飲んじゃうし)、夏の海水浴シーズンに「湘南海岸は人影もまばら」となったらどうしましょう?
 「沖縄なら大丈夫!」等、遠出する前向きな人が増えればいいのですが、風評被害の被害届を出しても、ここまでは面倒見てくれない気もするので、この辺でやめましょうね……(サザンの限定復活ライブ等が必要かも知れません)


2011.5.5
【東京都】

下小山田


 以前の小山田で会ったおじさんオススメの、となりの谷戸(丘陵地が浸食された谷地)を歩きました。
 隣接した環境でも、谷を縦断する自動車道の有無でこんなにも運命が変わるのか? との違いに驚きます。
 袋小路の谷より、谷を抜ける道路のある方が便利に違いありませんが、便利さは人を引きつけるので、それを守ろうとする勢力が多数派となり、道路が砦のように補強され谷戸を分断していきます。
 水の流れは保全されても、道路から眺めた左右の景色が別物と認識され、谷戸の魅力は半減してしまいます。
 おじさんが暮らす隣の谷では、川(湿地)に阻まれ足を運べなくても谷戸の全体像を見て取れました。

 自治体は「車でのアクセスが可能なので、公園も作れた」と言いそうな小山田緑地が、2つの谷を隔てる丘陵地にあります。
 時間が無く立ち寄りませんでしたが、人を集めることを目的とした公園施設らしく(グランドもある)、駐車場には多くの車が止まっています。
 結局おじさんは「公園よりもこっちの谷の方がよっぽどいい」との評判など、自分が暮らす谷の自慢をしたかったという気がしてきます……
 上下写真の周辺は道路で分断されても(上は川下に向かい道路の右側、下は左側)、以前からの原風景が見事に残されています。


 「鶴見川源流 泉ひろば」で終了のつもりでしたが(おじさんに振り回された感も)、今回で鶴見川シリーズは終了になります。
 横浜・多摩地区には、まだ素晴らしい「原風景」が残ることを知り、また歩きたい地域が増えたことをよろこんでいます。


追記──
 福島原発での「メルトダウン」(炉心溶融:原子炉内の核燃料が炉心の制御棒等を含めて融解すること)を認める衝撃的な発表がありました。
 その響きは1979年「スリーマイル島原発事故」を想起させ、また映画『チャイナ・シンドローム』(公開から12日後にその事故が起きた)タイトル引用元のジョークとされる、「アメリカの原発がメルトダウンを起こすと、溶けた核燃料が地殻を突き抜け中国まで達するかも」から、地球を貫通する状況をイメージしたことまで思い出します(現実には、地下水に触れ爆発を起こして収束するので、あり得ないようです)。

 原子力発電における最悪の事態を日本で起こしてしまったのですから、関係者の意気が「メルトダウン」するのは当然でも、原子力保安院をはじめとする研究者たちは、「絶好の研究対象」と目の色を変えて走り回り、海外からもそんな目で注目されていることでしょう。
 確かに「今後のため」に違いないのですが、その視線は地元民や日本人全体を「人体実験のモルモット(実験用の生体)」と見ています。
 原爆を落とした上で、放射能の人体への影響を広島・長崎で人体実験した米国ほど非道ではないにしても、「絶対安全」とすり込まれながら事故発生の途端、人類の将来のために国民がモルモットとしてさらされる惨めさを、敗戦の屈辱同様に国民に与えた「国策の過ち」を、政府は認める責任があります!


 夏の節電目標が当初の25%から15%に引き下げられました。
 これは現実的な数値と思えるので、何とか乗り切れるようにも思えます。
 ですが、近ごろ極端に暑い日はエアコンを入れてしまうので、それをどう我慢(回避)するかの課題(葛藤?)は、秋まで続きます。
 家庭での電力消費の50%強はエアコンだそうです。うちでは季節を問わず扇風機を使用していますが、エアコンも入れてしまいます……