2011/08/08

地名は大切な財産──元住吉

2011.7.17
【神奈川県】

 暑さとゲリラ豪雨で迎えた8月ですが、自分の中にある「8月」に対する意識というものは、年齢を重ねるごとにその重みが増しているような印象があります。
 夏の甲子園が開幕し、広島・長崎原爆の日があり、終戦(敗戦)の日があり、お盆を迎えます。
 大地震被災地の思いを背負った球児が、苦悩を抱えながらも晴れの舞台で躍動する姿や、被災者の新盆なのに「今年の夏祭りは無理だろう…」の葛藤から、自身や周囲を鼓舞しながら規模は小さくとも祭りを作り上げていく姿のTVレポートに、涙が止まらなくなります……
 この国の人々は、数々の苦しみや痛みを今回のように共有することから、地域〜島国全体へと絆を深めていったことが、痛いほど伝わってきますし、自分の流す涙からもその一員であるとの「自覚」をしっかりと感じることができました……



より大きな地図で 東横沿線 を表示

法政二高(Map)

 東横線武蔵小杉駅〜元住吉駅間の西側に法政大学第二中・高等学校(法政二高)があります。
 大学などでは目にしますが、高校に時計台があることは自慢として記憶に残るでしょうし、高い建物が増えた現在でも、東横線やJR南武線の車窓からもこの白い塔は目につくので、その存在感は健在です。
 時計台や教会の尖塔(せんとう)のように、地域のシンボルとなる建造物を作る側には、その姿に恥じぬ自覚が求められますから、そこに通う生徒たちの気持ちも引き締まるのでしょう。実際生徒たちの品行はいいように見受けられます。

 法政二高といえば「柴田勲(元巨人)率いる野球部の甲子園夏春連覇(1960〜61年)」と語られたのはかなり古い話ですが、当時騒ぎすぎたためか、それ以降の伝説を耳にしていない気がします。
 しかし卒業名簿には、神和住純(テニス選手)、岩合光昭(写真家)、寺尾聰(中退)等々、名の知れた方々の名前が並びます。

 高校2年時だったか夏の甲子園予選で、在籍校がシードの法政二高に勝利したことがありました。開校4年目の新参者としては快挙と、大いに盛り上がりましたが、ご想像の通り次戦で敗退しました。
 何年たっても話のネタにできるのだから立派なものです。他のネタは思い浮かびませんが「青春してたんだろうなぁ〜」だけは、きっと確かなのでしょう……


住吉神社(Map)


 上写真は、駅近くの線路沿いにある住吉神社です。
 夏祭り(盆踊り)で使用されるやぐらが準備されていますが、その骨組みはどこもこんな夢のない姿なのかも知れません。
 そんな準備中のやぐらでも、ガキ時分には祭りへの期待感からか、用もないのに遊び場にして怒られたことを思い出したりします。

 元は矢倉神社の名が、明治42年(1909年)政府の「神社合祀政策」(神社の数を減らして経費節減し「国家の宗祀」体制を守るため)により、10の神社が合祀(ごうし)され、当時の村名から「住吉神社」となります。
 同様の経緯を持つ神社をよく目にするので、「富国強兵」時代の経費節減策規模の大きさが想像されます。
 しかし現在は、エネルギー政策立て直しに向け国民は節電に努力しているのですから、「余剰脂肪」だけでも削った国政運営をしてくれなければ、それに腹を立てたクーデターが起きたとしても、非難できないと思ったりします……

 「住吉」の響きから、大阪住吉大社の由来と思っていたのでこの経緯には驚きました(現在は江戸っ子気質バリバリの佃島の住吉神社も、大阪に由来します)。
 この「住吉」の名は、「瑞祥地名(ずいしょうちめい:めでたい言葉が由緒無く使われる地名)」とされるそうです。
 「住吉」とは海の神に由来するらしいので、海辺だったと思われる縄文時代までさかのぼれば、接点が見つかるのかも知れません……


元住吉駅(Map)


 ところが、1925年(大正14年)に住吉村は中原町に合併され、「住吉」の地名は消滅してしまいます。
 住民が失望した翌年に開業する東京横浜電鉄(現東急)駅名決定には、地元の強い要望から「元住吉:元の住吉村」とされた経緯があるそうです。
 「住吉」という全国区のメジャーな地名に「元」がついているので、歴史へのロマンが大きく膨らみますが、実に分かりやすいオチなのが、歴史の浅い関東的という気もします。
 ですが、元の「住吉村」のネーミングには、関西出身者が関係していたように思えてなりません……


 ここは2006年目黒線の日吉延伸(複々線化)工事により、巨大な高架駅とされました。
 当駅付近には東横線最大の元住吉検車区(車両基地)があるので、土地の工面は何とかできても要件が多いため、工事に伴い自治体は振り回されることになります。
 以前日吉側の尻手黒川道路は、地上を走る線路と高架で交差していましたが、今度は線路を高架にするので道路は地上にしてくれの要望。
 そればかりか、武蔵小杉側の踏切は線路が高架になったのに、車両基地への進入路確保のため継続使用され、道路を地下道の交差にしろと(現在準備中)、わがまま放題です(これは自治体側の提案か?)。
 結局は、駅の東西を結ぶメインストリート(商店街)の踏切は車両基地の関係でそのまま(はるかに警報の鳴る時間は短くなりましたが)ですから、川崎市は東急に頭が上がらないのだろうか? と思うも、市民交通の利便性が第一ですものね。

 また車庫への入線経路が変わったため、それまでは「元住吉止まり」でそのまま車庫に入れたものが、武蔵小杉側からしか入れなくなったため、元住吉ではなく「武蔵小杉止まり」となり不便になったとのぼやきが聞こえそうです。
 でも、最終電車は元住吉止まりで、車両はホームで夜を明かすそうです。列車で宿泊はできないと思いますが……


ブレーメン通り商店街(Map)


 ここは元住吉駅西口を起点とする商店街で、1985年中小企業庁の「コミュニティマート構想モデル商店街」とされ、「中世ヨーロッパ風の街づくり」を目指し、1990年に「元住吉西口商店街」→「モトスミ・ブレーメン通り商店街振興組合」となります。
 1991年には、ドイツ ブレーメン市の商店街と友好提携し、商店街には友好の証に贈られた「ブレーメンの音楽隊像」があります。
 狙いでは音楽隊の像を撮るつもりでしたが、商店街の催しで像の存在を無視た出店のパラソルがあり断念しました(もう少し考えろよ!)。
 戸越銀座ほど長くありませんが、空き店舗にもすぐ新しい店が開店するとても活気のある商店街なので、歩くだけでも楽しいストリートが実現できたのではないでしょうか。

 一方、東横線を挟んだ東口にある「オズ通り商店街」(「オズの魔法使い」より)は、1992年西口の「ブレーメン」に対抗して命名されます。
 どちらもファンタジックな命名ですが、それが嫌みにならないのは、店を構える方々の努力によるものと思いますし、これこそが現在の「元住吉の売り!」なのでしょう。
 2駅でも歩いて行っちゃう(これ普通じゃないが、普段歩いているので30分弱と考えると歩いてしまう)「500円ランチの寿司や(名前忘れた)」「肉屋の正直食堂」等、モトスミらしい庶民的な魅力があります。


 東横線元住吉駅と日吉駅の間には矢上川(鶴見川水系)が流れますが、そこから多摩川までは平坦地が広がるので、どこに分水界(雨水が流れ込む川の境界)があるのか見当もつかず調べました。
 中間の武蔵小杉付近には現在も、多摩川の登戸付近にある宿河原堰(TVドラマ『岸辺のアルバム』舞台:洪水時に堰を爆破した様子が記憶に残ります)から取水された二ヶ領(にかりょう)用水が流れていますが、その流れを多摩川と鶴見川の分水界としているようです(用水建設当時も広く水を行き渡らせる目的から、付近で最も高い場所に建設した)。
 その用水が武蔵小杉付近で分流し、渋川とされる流れは慶應大矢上キャンパス付近で矢上川(鶴見川)に合流しますが、そこまで考えて設計していたことに驚いてしまいます。

 当時周辺には網の目のような水路が存在しており、上写真は、そんな水路の記憶をとどめた場所のひとつに見えます。


 上述水路跡近くのマンションのベランダで大きなパラボラアンテナを見かけ、「何を見てるのか?」と考えながらも、いくら何でも今どきの「日よけ対策」でないだろうと……
 大きなパラボラアンテナを立てる理由には、「海外の衛星放送」を無料で見られることがあるようです。
 そのひとつに「ASIANSAT-3S衛星」があり、そこでは「STAR SPORTS:世界中の様々なスポーツ」「Channel[V]:中国・香港・台湾のポップス音楽」「鳳凰衛視:中国・香港・台湾のドラマ」等が見られるそうです。
 しかし、いくら国際色に富んだ映像が楽しめても、字幕が無ければただのディスプレイでしかありません。
 でも、外国籍の方が母国放送を見ようとするならば、その努力はとても理解できるところです。
 今どきのスパイはこんな鈍くさい手は使わないでしょうし、と思うところが盲点だったりして……


 追記
 週明けの金融市場の動向が不安です。
 これまでは関心もないので「勝手にやってくれ」くらいにしか思っていませんでしたが、日本が再生するためには希望が必要です。
 現在の世界経済には3つの懸念材料あるとされます。
 ・アメリカの財政状況の不透明さ
 ・EU諸国の信用不安
 ・日本の財政不安と震災被害

 アメリカやEUは世界の看板役者ですし、格付けでも日本より上位ですから、多少の不安材料があっても頑張ってもらわなきゃ困るのに、同じように財政赤字が莫大で、震災を受けヨレヨレの「Yen」を頼るんじゃないよ! と言いたくなります。
 円はドルの後ろ盾(アメリカ国債保有額では中国に抜かれるも2位)とされるのか、この3極低迷(米・欧・日)の中で「まだマシ」とされることをこの国は、素直によろこべない状況にあります。
 それを好機ととらえ行動に移すには時間が必要です。まずはこの時期を何とか耐えなければ光も見えてきません。

 でも、不安払しょくに懸命なアメリカやEU諸国には協調性が感じられますが、「鉄道事故クーデター」になりかねない中国は、バブル崩壊を目前にしていますから、「ネオ チャイナシンドローム」(原発ではない)からの痛手を減らすため、進出企業には早急なシフトチェンジが課題と思えてなりません……
 

0 件のコメント: