2010.10.16
【神奈川県】
右写真は前回の鶴見川との合流地点ですが、今回は支流の矢上川を歩きます(右が鶴見川、左が矢上川、正面が河口方面)。
わたしもそうでしたが「鶴見川なんて…」と、関心すら持たない人が多いと思いますが、意外な場所にその支流が流れているので、足元を流れる川を再評価してもらおうと、できるだけ支流を歩くつもりでいます。
矢上川が流れる東横線元住吉駅付近(上写真から少し上流)から多摩川方面には高台は見られないので、多摩川の氾らん原(洪水の影響を受ける地域)というイメージがありました。
以前紹介した、多摩川から取水される二ヶ領用水が元住吉付近で合流していていることにもよります(多摩川と鶴見川がつながっていることになります)。
少し上流の丘陵地から平地に流れ出る蟹ヶ谷(かにがや)辺りの地形を見るまで、本当に多摩川と別水系なのだろうか? の疑問は消えません。
これは推測ですが、多摩川が思いっきり氾らんした後に、矢上川がその氾らん原を少しずつ削り込んだようにも見えます。
江戸時代二ヶ領用水開削に際しては、多摩川と鶴見川の高低差が計算されていたのですから、大したモノです。なんて言うと「バカにするなよ!」と怒られそう……
梶が谷貨物ターミナル(Map)
近ごろではJR武蔵野線の名称も、東京駅京葉線の「武蔵野線経由」などで目につくようになりましたが、以前は車内にトンボが飛んでるようなローカル線でした。
武蔵野線は、山手貨物線の代替貨物専用線(そうそう以前は新宿や渋谷駅で、埼京線の線路に貨物車両が走るのを目にしました)として1964年に着工され、府中本町〜西船橋間で1973年に旅客営業を開始します。
しかし、周辺の宅地開発はそれ以降となるため貨物車両主体の運行が続いたので、ローカル線のイメージがとても強い路線でした。
「東京メガループ」という計画だそうで、聞いたことありませんがおそらく、都心を回避するルートのイメージのようで(高速道路「圏央道」のような構想)、そこには京葉線、南武線、横浜線も含まれるそうです(鶴見〜西船橋間の路線ですが、鶴見〜 府中本町間は貨物専用)。
前説が長くなりましたが、この貨物線は神奈川県内の半分以上がトンネルで、谷あいに顔を出した場所に貨物ターミナル駅があると地図で知り、何か秘密めいた理由でもあるのか? との興味がありました(トンネルを抜けた場所に貨物駅がありますが、その先はまたすぐトンネルになります)。
しかし対面したその貨物ターミナル周辺は、すっかり住宅に包囲されてしまい、現在では逆に「何でこんなところに貨物駅があるの?」と思われるようなありさまです。
貨物ターミナル建設の動機は、川崎内陸部の工場関連貨物、多摩地区や港北ニュータウンなどへの消費物資の需要増が見込まれたためとされます。
恵比寿駅、渋谷駅の貨物取り扱いまでこの駅に集約されるも、どうも思惑通りにはいかないようです。
貨物列車は大口の荷物では威力を発揮するものの、小分け配送が求められトラック輸送が重宝される時代では、苦戦するのも当然です。
「東京メガループ」とはJR側の勝手な主張なわけで、結局都心を目指す物流への対応が必要になってしまいます。
魔法の呪文である「エコ」は、果たして鉄道貨物の救世主になるのだろうか?
武蔵野貨物線への関心として「いったい、どこから地下に入ったんだろうねぇ?」というものがありました。
地図によると貨物線は、武蔵小杉あたりで地下に潜っています。以前から探していたのですが、先日開業した横須賀線武蔵小杉駅の横浜側に、地下に潜る線路を発見しました(これも新駅開業効果のひとつ?)。
この貨物線は都心の地下鉄とは違い、地上の建造物に気兼ねすることなく、マンションや区役所の地下を我がもの顔で通っていきます(深い場所だと制限がなくなるのだろうか)。
これまでは軍需鉄道だったのか? と思っていましたが、違うことが分かったので少しホッとしました。
馬絹(まきぬ)神社(Map)
一般的には、源頼朝が松の木に絹を掛けたことに由来するとされますが、神社側は正しい伝説(?)をこしらえたかったようです。
この神社は、伊邪那美命(イザナミのみこと:イザナギとの間に日本創成期に活躍する多数の子をもうけたとされる伝説のヒロイン)を祭ることから、女体神社と呼ばれたそうです(子孫繁栄、国家安泰の象徴なのは分かりますが、何とも直接的な表現です。以前女性に対し、不適切な発言をした議員の先生方は、そんな教育を受けていたのかも知れません)。
明治時代付近にあった、女体神社、八幡神社、三島神社、熊野神社、白山神社を併合し神明神社としますが、1986年本殿建て替えに伴い社名を馬絹神社とします。
現代受けしそうなつじつま合わせにも見えますが、氏子衆がそれで納得したのでしょうから、神道にも未来があるように思えました。
宗教界の「合祀(ごうし)」という業は、「来る者は拒まず」という寛容さのようにも見えますが、裏返すと信徒を増やせるなら何でもあり、とも受け取れたりします。
神社の裏手には、古墳時代後期(6世紀初め〜7世紀半ば)とされる「馬絹古墳」があります。
盗掘のため副葬遺物は失われますが、石室の形状や築造方法には、朝鮮半島からの影響が見られるそうです。
古代の関東で、朝鮮半島からの影響に言及する記述はめずらしい気がするので、今後注意してみます。
なんだかそれが、京の都から見た「東国の野蛮人」(都に入れなかった文化程度の劣る朝鮮半島出身者)のルーツだとすると、とてもはまりすぎてる気がしてなりません……
ここには、御神木とされる枯れ果てた「千年の松」が祭られています(右写真)。
これはホントに予想外で、馬の顔に見えることに自分でも驚いています。
日の陰った場所なので、キレイに撮れなくても「とりあえず撮っておこう」と、絵になりそうなアングルを探しただけで、この絵はまったく想像できませんでした(デジカメの威力です)。
矢上川本流と思われる流れはこの先、東急田園都市線宮前平駅付近へとさかのぼれます。
また途中で合流した流れは、鷺沼駅とたまプラーザ駅の間へと続きます。
この後坂道を上り宮崎台駅まで歩きましたが、傾斜地を無理やり開発した地域での暮らしを「健康にいい」としたい気持ちも分かりますが、それは「健康な時に思える希望」でしかないように思えた坂道でした。
これまで平地で暮らしてきたわたしには、ちょっと尻込みしてしまう環境です……
追記
NHK大河ドラマ『龍馬伝』も、中岡慎太郎と藤吉(龍馬と共に暗殺される)が登場してくれば、物語はクライマックスです。
これまでさまざまなエピソードを紹介してきた物語ですが(その豊富さにはヒーローの貫録を感じます)、1974年の『竜馬暗殺』(黒木和雄監督 原田芳雄主演)という映画を再評価したいと思うようになりました。
その映画は、さまざまなエピソードを排除して、竜馬と慎太(郎)の友情物語だけにフォーカスを当て、幕末の動乱期を描いています。
その姿勢の違いに「大河ドラマ」の存在理由と、アングラとも思える映画『竜馬暗殺』の存在価値があるように思えてきます。
時代によってさまざまな役者が演じたり、さまざまな見方をされることは、龍馬本人もよろこぶでしょうし、日本人の視野を狭めないためにもとても大切なことと思います(近ごろの中国は何だか妙なかじ取りに見えます)。
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