2010.9.25
【神奈川県】
今回から横浜・多摩丘陵周辺の里山を、鶴見川を軸にして歩こうと考えていますが、「川シリーズ第2弾」とうたうには、ちと気が引けます。
全国的にも水質汚染でワーストに含まれる鶴見川の流域には、まだ農地や里山が残されているのに、なぜ川は汚れてしまうの? という切り口で伝えられればと思っています。
地元には「ワーストの評価方法がなっとらん」との意見もありますが、決してキレイな川ではないので、努力目標にしてもらいたいものです。
このシリーズでは、初めて訪問する場所が多くなりそうで楽しみな反面、期待外れもあるかも知れない点は、お含みおきください。
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本来は、河口付近から上流に向かいたいと考えるのですが、夏の暑さで稲刈りが早まると稲穂の絵が撮れなくなるので、今回は「今年の出来はどう?」(農業関係者のようですが)と様子見を兼ねて、昨年訪れたJR横浜線十日市場駅付近の新治(にいはる)地区をのぞいてきました。
新治市民の森(Map)
ここは農地のクリ林なので、地面に落ちているのは収穫後の殻だけです。
谷戸(やと:丘陵地が浸食されてできた谷地形)の奥まった場所なので、日当たりは決してよくありませんが、他の場所より収穫期は早いようです。
クリ栽培について調べるとどこも「日当たり第一」とありますが、付近の日当たりのいい場所の木には、まだ青いイガがついています。
ここは水に恵まれているため? もしくは未成熟で廃棄されたのか?
品種によりますが、収穫はイガが褐色に変化し外皮が割れて、実の皮が色づくころとされます。
「クリ拾い」というくらいですし、完熟して落花したイガの部分を靴裏で押さえて実を集めた記憶があります。
この日は明け方に台風がかすめて通過していったので、土にはタップリ水分が含まれています。
当日の作業なのか分かりませんが、稲干しの周囲には無数の足跡が残されています(上写真右の凹凸は足跡)。
こんなぬかるみの中を、これだけ歩き回ったら次の日は立ち上がれないのでは? と思ってしまいます(普段使わない筋肉が悲鳴をあげそう)。
日々の積み重ねで体は慣れるとしても、これは相当な重労働になります。
数時間付き合わせてもらう体験農業や、子どもたちが田植えではしゃぐ姿は、農作業の表面的な薄皮のようなもので、それとは比較にならない「重さ」が、ここには残されているように感じました。
作物を育てること+田んぼ(施設)を守る作業内容を考えると、仕事にキリのないことが分かりますし、台風の被害が心配で嵐の中でも田んぼを見に行ってしまう心情も理解できる気がします。
機械を入れられない場所だけど何とか守って欲しい、と簡単に言うけれど「その前に一度やってみろ」というのが本当の体験農業なのかも知れません……
昨年の訪問もちょうど同時期だったのでその様子と比べてみると、おおよそ実り具合や、刈り取りの様子は同程度に見えました。
刈り取り時期は、台風で稲が倒れたなどの緊急性がない限り、基本的に暦にしたがって行われることが、自分の目で確認できたような気がします。
今年の米の作柄については、5月から6月にかけて低温や日照不足の影響を受けたものの、夏場に高温が続いたことで稲の生育は回復し、作柄(収穫量)はおおむね「平年並み」が見込まれています。
ですが、夏場の高温のせいで品質はとても悪いとのこと。消費者側には暑さによる「味の低下」は避けられないと織込み済みでも、生産者側はそれを理由に値段をたたかれるのですから、たまったものではありません。
とりあえずは生産者への援助も必要ですが、根本治療(可能な限りの気候安定)なくしては同じ事の繰り返しになってしまいます。
一方、秋の花であるヒガンバナの開花は、猛暑と少雨で遅れ気味です。
この植物は毒を持ち、ネズミ、モグラ、虫など田・畑を荒らす生き物を追い払う役目を負うため、古くから田・畑のあぜ道でよく見かけられました(球根や茎も毒性を持ち、花は咲かずとも存在だけで効力がある)。
墓地にこの花が植えられるのも、死体(骨)が生き物たちに荒されるのを防ぐためとされます。
コスモスの花って、ちょっとしなやかすぎる印象があります。
群生してもそれぞれの茎は細いので、株ごとの事情で様々な揺れ方をしますし、その動きもとても気まぐれに感じられます。
じっとしてくれない姿にイライラする気の短さを、「秋の風を楽しんでますか?」となだめられているかのようです。
コスモスは日当たりと水はけのいい場所ならどこでも育つので、休耕田やスキー場などに「人寄せコスモス畑」が作られ、地域おこしに利用されています。
ですが今年は、ヒガンバナ同様秋の花のため開花が遅れ、各地で花のない「コスモス祭り」となり、バスツアーなど大勢訪れる人気スポットでは対応が大変なようです。
季節を売り物にする施設の宿命ではありますが、この先も気象庁が「異常気象」を乱発する気候が続くと、季節商売はより難しくなりそうです……
ここに横たわる材木たちは、おそらく稲干に使われる木々のようですが、この時期に放置されているところを見ると、もうこの家では稲作は行われていないのかも知れません。
カメラの反対側に農地があるのですが、近くに田んぼは見当たりません。おそらく目の前の畑は、田んぼから転換されたようです。
畑なら何とか世話はできるが、田んぼは無理との判断だとすると、小規模の稲作には苦労の多いこと(労力だけではなく、収入に関しても)が想像されます。
そこで、農地維持保全基金的なものを立ち上げて、年金暮らしを始め時間をもてあます団塊世代の「ジジ・ババ様」(敬愛を込めた表現)に向けて、「首都近郊で土をいじりしませんか?」と声を掛けてはいかがだろうか?
近ごろリタイア組が「自分で育てた作物を食したい」と、農作業に取り組む様子を見聞きするので、「勤務時間は日没まで」「残業無し」「ノルマ無し」としたら集まるような気もするのですが、って、あまりにも失礼ですかね?
でも、そんな枠組みに賛同する人が集まれば、とりあえず次の世代(ジジ・ババ様の目の届く子孫)へのバトンタッチはできるのではないだろうか。
「年寄りをこき使うなって?」
だっていまのわれわれは「何いってんだ、忙しいんだから仕方ないだろ!」のさなかにいるのですから……
今回の写真を眺めていると、秋の乾いた空気感のせいか、どれも落ち着いた絵になった気がします(撮影者の心理状態の反映ならばうれしいのですが)。
再訪する動機にはこちらの気持ちも大切ですし、相手から「手招きされている」との錯覚も重要と思います。
農耕民族であった日本人の祖先から受け継いだ根っこであり、世代を超えて共有できる「里山の記憶」というものが、自分の中にもあると実感できることがうれしくて、誘われてもいないのに足が向いてしまうのかも知れません。
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