2009/10/05

新米入荷しました!──十日市場

2009.9.26
【神奈川県】


 わたしは、商店街の「新米入荷」の張り紙を目にした瞬間に、条件反射でだ液の分泌が促進される方なので、「米食系」などと言われるかも知れません。
 新米をおいしくいただいた後ですが、刈り取られた稲穂が干される光景を見たくなり、「稲刈りに間に合うか?」と調べてみました。
 横浜には、以前紹介した「寺家(じけ)ふるさと村」以外にも、稲刈りの光景を見られる場所があるようなので、トライしてみました。


 新治(にいはる)市民の森

 ここは、横浜市の新治市民の森といい、JR横浜線の十日市場駅から徒歩20分ほどの場所にあります。
 横浜の原風景とも言える「谷戸(やと:丘陵が浸食されてできた谷状の地形)」の連なる地域が、現在もその地で農業を営まれている方々の協力によって、散策可能な市民の森として維持されています。


 市民の森の入口付近にある「新治里山交流センター(旧奥津邸)」の門をくぐった目の前に「頭上注意」の看板があります。
 何かと思えば「完熟柿が落ちてきます」とのこと。
 わたしは柿をほとんど食べないので、そのありがたみを理解していませんが、地元の人たちは十分な量を確保したということなのだろうか(鳥に食べられた跡は見られません)。
 その先を歩いてみると、そこらじゅうに落ちた実が散乱している実態に遭遇し、その理由が理解できます。
 害虫を駆除してくれた鳥たちへのご褒美のようで、彼らはおいしい部分だけしか食べないのかも知れません(それは贅沢なのか、本能なのか……)。


 「黄金色」とはまさしくこのことで、育ててきた農家でなくとも、この光景には日本人として喜びを感じてしまいます。
 稲穂を観察してみると、どの籾(もみ)も均等に成熟しているわけではないように見られます。
 今年の国内の作柄は「やや不良」とされるそうです(冷夏というか、天候不順であったことは確かです)。

 食欲の秋、と言われますが、お米のおいしいことが第一の条件ではないでしょうか。
 畑や山の幸、海の恵みが続々と店頭に並んで、舌鼓を打ちますが、やはり最後は「これで、飯食いてぇ!」と思ったりします。
 確かに、パンやめん類(そば・うどん・パスタ等)を食べる機会は増えています。
 ですが、どれも「うまい米」にはかなわないと思っているにもかかわらず、米食の割合を考えてみると、その機会は思いの外少ないのかも知れません。
 それを指摘されると「日本の米作りを守らねば!」の声も、小さくなってしまいそうです。
 おいしいお米は食べたいけれど、そんなにいっぱい食べられない。
 って、勝手すぎる要望であることを、認識しました……


 干されたばかりのようで、右写真ではまだ茎に青い部分が見られます。
 これを稲木干し、もしくは、稲架掛け(はさかけ)と呼ぶそうです。
 いまどきはコンバインによって、稲刈り〜脱穀を一気に行い、脱穀された籾は、穀物乾燥機で乾燥させます。
 ちなみに、コンバインで稲刈りをしている方々が、よくタオルや手ぬぐいを顔に巻いているのは、機械から排出される藁くずが皮膚に炎症起こす恐れがあるための、予防策なんだそうです。
 いまどきでは、操縦席が密閉されているものや、エアコン付きのコンバインなども出回っているそうです。
 農業やってみます?


 谷戸を囲む丘陵地には、とてもいい雑木林が残されており、ガキの頃近所に住んでいたら、毎日駆け回って秘密基地を作ったことでしょう。
 そんなガキの時分には、遊びに夢中で気にも止めなかった虫さされですが、ここ数週間連続でやられています(夏の高尾山でも刺されなかったのに)。
 連続でやられたもので、かゆみが治まった個所も、別の個所を刺されると連動して(?)かゆみがぶり返すこともありました。
 脳にはかゆみに反応する部位があると、最近のニュースで知りましたが、忘れていたかゆみまで思い出させるのだろうか?
 年齢と共にそんな神経だけ過敏になるとしたら、困りモンだなぁ〜。

 右写真の彼岸花(曼珠沙華:マンジュシャゲ)は、田んぼのあぜには当たり前にあると思っていましたが、土地改良などをした場所では見られないようです。
 花の盛りもそれほど長くないようで、元気な株はこれくらいしか見あたりませんでした。
 日本の彼岸花は、稲作の伝来時に中国から土と共に、鱗茎(りんけい:球根の一種)が混入してきて広まった帰化植物なんだそうです。
 それが広まったため、日本の彼岸花はすべて遺伝子的に同一とされているそうです(中国からの1株から日本各地に広まったと考えられるそうです)。
 雌雄についても雌株だけになるので、受粉による繁殖はできないんですって。
 とても信じられませんが、これを研究テーマにしたら論文書けそう、と思ったりもしました。


 こちらの籾は、乾燥していておいしいのでしょうか、スズメが大挙して群れていました。
 その数を目にすると「お米がなくなっちゃう」と思ったのですが、あれは防げないでしょうし、秋の実りのおすそ分けとして、許容しているようです。
 でも、スズメは稲の害虫を食べてくれるわけですから、わたしたちが容易に口にしがちな「共存」の身近な例を、目にできた気がします。
 小学校の社会見学のようですが、自分の目で再確認できたことは、大切な見聞と思います……


 ここは、駅に戻る丘の峠付近になります。
 そんな丘を越えて、駅側にあるらしい中学や高校から下校してくる制服姿が目につく時間帯です。
 現在の彼や彼女たちには、こんな環境に囲まれた地域の中を毎日通っているなんてことには、関心のかけらもないのだろうと思われます(田舎だし〜、程度が関の山でしょう)。
 自分が育った町を振り返っても、通学路にあったイチョウ並木の「ギンナンが臭かった!」という程度の印象しか残っていません。
 ですが現在、駅前の再開発でゴーストタウンのような姿を見せられると、さみしい気持ちにさせられるのも確かです。
 彼らが大人になる時分に、この地はどうなっているのでしょうか? 


 追記
 ポニョの浦(広島県福山市鞆の浦:とものうら)の、港の埋め立て・架橋事業中止を求めていた訴訟の判決で、広島県に計画の中止が命じられました。
 景観保護を理由とした公共事業の中止を命じた判決は初めてだそうです。
 これまでは、住民がいくら異議を申し立てても、行政側に押し切られてきましたが、正当性が判断される時代がやって来たと言えるかも知れません。
 そんなの、当たり前のことだと思うのですが……
 工事が中止になったからといって、過疎化や高齢化に歯止めがかかるとは思えません。
 しかし、文化的遺産が残されていれば、その有効活用に知恵を絞ることは可能になります。
 これからが、地域振興の正念場になるわけですから、暮らしやすく、魅力を生かした町作りを目指してもらいたいと思います。
 また機会があれば是非訪れます!

 追記2
 沖縄県沖縄市の泡瀬(あわせ)干潟の埋め立て事業を、中止する旨の発言がありました。
 沖縄の公共事業については、前政権は何を勘違いしていたのか「沖縄の地域振興のため」と、恩着せがましく投資効果が大きく見える事業を、住民の意思などおかまいなしに進めてきました。
 わたしも正直、これは止められないと思っていました。
 新政権にとっては「公共事業の見直し」「歳出削減」の旗印による一連の行動に過ぎませんが、地元住民は「世(ゆー)が変わる」というような、大変革の兆しを感じているのではないでしょうか。
 沖縄の人々は、米国統治下時代を「アメリカ世(ゆー)」と呼び、日本に返還されてからを「日本世(やまとゆー)」(琉球の自治は戻っていないの意味)と表現したりします。
 今度は「鳩ぬ(の)ゆー」とか言ったりするかも知れません。
 響きは平和的ですが、さて、お手並み拝見というか、ホーム側で見守らせていただきます。
 普天間基地の移設問題は、そう簡単にはひっくり返らないと思われますが、「なせばなる」の姿勢で取り組んでいただくことを、期待しております。

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