2010/11/29

こころに響く枯れ姿──王禅寺、潮見台

2010.11.6
【神奈川県】


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 港北ニュータウンから鶴見川支流の早淵川をさかのぼると、田園都市線あざみ野駅付近を通り「美しが丘」(何が美しいのか聞いてみたくなります)とされる地域を抜け、潮見台という高台に至ります。
 多摩川と鶴見川の分水界(雨水が流れる先の川を分かつ境界)を、支流の水源域が接する付近で見たいと、溝の口からバスに乗りました。


王禅寺(Map)


 以前夜に乗った、小田急線新百合ヶ丘駅→田園都市線あざみ野駅行きバスの車窓から、丘陵地全体に点々と明かりが広がる様子を目にし「てっぺんの方まで開発されてるんだ」と、遠くの明かりを追ったことがあります。
 場所については「王禅寺○○」というバス停名だけが記憶に残ります。
 その地名の由来となる王禅寺が健在であることを知り、最初の目的地としました。

 王禅寺は、757年創建の真言宗(空海が開宗)の寺で、山号を「星宿山」とします。
 星が宿る山とはロマンチックにも思えますが、おそらく空海の教義にある宇宙観に由来するのではないでしょうか。
 中世(平安時代〜戦国時代)には、関東の高野山と呼ばれるほど栄え、周辺には多くの塔頭寺院(たっちゅう:師の塔(墓)の頭(ほとり)に建てた小院)が建てられたそうです。
 本来は禅宗の習わしですが、「禅」「律」「真言」三宗兼学とされた際のなごりかも知れません。
 1333年新田義貞の鎌倉攻めの戦火で焼失しますが(彼は古くからの建造物をことごとく焼き尽くしていきます)、戦国時代の小田原北条氏に領地を与えられ、境遇としては恵まれていたようです。


 江戸時代初期この地域は、二代将軍秀忠に嫁入りするお江与の方の「お化粧領(持参金)」とされ、二人が他界の後は、徳川家菩提寺である芝増上寺の領地(御霊屋領)となります。
 お江与の方とは、2011年NHK大河ドラマの主人公である「江(ごう)姫」のことで、徳川秀忠に嫁がされる際「江戸に与える=江与」とされたとも言われます。
 政略の駒として使われた印象はぬぐえませんが、武将の娘(浅井長政の三女)として凜と生き抜いたであろう生涯については、来年のドラマで学ばせていただきましょう。

 現在の境内は、ひとつの谷戸(谷間)だけの狭いものですが、その「枯れ方」がとてもシブく、思わず声を上げてしまいます。
 このお寺の美しさは、草木があるがままに育っているよう見える(見せる?)程度の手入れにとどめている「自然観」(自然と人間のかかわり方のさじ加減)の見事さにあります。
 秋も深まれば草木も冬支度で夏のような息吹はありませんが、その枯れかかった姿にも見るべきものがある、と語るかのようです。
 ただに伸びているだけでもよし、ただ枯れているだけでも結構。
 こころに響くものをめでればいい。
 そんな気持ちにさせられる「ありよう」でした。

 右写真は、日本最古の甘柿品種とされる「禅寺丸柿(ぜんじまるがき)」の原木で、鎌倉時代(1214年)にこの地で発見されました。
 日本ではそれまで渋柿しか知られておらず、日本初の甘柿(不完全甘柿)発見になります。

 カキへの関心は低いものの調べてみると…
・甘柿は、完全甘柿と渋が残ることがある不完全甘柿に分類される。
・甘柿同士の交配でも渋柿となる場合がある。
・甘柿は渋柿の突然変異種と考えられている。
・北海道と沖縄県では栽培されていない。
・「桃栗三年柿八年」とされるが、接ぎ木をすると4年で実がなる。
 秋の空に映える鮮やかなだいだい色が、みな甘いと思ってはいけないようです……

 明治時代には「カキが生まれた 柿生(かきお)村」とされますが、川崎市編入後その名は小田急線「柿生駅」だけとなります(地名は消失)。


王禅寺ふるさと公園(Map)

 王禅寺に隣接した公園で、川﨑市制60周年を記念してつくられました(1991年)。
 どうも記念事業というものは、大きなお金を動かすためのかけ声だったり、要望に応える恩着せがましさなど、後ろめたい裏事情があるのでは? と勘ぐりたくなります。
 内陸の丘陵地に砲台はないでしょうが、以前は何に利用されていたのだろうか?
 調べてみれば、近くの菅生には軍用地があったとの記述が目に入ってきます。
 ほらぁ〜、と調べていても、戦争をしかけた国の土地はどこも軍用地みたいなものだったでしょうから、この辺でやめておきます。

 それにしても朝鮮半島の騒がしさには、これまでの中東方面からの「風の便り」では済まされない身近さがあります。
 砲弾を撃ち込む国が悪いのか、撃ち込まれる国が悪いのか?
 世界各地の軍事政権の後ろ盾となる中国が強いのか、核放棄を訴えた(武器を放棄する)オバマのアメリカが弱くなったのか?
 ブッシュ時代なら、もう攻撃を始めていたでしょうし、中国も攻める姿勢には強気であっても、調停力の無さを露呈してしまい「知恵袋」として尊敬を集めた歴史の威厳を失っています。
 そんな情勢分析は二の次でいいですから、我が国はどうあるべきかの姿勢を示さないと、弾が飛んできただけで腰砕けになってしまいそうです。
 戦争はしたくないと考える人がほとんどである現在、どう対処すべきなのかは、国民全員が考えるべきことでもあります。

 ちなみにここは以前、王禅寺領地の山林だったそうです……


潮見台(Map)

 この付近で最も高い丘の上からは、横浜の海が見えたことにより潮見台の地名が残されています(標高100m程度)。
 現在は川崎市の潮見台浄水場があり、ここから市内へ水道水が送られます(川崎市の水道水源は、相模湖、津久井湖など横浜市と同じ)。
 浄水場建設の際この地から縄文時代の遺跡が発見されたそうで、標高の高い土地でも昔から暮らしやすかった場所柄がうかがえます。
 それは現在でもこの付近が、多摩川水系平瀬川(二ヶ領用水と立体交差する)、鶴見川水系早淵川、黒須田川、真福寺川の水源地であることからも想像ができます。
 現在の水量は少なくも、多摩川と鶴見川に水を供給しているのですから、多摩丘陵の地下水脈は現在も機能していることになります。
 それを題材に、丘陵地の水脈と大規模開発について考える授業などができればいいのでは、と思ったりします。

 尾根付近に整備されたグラウンドでは、地域の少年サッカー大会が行われていて、作戦会議の様子が聞こえてきます。
 「○○(強そうな相手)にはできるだけ失点しないように。△△(弱そうな相手)には7-0くらいで勝たなきゃだめだ」なんていう狙いで士気が上がるというのも、草サッカーの醍醐味かも知れません……(写真奧が浄水場)


 追記
 大河ドラマ「龍馬伝」が終わりましたが、あの暗殺シーンのお粗末さにはあきれました(ニューステロップは関係ない)。
 混沌とする世間の憎しみに討たれる危険性を龍馬自身が感じていたとしても、ドタ、バタ、ドン!(暗殺なので格好のいい死にざまはありえないが)〜エピローグという演出と、「ここで死ぬんだ」というお約束の場面にたどり着いた安堵感的なものが、「画面の空気感」に漂っていた気がしてなりません。
 結局、当初感じた「本気なのは香川照之だけ」の印象を思い起こしただけのエンディングでした。

 「篤姫」のように余韻で終われる物語はいいにしても、「義経」や本作のような作品では、「ラスト制作委員会」的な場で知恵を絞る必要があるではないだろうか。

 ところで「坂の上の雲」第二部が始まってしまいます。
 もう1年経ってしまいましたが、まだ原作本に手すら触れていません。
 第二部を見ながら気持ちを盛り上げていかねば、と思っています……

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