2011.10.16
【神奈川県】
このところ連載ものが続きましたが、しばらくぶりに以前のテーマ「東横沿線を歩く」に戻ります。
横浜線と接続する菊名駅の次は妙蓮寺駅(みょうれんじ)になります。
東横線で横浜方面へ向かう際、各停や日比谷線直通列車(菊名止まり)に乗ったとしても菊名駅で特急・急行に乗り換えるので、菊名〜横浜間にある妙蓮寺、白楽、東白楽、反町駅はどうしても軽視しがちになります。
確かに立ち寄る用事もないので、機会を作らないと降り立てない「駅たち」(ちょっと同情)といえます。
より大きな地図で 東横沿線 を表示
妙蓮寺(Map)
お寺の名称が付けられた駅名は祐天寺とここだけですが、同じ東急の田園都市線の駅名と比較すると、全通した時代の違い(東横線:渋谷〜桜木町 1932年、田園都市線:溝の口〜長津田 1966年)が、駅名にも反映されていることがうかがえます。
高度経済成長期に誕生する田園都市線の新駅に、お寺の名前はあるまいという気分はとても理解できますし、「たまプラーザ駅:1966年開業」「あざみ野の町名:1977年新設」などには、横浜市と組んだ都市開発の明るい未来への願いが込められたことでしょう。
1350年(南北朝時代)創建当時このお寺(池上本門寺の末寺:日蓮宗)は、神奈川区神明町(現東神奈川)にありましたが、1908年横浜鉄道臨港線(現JR横浜線)建設にあたり、移転を迫られ現在の地に移転します。
ところが1926年東京横浜電鉄(現東急)開設時に、またも境内に軌道敷設計画が持ち上がり「もう移転はイヤ」と、境内を無償で提供することとします。
そんな経緯からすれば駅名の由来ばかりか、この町はお寺のおかげで開かれたことに感謝すべきようです。
取り立てて慌ただしい場所柄ではありませんし、門前に踏み切りがあることを風情と受け止め、踏切待ちの時間に「門外から失礼します」と祈れば義理も果たせるのではないでしょうか(映画『男はつらいよ』で、さくらがやってた印象があります)。
以前改札口は線路を渡った上りホームだけでしたが、少し前に寺側の下りホームにも開設されました。
寺側の丘陵地が開発されたこともあるようで、いくら門前でも一刻を争い殺気立つ朝の通勤時の空気を静めるため、「門前側にも改札を」のご意向が実現したのかも知れません。
菊名プール(Map)
お寺とは線路の反対側にある駅前商店街の路地(こまごまと店が並ぶ)をクネクネ歩くうちに、正面に緑が見えてきます。
そのまま進むと「アレ、民間の駐車場!?」に進入します。でも、皆さん歩いているので、公認の近道なのでしょう。
その駐車場の出口正面に菊名池弁財天があります。
以前はここにも後述の菊名池が広がりましたが現在はプールとされています。
周回する流れるプール(今どきは流水プールだそう)をまたぐ橋がまっ赤(逆光で不明だが写真奧の橋)なのは、弁天様が池に浮かぶ島に祭られた様子を伝えているようにも見えます。
一般のプール施設はオフシーズンにはシャットアウトされますが、ここは水に入れないにしても近くを散策できる水辺の施設として提供されます(後述の池の改修時には、池のさかなをここに移したそう)。
プールに水が張ってあるだけですが、水辺の開放感をシーズンオフも感じさせてくれる空間で、冬場に氷の張る様子も一興かと思われます。
以前は池だったくぼ地ですから、風が無ければこれからの季節にはひなたぼっこに絶好の場所になりそうです。
入場料おとな800円(1時間につき300円)/こども300円(1時間につき100円)はちと高い気がしますが、皆さん利用法を工夫しているんでしょうね。
菊名池(Map)
江戸時代から利用されたかんがい用の池で、大倉山方面の大豆戸(まめど)村が水利権を持っていました(勢力範囲が結構広いので、その村が一帯の中心だったのか?)。
以前は上述のプールまで広がっていましたが、現在は半分ほどの面積になっています。
現在も各地の湖沼で問題視される、ブルーギルやブラックバス(釣りを楽しもうと放された外来種が生態系を乱し、在来種が激減した)は駆除され平穏を取り戻したものの、今度はハスの大繁殖が問題となります。
横浜市は秋口に、住み着いた水鳥たちを驚かさないよう、手作業で繁殖しすぎたハスの間引きをしています。
上写真はその後のさっぱりとした光景で、そのおかげでバンという鳥も定着しているそうです(この鳥を見られるのがこの池の自慢らしい)。
カルガモが子育てする姿や、カワセミも見られるそうで(写真の枝にとまるのかも)、近隣住民には「身近な自然環境」を楽しめる水辺のようです。
そんなくぼ地の斜面には、もうススキの姿が見られます。
近ごろの季節感では、ススキを目にする時季=乾燥肌で全身カサカサになるころなのですが、急に暑くジメジメした陽気が戻ったりするので今年はまだ軽傷で済んでいます。と書いた翌日に一気に来ました。
昨シーズンの使いかけのクリームが残り少ないことに気付き、あわてて買いに行ったりと。
以前は血がにじんでもなめて治したものですが、Macの白いマウスを染めるので、今晩からクリームを塗り手袋して寝ます……
上写真左側は菊名池、右側は富士塚(地名)に向かう坂道になります。
この坂の光景は映像等で目にした気がする、「おだやかな坂」という印象を受ける好きな場所です。
富士塚(富士信仰から、富士山に模して造られた人工の山や塚)の名称も久しぶりなので、痕跡があれば歩こうと調べましたが「バス停に残される程度」とあるので、この坂を上るのやめました。
ですが丘陵地ですし、富士山方面の見晴らしはよさそうなので、大豆戸村の有力者(大豆戸の勢力は強かったらしい)がこの地に塚を築いたかも知れませんし、反発する地元民に崩されたのかも知れません。
この後、バスで岸根公園へ行く予定でしたが路線を乗り間違えてしまいました。着いた先は西菅田団地で、横浜の原風景が残される菅田地区付近。
「これも散歩の楽しみ」と切り替えバスに揺られたものの、さっき来た道を戻るのでは興味も半減しただお尻が痛い印象だけでした……
■おまけ
連載ものを続ける間、三河湾の残像から「海行きてぇ!」の思いが尾を引いたので、掲載するつもりなく海辺をブラブラした際のものです。
2011.10.1
【神奈川県】
江の島(Map)
10月初旬にとても気持ちいい気候(日差しを浴びても汗をかかない)が続き、陽気に誘われ海を目指しました。
ところが江の島に着くころには雲が出てしまい、ちょっと不完全燃焼です。
片瀬海岸東浜(江の島へ向かう橋の鎌倉側)は海水浴シーズンを除くと、海辺をウインドサーフィンの連中が占領しています。
そこに割って入り、浜辺で体操をする年配集団を目にしました。
まさか、これから海に入らないでしょうが、多くの方が「年代的なポリシー」と思われる「(木綿らしき)白い体操着」を着ていますが、そんな統一感に「宗教集団?」の印象を受けてしまいます(ある意味、侵しがたい信念を持つ集団なのでしょう)。
2011.10.8
【神奈川県】
観音崎(Map)
今回の三浦半島観音崎では、晴天に恵まれ実に心地よい散策ができました。
岩場の海を歩きたい時、手軽な印象からよく来る散歩道なので目新しいものはありませんが、とても落ち着けた展望テラスが、前回は老朽化で立ち入り禁止(無視して入りました)とされたものが、撤去されました。
戦時中に造営された砲台の遺構上に設置された、たかだか2m程度のテラスなので、見晴らしを劇的に変える施設ではありませんが、そこから浦賀水道を行き来する船舶の眺めは、戦争の過ちの上に築かれた現在の平穏のありがたみを感じさせてくれました。
前回も触れましたが、ここだけに限らず各地にある主要な灯台を訪れる度、映画『喜びも悲しみも幾歳月』(1957年 木下惠介監督、佐田啓二、高峰秀子)を想起してしまいます。
灯台守は重要な任務とはいえ、戦時中は砲台の横でいつ爆弾が落とされるか知れない不安な日々を過ごしたことになります。
追記──やはり難航する「横浜ベイスターズ」買収問題
前回は勝手な願望を書きましたが、結局はDeNA((株)ディー・エヌ・エー:インターネット関連企業)が交渉中とのことですが、球団名の「横浜モバゲーベイスターズ」変更(これも勝手な報道かも知れません)には驚きました(プロ球団も宣伝材料であるのは確かですが)。
まるで、コンピューターゲームの中で「プロ野球チームを作ろう」と構想を練っているように思えてしまいます。
生身の選手を、ゲームのキャラクター的に扱い「キミはトレード」「ダルちゃんを高額で買いましょう」なんてやりそうなイメージがあります。
実際の交渉現場は分かりませんが、野次馬にも「バーチャル」な商売をする会社より「リアル」な仕事をする会社の方が「安心感がある」と思ってしまうのは、古い考え方なのだろうか?
そこにはlivedoorというお粗末な教訓があるのも確かです……
追記2
10月最後の週末、少し遅い時間だったこともあり、地下鉄日比谷線六本木駅では高校の学園祭にでも向かうような、奇妙ではあってもチープな扮装をした連中が群れてきます。
ハロウィンパーティに向かう扮装なのでしょうが、仮装大賞にエントリーしても予選で帰されるレベルで楽しめるのか? と思うのですが……
そもそも、趣味の悪い扮装が許されること自体、理解しかねます(全然愛きょうがない)。
2011/10/31
2011/10/24
住民の勝利!──黄金町バザール2011
2011.9.25
【神奈川県】
より大きな地図で 東横沿線 を表示
京浜急行日ノ出町駅から黄金町(こがねちょう)駅にかけてのガード下周辺には、数年前まで国の公認を受けたかのように、白昼堂々と営業する怖そうな売春施設がはびこっていました(通り抜けられるか不安になるほど)。
そんな無法地帯も、2009年「開国博Y150」開催に向けたバイバイ作戦(2005年)により、半年余りで全店閉店に追い込まれました(だったら早くやればいいのに)。
その後、町の再生に「アートによるまちづくり」を掲げ、まずは健全な人たち(?)に注目してもらおうと、2008年から年間行事として展覧会「黄金町バザール」を開催し、4回目の今年はヨコハマトリエンナーレ2011と連携開催されています。
期間中有効のトリエンナーレとの連携入場券を買ったので、慌てることはないのですが、この日は日本丸の総帆展帆(そうはんてんぱん:29枚すべての帆をひろげる)が見られることから、連休でしたし連チャンで足を運びました。
日本丸(Map)
帆をひらいた雄姿は初めて目にしましたが、やはり帆船には帆を張ってこそのカッコ良さがあります。
しかし難を言わせてもらうと、その背後にランドマークタワー等のデッカイ建物がそびえているため、大きさの比較相手がビル群とされるのは、いかがなモノかと……
この総帆展帆という姿には、大海原が似合うに決まってると思うも、どうやって見学するのか?
それにはやはり「一度でいいから乗船してみたい」という夢を抱き続けるしかないのでしょうね(かなり揺れそうですが……)。
日ノ出町〜黄金町(Map)
右写真の建物は、日ノ出町駅にほど近い路地裏にあり、以前訪れた際、映画『上海異人娼館/チャイナ・ドール』(1981年寺山修司監督)を想起した建物です。
長い間使われてなかったようですが1年程前から「竜宮美術旅館」となり、1階は喫茶店とされ、全体が美術展の会場になっています。
待ってました! と乗り込みます。だって中をのぞきたくなるでしょ?
名称通り旅館的な作りですが、寿町方面(ドヤ街)にある簡易宿泊所的ではなく、観光旅館的な雰囲気があります。
以前あった青線地帯のなごりを感じさせる建物ですから、まっとうな利用法は考えられません。
立地からもお察しの通り、戦後の米軍占領時に建てられた米兵専用の連れ込み宿だったそうです(再開発計画地域に含まれるので、取り壊し予定)。
歴史遺産には正も負も含まれるので、評価の高い建造物なら遊郭でも残されますが、チンピラみたいな建物ですから仕方ないのでしょう。
のぞきたい方はお早めに……
浴槽の中にライトを沈めた展示物のようですが、係の方が水面のあく取りをしていたので、人が入った時のように浮き上がってくるモノがあるようです。
この作品が何を訴えたいのかちょっと分かりませんが、この「米兵専用の連れ込み宿にあるタイル張りの浴室」を利用しただけで、人目を引き、印象に残る成功が約束されていた(内容はなんでもよかった、では言い過ぎか?)、と思えてなりません。
結局この会場では、この建造物に関する興味は大いに満足させられたものの、「何があったっけ?」とされてしまう展示物たちは、この建造物の存在感を超えられなかったことになります。
そりゃ仕方ないさ、歴史と境遇の重みが違うもの……
その一室で、畳に座り映像を観賞する女性の後ろ姿を撮りたいと思ったのですが、それをためらった自分には、この建物の歴史にその女性をはめ込んでいいのか? という気持ちがはたらいたかも知れません……
この白塗りされた建物は、以前売春施設として使用されていました(現在展示施設)。
一間程度の間口しかない入口から奧に細長い間取りが並ぶ、そんな用途のために設計された建物で、この地域の「標準モデル」といえます。
そこが今や、若い女性が何の警戒感もなく足を踏み入れる環境となったことに驚き、思わず係の人に「やりましたねー!」と声を掛けてしまいます。
「ここ3年くらいでようやくキレイになってきました」とのことですが、これはスゴイ事です!
このような取り組みを進めるために、地域、行政、企業、大学、警察の協力の元「NPO法人黄金町エリアマネジメントセンター」が設立され、その組織が中心となり地域と連携し、クリエイターの活動拠点を管理運営しています。
ここに至るまでも大変な労力と思いますが、これからも拠点の拡大や地域のマスタープランづくりをアートを通してさらに推進する、という意気込みだそうです。
京浜急行の高架橋梁の耐震工事と並行してガード下に新しい施設が作られ、子どもたちの絵が描かれた工事用の塀があった場所にも新たな施設がオープンしています。
上写真はスタジオとされるアトリエ施設で、新しい施設ながらもそんな連中(アーティスト?)が出入りした途端、雑然とした空間と化した様子がうかがえ、生きた施設の印象を受けます。
そんな連中(さっきから失礼ですが親しみを込めたつもり)は結構フランクですから、気軽にのぞいたり立ち寄れる雰囲気があって、とっても明るく風通しのいい場になっています。
また、高架下は雨の日でも遊べるわけですから、これから児童館のような施設が増えていけば、明るい希望が見えてくるように思えます。
上写真は道路をはさんで大岡川(カメラの背後)に面した建物で、以前は外国籍の女性たちが川っぷちまでウロウロしていた場所です。
そんな面影を消し去ろうと、間取りは変えずも外壁を全面作りかえ、以前の雰囲気すら想像できないオシャレな外観が目を引きます。
ここまで明るくなれば、一間間口で仕切られた間取りを逆に活用し、小規模店舗として家賃を低めに設定してギャラリーや雑貨店などを誘致できれば、まるっきり生まれ変わった町の姿が、まだおぼろげな夢ですが見え始めるような気がしてきます……
以下は、ひとつの報道に踊りその日に書いたもので現実とは異なりますが、ひとつの願望として流して下さい。
────────────────────────
京急線がチラッと映っているので、ここでちょっと脱線。
毎年秋風が吹くころに流れてきては散っていく、プロ野球「横浜ベイスターズ」の身売り話ですが、今年もダメだろうと思っていたら、ここへきて大本命「京浜急行電鉄」が手を挙げました。
1社じゃ無理なので、地元企業が連合チームで買収に動き出すというのですから、チームもファンも地元も万々歳で、ファンじゃなくても応援したくなります。
この話が進めば、地元カラーも強まりますから、選手たちも奮起せざるを得ないでしょうし、ファンも(電車通ってないけれど)「赤い電車に乗って〜♪」見に来てくれるのでは?(ユニフォームが赤くなってもええじゃないか!)と期待するところです。
────────────────────────
と、はしゃいだものの一瞬のはかない幻でした。
とっても素敵な筋書きなので応援したい気持ちはありますが、地元企業が集まっても球団を支えられない「横浜経済圏」の規模の小ささを思い知らされた気がします……
「お嬢さん、ここは若い娘が一人で歩くような場所じゃないぜ」
右写真の光景は以前の様子と変わらないように見えますが、彼女がのぞく場所にはポツンと小さな展示会場があります。
狭い裏路地ですが、こういう所からも切り崩していくとは作戦が細やかなこと、と思うもそこには事情があるようです。
終後、ガード下にバラック小屋が建てられたのが始まりで、飲食店〜女性が客を取る店〜青線地帯〜特殊飲食店(売春施設)の変遷があるため、地権者等の権利関係が複雑で調査に時間がかかり、話し合いや買い取りが進まないとのこと。
それはヤクザな言い訳ですから、方向性を見失わず、慌てず地道に「新しい町」が作られていくことを、楽しみにしております。
すっかり明るくなった界隈を一回りし、希望を感じて日ノ出町駅に戻ると、そこにはとても現実的な「よどんだ雰囲気を漂わせる」人の流れがあります。
レースが終わったらしく、WINS(場外馬券売場)からはけてきたオヤジたちが駅に向かい流れてきます。
これまでも労働者の「癒しの町」としてにぎわってきた場所柄ですから(ストリップ劇場も健在ですし)、無法地帯を一掃しても、法律と相談しながらの「憂さ晴らしの町」という性格は、今後も変わらないのかも知れません……
右は以前の写真を物色したものですが(モノクロ、日ノ出町の表記あり)、核心部分のものは見当たりません。
おそらくそんな場所でカメラを構えたら、カメラばかりか身ぐるみはがれるような怖さがあったんだと思います……
【神奈川県】
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京浜急行日ノ出町駅から黄金町(こがねちょう)駅にかけてのガード下周辺には、数年前まで国の公認を受けたかのように、白昼堂々と営業する怖そうな売春施設がはびこっていました(通り抜けられるか不安になるほど)。
そんな無法地帯も、2009年「開国博Y150」開催に向けたバイバイ作戦(2005年)により、半年余りで全店閉店に追い込まれました(だったら早くやればいいのに)。
その後、町の再生に「アートによるまちづくり」を掲げ、まずは健全な人たち(?)に注目してもらおうと、2008年から年間行事として展覧会「黄金町バザール」を開催し、4回目の今年はヨコハマトリエンナーレ2011と連携開催されています。
期間中有効のトリエンナーレとの連携入場券を買ったので、慌てることはないのですが、この日は日本丸の総帆展帆(そうはんてんぱん:29枚すべての帆をひろげる)が見られることから、連休でしたし連チャンで足を運びました。
日本丸(Map)
帆をひらいた雄姿は初めて目にしましたが、やはり帆船には帆を張ってこそのカッコ良さがあります。
しかし難を言わせてもらうと、その背後にランドマークタワー等のデッカイ建物がそびえているため、大きさの比較相手がビル群とされるのは、いかがなモノかと……
この総帆展帆という姿には、大海原が似合うに決まってると思うも、どうやって見学するのか?
それにはやはり「一度でいいから乗船してみたい」という夢を抱き続けるしかないのでしょうね(かなり揺れそうですが……)。
日ノ出町〜黄金町(Map)
右写真の建物は、日ノ出町駅にほど近い路地裏にあり、以前訪れた際、映画『上海異人娼館/チャイナ・ドール』(1981年寺山修司監督)を想起した建物です。
長い間使われてなかったようですが1年程前から「竜宮美術旅館」となり、1階は喫茶店とされ、全体が美術展の会場になっています。
待ってました! と乗り込みます。だって中をのぞきたくなるでしょ?
名称通り旅館的な作りですが、寿町方面(ドヤ街)にある簡易宿泊所的ではなく、観光旅館的な雰囲気があります。
以前あった青線地帯のなごりを感じさせる建物ですから、まっとうな利用法は考えられません。
立地からもお察しの通り、戦後の米軍占領時に建てられた米兵専用の連れ込み宿だったそうです(再開発計画地域に含まれるので、取り壊し予定)。
歴史遺産には正も負も含まれるので、評価の高い建造物なら遊郭でも残されますが、チンピラみたいな建物ですから仕方ないのでしょう。
のぞきたい方はお早めに……
浴槽の中にライトを沈めた展示物のようですが、係の方が水面のあく取りをしていたので、人が入った時のように浮き上がってくるモノがあるようです。
この作品が何を訴えたいのかちょっと分かりませんが、この「米兵専用の連れ込み宿にあるタイル張りの浴室」を利用しただけで、人目を引き、印象に残る成功が約束されていた(内容はなんでもよかった、では言い過ぎか?)、と思えてなりません。
結局この会場では、この建造物に関する興味は大いに満足させられたものの、「何があったっけ?」とされてしまう展示物たちは、この建造物の存在感を超えられなかったことになります。
そりゃ仕方ないさ、歴史と境遇の重みが違うもの……
その一室で、畳に座り映像を観賞する女性の後ろ姿を撮りたいと思ったのですが、それをためらった自分には、この建物の歴史にその女性をはめ込んでいいのか? という気持ちがはたらいたかも知れません……
この白塗りされた建物は、以前売春施設として使用されていました(現在展示施設)。
一間程度の間口しかない入口から奧に細長い間取りが並ぶ、そんな用途のために設計された建物で、この地域の「標準モデル」といえます。
そこが今や、若い女性が何の警戒感もなく足を踏み入れる環境となったことに驚き、思わず係の人に「やりましたねー!」と声を掛けてしまいます。
「ここ3年くらいでようやくキレイになってきました」とのことですが、これはスゴイ事です!
このような取り組みを進めるために、地域、行政、企業、大学、警察の協力の元「NPO法人黄金町エリアマネジメントセンター」が設立され、その組織が中心となり地域と連携し、クリエイターの活動拠点を管理運営しています。
ここに至るまでも大変な労力と思いますが、これからも拠点の拡大や地域のマスタープランづくりをアートを通してさらに推進する、という意気込みだそうです。
京浜急行の高架橋梁の耐震工事と並行してガード下に新しい施設が作られ、子どもたちの絵が描かれた工事用の塀があった場所にも新たな施設がオープンしています。
上写真はスタジオとされるアトリエ施設で、新しい施設ながらもそんな連中(アーティスト?)が出入りした途端、雑然とした空間と化した様子がうかがえ、生きた施設の印象を受けます。
そんな連中(さっきから失礼ですが親しみを込めたつもり)は結構フランクですから、気軽にのぞいたり立ち寄れる雰囲気があって、とっても明るく風通しのいい場になっています。
また、高架下は雨の日でも遊べるわけですから、これから児童館のような施設が増えていけば、明るい希望が見えてくるように思えます。
上写真は道路をはさんで大岡川(カメラの背後)に面した建物で、以前は外国籍の女性たちが川っぷちまでウロウロしていた場所です。
そんな面影を消し去ろうと、間取りは変えずも外壁を全面作りかえ、以前の雰囲気すら想像できないオシャレな外観が目を引きます。
ここまで明るくなれば、一間間口で仕切られた間取りを逆に活用し、小規模店舗として家賃を低めに設定してギャラリーや雑貨店などを誘致できれば、まるっきり生まれ変わった町の姿が、まだおぼろげな夢ですが見え始めるような気がしてきます……
以下は、ひとつの報道に踊りその日に書いたもので現実とは異なりますが、ひとつの願望として流して下さい。
────────────────────────
京急線がチラッと映っているので、ここでちょっと脱線。
毎年秋風が吹くころに流れてきては散っていく、プロ野球「横浜ベイスターズ」の身売り話ですが、今年もダメだろうと思っていたら、ここへきて大本命「京浜急行電鉄」が手を挙げました。
1社じゃ無理なので、地元企業が連合チームで買収に動き出すというのですから、チームもファンも地元も万々歳で、ファンじゃなくても応援したくなります。
この話が進めば、地元カラーも強まりますから、選手たちも奮起せざるを得ないでしょうし、ファンも(電車通ってないけれど)「赤い電車に乗って〜♪」見に来てくれるのでは?(ユニフォームが赤くなってもええじゃないか!)と期待するところです。
────────────────────────
と、はしゃいだものの一瞬のはかない幻でした。
とっても素敵な筋書きなので応援したい気持ちはありますが、地元企業が集まっても球団を支えられない「横浜経済圏」の規模の小ささを思い知らされた気がします……
「お嬢さん、ここは若い娘が一人で歩くような場所じゃないぜ」
右写真の光景は以前の様子と変わらないように見えますが、彼女がのぞく場所にはポツンと小さな展示会場があります。
狭い裏路地ですが、こういう所からも切り崩していくとは作戦が細やかなこと、と思うもそこには事情があるようです。
終後、ガード下にバラック小屋が建てられたのが始まりで、飲食店〜女性が客を取る店〜青線地帯〜特殊飲食店(売春施設)の変遷があるため、地権者等の権利関係が複雑で調査に時間がかかり、話し合いや買い取りが進まないとのこと。
それはヤクザな言い訳ですから、方向性を見失わず、慌てず地道に「新しい町」が作られていくことを、楽しみにしております。
すっかり明るくなった界隈を一回りし、希望を感じて日ノ出町駅に戻ると、そこにはとても現実的な「よどんだ雰囲気を漂わせる」人の流れがあります。
レースが終わったらしく、WINS(場外馬券売場)からはけてきたオヤジたちが駅に向かい流れてきます。
これまでも労働者の「癒しの町」としてにぎわってきた場所柄ですから(ストリップ劇場も健在ですし)、無法地帯を一掃しても、法律と相談しながらの「憂さ晴らしの町」という性格は、今後も変わらないのかも知れません……
右は以前の写真を物色したものですが(モノクロ、日ノ出町の表記あり)、核心部分のものは見当たりません。
おそらくそんな場所でカメラを構えたら、カメラばかりか身ぐるみはがれるような怖さがあったんだと思います……
2011/10/17
生み出す力を探る──ヨコハマトリエンナーレ2011
2011.9.24
【神奈川県】
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横浜美術館(Map)
トリエンナーレとは3年に1度開催される美術展のことで、横浜では4回目となります。
前回の見学から3年たつわけで、わたしも大阪から戻って3年が過ぎたことになり、毎週末京都を歩いたことも、はるかな過去と自覚させられます。
今回の会場にはメジャーな横浜美術館が加わり、連休だったせいか入場券売場には100mほどの列ができていました(いつもはガラガラなのにちょっとビックリ)。
並びたくないので違う会場から見るかと歩き出すと、みなとみらいにあるトリエンナーレ案内窓口で入場券を入手できたので、そのまま戻りました(結局並ぶのと同じくらい時間かかったか? もっと計画的にね!)。
やはり美術館で展示される作品には「重み」が感じられ、時間をかけないともったいないと思うのか、普段の美術展のような渋滞がみられます。
わたしの見学態度は、パッと見てインスピレーションを感じない作品は素通りするので、人込みをすり抜けズンズン進んでしまいます。
以前の展覧会では、15分程度で会場を完全に「スルー」したことがあり、何にしに来たんだか? と、縁のないことも……
一般的な美術展では原則写真撮影禁止ですが、トリエンナーレでは撮影可の作品(みんなで楽しんでね!)が多いことも、足を運ぶ動機となります。
上写真は、電球自体が大きなガラスカバーのフィラメントとなるような照明器具(?)が、たくさんぶら下がる展示物です。
展示室は普通に明るいのですが、暗くするとガラスカバーに映る周囲の電球の様子がよく分かるので、写真を意図的に暗くしました。
何でも、電球のスイッチは世界各地の家の電灯と同期していて、各家の電気が消えた時に電球が点灯される仕組みだそう。
意味や状況は裏返しになりますが、ガラスカバーに映る明かりは、宇宙から見た地球上の明かりのように見える気がします。
この作品には各人に感じるものがあるようで、その場に滞留する人たちの空気には「まったり感」があります。
右上写真は、アクリル板と鏡で作られた迷路の真ん中に電話が置かれたオノ・ヨーコの作品で、不定期に彼女から電話がかかってくるそうです。
実際見学中に電話が鳴り出し、周囲の人たちがはやし立てますから、迷路内の人たちが慌てる様子も「作品の一部?」に思えますし、彼女と話ができた人たちには「実感できる作品」となったことでしょう。
美術館前には、12体のモンスターのような像(ウーゴ・ロンディノーネ作『月の出、東、』シリーズ)が並んでいます。(右写真)
その中で、最も身近に感じられ安心できそうな像を撮りましたが、中心に笑顔はあるものの、上部の2つの黒丸はモンスターの目ですから、口の中に笑顔があることになります。
エイリアンのようではありますが、わたしは新たな生命の誕生もしくは、再生(生まれ変わり)を表現しているものと解釈しました。
そんな意味などおかまいなしに、奇妙な像の周囲を子どもたちは走り回り、カメラポーズを取っています。
「キミ見慣れない格好してるけど、だあれ?」という本能的な接し方が、きっと正しいのだろうと思わされます。
われらオヤジ族は、生きるために「さまざまなフィルター」を身につけていますが、状況によってその外し方を習得できれば、人生もっと楽しめるのでは? と思ったりします……
ヨコハマ創造都市センター(Map)
ヨコハマトリエンナーレのもう一つの楽しみには、普段立ち寄る機会のない施設が展示会場とされるので、初めて建物に入る「ワクワク感」があります。
展示会場を固定せず、町全体を少しずつでもアピールしようとする姿勢が、横浜の町に対する理解を深めますし、町全体に協力の気運をもたらしています。
今回の目玉は右写真の「旧第一銀行横浜支店」です(中に入れると思ってなかった)。
みなとみらい線馬車道駅付近にあるこの建造物の低層部は、1929年に建てられた第一銀行横浜支店のバルコニー部分を移築(曳き家工法)し、その後方部分は形態復元され背後にそびえる高層ビルとつないで2003年完成し、2010年から「ヨコハマ創造都市センター」とされました。
ちなみに2階のバルコニー部分は飾りなんだそうです(右奧はランドマークタワー)。
この建造物には時代を超えたカッコ良さがありますが、そもそも「金集め」の飾りなわけで、現在では「マネー惑星」と化した資本主義社会に参画するための覚悟の表れだったのかも知れません。
横浜の町は、1923年関東大震災により壊滅的な被害を受け、港湾施設や倉庫など貿易港の重要な施設がすべて失われてしまい、横浜の経済は大混乱し金融機関も閉鎖されました。
復興が進み整備された土地に、現在も残る歴史的建造物が作られ始めたのは震災から2〜3年後のことで、ほど近い横浜第2合同庁舎(旧生糸検査所)は26年、山下公園前のホテルニューグランド本館は29年などがあります。
現在の震災被害地の様子からも、1〜2年で元に戻らないことは容易に想像できます。
地元からの要望は、国民誰しも早期実現を願うものですが、すべてを同時に進めることは不可能です。
現時点で求めに応じられるものは、希望を持てるビジョン作りとその段取り、そして日々の生活支援ではなかろうか。
復興まで協力しなければと国民は思っていますから、その気持ちを国の責任できちんと代行する際の「納得できる説明」をしてくれれば、国民は応援したいはずです。
前総理を悪者につるし上げたのだから、与野党の話し合いで前進できなければ「自分の首がかかっている」と思ってもらわねば、この国は被災地の地盤同様に沈むばかりと思えてなりません。(右は形態復元された内部)
美術展には毎回テーマがあり、今回は「OUR MAGIC HOUR─世界はどこまで知ることができるか?─」(身の回りにある、科学や理性では説明できない「世界の不思議」に目を向ける)というものですが、多くの作品の焦点が「生み出す力を探る」点に集まっているように感じます。
もちろん震災関連の展示もあるので、見る側の受け止め方によりますが、前回感じた「創造は破壊から生まれる」ゆえに「壊すことから何かを発見しよう」とする取り組みは皆無に見えます。
それは、すでに「壊された国」で表現するにあたり、破壊という行為は不要と受け止められたからでしょう。
被災国で展示される作品が、いかにこの国の見学者に訴えかけられるかを考えた結果、「周囲にあるものから生み出せるモノや、力を探る」という意図が込められたのではないかと思えます。
上写真は、梱包材の発泡スチロールを積み重ねたもので、生活に密着した家電製品等の身近な立体感の積み重ねが、社会を構成しているという表現は、とても興味深く感じました。
製品の凸部と梱包材の凹部がうまくはまらなかったり、異形の梱包材でもそれが無いと苦労しちゃうんだよな、等々色んなことが頭に浮かんできます。
上のペンギン同様どこかで見た気がする下のシマウマは、胴体部分がエアコンになっています。
現代美術展には、暴力的とも受け止められる作品があったりしますが、今回それが見当たらないことに芸術家の良心が感じられ、安心して楽しめる展覧会の印象を強く受けました。
確かに今回の開催を取り巻く状況は特別でしたが、今後も見る側が希望を持てるような展覧会にしてもらえると、野毛大道芸のように、町全体が盛り上がるイベントになるのではないかと、期待できるきっかけの年になったように思います。
追記──ジョブズなき今、iPhoneに求めたい機能
アップルの故スティーブ・ジョブズの遺作とされる新型iPhoneが発売され、好評のようです。
週末の終電近い混雑する電車内でも、女性たちは周囲にお構いなしでiPhone(みんなお決まりのようにiPhoneには驚き!)の文字入力に指を動かすので、高さ的にわたしの脇腹辺りを刺激します(わたしは仕事帰りです)。
そんな様子から、iPhoneにあったらとても便利な機能を思いつきました。
ジョブズが目指したのは「エンジョイ コンピューティング」なので別次元の話しになるが、「もしiPhoneに放射線測定機能があったなら」もっと早く縁の下の玉手箱(ラジウム)を発見できたでしょうし、あまりの反応に東京はもぬけの殻になっていたかも知れません……
放射性物質というモノは身の回りに存在しないと信じ切っていた国民意識は、いかにいい加減な「だろう」という想定に基づいて「安心感」を築いてきたことか。
それを反省し、次世代のiPhoneには「セーフティ コンピューティング」を目指すさまざまなセンサーを組み込み、身の安全を守るための機能が搭載されれば、身近に潜むまだ未知の放射性物質が入った宝箱(?)なども、あっと言う間に発見できるというもの。
現在そんな商品があれば「これは、売れまっせ〜!」(どこかに売り込みたいと思うも、もう動き出していることでしょう)。
これは、国や自治体に任せてられない不信感から、自衛手段を探りはじめた市民の危機意識の高まりなので、国や自治体への不満はレッドゾーンに突入して当然と思います……
追記2
原田芳雄の遺作となった映画『大鹿村騒動記』の舞台である、長野県大鹿村の国の無形民俗文化財「大鹿歌舞伎」が、映画公開による反響から、春秋1回ずつの定期公演が今秋初めて2回公演を行う盛況とのこと。映画を観た人からの問い合わせが殺到したため、それに応えたそうです。
映画は原田芳雄自身の企画だったことからも、「少しは返せたかな……」の、照れる姿が目に浮かぶようです……
【神奈川県】
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横浜美術館(Map)
トリエンナーレとは3年に1度開催される美術展のことで、横浜では4回目となります。
前回の見学から3年たつわけで、わたしも大阪から戻って3年が過ぎたことになり、毎週末京都を歩いたことも、はるかな過去と自覚させられます。
今回の会場にはメジャーな横浜美術館が加わり、連休だったせいか入場券売場には100mほどの列ができていました(いつもはガラガラなのにちょっとビックリ)。
並びたくないので違う会場から見るかと歩き出すと、みなとみらいにあるトリエンナーレ案内窓口で入場券を入手できたので、そのまま戻りました(結局並ぶのと同じくらい時間かかったか? もっと計画的にね!)。
やはり美術館で展示される作品には「重み」が感じられ、時間をかけないともったいないと思うのか、普段の美術展のような渋滞がみられます。
わたしの見学態度は、パッと見てインスピレーションを感じない作品は素通りするので、人込みをすり抜けズンズン進んでしまいます。
以前の展覧会では、15分程度で会場を完全に「スルー」したことがあり、何にしに来たんだか? と、縁のないことも……
一般的な美術展では原則写真撮影禁止ですが、トリエンナーレでは撮影可の作品(みんなで楽しんでね!)が多いことも、足を運ぶ動機となります。
上写真は、電球自体が大きなガラスカバーのフィラメントとなるような照明器具(?)が、たくさんぶら下がる展示物です。
展示室は普通に明るいのですが、暗くするとガラスカバーに映る周囲の電球の様子がよく分かるので、写真を意図的に暗くしました。
何でも、電球のスイッチは世界各地の家の電灯と同期していて、各家の電気が消えた時に電球が点灯される仕組みだそう。
意味や状況は裏返しになりますが、ガラスカバーに映る明かりは、宇宙から見た地球上の明かりのように見える気がします。
この作品には各人に感じるものがあるようで、その場に滞留する人たちの空気には「まったり感」があります。
右上写真は、アクリル板と鏡で作られた迷路の真ん中に電話が置かれたオノ・ヨーコの作品で、不定期に彼女から電話がかかってくるそうです。
実際見学中に電話が鳴り出し、周囲の人たちがはやし立てますから、迷路内の人たちが慌てる様子も「作品の一部?」に思えますし、彼女と話ができた人たちには「実感できる作品」となったことでしょう。
美術館前には、12体のモンスターのような像(ウーゴ・ロンディノーネ作『月の出、東、』シリーズ)が並んでいます。(右写真)
その中で、最も身近に感じられ安心できそうな像を撮りましたが、中心に笑顔はあるものの、上部の2つの黒丸はモンスターの目ですから、口の中に笑顔があることになります。
エイリアンのようではありますが、わたしは新たな生命の誕生もしくは、再生(生まれ変わり)を表現しているものと解釈しました。
そんな意味などおかまいなしに、奇妙な像の周囲を子どもたちは走り回り、カメラポーズを取っています。
「キミ見慣れない格好してるけど、だあれ?」という本能的な接し方が、きっと正しいのだろうと思わされます。
われらオヤジ族は、生きるために「さまざまなフィルター」を身につけていますが、状況によってその外し方を習得できれば、人生もっと楽しめるのでは? と思ったりします……
ヨコハマ創造都市センター(Map)
ヨコハマトリエンナーレのもう一つの楽しみには、普段立ち寄る機会のない施設が展示会場とされるので、初めて建物に入る「ワクワク感」があります。
展示会場を固定せず、町全体を少しずつでもアピールしようとする姿勢が、横浜の町に対する理解を深めますし、町全体に協力の気運をもたらしています。
今回の目玉は右写真の「旧第一銀行横浜支店」です(中に入れると思ってなかった)。
みなとみらい線馬車道駅付近にあるこの建造物の低層部は、1929年に建てられた第一銀行横浜支店のバルコニー部分を移築(曳き家工法)し、その後方部分は形態復元され背後にそびえる高層ビルとつないで2003年完成し、2010年から「ヨコハマ創造都市センター」とされました。
ちなみに2階のバルコニー部分は飾りなんだそうです(右奧はランドマークタワー)。
この建造物には時代を超えたカッコ良さがありますが、そもそも「金集め」の飾りなわけで、現在では「マネー惑星」と化した資本主義社会に参画するための覚悟の表れだったのかも知れません。
横浜の町は、1923年関東大震災により壊滅的な被害を受け、港湾施設や倉庫など貿易港の重要な施設がすべて失われてしまい、横浜の経済は大混乱し金融機関も閉鎖されました。
復興が進み整備された土地に、現在も残る歴史的建造物が作られ始めたのは震災から2〜3年後のことで、ほど近い横浜第2合同庁舎(旧生糸検査所)は26年、山下公園前のホテルニューグランド本館は29年などがあります。
現在の震災被害地の様子からも、1〜2年で元に戻らないことは容易に想像できます。
地元からの要望は、国民誰しも早期実現を願うものですが、すべてを同時に進めることは不可能です。
現時点で求めに応じられるものは、希望を持てるビジョン作りとその段取り、そして日々の生活支援ではなかろうか。
復興まで協力しなければと国民は思っていますから、その気持ちを国の責任できちんと代行する際の「納得できる説明」をしてくれれば、国民は応援したいはずです。
前総理を悪者につるし上げたのだから、与野党の話し合いで前進できなければ「自分の首がかかっている」と思ってもらわねば、この国は被災地の地盤同様に沈むばかりと思えてなりません。(右は形態復元された内部)
美術展には毎回テーマがあり、今回は「OUR MAGIC HOUR─世界はどこまで知ることができるか?─」(身の回りにある、科学や理性では説明できない「世界の不思議」に目を向ける)というものですが、多くの作品の焦点が「生み出す力を探る」点に集まっているように感じます。
もちろん震災関連の展示もあるので、見る側の受け止め方によりますが、前回感じた「創造は破壊から生まれる」ゆえに「壊すことから何かを発見しよう」とする取り組みは皆無に見えます。
それは、すでに「壊された国」で表現するにあたり、破壊という行為は不要と受け止められたからでしょう。
被災国で展示される作品が、いかにこの国の見学者に訴えかけられるかを考えた結果、「周囲にあるものから生み出せるモノや、力を探る」という意図が込められたのではないかと思えます。
上写真は、梱包材の発泡スチロールを積み重ねたもので、生活に密着した家電製品等の身近な立体感の積み重ねが、社会を構成しているという表現は、とても興味深く感じました。
製品の凸部と梱包材の凹部がうまくはまらなかったり、異形の梱包材でもそれが無いと苦労しちゃうんだよな、等々色んなことが頭に浮かんできます。
上のペンギン同様どこかで見た気がする下のシマウマは、胴体部分がエアコンになっています。
現代美術展には、暴力的とも受け止められる作品があったりしますが、今回それが見当たらないことに芸術家の良心が感じられ、安心して楽しめる展覧会の印象を強く受けました。
確かに今回の開催を取り巻く状況は特別でしたが、今後も見る側が希望を持てるような展覧会にしてもらえると、野毛大道芸のように、町全体が盛り上がるイベントになるのではないかと、期待できるきっかけの年になったように思います。
追記──ジョブズなき今、iPhoneに求めたい機能
アップルの故スティーブ・ジョブズの遺作とされる新型iPhoneが発売され、好評のようです。
週末の終電近い混雑する電車内でも、女性たちは周囲にお構いなしでiPhone(みんなお決まりのようにiPhoneには驚き!)の文字入力に指を動かすので、高さ的にわたしの脇腹辺りを刺激します(わたしは仕事帰りです)。
そんな様子から、iPhoneにあったらとても便利な機能を思いつきました。
ジョブズが目指したのは「エンジョイ コンピューティング」なので別次元の話しになるが、「もしiPhoneに放射線測定機能があったなら」もっと早く縁の下の玉手箱(ラジウム)を発見できたでしょうし、あまりの反応に東京はもぬけの殻になっていたかも知れません……
放射性物質というモノは身の回りに存在しないと信じ切っていた国民意識は、いかにいい加減な「だろう」という想定に基づいて「安心感」を築いてきたことか。
それを反省し、次世代のiPhoneには「セーフティ コンピューティング」を目指すさまざまなセンサーを組み込み、身の安全を守るための機能が搭載されれば、身近に潜むまだ未知の放射性物質が入った宝箱(?)なども、あっと言う間に発見できるというもの。
現在そんな商品があれば「これは、売れまっせ〜!」(どこかに売り込みたいと思うも、もう動き出していることでしょう)。
これは、国や自治体に任せてられない不信感から、自衛手段を探りはじめた市民の危機意識の高まりなので、国や自治体への不満はレッドゾーンに突入して当然と思います……
追記2
原田芳雄の遺作となった映画『大鹿村騒動記』の舞台である、長野県大鹿村の国の無形民俗文化財「大鹿歌舞伎」が、映画公開による反響から、春秋1回ずつの定期公演が今秋初めて2回公演を行う盛況とのこと。映画を観た人からの問い合わせが殺到したため、それに応えたそうです。
映画は原田芳雄自身の企画だったことからも、「少しは返せたかな……」の、照れる姿が目に浮かぶようです……
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