2011.1.16
【神奈川県】
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このところローカルバス路線のハブ駅(失礼)である、JR横浜線中山駅に通っていますが、日曜の昼間には1時間に1本という路線に乗るため気を引き締めたはずが、すっかり寝坊しました。
駅の南西側には、横浜市内では標高の高い丘陵地が広がるので(港北ニュータウン越しに東京タワーが望めるもスカイツリーは不明)、JR横浜線・相鉄線・小田急線・田園都市線に囲まれたかなり広い地域には「何かあったっけ?」と、思い浮かばないほど立ち寄らない場所でした。
そんな空白域を、開発好きな横浜市が放っておくはずもなく、中山〜二俣川〜東戸塚へと市営地下鉄グリーンラインの延伸計画を練っていますから、開通すればまたニョキニョキとマンション群が建つのでしょう。
そういった視点で横浜市を見渡してみると、まだのんびりとした地域は多々残されていますから、自治体のひとつの目標と思われる「人口の増加」に関しては、まだ伸びしろ(開発の余地)があるといえます。
意気込みはあっても、東京は超えられないとの自覚があるならば、東京にない「暮らしやすさ」等の魅力ある町づくりを目指してもらいたいところです。
三保市民の森
上述の丘陵地は、鶴見川西部の分水界にあたり、新治(にいはる)市民の森、県立四季の森公園(横浜市緑区)、よこはま動物園 ズーラシア(旭区)が近接する、横浜市の言う「北の森」にあたります。
横浜市には「市民の森」などとされる、自然保護・開発制限地区を多く目にします。
これは緑地保全・市民の憩いの場づくりに役立てる制度(1971年)によるもので、この施設は1972年に開園した最古参のひとつになります。
指定を受けると市が散策路などの整備を行い、土地所有者への緑地育成奨励金の支給や、税的優遇を受けられますが、土地の開発が出来なくなります。
これまではその宣伝文句通り「なるほど素晴らしい取り組みだ」と受け止めていましたが、この地でそのカラクリが見えた気がしました。
全部とは言いませんが、多くの場所に共通するのが「北向きの斜面」なので開発業者も手を出さないため、自治体による隣接地との格差是正措置だったのでは? と。
日当たりの悪さに苦労しながらも、自然と折り合いを付けて利用してきたのに、さまざまな理由で土地を手放そうと考えた途端に「この土地には価値がありません」と言われたら、悔しくて涙も出ないだろうと思っています……
最初から重い話になりましたが、後述の状況につながります。
ここは「小鳥のオアシス」とされる湧水で(管が見えた気もしますが)、まさに小鳥のさえずりがここを案内してくれました。
タルコフスキー(※)映画に描かれたロシアの風景を想起するような、寒々しくも人を受け入れてくれる、日本人にとっての身近な冬の景色との印象があり、「こんな感覚久しぶり」とたちずさんでいました(この表現は辞書にありませんが、テオ・アンゲロプロス監督映画『こうのとり、たちずさんで』(1991年)から引用)。
──日本ではメジャーと言えない映画監督の名前が並びましたが、場所柄+季節感からのイメージと、外見は冷たそうでも自然の包容力を描いた監督という印象があるのだと思います。
※ アンドレイ・タルコフスキー(1932〜86年):ソ連時代の映画監督。『惑星ソラリス』(1972年)では、首都高速(東京)のトンネルを近未来都市に見立てている(これでは伝わらないね)。
一帯に広がる雑木林にはきちんと人の手が入っているようで、木々の背丈はかなり高くなっています。
一般的な雑木林では、薪やキノコ栽培等農作業用に切り出されますが、ここでは木を育てているように見受けられます(枝打ちされている)。
上写真は別の場所ですが、樹冠(上部の葉が茂る部分)の高さは15m以上あり、スラリと伸びた木々が立ち並ぶ場所があります(暗くて撮れず)。
下写真は大木が切り出されて日が当たるようになった切り株に、新しい芽が育っている様子で、若い木を育てるため日当たりを考慮した計画的な伐採が行われている様子が見て取れます。
規模は小さくとも木材利用を目的とした雑木林が身近にあることが、ちょっとうれしく感じました。
ここは尾根なので日当たりを確保しやすいのですが、上述「小鳥のオアシス」付近の谷底には大きな木は育っていません。
周囲の森は荘厳なたたずまいですが、あの木々を切ったら、現在の姿に育つまでどれくらいの年月が……というか、それまで森があるのだろうか? と考えてしまうところが横浜の森の危うさなのかも知れません。
上写真は座り込んで撮りましたが、バックの木々をもっと入れたかったので、もっとローアングルを寝そべって撮りたいところでした。
森全体がうっそうとしているため薄暗く、枯葉とたわむれたので「よく遊んだ」自覚はありますが森から出た時、黒いズボンが枯葉まみれで、人に見られたらちょっと恥ずかしいようなパッチワークになっていました。空気が乾燥しているのでなかなか取れないし……
ここは公園案内で「尾根道」とされる端にあたり、この写真を撮った背中側には、ギャップに驚いてしまうようなマンションや住宅が立ち並ぶ、若葉台の住宅地が広がっています。
JR横浜線十日市場駅に近い十日市場ヒルタウンから、東名高速沿いの比較的傾斜のなだらかな丘陵地に沿って、霧が丘〜若葉台という住宅地が広がります。
以前歩いた新治市民の森も、尾根を境に開発地区と環境保存地区が隣接していますから、港北ニュータウン同様に横浜市が線引きした土地利用の姿なのでしょう。
──まぎらわしい地名の整理です。比較的近い田園都市線にあるのは青葉台駅。若葉台駅は京王相模原線の多摩丘陵にある。
尾根を境に土地利用を区分することには、意図の分かりやすさがありますが、その境界に立つと「高く売れる土地と、金にならない土地との境界線」のようにも思えてきます。
条件のいい場所はガンガン開発し、たたかれそうな地域は、周辺の環境が整備されて相場が上がってから売ろうとしているように思えてしまいます(これは横浜市のビジョンに対する見解)。
どうも横浜市には、地下鉄等のインフラ整備にメドが付いた途端「まだまだ用地はありますがな!」と、上昇志向から「北の森」を差し出しそうな怖さを感じてしまいます。
「市民の森」という制度自体、地主の世代が交代し、開発の気運が高まるまでのバッファ(一時的保存領域)ではないか、と……
都市を作り上げるには思想やビジョンが大切ですが、同様に大きな力を持つのが「状況」というファクターの言い訳に利用される庶民の「気分」です。
自分でも「もう、いまどきはいいんじゃないの!?」と思う事がありますが、それを決めた当時の人々に対してきちんと説明できる説得材料を持ち合わせていない場合が多いように感じます。
古くからの慣例を否定するつもりはなくとも、そんな歴史・文化を「変えて(修正して)もいいんじゃないの」とする考えには、先人たちへの「礼」が必要であることに、ようやく気付かされた気がします。
遠くから目にしたとき、JR山陰線の餘部(あまるべ)鉄橋のような年代を感じさせる構造なので、「貨物線でも通っているのか?」と関心を持ったので帰りに立ち寄ると、横浜水道の導水路(公園脇では地中を通る)とのことで、年代物と感じた理由も納得です。
横浜水道は1887年(明治20年)、日本で初めて引かれた近代水道で、相模原市付近の相模川から取水していました。
この導水路を地図でたどっていくと、実家の近くを通る水道道路(広い遊歩道)につながり、相模原沈殿池(近所では古山貯水池と呼んでいました)に至ります。外から見る限り(ろ過前の水なので)「これを飲んでるの?」という印象しか残っていませんが、横浜の人々は健康的な生活を送っているようなので、心配は無いようです。
でもそれを考えると、自分が飲んでいる水が貯められた貯水池などは見たくない、と思ってしまいます。
追記的な話ですが、餘部鉄橋は1912年(明治45年)に完成し、当時は「東洋一」(西洋には勝てないが、自慢したい気持ちに時代を感じる)とされますが、列車転落事故や老朽化のため2010年新しい橋梁にかけ替えられました。
それを見てビックリ! 旅情も何も感じさせないどこにでもある無表情なコンクリート製ですから、申し訳ありませんが、山陰地方の名所がひとつ消えた、と言わざるを得ません。
とは言え、鉄道の橋は安全第一ですから地域の人たちに文句は無いにせよ、観光客の減少は必定と思われ、寂しい集落になってしまいそうです(現実的な問題と思います)。
かけ替えに際しての、観光対策って考えたのだろうか?
多少でも地元に予算があれば、もう少しデザインを提案できたかも知れませんが、美しかった以前の橋が人々の心に刻まれていることも確かです。
「餘部を過ぎると……」の『夢千代日記』(吉永小百合さん)も、歴史のかなたに霧散してしまったような気がします……(右写真は昔のを引っ張り出しました)
──調べていてYouTubeでドラマのオープニングを見たら、これが実に暗いこと。当時はこれを楽しみに見ていましたし、現在でも嫌いではないのですが……
大雪の苦労は大変なものと思います。お気をつけ下さい。
追記
AFCアジアカップで日本代表が優勝しました。アジアの大会とはいえ優勝したのですから、評価されるべきと思います。
イヤミな表現と思われたらスミマセン。WBC(野球)で優勝した原監督に対する野村克也氏の「優勝したんだから、采配は正しかったんでしょうなぁ」の言葉を思い出してしまったので。
堅守からの攻撃参加というW杯から見え始めた「日本のスタイル」というモノが、形になってきたように思えました。
そんな基盤を自信として、バリエーションを広げていけば、もっと魅力的なプレーが期待できるのではないでしょうか。
頼もしく感じましたし、これからも楽しみにしています。
2011/01/31
2011/01/24
寒さに強い動物たち──ズーラシア
2011.1.10
【神奈川県】
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東京近郊のこの冬は、「すんげー寒い日」や「雲ひとつない晴天」ばかりなので(雨も降りません)、気候に関する描写を前置きにすると「どの日なのか区別できません!」と言われそうな、カサカサ陽気が続いています(肌がかゆくクリーム等が必需品です)。
そんな折、インフルエンザ注意報が出され、この冬は大人の間で流行しているそうなので、気をつけたいところです。
よこはま動物園 ズーラシア
近ごろ最寄りのJR中山駅を毎週利用するので、この機会にと思っていましたが、ここは横浜駅付近を流れる帷子川(かたびらがわ)の流域になり、主題の鶴見川からは外れていることを、後になって気付きました。
周囲にある公園などとの位置関係を把握する程度に、受け止めて下さい。
特に動物好きではないくせに動物園への訪問回数は、世間の平均に比べるとはるかに多いのではないか、と自覚しています。
NHK「ダーウィンが来た!」の、目にしたことのない生き物の生態に興味をそそられるのは確かですが、なじみのある動物でも間近で観察すると毎回新たな発見があるので、番組とは違った楽しみがあります。
冬に季節には「オリの外の楽しき面々」に元気がないのは、仕方ないところか……
●インドゾウ
少し前までお互いにお尻を向け合い動きがなく、右側の雄が大きく鼻を持ち上げたことに気を取られますが、あれはきっと左側の雌がサインを送っていたんでしょうね、この出会いの場所で待っていたのは雌の方でした。
象の鼻は重要な器官で、昆虫の触角のような働きもあるのでしょう。お互いの体をさぐり、確認し合い納得したのか、鼻の先どうしでキス(?)するような動作にも見えます。
雄は興奮した様子で鼻を上下させながら周囲を回り始め、彼の下半身が「準備OK」のサインを出します。
それを待っていたのか、雌は近づいてきた雄を積極的に鼻で愛撫を始めます。双方とも恍惚とした表情に見えるので「準備OK」の様子に見えますが、彼らの足元には、越えることのできない深〜い「溝」が存在しています……
こういう状況を想定しての設計と思われますが、キスだけでおあずけされては、互いの愛の炎がストレスになりはしないか心配になります。
動物園ですから「明るい家族計画」(近ごろ目にしなくなりました)は、きちっと予算計画に沿って粛々と進められるのでしょう。
人の目を気にせず求め合う彼と彼女ですから、見せまいとするのは動物園側の方針になります。
でも、目の前でゾウが始めてしまうと興奮の余り、予想できないとばっちりが見る側に及ぶ危険性があるのかも知れません……
●スマトラトラ
昨年のクリスマスに始まった「タイガーマスク現象」もひと段落したのでしょうか? でも、言われたようにブームで終わってしまうと、また暗い話題だけになってしまいます。
最初のきっかけとなる動機は、タイガーマスク(伊達直人)が目指すものと同様に純粋と思われますが、その照れ隠しにできる「粋さ」が共感を広めたように受け止められました。
そんな気持ちを持っていても、踏み出せなかった人たちには勇気を与えたと思うし、施設の存在やその状況を知らなかった若い世代にまで共感を広めたのは、最初の勇気とメディア(ネットやTV等の力が大きい気がする)の威力によるかも知れません。
さまざまな寄付や支援がありますが、そこには「政府よ何をしてるんだ!」(国がお金を出すというよりも、庶民が寄付しやすい環境を整備すべき)という抗議の主張が込められているように思えてなりません。
──トラくん、何も構ってあげられずゴメン……
●ホッキョクグマ
動物園の中でも彼は特に「寒い季節大歓迎!」なのでしょうが、おおむね動物たちは冬の方が活発に見えます。
近ごろ日本の夏は暑すぎなので、熱帯地域の動物さえだらけた姿をさらしています。ゆえに「動物園は冬に来るべし」です。
首を盛んに左右に振って、何かをアピールするように見える彼の姿には「怒っているのかなぁ」の声も聞こえますが、誰かが石を投げれば怒るでしょうが、おおむね「欲」のアピールと思われます(食か性か?)。彼はオスのように思いますが、お腹が大きいようにも見えます。
雌雄判定は難しいそうで、オスとされ「ツヨシ」と命名されたものの、実はメスだったこともありました。
北極圏に暮らす動物を温帯に連れてくること自体、動物虐待と思われますが、こんなに活発な動きを目にしたのは初めてなので、そんな彼の様子を伝える使命があると感じさせられます。
通称の「シロクマ」には温厚な響きすらありますが、やはり極地の厳しい環境で生き抜く迫力というのか、子どもばかりか大人も息をのむ「北の猛獣ここにあり」のアピールは、しかと心に刻まれたのではないでしょうか。
冬にこそ、見に来るべき存在です。
●アカカンガルー
コイツら人間の形態模写をしてバカにしてるんじゃないか? という気すらしてきます。
リビングでくつろぐような姿から、ぐうたら家族の姿を想起してしまうのはわれわれの視野の狭さでしょうが、隔絶された大陸で独自の生物進化を遂げたオーストラリアの動物たちには、(仲間同士でボクシングはしても)外敵に対して無防備な印象があるのは当然です。
同じ島国(?)に生きるものとして、有事の対応にも無防備なわれわれの「リビングでの姿」は、彼ら以上に危うい姿なのかも知れません。
お腹の袋に子どもを抱えたお母さんを身近で見ることができました。
お腹の袋は育児嚢(いくじのう)と呼ばれ、産まれた新生仔は産道からここまでを自力で移動します。
われわれの見たいイメージは、袋から子どもが顔を出す絵ですが、脚がはみ出しています。
幼獣(ようじゅうと呼ぶそう)が行儀悪いのは仕方ないとしても、一度外に出てしまうと二度と戻れないそうです。
というのも、幼獣が育児嚢にいる間は次の受精卵があっても子宮内で休眠しますが、育児嚢から幼獣がいなくなると受精卵が目覚めて出産することがあるためだそうです。
ならば子どもは、できるだけ袋に入っていたいと思うでしょうが、お母さんはいつでも子どもを抱えていることになります。
でも、可能な限り続けられることは、ひとつの幸せと言えるのかも知れません……
●アフリカタテガミヤマアラシ
寒がっているヤツもいた、と思ったら夜行性だそうです。でもよく見るとこちらをにらむような目が見えます。
ネズミの仲間とされますが、この針にはハリネズミのように敵から身を守る盾というよりも、積極的に敵を攻撃する武器という性格があります。
敵に出会うと、空洞になっている針をぶつけ合う音で威嚇し、針を逆立てて後ろ向きに突進していきます。
針にはゴム長靴程度は貫通する威力があり、微細な返しがあるので抜けにくくなっているそうです。
なるほど写真の姿勢も、左の頭部は小屋の角を向き、尾は表の方(敵の侵入口)を向いています。
以前、中空で軽量ながら強度があるヤマアラシの針の構造からヒントを得た製品の目にした気がするのですが、見つかりませんでした。
とても合理的な構造であると思います。
姿三四郎の必殺技は? 自信が無く調べて「山嵐」と確認できホッとしましたが、「お呼びでない?」感じですね……
ちなみに彼らヤマアラシには山荒、豪猪の漢字が当てられています。
●オカピ
「なに見てんだテメエ!」というような、怖い表情をしたオカピです。
撮った絵を想像できる状況ではなく、暗くて表情までは分からないがシルエットだけでも撮れれば、というつもりでした。
ズーラシアでは子どもたちの「オカピ〜!」の声が響くほどの人気モノで、おみやげ人気もNo.1の「カワイイ」対象の動物ですから、こんな写真を見せたら「こんなのオカピじゃない!」と怒られそうです……
発見されたのは1900年のアフリカのコンゴ(当時ベルギー領)で、まだ知られる前に「森林ロバ」とされていたオカピの毛皮を、先住民のピグミー族(とても懐かしい響きで、小or中学ころ盛んに話題にした記憶があります)が使っていたそうです。
彼らの呼び名で「森の馬」を意味する「オカピ」と名付けられ、当時はシマウマの仲間とされますが、研究の結果キリン科に分類されます。
脱線しますが、ズーラシアおみやげランキングの6位に「ヤブイヌのぬいぐるみ」が入っていることに驚きました。そのぬいぐるみは「かわいくデフォルメされてないところがカワイイ」んだそうです。
ヤブイヌは、イヌとはいえ足が短くカラーリングもタヌキのような容姿なので、動物園では地味な存在ですが、NHK「ダーウィンが来た!」放送から人気が出たのかも知れません。
近ごろ京都市動物園で人工保育が始まるなど、その筋にはホットな話題の存在です。
●木曽馬
現在、乗馬雑誌をやっているので、馬の写真は見飽きているのですが、寒い日だったこともあり「フサフサの毛が暖かそうなこと」と引かれました。
どうも、サラブレッドのシャープな体形よりも、ガッシリ・ずんぐりの(ぬいぐるみのような)姿に身近さを感じるのかも知れません(人種同様で体形に親近感を覚えるのか?)。
日本在来種は8種とされますが、本州の在来種は木曽馬だけになります──北海道和種(道産子)、野間馬(愛媛県今治市野間)、対州馬(長崎県対馬市)、御崎馬(宮崎県都井岬)、トカラ馬(鹿児島県トカラ列島)、宮古馬(沖縄県宮古諸島)、与那国馬(沖縄県八重山諸島)。
何度か乗せてもらった小型の与那国馬には愛着を感じますが、海外の馬は大きすぎてとりつくしまがない(きっかけが見つからない)印象があります。
記念撮影用にこんなオブジェがあることに驚き、動物園側が子どもたちを珍しさだけでよろこばせていいのか? という気がしますし、せっかく動物園で見た実物が、TVやアニメ同様のバーチャルな価値になってしまいそうで、もったいない「落ち」と思ってしまいます。
親バカか、バカ親か分かりませんが、「そのうち分かるようになる」と一緒にはしゃぐ姿に、そう感じたのかも知れません……
この日は、動物たちの活発な姿を目にできたので、これまでで最も動物たちにカメラを向けて粘れた印象があります。
粘ればそれだけ体温が奪われるわけで、自分がエサを食べに入った暖房の効いたレストランで「こんなに体が冷えてたんだ」と実感するのですから、仕事で撮る人は冬山に登るくらいの装備が必要であろうと、体で実感しました。
帰って湯船につかり生き返っても、「明日の朝、大丈夫だろうか?」との不安感を抱くようになったのは、確実に年のせいですが、それでも散策に向かう日には、そんな不安も忘れているのですから、まだ行けそうです……
そうそう、今回の目標は「カワセミの写真より大きく撮りたい」でした。
【神奈川県】
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東京近郊のこの冬は、「すんげー寒い日」や「雲ひとつない晴天」ばかりなので(雨も降りません)、気候に関する描写を前置きにすると「どの日なのか区別できません!」と言われそうな、カサカサ陽気が続いています(肌がかゆくクリーム等が必需品です)。
そんな折、インフルエンザ注意報が出され、この冬は大人の間で流行しているそうなので、気をつけたいところです。
よこはま動物園 ズーラシア
近ごろ最寄りのJR中山駅を毎週利用するので、この機会にと思っていましたが、ここは横浜駅付近を流れる帷子川(かたびらがわ)の流域になり、主題の鶴見川からは外れていることを、後になって気付きました。
周囲にある公園などとの位置関係を把握する程度に、受け止めて下さい。
特に動物好きではないくせに動物園への訪問回数は、世間の平均に比べるとはるかに多いのではないか、と自覚しています。
NHK「ダーウィンが来た!」の、目にしたことのない生き物の生態に興味をそそられるのは確かですが、なじみのある動物でも間近で観察すると毎回新たな発見があるので、番組とは違った楽しみがあります。
冬に季節には「オリの外の楽しき面々」に元気がないのは、仕方ないところか……
●インドゾウ
少し前までお互いにお尻を向け合い動きがなく、右側の雄が大きく鼻を持ち上げたことに気を取られますが、あれはきっと左側の雌がサインを送っていたんでしょうね、この出会いの場所で待っていたのは雌の方でした。
象の鼻は重要な器官で、昆虫の触角のような働きもあるのでしょう。お互いの体をさぐり、確認し合い納得したのか、鼻の先どうしでキス(?)するような動作にも見えます。
雄は興奮した様子で鼻を上下させながら周囲を回り始め、彼の下半身が「準備OK」のサインを出します。
それを待っていたのか、雌は近づいてきた雄を積極的に鼻で愛撫を始めます。双方とも恍惚とした表情に見えるので「準備OK」の様子に見えますが、彼らの足元には、越えることのできない深〜い「溝」が存在しています……
こういう状況を想定しての設計と思われますが、キスだけでおあずけされては、互いの愛の炎がストレスになりはしないか心配になります。
動物園ですから「明るい家族計画」(近ごろ目にしなくなりました)は、きちっと予算計画に沿って粛々と進められるのでしょう。
人の目を気にせず求め合う彼と彼女ですから、見せまいとするのは動物園側の方針になります。
でも、目の前でゾウが始めてしまうと興奮の余り、予想できないとばっちりが見る側に及ぶ危険性があるのかも知れません……
●スマトラトラ
昨年のクリスマスに始まった「タイガーマスク現象」もひと段落したのでしょうか? でも、言われたようにブームで終わってしまうと、また暗い話題だけになってしまいます。
最初のきっかけとなる動機は、タイガーマスク(伊達直人)が目指すものと同様に純粋と思われますが、その照れ隠しにできる「粋さ」が共感を広めたように受け止められました。
そんな気持ちを持っていても、踏み出せなかった人たちには勇気を与えたと思うし、施設の存在やその状況を知らなかった若い世代にまで共感を広めたのは、最初の勇気とメディア(ネットやTV等の力が大きい気がする)の威力によるかも知れません。
さまざまな寄付や支援がありますが、そこには「政府よ何をしてるんだ!」(国がお金を出すというよりも、庶民が寄付しやすい環境を整備すべき)という抗議の主張が込められているように思えてなりません。
──トラくん、何も構ってあげられずゴメン……
●ホッキョクグマ
動物園の中でも彼は特に「寒い季節大歓迎!」なのでしょうが、おおむね動物たちは冬の方が活発に見えます。
近ごろ日本の夏は暑すぎなので、熱帯地域の動物さえだらけた姿をさらしています。ゆえに「動物園は冬に来るべし」です。
首を盛んに左右に振って、何かをアピールするように見える彼の姿には「怒っているのかなぁ」の声も聞こえますが、誰かが石を投げれば怒るでしょうが、おおむね「欲」のアピールと思われます(食か性か?)。彼はオスのように思いますが、お腹が大きいようにも見えます。
雌雄判定は難しいそうで、オスとされ「ツヨシ」と命名されたものの、実はメスだったこともありました。
北極圏に暮らす動物を温帯に連れてくること自体、動物虐待と思われますが、こんなに活発な動きを目にしたのは初めてなので、そんな彼の様子を伝える使命があると感じさせられます。
通称の「シロクマ」には温厚な響きすらありますが、やはり極地の厳しい環境で生き抜く迫力というのか、子どもばかりか大人も息をのむ「北の猛獣ここにあり」のアピールは、しかと心に刻まれたのではないでしょうか。
冬にこそ、見に来るべき存在です。
●アカカンガルー
コイツら人間の形態模写をしてバカにしてるんじゃないか? という気すらしてきます。
リビングでくつろぐような姿から、ぐうたら家族の姿を想起してしまうのはわれわれの視野の狭さでしょうが、隔絶された大陸で独自の生物進化を遂げたオーストラリアの動物たちには、(仲間同士でボクシングはしても)外敵に対して無防備な印象があるのは当然です。
同じ島国(?)に生きるものとして、有事の対応にも無防備なわれわれの「リビングでの姿」は、彼ら以上に危うい姿なのかも知れません。
お腹の袋に子どもを抱えたお母さんを身近で見ることができました。
お腹の袋は育児嚢(いくじのう)と呼ばれ、産まれた新生仔は産道からここまでを自力で移動します。
われわれの見たいイメージは、袋から子どもが顔を出す絵ですが、脚がはみ出しています。
幼獣(ようじゅうと呼ぶそう)が行儀悪いのは仕方ないとしても、一度外に出てしまうと二度と戻れないそうです。
というのも、幼獣が育児嚢にいる間は次の受精卵があっても子宮内で休眠しますが、育児嚢から幼獣がいなくなると受精卵が目覚めて出産することがあるためだそうです。
ならば子どもは、できるだけ袋に入っていたいと思うでしょうが、お母さんはいつでも子どもを抱えていることになります。
でも、可能な限り続けられることは、ひとつの幸せと言えるのかも知れません……
●アフリカタテガミヤマアラシ
寒がっているヤツもいた、と思ったら夜行性だそうです。でもよく見るとこちらをにらむような目が見えます。
ネズミの仲間とされますが、この針にはハリネズミのように敵から身を守る盾というよりも、積極的に敵を攻撃する武器という性格があります。
敵に出会うと、空洞になっている針をぶつけ合う音で威嚇し、針を逆立てて後ろ向きに突進していきます。
針にはゴム長靴程度は貫通する威力があり、微細な返しがあるので抜けにくくなっているそうです。
なるほど写真の姿勢も、左の頭部は小屋の角を向き、尾は表の方(敵の侵入口)を向いています。
以前、中空で軽量ながら強度があるヤマアラシの針の構造からヒントを得た製品の目にした気がするのですが、見つかりませんでした。
とても合理的な構造であると思います。
姿三四郎の必殺技は? 自信が無く調べて「山嵐」と確認できホッとしましたが、「お呼びでない?」感じですね……
ちなみに彼らヤマアラシには山荒、豪猪の漢字が当てられています。
●オカピ
「なに見てんだテメエ!」というような、怖い表情をしたオカピです。
撮った絵を想像できる状況ではなく、暗くて表情までは分からないがシルエットだけでも撮れれば、というつもりでした。
ズーラシアでは子どもたちの「オカピ〜!」の声が響くほどの人気モノで、おみやげ人気もNo.1の「カワイイ」対象の動物ですから、こんな写真を見せたら「こんなのオカピじゃない!」と怒られそうです……
発見されたのは1900年のアフリカのコンゴ(当時ベルギー領)で、まだ知られる前に「森林ロバ」とされていたオカピの毛皮を、先住民のピグミー族(とても懐かしい響きで、小or中学ころ盛んに話題にした記憶があります)が使っていたそうです。
彼らの呼び名で「森の馬」を意味する「オカピ」と名付けられ、当時はシマウマの仲間とされますが、研究の結果キリン科に分類されます。
脱線しますが、ズーラシアおみやげランキングの6位に「ヤブイヌのぬいぐるみ」が入っていることに驚きました。そのぬいぐるみは「かわいくデフォルメされてないところがカワイイ」んだそうです。
ヤブイヌは、イヌとはいえ足が短くカラーリングもタヌキのような容姿なので、動物園では地味な存在ですが、NHK「ダーウィンが来た!」放送から人気が出たのかも知れません。
近ごろ京都市動物園で人工保育が始まるなど、その筋にはホットな話題の存在です。
●木曽馬
現在、乗馬雑誌をやっているので、馬の写真は見飽きているのですが、寒い日だったこともあり「フサフサの毛が暖かそうなこと」と引かれました。
どうも、サラブレッドのシャープな体形よりも、ガッシリ・ずんぐりの(ぬいぐるみのような)姿に身近さを感じるのかも知れません(人種同様で体形に親近感を覚えるのか?)。
日本在来種は8種とされますが、本州の在来種は木曽馬だけになります──北海道和種(道産子)、野間馬(愛媛県今治市野間)、対州馬(長崎県対馬市)、御崎馬(宮崎県都井岬)、トカラ馬(鹿児島県トカラ列島)、宮古馬(沖縄県宮古諸島)、与那国馬(沖縄県八重山諸島)。
何度か乗せてもらった小型の与那国馬には愛着を感じますが、海外の馬は大きすぎてとりつくしまがない(きっかけが見つからない)印象があります。
記念撮影用にこんなオブジェがあることに驚き、動物園側が子どもたちを珍しさだけでよろこばせていいのか? という気がしますし、せっかく動物園で見た実物が、TVやアニメ同様のバーチャルな価値になってしまいそうで、もったいない「落ち」と思ってしまいます。
親バカか、バカ親か分かりませんが、「そのうち分かるようになる」と一緒にはしゃぐ姿に、そう感じたのかも知れません……
この日は、動物たちの活発な姿を目にできたので、これまでで最も動物たちにカメラを向けて粘れた印象があります。
粘ればそれだけ体温が奪われるわけで、自分がエサを食べに入った暖房の効いたレストランで「こんなに体が冷えてたんだ」と実感するのですから、仕事で撮る人は冬山に登るくらいの装備が必要であろうと、体で実感しました。
帰って湯船につかり生き返っても、「明日の朝、大丈夫だろうか?」との不安感を抱くようになったのは、確実に年のせいですが、それでも散策に向かう日には、そんな不安も忘れているのですから、まだ行けそうです……
そうそう、今回の目標は「カワセミの写真より大きく撮りたい」でした。
2011/01/17
子どもが育つ森──県立四季の森公園
2011.1.3-5
【神奈川県】
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JR横浜線がほぼ鶴見川沿いを走る小机駅〜鴨居駅の間には、この季節でも青々とした葉もの野菜を栽培する畑が広がります。
ここも農業専用地区なので、平坦地をのんびりと歩きたい方にはオススメの散歩道です。
近ごろ横浜の農地を歩くようになり、これまで聞き流していた天気予報の「低温注意報」の発表に、「畑のほうれん草は大丈夫だろうか?」と、身近に感じるようになりましたから、いい見聞になっているようです。
今年の冬は寒いので、作物の管理には苦労されていることでしょう。
その途中に、カモメの仲間らしい海鳥(小柄なのでユリカモメと思う)の群れる川岸があり、餌づけする人がいて河川敷も鳥の足跡だらけですから、この辺りで生活しているのかと思っていたら、ユリカモメは昼間、湖沼や河川付近で群れて過ごし、夜は海に戻って船などをねぐらとするそうです。
付近では野鳥の餌づけが盛んなようで、鴨居駅から「ららぽーと横浜(ショッピングセンター)」方面に架かる歩行者専用橋での餌づけは、周辺の名物(?)なんだそうです(個人的な趣味らしい)。
以前からカモが多くいるので「鴨居」とされたそうですから、餌づけしなくとも人と鳥が身近に接していた地域になります。
現在でも鳥が集まるのですから、流れが緩やかで、エサの豊富な場所という条件を満たしているのでしょう。
確かに田園風景の中に野鳥の集う川が流れる絵ではありますが、畑の先には崖っぷちに建てられた「無理やりマンション」が並んでいたりするので、新・旧の土地利用がせめぎ合う最前線と言えそうです。
もう少し上流の中山駅手前で分かれる支流の恩田川が、横浜線沿いを町田方面に向かうので、今回からその恩田川沿いを歩こうと思います。
県立四季の森公園(Map)
最寄りのJR横浜線中山駅では、2008年に横浜市営地下鉄グリーンラインが開業しましたが(日吉〜中山間)、今後の延伸計画には〜二俣川〜東戸塚〜上大岡〜根岸〜元町・中華街までの構想があるそうです(反対側は日吉〜鶴見)。
横浜市の夢の大きさには驚かされますし、第2の東京を造ろうとしているのか? とさえ感じられます。
その中央を南東〜北西方向に走るJR横浜線に接続する都心方面からの経路として、東神奈川(京浜東北線)、菊名(東横線)、新横浜(東海道新幹線、地下鉄ブルーライン)、中山(グリーンライン)、長津田(田園都市線)が実現しましたが、そこにまた相鉄線を新横浜に接続させるのですから、この総力戦は、首都近郊における都市計画の手本とされるかも知れません。
これまでローカル線の印象が強かった横浜線には、山手線などからの「お下がり車両」が回されてきましたが、ピッカピカの車両が走る日も遠くないのかも知れません。
公園の展望台へと続く階段で、子どもたちが「グリコ」(じゃんけん遊び)をしています(説明はいりませんよね?)。
その遊びについて調べましたが、地方による違いはなくどこも「グリコ」と呼んでいたようで、ルーツも不明です。
江崎グリコの戦略と考えると、「グリコ」の発売開始は1922年(大正11年)ですが、アーモンドチヨコレートの発売が1958年(昭和33年)なので(チョコレートは東京凮月堂から1878年(明治11年)に発売されている)、その当時の仕掛けにも思われますが、でもパイナツプルは?
そこで思い浮かんだのが、チョコの中にフルーツ味が隠れていたルックチョコレートですが、それは不二家でした。
結局不明ですが、「ひとつぶ300メートル」という印象深いコピーと、当時の子どもたちに人気の食べ物のゴロ合わせから生まれたようです。
それにしても、書いただけなのに口の中が甘ったるくなってきました……
上写真付近には以前、不動の滝とされるわき水があったそうで(現在は細々とした流れ)、「この場所に、竜王の化身で水の神様であるクリカラ不動尊を祭った」の案内書きを目にしてから、「それはクリカラモンモン(入れ墨)と関係あるのか?」の疑問を抱きながら、悶々と歩いていました……
帰って調べると、「俱利迦羅(くりから)」は不動明王の化身「俱利迦羅竜王」であるとのこと。「もんもん(紋紋)」は紋様の意味なので、「クリカラモンモン」は俱利迦羅竜王の紋様という意味であり、その絵柄が背中一面に彫られた入れ墨の意味に使われるようになったそうです。
公園で「クリカラ」の文字を見た瞬間、映画『さらば愛しき大地』(1982年)で根津甚八が背負っていた入れ墨がイメージに浮かび、頭の中を占領されましたが、あれが俱利迦羅竜王であったかは不明というか、もう十分です。
不動明王とは密教(空海の教え)で大日如来の化身とされ、日本ではとても親しまれる信仰対象なので、各地のお不動さん(不動尊)にある「水」に接した際には、この「クリカラモンモン」の記述を思い出して下さい(?)。
公園内で最も広い谷戸(谷状の地形)には、アシ原が広がっています。
わき水も豊富なので水田も可能かと思うのですが、維持管理に手間が掛かることや、わき水の水質などの問題があるのかも知れません。
でも、案内板写真にある青々と茂るアシの姿を目にできる場所は少ないと思うので、そんな季節に見てみたい光景です。
姿は目にできませんがどこの森からも、コツコツ木を突つく音や、枯葉を掘り起こす音などが聞こえ、そんなざわつき感が鳥たちを身近なものに感じさせてくれます。
写真からは伝わりにくいと思いますが、急斜面の迫った土地を開発業者が敬遠したおかげで(?)、このような環境が残されたという気がします。
斜面だらけの公園ですが、散策用の階段の下にある「136段あります。お気をつけて」などの看板が励みになるのでしょうか、そこをウォーキングコースとしている方が多いことに驚かされました。
坂道や階段を上がることは、平地を歩くよりも心肺機能が鍛えられると思うので、習慣にできればしめたものという気がします。
伝わっているかも知れませんが、わたしもこの「鶴見川&里山を歩く企画」前までは坂道を避けたい方でした。
坂を登ると同世代の平均以上にゼイゼイすると思いますが、少し慣れたせいか気分的には「苦痛」が軽くなったような気がします……
枯葉には事欠かない地なので、枯葉ソリができそうな場所もあります。
ワンパクな遊びをさせないためか、幼少者向けのためか、公園側が「新鮮な枯葉を集めた枯葉プール」(意味は伝わります)を用意して、安全な枯葉遊びを確保してくれます。
何が楽しかったのかは思い出せませんが、ガキ時分にはよく林で遊んだ印象があります。当時は林の中をウオーキングする人もいませんから(その代わり変質者と称される人には要注意です)、自分たちの世界に浸れる場所だったのかも知れません。
そこから何を与えてもらったのかも明確に表現できませんが、もし自分に子どもがいたら森の中へ連れて行きたいと思ったことでしょう。
そこで何を感じるかは、その空気にふれてみなければ分からないし、人それぞれ違って当たり前ですが、そこで受けたインパクトを忘れないことが重要なのだと思います。
何これ? と言わないでよ。当人には
カワセミの姿をとらえた!
という写真なんですから……
池の対岸に大きな望遠レンズを据えた人たちがいるので、この辺りにカワセミでもいるのか、とアシ原をのぞいてみると、イメージ通り枝の上にカワセミがいるではありませんか!
野外で目にしたのは初めてなので、一応は撮っておかねばというものですが、わたしのレンズではとてもとても撮れるものではありません(これも撮った写真を拡大しています)。
俊敏なイメージがありますが、獲物を探す時(?)は結構じっと動かない鳥であることを知っただけでも、とてもうれしい出会いです。
しかし裏返すと、わたしにも出会う機会があるのですから、希少さは失われたと言えるかも知れません。
それを、都市近郊の自然が整備されてきたととらえるか、本来の生息地から追われてきたと考えるか、もしくは彼らが適応したとするのか? 受け止め方でよろこびの度合いも変わってきそうですが、今回は素直に「初めての出会い」をよろこびたいと思います。
畑の中に「春の花を育てています」の看板が見えました。
気分はこれから冬本番(年明けから冬本番の寒さが始まるとは、油断を突かれました)ですが、春の便りは、もうカレンダー2枚程度の期間で届けねばならないのですから、準備はすでに進行中です。
これまでの「春待ち気分」は、木々のつぼみから感じていましたが、こんな新緑の芽(菜の花?)が育つ様子を眺めていると、日々の成長と共に気持ちが明るくなりそうで、春待ち気分にはうってつけという気がしてきます……
【神奈川県】
より大きな地図で 鶴見川&里山 を表示
JR横浜線がほぼ鶴見川沿いを走る小机駅〜鴨居駅の間には、この季節でも青々とした葉もの野菜を栽培する畑が広がります。
ここも農業専用地区なので、平坦地をのんびりと歩きたい方にはオススメの散歩道です。
近ごろ横浜の農地を歩くようになり、これまで聞き流していた天気予報の「低温注意報」の発表に、「畑のほうれん草は大丈夫だろうか?」と、身近に感じるようになりましたから、いい見聞になっているようです。
今年の冬は寒いので、作物の管理には苦労されていることでしょう。
その途中に、カモメの仲間らしい海鳥(小柄なのでユリカモメと思う)の群れる川岸があり、餌づけする人がいて河川敷も鳥の足跡だらけですから、この辺りで生活しているのかと思っていたら、ユリカモメは昼間、湖沼や河川付近で群れて過ごし、夜は海に戻って船などをねぐらとするそうです。
付近では野鳥の餌づけが盛んなようで、鴨居駅から「ららぽーと横浜(ショッピングセンター)」方面に架かる歩行者専用橋での餌づけは、周辺の名物(?)なんだそうです(個人的な趣味らしい)。
以前からカモが多くいるので「鴨居」とされたそうですから、餌づけしなくとも人と鳥が身近に接していた地域になります。
現在でも鳥が集まるのですから、流れが緩やかで、エサの豊富な場所という条件を満たしているのでしょう。
確かに田園風景の中に野鳥の集う川が流れる絵ではありますが、畑の先には崖っぷちに建てられた「無理やりマンション」が並んでいたりするので、新・旧の土地利用がせめぎ合う最前線と言えそうです。
もう少し上流の中山駅手前で分かれる支流の恩田川が、横浜線沿いを町田方面に向かうので、今回からその恩田川沿いを歩こうと思います。
県立四季の森公園(Map)
最寄りのJR横浜線中山駅では、2008年に横浜市営地下鉄グリーンラインが開業しましたが(日吉〜中山間)、今後の延伸計画には〜二俣川〜東戸塚〜上大岡〜根岸〜元町・中華街までの構想があるそうです(反対側は日吉〜鶴見)。
横浜市の夢の大きさには驚かされますし、第2の東京を造ろうとしているのか? とさえ感じられます。
その中央を南東〜北西方向に走るJR横浜線に接続する都心方面からの経路として、東神奈川(京浜東北線)、菊名(東横線)、新横浜(東海道新幹線、地下鉄ブルーライン)、中山(グリーンライン)、長津田(田園都市線)が実現しましたが、そこにまた相鉄線を新横浜に接続させるのですから、この総力戦は、首都近郊における都市計画の手本とされるかも知れません。
これまでローカル線の印象が強かった横浜線には、山手線などからの「お下がり車両」が回されてきましたが、ピッカピカの車両が走る日も遠くないのかも知れません。
公園の展望台へと続く階段で、子どもたちが「グリコ」(じゃんけん遊び)をしています(説明はいりませんよね?)。
その遊びについて調べましたが、地方による違いはなくどこも「グリコ」と呼んでいたようで、ルーツも不明です。
江崎グリコの戦略と考えると、「グリコ」の発売開始は1922年(大正11年)ですが、アーモンドチヨコレートの発売が1958年(昭和33年)なので(チョコレートは東京凮月堂から1878年(明治11年)に発売されている)、その当時の仕掛けにも思われますが、でもパイナツプルは?
そこで思い浮かんだのが、チョコの中にフルーツ味が隠れていたルックチョコレートですが、それは不二家でした。
結局不明ですが、「ひとつぶ300メートル」という印象深いコピーと、当時の子どもたちに人気の食べ物のゴロ合わせから生まれたようです。
それにしても、書いただけなのに口の中が甘ったるくなってきました……
上写真付近には以前、不動の滝とされるわき水があったそうで(現在は細々とした流れ)、「この場所に、竜王の化身で水の神様であるクリカラ不動尊を祭った」の案内書きを目にしてから、「それはクリカラモンモン(入れ墨)と関係あるのか?」の疑問を抱きながら、悶々と歩いていました……
帰って調べると、「俱利迦羅(くりから)」は不動明王の化身「俱利迦羅竜王」であるとのこと。「もんもん(紋紋)」は紋様の意味なので、「クリカラモンモン」は俱利迦羅竜王の紋様という意味であり、その絵柄が背中一面に彫られた入れ墨の意味に使われるようになったそうです。
公園で「クリカラ」の文字を見た瞬間、映画『さらば愛しき大地』(1982年)で根津甚八が背負っていた入れ墨がイメージに浮かび、頭の中を占領されましたが、あれが俱利迦羅竜王であったかは不明というか、もう十分です。
不動明王とは密教(空海の教え)で大日如来の化身とされ、日本ではとても親しまれる信仰対象なので、各地のお不動さん(不動尊)にある「水」に接した際には、この「クリカラモンモン」の記述を思い出して下さい(?)。
公園内で最も広い谷戸(谷状の地形)には、アシ原が広がっています。
わき水も豊富なので水田も可能かと思うのですが、維持管理に手間が掛かることや、わき水の水質などの問題があるのかも知れません。
でも、案内板写真にある青々と茂るアシの姿を目にできる場所は少ないと思うので、そんな季節に見てみたい光景です。
姿は目にできませんがどこの森からも、コツコツ木を突つく音や、枯葉を掘り起こす音などが聞こえ、そんなざわつき感が鳥たちを身近なものに感じさせてくれます。
写真からは伝わりにくいと思いますが、急斜面の迫った土地を開発業者が敬遠したおかげで(?)、このような環境が残されたという気がします。
斜面だらけの公園ですが、散策用の階段の下にある「136段あります。お気をつけて」などの看板が励みになるのでしょうか、そこをウォーキングコースとしている方が多いことに驚かされました。
坂道や階段を上がることは、平地を歩くよりも心肺機能が鍛えられると思うので、習慣にできればしめたものという気がします。
伝わっているかも知れませんが、わたしもこの「鶴見川&里山を歩く企画」前までは坂道を避けたい方でした。
坂を登ると同世代の平均以上にゼイゼイすると思いますが、少し慣れたせいか気分的には「苦痛」が軽くなったような気がします……
枯葉には事欠かない地なので、枯葉ソリができそうな場所もあります。
ワンパクな遊びをさせないためか、幼少者向けのためか、公園側が「新鮮な枯葉を集めた枯葉プール」(意味は伝わります)を用意して、安全な枯葉遊びを確保してくれます。
何が楽しかったのかは思い出せませんが、ガキ時分にはよく林で遊んだ印象があります。当時は林の中をウオーキングする人もいませんから(その代わり変質者と称される人には要注意です)、自分たちの世界に浸れる場所だったのかも知れません。
そこから何を与えてもらったのかも明確に表現できませんが、もし自分に子どもがいたら森の中へ連れて行きたいと思ったことでしょう。
そこで何を感じるかは、その空気にふれてみなければ分からないし、人それぞれ違って当たり前ですが、そこで受けたインパクトを忘れないことが重要なのだと思います。
何これ? と言わないでよ。当人には
カワセミの姿をとらえた!
という写真なんですから……
池の対岸に大きな望遠レンズを据えた人たちがいるので、この辺りにカワセミでもいるのか、とアシ原をのぞいてみると、イメージ通り枝の上にカワセミがいるではありませんか!
野外で目にしたのは初めてなので、一応は撮っておかねばというものですが、わたしのレンズではとてもとても撮れるものではありません(これも撮った写真を拡大しています)。
俊敏なイメージがありますが、獲物を探す時(?)は結構じっと動かない鳥であることを知っただけでも、とてもうれしい出会いです。
しかし裏返すと、わたしにも出会う機会があるのですから、希少さは失われたと言えるかも知れません。
それを、都市近郊の自然が整備されてきたととらえるか、本来の生息地から追われてきたと考えるか、もしくは彼らが適応したとするのか? 受け止め方でよろこびの度合いも変わってきそうですが、今回は素直に「初めての出会い」をよろこびたいと思います。
畑の中に「春の花を育てています」の看板が見えました。
気分はこれから冬本番(年明けから冬本番の寒さが始まるとは、油断を突かれました)ですが、春の便りは、もうカレンダー2枚程度の期間で届けねばならないのですから、準備はすでに進行中です。
これまでの「春待ち気分」は、木々のつぼみから感じていましたが、こんな新緑の芽(菜の花?)が育つ様子を眺めていると、日々の成長と共に気持ちが明るくなりそうで、春待ち気分にはうってつけという気がしてきます……
2011/01/11
贅沢な時間の過ごし方──葉山、江の島
2010.12.29
【神奈川県】
年末年始に時間の余裕ができたので、どこに行くか? と考えるまでもなく「海!」と、横須賀線に飛び乗りました。
近ごろの鶴見川流域散策も楽しいのですが、しばらく海に接しないと何だか息苦しく感じられ、息継ぎのように海を目指してしまいます。
久しぶりの海原を前に深呼吸した瞬間は、周囲に人がいなければ「オーッ」と深いため息をつきたくなる心地よさがあります。
立石(Map)
ここは三浦半島西海岸の立石で、前回の訪問も寒かった気がしますが、冬の海は人も少なく落ち着けます。
夏の時期には海に入る人が多いので、バスや町中もザラザラ・ベトベトしていますが、この季節は車で訪れる人がほとんどなので、バスも町も閑散としています。
むかしは車で走ったので、ルートの距離感は把握していたはずなのですが、バスと徒歩で移動するようになると用事のないバス停は無いものとしたり、都合良くその距離感を縮めてしまうことがあります。
「アレ、こんなに距離あったっけ?」などと、イメージとの誤差の大きさにガッカリしてしまいます……
これも動機のひとつである、逗子駅近くの「ときわ軒」のラーメンは、飾りっ気のない鶏ガラスープで「サラッ」と満足させてくれました。
葉山(Map)
ここは葉山御用邸前の岩場で、波の穏やかな湾内で羽を休めていた渡り鳥と思われる大群が、グループごとに順次飛び立って行きます。
百羽単位の群れが、それぞれのタイミングで飛び立つ姿がいつまでも続くので、総数はどれだけいたんだろうと思ってしまいます。
野鳥の会の人たちに「カチカチ」やってもらいたいところですが、以前TVで見た、大まかに数える場合は、10羽(程度の単位)のマス目を想定して、それを当てはめる数え方を思い出しました。
でも、飛ぶ群れの様子には密度のバラツキが多いので、ちょっと無理のようです……
左下(岩の上)に富士山が見えていますが、「富士に雁」という絵にするにはちょっと遠過ぎます。
前回立ち寄った葉山しおさい公園は年末休園ですが、近くの大きな家では塀の枯れ草を片付けています。
外野は勝手に「雰囲気のある外壁」と感心しますが、大きな家の周囲を掃除するのは結構な重労働のようです。
大変失礼ですが、ご主人のにわか作業では結局「やっつけ仕事」に見えてしまうので、やはり専門の方にお願いした方がいいのでは? と思ってしまいます。
プロに手入れをしてもらってこそ、美しい庭が保てるように思ったりします(失礼極まりないね)。
2010.12.31
江の島(Map)
大晦日も江の島はぎわっており、その中でも目立つのは中国・韓国からの観光客のようです。
感覚として寒い季節には、暖かいハワイやグアムを選択するように思うのですが、昨年オープンした羽田国際線ターミナルの正月の様子では「韓国は寒かったけど、楽しかった」の声も聞かれますから、「休み中にどこなら行けるのか」(希望よりも現実)ということなのでしょうか?
ヨットハーバーは大晦日シャットアウト(休み)なんですね。贅沢サービス業なので、割増料金で営業しているかと思いましたが、年始には大混雑となるでしょうから(通行止めか?)、営業自体が難しいのかも知れません。
若いころよく昼寝をしに来た沖側の堤防はキレイに整備されていて、この日は風もなく歩いていると汗ばむような陽気に誘われますが、もうこの季節に横になる勇気はありません(風邪引きたくないもの……)。
しかし若い時分は何と贅沢な時間の使い方をしていたのだろう、と思ったものの、限られた時間で一番やりたいことを選んだ結果、現在も同じ場所にいるわけですから、これがいまも自分の贅沢であることに気付かされます。
それはうれしくもあり、寂しくもある、複雑な気持ちにさせられます……
近ごろでは、大晦日の夕暮れに江の島の海岸に集まる人影が増えた気がします。ライフスタイルの変化? 温暖化の影響?
以前は、近所の住民程度の人影もまばらな海辺に年の瀬らしさを感じたものですが、黒装束のオットセイたちも増えているようです。
サラリーマンを想定すると、29日に仕事を納め、30日に大掃除を終え、お母さんがおせち料理を作らない家庭も多いので、31日は「自由時間」にできますから、こんな姿も可能になるわけです。
気ままなヤツに言われたくないことは分かりますが、年末くらい少し家族でのんびりする時間があってもいいように思ったりします……
結局富士山に対面できたのは、経験上最も目にする機会の多い冬の湘南となりましたが、雲はかかっても対面できると、信仰の対象とした気持ちが理解できるような、心の安堵を感じたりします。
これは単なる習慣的な行事なのですが、初日の出のように(初日の出を見る習慣はありませんが)出会えない時には寂しさを覚えたりします。
この出会いには、是非とも、明るい年にしたい! と祈りたくなるような、特別な意味を感じてしまいます。
追記
NHK大河ドラマ「江」が始まりました。
「篤姫」に続けと、大きな期待を背負った田渕久美子(原作・脚本)の登板ですが、初回からそれはもう「ホラ吹き田渕(褒め言葉です)」全開の楽しさで、完全に身を委ねたい気分にさせられました。
その時代の歴史には明るくありませんが、細部まで史実として伝わらないであろう「空白部分(グレーゾーン)」を(事実だとしても)、まことしやかに涙を誘うドラマに仕立て上げる手腕は見事としかいいようがありません。
楽しみな歴史の授業が始まりました。
【神奈川県】
年末年始に時間の余裕ができたので、どこに行くか? と考えるまでもなく「海!」と、横須賀線に飛び乗りました。
近ごろの鶴見川流域散策も楽しいのですが、しばらく海に接しないと何だか息苦しく感じられ、息継ぎのように海を目指してしまいます。
久しぶりの海原を前に深呼吸した瞬間は、周囲に人がいなければ「オーッ」と深いため息をつきたくなる心地よさがあります。
立石(Map)
ここは三浦半島西海岸の立石で、前回の訪問も寒かった気がしますが、冬の海は人も少なく落ち着けます。
夏の時期には海に入る人が多いので、バスや町中もザラザラ・ベトベトしていますが、この季節は車で訪れる人がほとんどなので、バスも町も閑散としています。
むかしは車で走ったので、ルートの距離感は把握していたはずなのですが、バスと徒歩で移動するようになると用事のないバス停は無いものとしたり、都合良くその距離感を縮めてしまうことがあります。
「アレ、こんなに距離あったっけ?」などと、イメージとの誤差の大きさにガッカリしてしまいます……
これも動機のひとつである、逗子駅近くの「ときわ軒」のラーメンは、飾りっ気のない鶏ガラスープで「サラッ」と満足させてくれました。
葉山(Map)
ここは葉山御用邸前の岩場で、波の穏やかな湾内で羽を休めていた渡り鳥と思われる大群が、グループごとに順次飛び立って行きます。
百羽単位の群れが、それぞれのタイミングで飛び立つ姿がいつまでも続くので、総数はどれだけいたんだろうと思ってしまいます。
野鳥の会の人たちに「カチカチ」やってもらいたいところですが、以前TVで見た、大まかに数える場合は、10羽(程度の単位)のマス目を想定して、それを当てはめる数え方を思い出しました。
でも、飛ぶ群れの様子には密度のバラツキが多いので、ちょっと無理のようです……
左下(岩の上)に富士山が見えていますが、「富士に雁」という絵にするにはちょっと遠過ぎます。
前回立ち寄った葉山しおさい公園は年末休園ですが、近くの大きな家では塀の枯れ草を片付けています。
外野は勝手に「雰囲気のある外壁」と感心しますが、大きな家の周囲を掃除するのは結構な重労働のようです。
大変失礼ですが、ご主人のにわか作業では結局「やっつけ仕事」に見えてしまうので、やはり専門の方にお願いした方がいいのでは? と思ってしまいます。
プロに手入れをしてもらってこそ、美しい庭が保てるように思ったりします(失礼極まりないね)。
2010.12.31
江の島(Map)
大晦日も江の島はぎわっており、その中でも目立つのは中国・韓国からの観光客のようです。
感覚として寒い季節には、暖かいハワイやグアムを選択するように思うのですが、昨年オープンした羽田国際線ターミナルの正月の様子では「韓国は寒かったけど、楽しかった」の声も聞かれますから、「休み中にどこなら行けるのか」(希望よりも現実)ということなのでしょうか?
ヨットハーバーは大晦日シャットアウト(休み)なんですね。贅沢サービス業なので、割増料金で営業しているかと思いましたが、年始には大混雑となるでしょうから(通行止めか?)、営業自体が難しいのかも知れません。
若いころよく昼寝をしに来た沖側の堤防はキレイに整備されていて、この日は風もなく歩いていると汗ばむような陽気に誘われますが、もうこの季節に横になる勇気はありません(風邪引きたくないもの……)。
しかし若い時分は何と贅沢な時間の使い方をしていたのだろう、と思ったものの、限られた時間で一番やりたいことを選んだ結果、現在も同じ場所にいるわけですから、これがいまも自分の贅沢であることに気付かされます。
それはうれしくもあり、寂しくもある、複雑な気持ちにさせられます……
近ごろでは、大晦日の夕暮れに江の島の海岸に集まる人影が増えた気がします。ライフスタイルの変化? 温暖化の影響?
以前は、近所の住民程度の人影もまばらな海辺に年の瀬らしさを感じたものですが、黒装束のオットセイたちも増えているようです。
サラリーマンを想定すると、29日に仕事を納め、30日に大掃除を終え、お母さんがおせち料理を作らない家庭も多いので、31日は「自由時間」にできますから、こんな姿も可能になるわけです。
気ままなヤツに言われたくないことは分かりますが、年末くらい少し家族でのんびりする時間があってもいいように思ったりします……
結局富士山に対面できたのは、経験上最も目にする機会の多い冬の湘南となりましたが、雲はかかっても対面できると、信仰の対象とした気持ちが理解できるような、心の安堵を感じたりします。
これは単なる習慣的な行事なのですが、初日の出のように(初日の出を見る習慣はありませんが)出会えない時には寂しさを覚えたりします。
この出会いには、是非とも、明るい年にしたい! と祈りたくなるような、特別な意味を感じてしまいます。
追記
NHK大河ドラマ「江」が始まりました。
「篤姫」に続けと、大きな期待を背負った田渕久美子(原作・脚本)の登板ですが、初回からそれはもう「ホラ吹き田渕(褒め言葉です)」全開の楽しさで、完全に身を委ねたい気分にさせられました。
その時代の歴史には明るくありませんが、細部まで史実として伝わらないであろう「空白部分(グレーゾーン)」を(事実だとしても)、まことしやかに涙を誘うドラマに仕立て上げる手腕は見事としかいいようがありません。
楽しみな歴史の授業が始まりました。
2011/01/05
国を守るには畑から!──池辺町(いこのべ)
2010.12.26
【神奈川県】
より大きな地図で 鶴見川&里山 を表示
前回足の届かなかった、池辺町〜川和富士までをつなぎに歩きました。
今回は「つなぐ:未踏の地域を歩いて、既に歩いた場所の印象に接合させる」という自己満足のルートなので、見どころ等はありませんが「歩いてみたい」という「さんぽの原点」に帰ったような行程になります。
東方町(ひがしかた)(Map)
この日は横浜市営地下鉄仲町台駅から、前回の帰りに乗ったバス停まで歩きましたが(下り坂なので)徒歩15分程でたどり着きました。
バスを待つ時も、この坂を上がれば見覚えのある場所にたどり着けるだろうと思ったものの、距離感をイメージできず、チャレンジする力も残ってないのであきらめてました。
初めて訪れる場所はどこも「遠回りして学ぼう♪」(?)なのは仕方ないことで、それを今回に生かせた(バス代の節約)のですから報われたことになります。
田舎道のバス通りという光景にポツンとコンビニがあります。
車で10分も行けば大きなショッピングモールのある場所柄でも、地元に商店が無いのでわたしもオアシスと感じるのですから、地域住民はとても重宝していることでしょう。
この付近の大熊川は暗きょ化され、その上が歩道になっていて車は通らないので、子どもたちには安全な通路です。
ですが、所々にあるギャップ(傾斜)のたびに彼らの自転車は立ち往生するものの、めげることなくコンビニを目指して走ります。
子どもたちにとっては近所の駄菓子屋でしょうし、周辺農家の人には自前の野菜以外のこまごました入り用や、お年寄りには便利な存在のようです。
いまどきは銀行ATMもあるので、これまでは住民の交流の場であった郵便局が、都市近郊ではコンビニに脅かされる立場にあるのかも知れません。
ただし、いくら店員と仲良くなっても、収支次第でいきなりの撤退もあり得ますから、信用の置けない存在です。
そんな事態に直面し途方に暮れた住民向けに、車での巡回コンビニサービスなどを提供したらよろこばれるのでは? と思ったりします。
ここは東方天満宮という神社で、年明け早々から合格祈願などでにぎわうだろうと、そんな季節感のある梅の木に目が向きます(菅原道真を祭る天満宮には、道真が好んだ梅が植えられる習慣がある)。
境内には、中国から贈られたとされる木も含め約250本の梅の木が植えられていて、ロウバイ(中国名の蝋梅によるも梅とは別物で真冬に開花する:花がろう細工のように見える)らしき花がほころび始めていました。
わたしを含め梅と思う人も多いでしょうから、天満宮にあっていいようにも思えます。花を楽しめる期間も長くなりますしね。
それほど険しくない丘陵地に思えますし、遠回りしてもそれほどの距離はないと思うのですが、ザックリと堀り込まれた立派な切り通しがあります。
近くに現在の中原街道が通っているので、旧街道もしくは枝街道だったのかも知れません。
付近には以前お寺があったのか、この竹林は古くから墓地とされてきた場所のようです。
それを気に入ったのか分かりませんが、この奧に隠れ家的な食事処があります。
お墓というものは、別に隔離する必要はないわけで、当たり前のことに店側はチャレンジしているのだろうか。
両脇の壁面上から、崩れ落ちそうな木の根が張り出していて、何とか撮れないかとあれこれ挑戦したものの、結局根元は暗くて断念しました。そういう時に何か手はないか、考えてみます。
この付近の小川は暗きょとされる場所が多く直接目にできませんが、あちこちの道路下(川の上を道としている)から水の流れる音が聞こえてきます。
小川沿いに人家が作られる際に人間都合の地形に整地されたようですが、量は少なくともわき出し個所が多いことに驚かされます。
付近には取り立てて急な斜面などはありませんが、地下水がわき出る地層が地表に露出する地域なのかも知れません。
丘陵地の尾根筋は、古い時代の山が浸食を受けながらも残された場所なので、地下水脈もその方向性を保っていると考えられます。
そう考えると、地下水の上流域は多摩丘陵や高尾山方面になりそうです。
近くの数沢(かずさわ)という地区では、ひとつの谷戸(谷間)を水源とする流れが、2方向に流れ鶴見川で合流するという場所があります(それが数沢の由来なのでしょう)。
一帯が海だったころ、海水面がこの付近の高さで変動を繰り返して流路が変わりやすかったのか、地滑り等で一方がせき止められてもう一方に流れ出したか分かりませんが、いずれにしてもこの付近のわき水には数万年単位の歴史があるようです。
池辺町(いこのべ)(Map)
この一帯には竹林が多いので、竹の写真が多くなってしまいます。
中国から持ち込まれたとされるモウソウチク(孟宗竹)に、自生の竹は駆逐されたのか?(手軽さで栽培地が広がった)と考えながらも、目にした場所はどこも手が入っているようで、タケノコ栽培をしているように見えます。
調べると、20世紀末頃(つい最近の事)から中国産の安価なタケノコが出回り価格が下落したため、国内の竹林は放置される傾向にあるとのこと。
一日に数十センチも伸びるとされる成長力には、周囲の林や休耕田などを埋め尽くす勢いがあります。
竹林を整備したい農家は、小さいうちに掘らないと大変なので毎日掘るのでしょう。売れなければどんどん配りたいわけですから、それをよろこんでしまう母親などは「そんなにもらってきてどうするの!」という量のタケノコを、近所に配り回っていました。
それを侵略と考えれば「竹林の里」などと風情を感じている場合ではなく、中国勢力から国土をどう守るかという戦場のひとつかも知れないと思ったりします(チャイナマネーが日本の土地を買いあさっていると耳にします)。
「ビジネスは闘い」と耳にしますが、農業もビジネスなわけで、農家はどう闘っていけばいいのでしょうか?
日本の農業では勝負にならないと判断したビジネスマンにこそ問いたい、どうすれば活路が見いだせるのかを!
この付近には、滝ヶ谷戸という現在でも地形だけは見事に残されている谷筋があります。
上述のように、谷間には少ないながらもわき水は絶えないので、農耕地に適した条件は変わってないように見えます。
しかし、見た目にはキレイなわき水ですが、排水溝に集めて下水に流され一切利用されてないようです。農耕に使用すべきでない汚染物質が含まれていたりするのだろうか?
まさかと思ったものの、もしそうであれば、雨水および上水で育てられる畑にするか、住宅地にするという選択肢しか思い浮かびません。
選択結果として目の前にある現実の姿が、想像通りであることにとても寂しさを覚えます。
せめて現状通り、谷戸の地形だけでも残してもらいたいという気がします……
ここ何回か農家の方を「働き者」的な表現をした気がして、申し訳ないと反省しているところです。
基本的に市場が開いている間は、生産者として毎日作物を出荷すれば収入になる、という視点で考えていました。
年末年始の時期に、お雑煮にほうれん草を入れたいと考えた場合、軟弱野菜(傷みの早い青物)の収穫〜出荷は12月29〜30日までお願いしたいことになります。
もちろん収入を左右するので意欲はあると思いますが、それ以上に消費者の要望に応えるためと考えれば、本当に感謝しなければいけないと、頭が下がる思いです。
正月も、われわれが箱根駅伝を見ながらうたた寝しているころには、畑に立っているわけですから(市場が開く前日には収穫を始めているのでしょう)エコという意識を抜きにしても、食物を大切にしなければいけないと胸に染みる思いです……
【神奈川県】
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前回足の届かなかった、池辺町〜川和富士までをつなぎに歩きました。
今回は「つなぐ:未踏の地域を歩いて、既に歩いた場所の印象に接合させる」という自己満足のルートなので、見どころ等はありませんが「歩いてみたい」という「さんぽの原点」に帰ったような行程になります。
東方町(ひがしかた)(Map)
この日は横浜市営地下鉄仲町台駅から、前回の帰りに乗ったバス停まで歩きましたが(下り坂なので)徒歩15分程でたどり着きました。
バスを待つ時も、この坂を上がれば見覚えのある場所にたどり着けるだろうと思ったものの、距離感をイメージできず、チャレンジする力も残ってないのであきらめてました。
初めて訪れる場所はどこも「遠回りして学ぼう♪」(?)なのは仕方ないことで、それを今回に生かせた(バス代の節約)のですから報われたことになります。
田舎道のバス通りという光景にポツンとコンビニがあります。
車で10分も行けば大きなショッピングモールのある場所柄でも、地元に商店が無いのでわたしもオアシスと感じるのですから、地域住民はとても重宝していることでしょう。
この付近の大熊川は暗きょ化され、その上が歩道になっていて車は通らないので、子どもたちには安全な通路です。
ですが、所々にあるギャップ(傾斜)のたびに彼らの自転車は立ち往生するものの、めげることなくコンビニを目指して走ります。
子どもたちにとっては近所の駄菓子屋でしょうし、周辺農家の人には自前の野菜以外のこまごました入り用や、お年寄りには便利な存在のようです。
いまどきは銀行ATMもあるので、これまでは住民の交流の場であった郵便局が、都市近郊ではコンビニに脅かされる立場にあるのかも知れません。
ただし、いくら店員と仲良くなっても、収支次第でいきなりの撤退もあり得ますから、信用の置けない存在です。
そんな事態に直面し途方に暮れた住民向けに、車での巡回コンビニサービスなどを提供したらよろこばれるのでは? と思ったりします。
ここは東方天満宮という神社で、年明け早々から合格祈願などでにぎわうだろうと、そんな季節感のある梅の木に目が向きます(菅原道真を祭る天満宮には、道真が好んだ梅が植えられる習慣がある)。
境内には、中国から贈られたとされる木も含め約250本の梅の木が植えられていて、ロウバイ(中国名の蝋梅によるも梅とは別物で真冬に開花する:花がろう細工のように見える)らしき花がほころび始めていました。
わたしを含め梅と思う人も多いでしょうから、天満宮にあっていいようにも思えます。花を楽しめる期間も長くなりますしね。
それほど険しくない丘陵地に思えますし、遠回りしてもそれほどの距離はないと思うのですが、ザックリと堀り込まれた立派な切り通しがあります。
近くに現在の中原街道が通っているので、旧街道もしくは枝街道だったのかも知れません。
付近には以前お寺があったのか、この竹林は古くから墓地とされてきた場所のようです。
それを気に入ったのか分かりませんが、この奧に隠れ家的な食事処があります。
お墓というものは、別に隔離する必要はないわけで、当たり前のことに店側はチャレンジしているのだろうか。
両脇の壁面上から、崩れ落ちそうな木の根が張り出していて、何とか撮れないかとあれこれ挑戦したものの、結局根元は暗くて断念しました。そういう時に何か手はないか、考えてみます。
この付近の小川は暗きょとされる場所が多く直接目にできませんが、あちこちの道路下(川の上を道としている)から水の流れる音が聞こえてきます。
小川沿いに人家が作られる際に人間都合の地形に整地されたようですが、量は少なくともわき出し個所が多いことに驚かされます。
付近には取り立てて急な斜面などはありませんが、地下水がわき出る地層が地表に露出する地域なのかも知れません。
丘陵地の尾根筋は、古い時代の山が浸食を受けながらも残された場所なので、地下水脈もその方向性を保っていると考えられます。
そう考えると、地下水の上流域は多摩丘陵や高尾山方面になりそうです。
近くの数沢(かずさわ)という地区では、ひとつの谷戸(谷間)を水源とする流れが、2方向に流れ鶴見川で合流するという場所があります(それが数沢の由来なのでしょう)。
一帯が海だったころ、海水面がこの付近の高さで変動を繰り返して流路が変わりやすかったのか、地滑り等で一方がせき止められてもう一方に流れ出したか分かりませんが、いずれにしてもこの付近のわき水には数万年単位の歴史があるようです。
池辺町(いこのべ)(Map)
この一帯には竹林が多いので、竹の写真が多くなってしまいます。
中国から持ち込まれたとされるモウソウチク(孟宗竹)に、自生の竹は駆逐されたのか?(手軽さで栽培地が広がった)と考えながらも、目にした場所はどこも手が入っているようで、タケノコ栽培をしているように見えます。
調べると、20世紀末頃(つい最近の事)から中国産の安価なタケノコが出回り価格が下落したため、国内の竹林は放置される傾向にあるとのこと。
一日に数十センチも伸びるとされる成長力には、周囲の林や休耕田などを埋め尽くす勢いがあります。
竹林を整備したい農家は、小さいうちに掘らないと大変なので毎日掘るのでしょう。売れなければどんどん配りたいわけですから、それをよろこんでしまう母親などは「そんなにもらってきてどうするの!」という量のタケノコを、近所に配り回っていました。
それを侵略と考えれば「竹林の里」などと風情を感じている場合ではなく、中国勢力から国土をどう守るかという戦場のひとつかも知れないと思ったりします(チャイナマネーが日本の土地を買いあさっていると耳にします)。
「ビジネスは闘い」と耳にしますが、農業もビジネスなわけで、農家はどう闘っていけばいいのでしょうか?
日本の農業では勝負にならないと判断したビジネスマンにこそ問いたい、どうすれば活路が見いだせるのかを!
この付近には、滝ヶ谷戸という現在でも地形だけは見事に残されている谷筋があります。
上述のように、谷間には少ないながらもわき水は絶えないので、農耕地に適した条件は変わってないように見えます。
しかし、見た目にはキレイなわき水ですが、排水溝に集めて下水に流され一切利用されてないようです。農耕に使用すべきでない汚染物質が含まれていたりするのだろうか?
まさかと思ったものの、もしそうであれば、雨水および上水で育てられる畑にするか、住宅地にするという選択肢しか思い浮かびません。
選択結果として目の前にある現実の姿が、想像通りであることにとても寂しさを覚えます。
せめて現状通り、谷戸の地形だけでも残してもらいたいという気がします……
ここ何回か農家の方を「働き者」的な表現をした気がして、申し訳ないと反省しているところです。
基本的に市場が開いている間は、生産者として毎日作物を出荷すれば収入になる、という視点で考えていました。
年末年始の時期に、お雑煮にほうれん草を入れたいと考えた場合、軟弱野菜(傷みの早い青物)の収穫〜出荷は12月29〜30日までお願いしたいことになります。
もちろん収入を左右するので意欲はあると思いますが、それ以上に消費者の要望に応えるためと考えれば、本当に感謝しなければいけないと、頭が下がる思いです。
正月も、われわれが箱根駅伝を見ながらうたた寝しているころには、畑に立っているわけですから(市場が開く前日には収穫を始めているのでしょう)エコという意識を抜きにしても、食物を大切にしなければいけないと胸に染みる思いです……
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