2011/01/05

国を守るには畑から!──池辺町(いこのべ)

2010.12.26
【神奈川県】


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 前回足の届かなかった、池辺町〜川和富士までをつなぎに歩きました。
 今回は「つなぐ:未踏の地域を歩いて、既に歩いた場所の印象に接合させる」という自己満足のルートなので、見どころ等はありませんが「歩いてみたい」という「さんぽの原点」に帰ったような行程になります。


東方町(ひがしかた)(Map)

 この日は横浜市営地下鉄仲町台駅から、前回の帰りに乗ったバス停まで歩きましたが(下り坂なので)徒歩15分程でたどり着きました。
 バスを待つ時も、この坂を上がれば見覚えのある場所にたどり着けるだろうと思ったものの、距離感をイメージできず、チャレンジする力も残ってないのであきらめてました。
 初めて訪れる場所はどこも「遠回りして学ぼう♪」(?)なのは仕方ないことで、それを今回に生かせた(バス代の節約)のですから報われたことになります。

 田舎道のバス通りという光景にポツンとコンビニがあります。
 車で10分も行けば大きなショッピングモールのある場所柄でも、地元に商店が無いのでわたしもオアシスと感じるのですから、地域住民はとても重宝していることでしょう。
 この付近の大熊川は暗きょ化され、その上が歩道になっていて車は通らないので、子どもたちには安全な通路です。
 ですが、所々にあるギャップ(傾斜)のたびに彼らの自転車は立ち往生するものの、めげることなくコンビニを目指して走ります。
 子どもたちにとっては近所の駄菓子屋でしょうし、周辺農家の人には自前の野菜以外のこまごました入り用や、お年寄りには便利な存在のようです。
 いまどきは銀行ATMもあるので、これまでは住民の交流の場であった郵便局が、都市近郊ではコンビニに脅かされる立場にあるのかも知れません。
 ただし、いくら店員と仲良くなっても、収支次第でいきなりの撤退もあり得ますから、信用の置けない存在です。
 そんな事態に直面し途方に暮れた住民向けに、車での巡回コンビニサービスなどを提供したらよろこばれるのでは? と思ったりします。


 ここは東方天満宮という神社で、年明け早々から合格祈願などでにぎわうだろうと、そんな季節感のある梅の木に目が向きます(菅原道真を祭る天満宮には、道真が好んだ梅が植えられる習慣がある)。
 境内には、中国から贈られたとされる木も含め約250本の梅の木が植えられていて、ロウバイ(中国名の蝋梅によるも梅とは別物で真冬に開花する:花がろう細工のように見える)らしき花がほころび始めていました。
 わたしを含め梅と思う人も多いでしょうから、天満宮にあっていいようにも思えます。花を楽しめる期間も長くなりますしね。


 それほど険しくない丘陵地に思えますし、遠回りしてもそれほどの距離はないと思うのですが、ザックリと堀り込まれた立派な切り通しがあります。
 近くに現在の中原街道が通っているので、旧街道もしくは枝街道だったのかも知れません。
 付近には以前お寺があったのか、この竹林は古くから墓地とされてきた場所のようです。
 それを気に入ったのか分かりませんが、この奧に隠れ家的な食事処があります。
 お墓というものは、別に隔離する必要はないわけで、当たり前のことに店側はチャレンジしているのだろうか。

 両脇の壁面上から、崩れ落ちそうな木の根が張り出していて、何とか撮れないかとあれこれ挑戦したものの、結局根元は暗くて断念しました。そういう時に何か手はないか、考えてみます。


 この付近の小川は暗きょとされる場所が多く直接目にできませんが、あちこちの道路下(川の上を道としている)から水の流れる音が聞こえてきます。
 小川沿いに人家が作られる際に人間都合の地形に整地されたようですが、量は少なくともわき出し個所が多いことに驚かされます。
 付近には取り立てて急な斜面などはありませんが、地下水がわき出る地層が地表に露出する地域なのかも知れません。
 丘陵地の尾根筋は、古い時代の山が浸食を受けながらも残された場所なので、地下水脈もその方向性を保っていると考えられます。
 そう考えると、地下水の上流域は多摩丘陵や高尾山方面になりそうです。

 近くの数沢(かずさわ)という地区では、ひとつの谷戸(谷間)を水源とする流れが、2方向に流れ鶴見川で合流するという場所があります(それが数沢の由来なのでしょう)。
 一帯が海だったころ、海水面がこの付近の高さで変動を繰り返して流路が変わりやすかったのか、地滑り等で一方がせき止められてもう一方に流れ出したか分かりませんが、いずれにしてもこの付近のわき水には数万年単位の歴史があるようです。


池辺町(いこのべ)(Map)


 この一帯には竹林が多いので、竹の写真が多くなってしまいます。
 中国から持ち込まれたとされるモウソウチク(孟宗竹)に、自生の竹は駆逐されたのか?(手軽さで栽培地が広がった)と考えながらも、目にした場所はどこも手が入っているようで、タケノコ栽培をしているように見えます。
 調べると、20世紀末頃(つい最近の事)から中国産の安価なタケノコが出回り価格が下落したため、国内の竹林は放置される傾向にあるとのこと。
 一日に数十センチも伸びるとされる成長力には、周囲の林や休耕田などを埋め尽くす勢いがあります。
 竹林を整備したい農家は、小さいうちに掘らないと大変なので毎日掘るのでしょう。売れなければどんどん配りたいわけですから、それをよろこんでしまう母親などは「そんなにもらってきてどうするの!」という量のタケノコを、近所に配り回っていました。

 それを侵略と考えれば「竹林の里」などと風情を感じている場合ではなく、中国勢力から国土をどう守るかという戦場のひとつかも知れないと思ったりします(チャイナマネーが日本の土地を買いあさっていると耳にします)。
 「ビジネスは闘い」と耳にしますが、農業もビジネスなわけで、農家はどう闘っていけばいいのでしょうか?
 日本の農業では勝負にならないと判断したビジネスマンにこそ問いたい、どうすれば活路が見いだせるのかを!


 この付近には、滝ヶ谷戸という現在でも地形だけは見事に残されている谷筋があります。
 上述のように、谷間には少ないながらもわき水は絶えないので、農耕地に適した条件は変わってないように見えます。
 しかし、見た目にはキレイなわき水ですが、排水溝に集めて下水に流され一切利用されてないようです。農耕に使用すべきでない汚染物質が含まれていたりするのだろうか?
 まさかと思ったものの、もしそうであれば、雨水および上水で育てられる畑にするか、住宅地にするという選択肢しか思い浮かびません。
 選択結果として目の前にある現実の姿が、想像通りであることにとても寂しさを覚えます。
 せめて現状通り、谷戸の地形だけでも残してもらいたいという気がします……

 ここ何回か農家の方を「働き者」的な表現をした気がして、申し訳ないと反省しているところです。
 基本的に市場が開いている間は、生産者として毎日作物を出荷すれば収入になる、という視点で考えていました。
 年末年始の時期に、お雑煮にほうれん草を入れたいと考えた場合、軟弱野菜(傷みの早い青物)の収穫〜出荷は12月29〜30日までお願いしたいことになります。
 もちろん収入を左右するので意欲はあると思いますが、それ以上に消費者の要望に応えるためと考えれば、本当に感謝しなければいけないと、頭が下がる思いです。
 正月も、われわれが箱根駅伝を見ながらうたた寝しているころには、畑に立っているわけですから(市場が開く前日には収穫を始めているのでしょう)エコという意識を抜きにしても、食物を大切にしなければいけないと胸に染みる思いです……

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