2011/01/31

木を育てる雑木林──三保市民の森

2011.1.16
【神奈川県】


より大きな地図で 鶴見川&里山 を表示

 このところローカルバス路線のハブ駅(失礼)である、JR横浜線中山駅に通っていますが、日曜の昼間には1時間に1本という路線に乗るため気を引き締めたはずが、すっかり寝坊しました。
 駅の南西側には、横浜市内では標高の高い丘陵地が広がるので(港北ニュータウン越しに東京タワーが望めるもスカイツリーは不明)、JR横浜線・相鉄線・小田急線・田園都市線に囲まれたかなり広い地域には「何かあったっけ?」と、思い浮かばないほど立ち寄らない場所でした。
 そんな空白域を、開発好きな横浜市が放っておくはずもなく、中山〜二俣川〜東戸塚へと市営地下鉄グリーンラインの延伸計画を練っていますから、開通すればまたニョキニョキとマンション群が建つのでしょう。
 そういった視点で横浜市を見渡してみると、まだのんびりとした地域は多々残されていますから、自治体のひとつの目標と思われる「人口の増加」に関しては、まだ伸びしろ(開発の余地)があるといえます。
 意気込みはあっても、東京は超えられないとの自覚があるならば、東京にない「暮らしやすさ」等の魅力ある町づくりを目指してもらいたいところです。


三保市民の森

 上述の丘陵地は、鶴見川西部の分水界にあたり、新治(にいはる)市民の森県立四季の森公園(横浜市緑区)よこはま動物園 ズーラシア(旭区)が近接する、横浜市の言う「北の森」にあたります。

 横浜市には「市民の森」などとされる、自然保護・開発制限地区を多く目にします。
 これは緑地保全・市民の憩いの場づくりに役立てる制度(1971年)によるもので、この施設は1972年に開園した最古参のひとつになります。
 指定を受けると市が散策路などの整備を行い、土地所有者への緑地育成奨励金の支給や、税的優遇を受けられますが、土地の開発が出来なくなります。
 これまではその宣伝文句通り「なるほど素晴らしい取り組みだ」と受け止めていましたが、この地でそのカラクリが見えた気がしました。
 全部とは言いませんが、多くの場所に共通するのが「北向きの斜面」なので開発業者も手を出さないため、自治体による隣接地との格差是正措置だったのでは? と。
 日当たりの悪さに苦労しながらも、自然と折り合いを付けて利用してきたのに、さまざまな理由で土地を手放そうと考えた途端に「この土地には価値がありません」と言われたら、悔しくて涙も出ないだろうと思っています……
 最初から重い話になりましたが、後述の状況につながります。

 ここは「小鳥のオアシス」とされる湧水で(管が見えた気もしますが)、まさに小鳥のさえずりがここを案内してくれました。
 タルコフスキー(※)映画に描かれたロシアの風景を想起するような、寒々しくも人を受け入れてくれる、日本人にとっての身近な冬の景色との印象があり、「こんな感覚久しぶり」とたちずさんでいました(この表現は辞書にありませんが、テオ・アンゲロプロス監督映画『こうのとり、たちずさんで』(1991年)から引用)。
 ──日本ではメジャーと言えない映画監督の名前が並びましたが、場所柄+季節感からのイメージと、外見は冷たそうでも自然の包容力を描いた監督という印象があるのだと思います。

 ※ アンドレイ・タルコフスキー(1932〜86年):ソ連時代の映画監督。『惑星ソラリス』(1972年)では、首都高速(東京)のトンネルを近未来都市に見立てている(これでは伝わらないね)。


 一帯に広がる雑木林にはきちんと人の手が入っているようで、木々の背丈はかなり高くなっています。
 一般的な雑木林では、薪やキノコ栽培等農作業用に切り出されますが、ここでは木を育てているように見受けられます(枝打ちされている)。
 上写真は別の場所ですが、樹冠(上部の葉が茂る部分)の高さは15m以上あり、スラリと伸びた木々が立ち並ぶ場所があります(暗くて撮れず)。
 下写真は大木が切り出されて日が当たるようになった切り株に、新しい芽が育っている様子で、若い木を育てるため日当たりを考慮した計画的な伐採が行われている様子が見て取れます。
 規模は小さくとも木材利用を目的とした雑木林が身近にあることが、ちょっとうれしく感じました。

 ここは尾根なので日当たりを確保しやすいのですが、上述「小鳥のオアシス」付近の谷底には大きな木は育っていません。
 周囲の森は荘厳なたたずまいですが、あの木々を切ったら、現在の姿に育つまでどれくらいの年月が……というか、それまで森があるのだろうか? と考えてしまうところが横浜の森の危うさなのかも知れません。


 上写真は座り込んで撮りましたが、バックの木々をもっと入れたかったので、もっとローアングルを寝そべって撮りたいところでした。
 森全体がうっそうとしているため薄暗く、枯葉とたわむれたので「よく遊んだ」自覚はありますが森から出た時、黒いズボンが枯葉まみれで、人に見られたらちょっと恥ずかしいようなパッチワークになっていました。空気が乾燥しているのでなかなか取れないし……

 ここは公園案内で「尾根道」とされる端にあたり、この写真を撮った背中側には、ギャップに驚いてしまうようなマンションや住宅が立ち並ぶ、若葉台の住宅地が広がっています。
 JR横浜線十日市場駅に近い十日市場ヒルタウンから、東名高速沿いの比較的傾斜のなだらかな丘陵地に沿って、霧が丘〜若葉台という住宅地が広がります。
 以前歩いた新治市民の森も、尾根を境に開発地区と環境保存地区が隣接していますから、港北ニュータウン同様に横浜市が線引きした土地利用の姿なのでしょう。
 ──まぎらわしい地名の整理です。比較的近い田園都市線にあるのは青葉台駅。若葉台駅は京王相模原線の多摩丘陵にある。

 尾根を境に土地利用を区分することには、意図の分かりやすさがありますが、その境界に立つと「高く売れる土地と、金にならない土地との境界線」のようにも思えてきます。
 条件のいい場所はガンガン開発し、たたかれそうな地域は、周辺の環境が整備されて相場が上がってから売ろうとしているように思えてしまいます(これは横浜市のビジョンに対する見解)。
 どうも横浜市には、地下鉄等のインフラ整備にメドが付いた途端「まだまだ用地はありますがな!」と、上昇志向から「北の森」を差し出しそうな怖さを感じてしまいます。
 「市民の森」という制度自体、地主の世代が交代し、開発の気運が高まるまでのバッファ(一時的保存領域)ではないか、と……

 都市を作り上げるには思想やビジョンが大切ですが、同様に大きな力を持つのが「状況」というファクターの言い訳に利用される庶民の「気分」です。
 自分でも「もう、いまどきはいいんじゃないの!?」と思う事がありますが、それを決めた当時の人々に対してきちんと説明できる説得材料を持ち合わせていない場合が多いように感じます。
 古くからの慣例を否定するつもりはなくとも、そんな歴史・文化を「変えて(修正して)もいいんじゃないの」とする考えには、先人たちへの「礼」が必要であることに、ようやく気付かされた気がします。


 遠くから目にしたとき、JR山陰線の餘部(あまるべ)鉄橋のような年代を感じさせる構造なので、「貨物線でも通っているのか?」と関心を持ったので帰りに立ち寄ると、横浜水道の導水路(公園脇では地中を通る)とのことで、年代物と感じた理由も納得です。
 横浜水道は1887年(明治20年)、日本で初めて引かれた近代水道で、相模原市付近の相模川から取水していました。
 この導水路を地図でたどっていくと、実家の近くを通る水道道路(広い遊歩道)につながり、相模原沈殿池(近所では古山貯水池と呼んでいました)に至ります。外から見る限り(ろ過前の水なので)「これを飲んでるの?」という印象しか残っていませんが、横浜の人々は健康的な生活を送っているようなので、心配は無いようです。
 でもそれを考えると、自分が飲んでいる水が貯められた貯水池などは見たくない、と思ってしまいます。

 追記的な話ですが、餘部鉄橋は1912年(明治45年)に完成し、当時は「東洋一」(西洋には勝てないが、自慢したい気持ちに時代を感じる)とされますが、列車転落事故や老朽化のため2010年新しい橋梁にかけ替えられました。
 それを見てビックリ! 旅情も何も感じさせないどこにでもある無表情なコンクリート製ですから、申し訳ありませんが、山陰地方の名所がひとつ消えた、と言わざるを得ません。
 とは言え、鉄道の橋は安全第一ですから地域の人たちに文句は無いにせよ、観光客の減少は必定と思われ、寂しい集落になってしまいそうです(現実的な問題と思います)。
 かけ替えに際しての、観光対策って考えたのだろうか?
 多少でも地元に予算があれば、もう少しデザインを提案できたかも知れませんが、美しかった以前の橋が人々の心に刻まれていることも確かです。

 「餘部を過ぎると……」の『夢千代日記』(吉永小百合さん)も、歴史のかなたに霧散してしまったような気がします……(右写真は昔のを引っ張り出しました)
 ──調べていてYouTubeでドラマのオープニングを見たら、これが実に暗いこと。当時はこれを楽しみに見ていましたし、現在でも嫌いではないのですが……

 大雪の苦労は大変なものと思います。お気をつけ下さい。


追記
 AFCアジアカップで日本代表が優勝しました。アジアの大会とはいえ優勝したのですから、評価されるべきと思います。
 イヤミな表現と思われたらスミマセン。WBC(野球)で優勝した原監督に対する野村克也氏の「優勝したんだから、采配は正しかったんでしょうなぁ」の言葉を思い出してしまったので。
 堅守からの攻撃参加というW杯から見え始めた「日本のスタイル」というモノが、形になってきたように思えました。
 そんな基盤を自信として、バリエーションを広げていけば、もっと魅力的なプレーが期待できるのではないでしょうか。
 頼もしく感じましたし、これからも楽しみにしています。

0 件のコメント: