2010.12.19
【神奈川県】
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前回訪問時に、昔ながらの農家の家並みに強く引かれた大熊町と、鶴見川支流の認識からもれていた大熊川沿いの、訪問を楽しみにしていた地域になります。
池辺(いこのべ)富士(Map)
最寄りは横浜市営地下鉄「都筑ふれあいの丘駅」ですから、港北ニュータウン付近に戻ってきたことになります(タウン南側の農業専用地区)。
「山田(やまた)富士」に始まった「港北富士塚巡り」ですが、何だかんだと現存する3座を制覇したことになります(山田、川和と池辺:上写真左下)。
ここの景観の売りは、整備された農地の中に鎮座しているので、足下の温室や農地を見下ろして作物の種類や様子を一望できるところにあります。
今さらながら都筑プール(都筑ふれあいの丘駅近くの屋内施設)の外観が、これらの富士塚を模したことにようやく気付きました(大阪から戻ったころ、しばらく泳ぎに通いました)。
その温水熱の供給源は、写真奧の煙突があるゴミ焼却施設になります(鉄塔は「橋本線」)。大熊川の源流はそのあたりになりそう。
富士塚の登山口にある鳥居が朽ちて倒れかけています。史跡管理側の責任とはいえ、周辺農地使用者(地元の農民とは限らない)に保全の意識がなければ、史跡の魅力も失われてしまいそうです。
ここは以前古墳だった場所を富士塚にしたとの記述を目にしました。
周辺の農地は整備されたとはいえ、地形は大きく変わってないと思われるので、この光景を目にした限りでは、それを否定する要素は無さそうです。
一帯は「農業専用地区」という大義で整備されたものの、夜間の農地は暗闇となるため粗大ゴミ等の不法投棄が頻繁にあったらしく、格子状に敷かれた立派な自動車道はどこもバリケードで封鎖されています(人も通れないかと思うほどの存在感)。
都市に隣接して整備された農地なので、近くに人家(農家)の無い場所に道路が整備整備されていると、不法投棄をもくろむ者には適した場所になってしまうようです。
大熊町(Map)
前回訪問時にとてもインパクトを受けた大熊町に暮らす人々の、心の支えと思われる鎮守様「杉山神社」の駐車場では、地元の青年団と思われるやからが集まり、男ばかりが腕相撲で盛り上がっていました。
何と素晴らしい「エネルギーのはけ口!」と思ったりするも、神社の新年行事で行われる腕相撲大会の賞品が豪華だったりするのかも?(勝手な想像です)。
集落の高台に神社はありますが、近くを第三京浜が通り港北ICに近くアクセスがいいためか、丘の上にはゴルフ練習場やラブホテル群が建てられています。
腕相撲する若者たちの姿とその建物群の対比に切ないものを感じつつも、そんな土地利用を制限するための「農業専用地区設定」にも思えてきます。
幹線道を渡る橋からは、近ごろ人気のIKEA(輸入家具・雑貨店舗)の看板が見えますし、目の前まで開発が迫っている様子が見てとれます。
開発制限や保護の理由はどうあれ、せっかく昔の姿が現存する地域なのですから、外的要因を押さえつつ静かに変遷を見守るべきという気がします。
前回の菅田(すげた)地区では見かけなかった大根や白菜の姿も見られるので、横浜の土では育たないという理由ではないようです。
種類別に植えられたうねに品種名を記した畑もありましたが、見学者が訪れるような場所には思えないので、試験的な栽培をしているのか、「毎年、どこに何を植えたか忘れちゃう」ことの予防策なのか? とも。
白菜を縛っている絵は見ていたとしても、わらで縛られた姿は初めてという気がします。
調べてみると、冬の早い時期(年内)に出荷するものは縛らずに結球したものを収穫しますが、本格的な寒さの時期(年明け後)に収穫する場合には、霜の影響を防ぐために外葉を縛って内部を守ります。
それは、縛って寒さ(霜)に当てた方が甘味が増す(種類がある)ためだそうです。
縛る際には「葉の間に虫がいないか確認し、結局は越冬できないハチでも出てもらってから縛る」という記述もありました。
この手の作物栽培に関するホームページ等を読むと、作物に対する愛情が感じられ、とても暖かい気持ちにさせられます。
寒い季節に読んだので、よりぬくもりを感じたのかも知れませんが、もう頭の中では「どんなお鍋を食べようか?」という方向に関心が向いてます。
そんな愛情の込められた白菜を食べてみたいものです。きっと味が違うんでしょうね……
折本町、東方町(ひがしかた)(Map)
今回も含めて散策に向かう際は、アバウトなルート設定だけを決め、結局は現地での「出会い次第」という自由さが楽しいのですが、今回は予定外のお寺に誘われた気がして、足を踏み入れたことが出会いにつながりました。
お寺(真照寺)の背後に広がる墓地の奧に、ひな壇のような見晴らしのよさそうな高台が見えます。
お墓沿いに抜けられないかと奧へ登っていくと、ササの垣根に抜けられそうな穴が空いてます。
ここを通らない手はないとくぐってみれば、そこには広々とした農地の景色が広がっています。
瀬戸内海に浮かぶ小さな島の、集落とは離れた高台に開かれた農地の光景のようで、急にセンサーが反応したロボットのように足が前へどんどん! 進みはじめます。
「ワンダーランド」(単なる丘陵地にある農地の風景ですが)と感じた、自分自身を制御する司令室から「GO!」のサインが出てしまうと、関心の向くままに時間を忘れて歩き回ってしまいます。
すでにこの時点で予定のルートを外れているので迷子状態ですが、そこで困ることも楽しみのひとつではあります……
この日は日曜日でしたが、どこの畑にも人影があり、急に人が現れ驚かされたり、相手を驚かせたりすることに、「農地の息づかい」(生産者と作物の双方)を感じたような気がします。
畑が人でにぎわうわけもないので、手入れの行き届いた印象というものが畑の「元気さ」であるとすれば、「静かな元気さに満ちた」地域と言えるのではないだろうか、
前回も触れた、猛暑の影響を取り戻そうと、年末に向けての出荷で忙しい時期なのかも知れません。
ただし、目にした範囲の印象ですが、前回までの整備され平らな農地である羽沢(はざわ)や菅田(すげた)では若者の姿を目にしましたが、ここの段々畑のような農地では、年配者と思われる方しか見られません。
若者たちは「苦労が少ないならやってみるか」と考えてるようだ。などと部外者が決めつけるのも失礼ですが、チャレンジへの動機付けは、ハードルが低い分だけ可能性が広がる、という社会の風潮と変わらない印象を受けました。
職業の選択肢は増えているので、家の外で社会の仕組みを学び「現実はどこにおいても厳しい」ことを経験した後の選択肢に、ようやく「家業」が見えてくるのかも知れません(決して悪いことではないと思います)。
昔ながらの広い敷地に実にカッコいい蔵を構えた農家が、現在の横浜に数多く現存することに驚かされます。
そんな実情をレポートする「農家訪問」的なもの(本でも、テレビでも)を見てみたい気がします。
結局どの家も本質は変わらないので連載には向かないかも知れませんが、その背景にある心の豊かさが伝われば、好感度は上がるはずと思います。
墓場の垣根を抜ける時の探検家も、その後は迷い人となりましたが、何とも楽しく歩ける情景に時間を忘れ「まだまだ行くぞ!」という気持ちがありました。
島を歩く際には、帰りの船便を意識する必要があるので、未知の世界に足を踏み入れたい願望との葛藤がありますが、ここならいくら迷っても歩いて帰れるという安心感があります(そんな制限が島の魅力でもあります)。
我流「楽しいさんぽ」の基本とする「来た道を戻りたくない」「以前訪れた場所につなぎたい」との気持ちはあっても、冬至ごろの日は短く、腹が減っては力も出ないので、田舎道的なバス通りに出たところで迎えを待つことにしました。
これでは「おあずけ」的な不満も残るので、また来なきゃと思っています……
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