2010/12/13

丘の上の農村文化──羽沢(はざわ)

2010.11.27
【神奈川県】


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 本日の目的地は、鉄道網から取り残された交通の便のよくない丘陵地なので、アクセスしやすい新横浜駅からのバス路線を選択しましたが、土曜昼間の便が1時間に1本程度とは、ちょっと驚きました。
 帰りのバス停で横浜行きの本数の多さを知り、戻って地図を眺めると直線距離では横浜駅に近いことに気付きました。距離だけを考えればここも横浜圏に含まれます。
 てことは、わたしが乗ったバス路線は、新幹線利用者向けのローカル線だったようです。

 そのバス利用者には地元のお年寄りが多く、かかりつけ医が新横浜にあるのか?(失礼)と思ったりしますが、お年寄りたちの降り方がマイペースなので一層ローカル色を感じたりします。
 わたしの感覚では「次は○○です」のアナウンスがあると、早めに降車ボタンを押した方が安心に思えますが、ここのお年寄りたちには到着直前に押す「玄人押し(?)」が通なのか、妙なタイミングでボタンを押す人が多いので、こちらは、ちゃんと降りられるのかハラハラしてしまいます。
 そこは運転手もちゃんと理解しているようで、何の問題もなく乗降はスムーズに行われます。
 少し時間をかけてこの辺りの人々を観察すると、むかしの「横浜流」という生活スタイルが見えてくるのではないかと、思ったりします。


羽沢公園(Map)


 今回のテーマは「昔の横浜にあった田舎の風情を感じたい」なので、何もなさそうな公園も歩いてみるかと立ち寄ったものの、雑木林に散策路を整備しただけの公園でした(思い切り落ち葉を踏みしめられます!)。
 裏側の斜面は削られて新幹線が通る場所柄なので、残された山を削って宅地にしても騒音を広めてしまいますから、転用しにくい土地ではあります。
 特に新幹線脇には、このような使い道に悩む土地が帯状に連なっていると思われます(リニア新幹線でも出てくるでしょう)。
 時折走り過ぎる新幹線や、近くを通る貨物線からの警笛が聞こえるものの、そんな旅情からは取り残された「流れゆく車窓の景色を構成するひとつのパーツ」(としたら怒られるか?)のような地域です。
 駅周辺以外の新幹線線路脇は、騒音だけでメリットのない場所がほとんどになります(交通の不便な場所の方が圧倒的に多く、喜ぶのはガキだけ?)。


 この日は天気が良かったのでキレイな富士山(?)ではなく、似ている雲が見えました。
 神奈川県を歩いているので、「この方向に富士山が見えます」の表示はよく見かけるのですが、肝心の本体の姿を目にできる機会がこんなに少ないとは思っていませんでした。
 週イチしか歩けないので、見える日数なら7で割る必要がありますが、確率がこんなに低いものかと改めて実感しています(通勤電車の多摩川付近で意識していても、回数の少なさは同じようです)。
 だから見えたときの感慨があるのでしょうね……


 絵画のような絵が撮れたのではないかと思っています。
 竹の生えている場所はお寺の斜面ですが、道路脇の駐車場の奧で、脇にはアパートがあるような場所です。
 近ごろの駐車場には「無断立ち入り禁止」の看板が多く見られ、月極の場所などでは遠慮していたのですが、近ごろ「足跡以外に何も残しません」と、ズンズン足を踏み入れるようになってきました。
 挙動は不審と思われても、キョロキョロとあちこちのぞきながら歩くのはやめられません……


JR横浜羽沢駅(Map)

 右写真は、JR横浜羽沢駅という貨物ターミナルになります。
 以前紹介した武蔵野貨物線のように地下を潜行する東海道本線貨物支線で、本線に並走する京急線生麦駅付近で分岐し、この地を経由して横須賀線東戸塚駅付近で本線に合流する、横浜市街を迂回するバイパス線になります。
 新幹線新横浜駅で降りる準備の際、上り線の海側にチラッと目にした記憶があります。
 1979年に開業し、湘南ライナー(貨物線を利用した座席定員制通勤列車)などの旅客列車も横浜羽沢駅経由で運行されています。

 既に工事が始まっている、神奈川東部方面線計画(相模鉄道西谷駅〜JR横浜羽沢貨物駅付近(2015年)〜新横浜駅〜東急東横線日吉駅(2019年)を結ぶ路線)では、相模鉄道(相鉄)のJR線への乗り入れ、東急線との相互乗り入れをするそうで、開通の際にはこの周辺に新駅ができる予定です。
 この計画は、相鉄にとっては都心への直通運転が可能になるので、とても魅力的な話になります(おそらく横浜市の肝いりなのでしょう)。
 一方の東急は、創業者念願の新幹線新横浜駅へのアクセスは叶うことになりますが、その先の海老名や湘南台に用事のある人は少なさそうに思います。
 相鉄は、JRに乗り入れて湘南新宿ラインのルートで新宿駅まで直通運転を目指しています(東京〜上野方面へも計画があるそう)。
 乗り換えなしの直通運転は確かに便利ですが、新宿駅などでは、埼京線、りんかい線、湘南新宿ライン、成田エクスプレス発着ホームの共用になると、「乗りたい電車はいつ来るの?!」と、これまで以上に分かりにくくなりそうです……


羽沢(Map)


 羽沢地区には現在、団地や市営住宅等も建ち並びますが、農村文化が生きぬいてきた証しとされる歴史文化財(道祖神や庚申塔など)が数多く残されています。
 今回は農家の近くを歩けませんでしたが、地神講(農村で地神(じがみ)を祭る集まり)、稲荷講(稲荷を信仰する人の集まり)、念仏講(地域行事的な念仏を唱える集まり)という、昔ながらの農村文化が受け継がれているそうです。
 一帯の丘陵地には古くから畑が開かれ、麦類、粟、大豆、稗、ソバ等の栽培が営まれ、昭和初めまでは純農村地域でした。
 1969年の都市計画法で、地域の大部分が市街化調整区域(市街化を抑制すべき区域)に線引きされ、1972年には周辺地域農業を保護する営農団地「菅田・羽沢農業専用地区」とされます。
 現在この地域の横浜ブランド農産物は「横浜キャベツ」だそうです(そんな戦略は重要と思います)。
 まあ、三浦半島のような光景は無理にしても、ちょっとキャベツ畑を見たくなりました。

 団地や住宅街はあっても、どこで買い物をするんだろうと思うほど店舗の少ない地域だからか(歩いた道と違う場所にあるのか)、道端には何とも懐かしい「かわい〜い 魚屋さん♪」のメロディを流す魚屋の巡回販売車が停まっています。
 おばあさんが買いに来るも、店員はトラックの運転席で何やら携帯電話に夢中でお客に気付きません(土曜日なのでギャンブルか?)。
 待ちかねたおばあさんの「誰もいないなら持って帰っちゃうよ!」の大声でようやく気付き、慌てて運転席から出てきました。
 何だか、新幹線開業当時の新横浜駅に降り立った乗客が感じた「ここが横浜?」のギャップを裏返しにした、「まだ横浜にもこんな場所が?」と、とてもほのぼの感じられた光景です。

 古くからの集落中心地と思われる地区には、右写真の神明社、タブノキ(市の名木古木指定)、富士塚(上写真)や硯松(すずりまつ)などの史跡が集まっています。
 硯松には(現在の松は四代目)、戦国武将の太田道灌が小机城攻めの際、兵を励まそうと松の下に腰掛け「小机は まづ手習ひの始めにて いろはにほへと ちりぢりになる」の歌を詠んだとされる伝えがあります。

 この神明社は、隣接する小学校が授業の一環で地域文化との積極的な交流をうながしているためか、訪問者の目には地域住民に親しまれ、子どもたちにも郷土意識のより所になっているとの印象を受けます。
 交差点ごとに子どもたち手作りの案内地図が張られてあるのですが、デフォルメが個性的過ぎてかえって道に迷いそうです。
 ですが、それを手に歩いて迷ってみるのも一興という気もします。

 右写真は神明社の関東大震災で倒壊した鳥居のモニュメントですが、文字の彫刻は地震で倒壊後に彫り込んだのでしょうね。
 わざわざ手を掛けてまで災害の記憶を伝えようとする意志は、ありがたく受け止めなければいけません……

 以前も紹介した村の鎮守の神様は、この一帯でも地域文化のより所とされていることが理解できたので、これからはそんな鎮守様こそ要チェックというアンテナを持って歩こうと考えています。

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