2010/12/20

「土」からもらう元気──菅田(すげた)

2010.12.12
【神奈川県】


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羽沢の道祖神(Map)

 前回感じた「キャベツ畑を見てみたい」という関心が、今回のルート設定になりました。

 右写真は前回の羽沢(はざわ)地区の道祖神(路傍の神。村の境界や辻などに祭られる村の守り神、旅人の安全の神)で、鶴見川支流の烏山川から分かれる支流の川筋に面していますから、ここが「羽沢の村境」だったことがうかがえます。
 その狭い谷筋に東泉寺(真言宗)というお寺があり、村境付近に残されている文化遺産を見た様子からは、村民の墓地とされていた場所に寺が建てられたようにも思えます。
 でも川筋は人の暮らしに適しているので、昔の集落は狭い川筋に並んでいて、農地を高台に開いたのかも知れません。
 お墓の存在というのは、土地の風習で集落の内側に立てたり、外側にあったりしますが、いずれにしても人の暮らしに寄り添う場所にあることは確かです。


菅田・羽沢農業専用地区(Map)


 前回紹介した、地域農業を保護する営農団地「菅田・羽沢農業専用地区」が、東泉寺のある沢を挟んで隣接しており、寺の脇の坂道を登ると「なるほど!」という、農地の展望が広がります。
 羽沢地区の農地は、ゆるやかな丘陵地(凸状)に畑が広がり「どこまで続いているんだろう」という想像を抱かせますが、菅田地区はゆるやかな谷地形(凹地)なので端から見通しが利くため「あそこまで行ってみよう」という行動につながります。
 しかし谷地形というものは、水の集まる水路付近だけが極端に浸食を受けますから、これまで歩いた谷戸のような急峻な斜面を形成するはずです。
 この場所がなだらかな地形である理由は、1979年に開業した貨物ターミナルJR横浜羽沢駅建設時に生じた残土で、付近の谷を埋め立てたことによります。
 残土処理の悩みと農地造成を同時に解決したと、横浜市が胸を張るような記述を目にしました。
 しかし、以前の横浜は谷戸ばかりでしたから、住宅造成地においても「この町は傾斜がゆるやかでよかった」という場所では、上述のような経緯を疑う必要があるかも知れません(安心なのはHill Topだけ)。


 道端でキャベツの写真を撮ろうと日差し待ちで座っていると、畑の中に車が何台も並んで駐車している場所があることに気付きました。
 小さな子ども連れの車が駐車し、にぎやかにつばきの垣根の内側へと消えていきます。
 地域の集まりでもあるのかと思っていたら、紙に手書きで「ハマみかん」と書かれた案内が張られただけのミカン狩り農園でした。そんな様子から、知る人ぞ知るという存在のようです。
 みかんは東京近郊でも昔からポピュラーな果実ですし、ガキの時分には目に入れば手を伸ばす存在だったので、口さみしさの足し(?)に食べる習慣がありましたが、大きな洗濯かご一杯1,500円といわれても、ひとりで食べきれるものではありません。
 でも子どもたちはよろこんで食べるんでしょうね。確かにガキ時分の実家(4人家族)では段ボール箱でミカンを買っても「もう無いの?」と、指先が黄色くなるまで食べていた記憶がよみがえります……
 そんな当時の様子に「時代」を感じたりしますが(当時、冬の果実ではミカンが「並」で、リンゴが「上」という程度)、現在の家庭ってどうなんでしょうか?


 今年を代表する漢字に「暑」が選ばれたのは、全国的に暑い陽気が突出していたせいせいなのでしょう。
 影響として、庶民は夏や秋口の野菜価格高騰を思い浮かべますが、猛暑の痛手を取り戻そうとする農家では種をまき直すところが多かったため、今度はその収穫期〜かき入れ時である年末にかけての供給過剰感〜値崩れが心配という状況のようです。
 暑さで傷んだキャベツやブロッコリーの苗に変えて、生育の早いホウレンソウなどの葉物(はもの)野菜に切り替え、当座の収入を確保したい心理が働くため、足を引っ張りあってしまうようです。
 個人農家ではリスクを負いきれないのでJA(農業協同組合)があるわけですが、気象庁に「この夏は異常気象でした」と言われたきりでは、いくら地域で力を合わせようが太刀打ちできません。
 補助金が出たとしても、生鮮野菜生産の不安定さ(農家収入の不安定・供給量の不安定)はなくなりません。
 何とかそんな状況を解消するようなアイディアが出てくれば、「ノーベル農学賞」(現在は無い)をあげたいという気もします。
 (上写真の緑は牧草用か?)


 前回紹介したご当地ブランド「横浜キャベツ」からの勝手な思い込みか、一面にキャベツ畑が広がる光景を思い浮かべていましたが、上述のように「農家という個人企業」には対応力も求められるので、一枚看板だけでは生活できない様子が見て取れます。
 キャベツ畑は広いものの、他にネギやブロッコリーも目につきますし、収穫の終わった畑には植えられたばかりの春向けの苗が「シナ〜っ」とした姿で、根付きまでの期間をじっと耐えています(その様子から、近ごろ雨が降ってなかったっけ? と教えられた思いです)。
 冬の野菜=白菜、大根、というイメージがありますが、大根は三浦半島で見られますが、白菜ってどこで作っているのだろう?
 近くにあれば、行ってみたい気がします。 


 菅田という地域は、鶴見川支流の砂田川沿いに発展した集落ですが、横浜駅からは前回紹介した羽沢地区の奧に当たり、整備された農地以外には起伏地が多いせいか大きな開発は行われておらず、バスに乗り合わせた女子中学生が「コンビニが無いんだよ!」と嘆く場所柄になります。
 いまどきでは「コンビニが無い=不便」という風潮もシャクに障りますが、コンビニが進出しない地域の地元商店街に元気がなければ、その利益を吸い上げる魅力もないと判断されているようで、腹を立てても仕方のない現実なのかも知れません……

 勤め先の女性(1児の母親)との会話に「こんな仕事(昼夜関係なく締め切りに追われる業務)をしていると、空いた時間に接した自然から元気をもらったりするよね」とあったのですが、今回はまさにその通りで、この畑を歩いている時、コンクリートの町中では決して体験できない「体がエネルギーを吸収している」と感じる瞬間がありました。
 北海道ではなくても(松山千春の『大空と大地の中で』が浮かんだので)人間も大地を踏みしめれば植物のように土の恵みを受けることができる、との例えで伝わるか?
 おそらく理屈では説明できない「本能」的な感覚と思いますが、通じる感覚はみんな持っていると思われます。
 普段から慣れ親しんでいれば日常的に受け入れているものを、そう感じてしまうのですから、その時の自分には大きく欠けていたのでしょう。
 その翌週もちょっと仕事がヘビーで、もらった元気を使い果たした感があるので、また歩きに行かなくては!


泉谷寺(せんこくじ)(Map)

 この寺には初代広重(浮世絵『東海道五十三次絵』作者)の描いた「山桜図」が残されることで知られます。
 本堂の杉戸に山桜が描かれたもので、広重の傑作とされるそうです(非公開)。
 当時の住職が広重の弟であったとされる関係から、その住職が勤めていた時期に描かれたものと言われますが、広重の先妻の兄説などの諸説もあるそう。

 広重について調べていて「ヒロシゲブルー」という項目を目にしました。
 広重の作品は海外(ヨーロッパやアメリカ)では、大胆な構図と青色、特に藍色の美しさで評価が高いそうです。
 この青は藍(インディゴ)で、欧米では「ジャパンブルー」「ヒロシゲブルー」とも呼ばれます。
 ヒロシゲブルーは、19世紀フランス印象派の画家などに大きな影響をあたえたとされ(ゴッホは広重の作品を模写しています)、当時ジャポニスムの流行を生みだした要因のひとつとされています。
 確かに彼の浮世絵の、空や海の「藍の色」は強烈な印象的として残っています。


 いつしか紅葉の季節も終わりのようで、今年は紅葉を追いかけなかったことに気付かされます。
 季節感というものは確かに持ち合わせているのですが、それを楽しもうとする「心のゆとり」が無くなってきた、ということかも知れません。
 京都では、人出が多いにもかかわらず「町の風物」として足を運んだものですが、こちらに戻って忙しく過ごすようになった途端に、そんな習慣を放棄してしまったという気がします。
 せっかくの「季節感」なのだから、積極的に楽しもうとする「こころ粋」を持つべき、と京都で学んだのですから、実にもったいないと反省です……

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