2010/03/08

にぎわいを取り戻せるか?──野毛(桜木町)

2010.2.28
【神奈川県】

 これまでの横浜散策では、みなと「みらい」という命名にこだわりましたが、今回からは、みらいから取り残されながらも、繁栄していた「過去」の面影を継承する町並みの「現在(いま)」を歩きます。


野毛(桜木町)(Map)

 東横線の横浜〜桜木町が廃止され、みなとみらい線に接続したので、人の流れが埋め立て地側(みらい側)に移動してしまい、昔からの繁華街である野毛一帯からは「にぎわい」が失われつつあります。


 上写真はどこの歩道か分かります?
 ここは、ストリートアート(落書き)で有名だった、旧東横線の桜木町の高架下です。
 壮観としか言いようのない数と、幾重にも塗り重ねられ、歴史(?)すら感じさせる絵の並んでいた壁が、真っさらにリニューアルされており、かなり驚きました。
 2008年08月から、東横線の高架部分を遊歩道にする整備工事が始まり、柱や壁面の補強工事のため、数々の絵たちは撤去されました(ゴミとされたんでしょうね)。
 「もう落書きしちゃダメよ」と言われて、誰も描いていないお行儀の良さには、とてもすがすがしさを感じます。
 でも結局、排気ガスで真っ黒になっちゃうんでしょうに……
 落書きのルーツは、1970年代に壁画アーティストが、白いチョークで絵を描いたのが始まりだそうですから、薄汚れたころに復活するかも知れません。


 桜木町駅には何度も来てるのに、存在すら知らなかった「鉄道発祥の地 記念碑」を見つけました。かつてここに日本最初の駅舎がありました。開通は1872年(明治5年)。
 当時は、横浜ステイションとされ、品川ステイションとの間を35分かけ(馬車だと4時間)、1日9往復していたそうです。
 横浜〜品川間はテスト運行で、新橋までは53分かかりました。現在乗り換えを含め29分ですから、それほど遅くない気がします。
 料金の高さは以前もふれましたが、下等料金でもそば100杯分相当だそうです(前回はカゴの運賃との比較でしたが、この方がイメージしやすい)。
 現在の立ち食いそばを300円程度と考えれば、3万円ですから、新幹線のぞみの自由席なら東京〜博多が2万円程度ですし、飛行機でも格安チケットなら沖縄往復できそうです。
 当時は、発車時刻の15分前までにステイションに来ることを求めており、現在の飛行機のような感覚だったようです。

 現在JRで使用されている軌道規格(2本ある線路の間隔:ゲージ)は、この時点で決められましたが、東京を走る主な鉄道のゲージには、3種類あることご存じだったでしょうか?(わたしは調べるまで、下記の上2つを同一と思っていました)
 ●欧米の標準規格とされる1,435mmあるのは、新幹線、京浜急行、京成、地下鉄丸の内、銀座線等──どう考えても正しそう。
 ●東京オリジナルとされる1,372mmが、京王、地下鉄新宿、都電、東急世田谷線等──東京の馬車鉄道に由来する、以前の市電規格。
 ●本記述の動機となった1,067mm が、JR在来線、東急、小田急線等──上述の横浜〜新橋に採用された規格を継承している。
 ──ちなみに鉄道模型で耳にする、Nゲージ規格はレール間隔が9mm。

 明治政府発足当時は予算の無い時期ですから、当時の判断としては現実的だったのかも知れませんが、大隈重信(新政府財政担当)は狭い軌道を選択したことを「一世一代の失策」と後悔したそうです。
 やはりレール間隔の広い方が、安定したスピード走行は可能になりますが、急カーブを作れない等の制限もあり、多額のお金が必要になります。
 もし、直線性が要求される広い軌道を全国に敷いたなら、小回りが必要な山間部・海岸や港湾地域を含め、日本列島のイメージも現在とは違うものになっていたかも知れません。
 でも、関西の私鉄はほとんど広い軌道でしたが(近鉄、阪急等)、だから有利と思える面は「スピード出すなぁ」(京浜急行が速いと感じる程度)くらいだったような気もします……


 野毛は桜木町駅の陸側に広がる飲食店中心の繁華街で、背後に迫る丘陵の上には野毛山動物園、市立中央図書館や県立図書館があり、自治体としては文化的施設を置いて、好感度を上げたい土地柄だったように思えます。

 陸蒸気(おかじょうき──蒸気機関車の俗称。蒸気船は「蒸気」と略された)の開通や港湾施設の整備が進み、現在のランドマークタワー付近にあった造船所などが活況を呈した時代には、町もにぎわったと思われますが(氷川丸はここで建造されました)、第二次世界大戦で壊滅的な被害を受けます。
 戦後(1945年)、港を中心とした市街地のほとんどを進駐軍に接収されたため、接収をまぬがれた野毛に人が集まり、闇市や露店が密集します。
 そんな時代に登場した美空ひばり(磯子出身)の、デビューの場となった横浜国際劇場(現ウインズ横浜)や、12歳で映画初主演した『悲しき口笛』(1949年)の舞台となったこの地からの声援は、復興への希望だったことがとてもよく分かる気がします(時代が求めたスタアだったようです)。

 JR桜木町駅からは「野毛ちかみち」という地下道が近道になります。
 ──その名称は「近道」と「地下道」とをかけている。という説明があったので、よく分かってますと思いつつも、乗っかってみました。


 上写真2枚は都橋商店街という、川のカーブに沿って建てられた長屋的な飲食店街で、「ハーモニカ横丁」とも呼ばれる野毛らしい建物です。
 東京オリンピック(1964年)開催に伴い、街並みの美化(汚いものを隠す)が進められ、付近で営業していた露店や屋台を、建物に収めるために作られたそうです。
 何で東京オリンピックが横浜に関係あるのかというと、バレーボールの競技を横浜文化体育館(1962年建設)で行ったことによります(当時は東京周辺でも約5000席の客席数を持つ室内競技場は少なかったため)。
 海外から訪れる観客や取材陣には見せたくない「現実」(北京五輪同様の状況だったのでしょう)が広がっていたようです。
 東洋の魔女(女子バレーボール金メダル:もう知らない人もいるよね)がここで試合したことを書こうと調べていたら、プロレスの力道山(1924年〜1963年)もここで試合したそうで、ちょっと驚きました。
 どうも関心の向く話題が古すぎてゴメンナサイね。今度、体育館の外観だけでも見てきます。


 ここで開かれる「野毛大道芸」は、町の活性化のため1986年に始まったイベントで、現在では、春(野毛大道芸)、夏(夏の陣!)、秋(オータムフェスティバル )の年3回開催されています。
 現在横浜市の中では、観客動員数最多のイベントなんだそうです。
 みなとみらいで見かけたパフォーマー同様、観客を楽しませようとする人たちが乗り込んで来ますし、観客たちも一緒になって盛り上がる「一体感の輪」の楽しみ方を知っているのだと思います。
 「お代は見てのお帰り」(入場は自由、でも帰りに払ってね→「金返せ」への対抗手段)と言うか、基本的に入場料も払いようがありませんから、チップ制と思うので、ハシゴしてもそんなにお金は掛かりません。
 きっと楽しいイベントだと思うのですが、何せ狭い路地に大勢の人が押し寄せるので、大変な混雑(まさにお祭り)になりそうです。
 2010年は4月24〜25日に開催されます。

 とても素晴らしい町おこしですし、イベントをここまで育てるのは大変だったことも理解できますが、外から芸人を呼ぶだけでは、町の発展につながらないのでは? と思ったりします(サーカス用品店を1軒目にしましたが)。


 上写真の「横浜にぎわい座」は、2002年に開場した大衆芸能施設で、館長は先日亡くなられた玉置宏(たまおきひろし:川崎市出身)さんでした。
 落語家の桂歌丸さん(横浜在住)が、以前から盛んに応援していましたが、近ごろの落語ブームもあってかホームページには「完売御礼!」の文字が並ぶ、盛況のようです。
 先日の歌丸さん無事退院の知らせは何よりでしたが、後継者を育てないと本当のぎわいは取り戻せないようにも思います。
 歌丸さんは「おかげで、わたしゃいつまでも逝けないよ!」なんて言うんでしょうね。

 こんなにも「昭和」から活躍した人たちの名前が登場するとは、自分でも驚きました(だから「過去の町」?)。
 みなとみらい地区をいくら掘り下げても、出てくるのは泥や石だけです。
 たかが150年でも、ここには確かに「庶民文化の歴史」が刻まれているように思えました。

 現在関内駅前にある横浜市庁舎が、建物が手狭、老朽化および耐震性等の問題で、桜木町・馬車道付近(日本丸付近から大きく「帝蚕(ていさん)倉庫」の文字が見えた倉庫跡辺り)に移転する計画があるそうです。
 そうなると、野毛・桜木町は喜んでも、すでに陥没している関内はどうなっちゃうんだろうか?
 それこそ「自転車操業的みらい志向」と思える横浜市の、腕の見せ所になるのかも知れません……

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