2011/11/21

新しい道、古い道──反町(たんまち)

2011.11.5
【神奈川県】


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反町(Map)

 東横線の反町〜横浜駅間は、2004年みなとみらい線との直通運転のため地下化されます。
 それまではひとつ手前の東白楽駅(下写真)から、横浜駅でJR各線と京急線をまたぐ高架軌道が桜木町まで続いていました(桜木町駅付近の高架下は落書き天国でしたが、駅はみなとみらい線乗り入れの際に廃止され、落書きも禁止となります──別に認められてはいなかった)。
 今回は、地上の廃線跡に整備された「東横フラワー緑道」(東白楽〜横浜間)を歩きます。


 その前に寄り道したのが、今年開業60年となる神奈川スケートリンクで、JR横須賀・東海道線の車窓から見え、反町公園に隣接します。
 建物裏側の壁面(下写真)には「開国博Y150(2009年)」の際、子どもたちが描いた絵が残されています。
 Y150は成功したとは思えませんが、子どもたちにはイベントに参加する経験から、行動のきっかけがつかめたらと思います。


 この一帯は江戸時代に東海道「神奈川宿」として栄えますが、昭和期には青木町遊郭となります。
 横浜にはその手の施設が多いと感じるも、昔から貿易の主力は船舶輸送であり、現在立ち並ぶ巨大クレーンの積み降ろし作業を人力でまかなっていたのですから、繁華街は荷役に携わる男たちでむんむんしたことでしょう。

 空襲で焼失した遊郭一帯は戦後米軍に接収されますが(現在も近くの瑞穂埠頭には米軍施設が残る)、返還後に開かれた日本貿易博覧会に使用の後は、建物は横浜市役所庁舎に転用され、それから10年近く市の中心地とされます。ちなみに、現在のスケートリンクは「演芸館」(劇場?)だったそう。
 1959年市庁舎が関内へ移転後には、ジェットコースターのある遊園地的施設とされる時期もありましたが、そんな夢の跡は現在、休日にフリーマーケットが開かれる庶民的な反町公園となっています。
 神奈川で育った者には「歴史的スケートリンク」と感じる本施設にそんな経緯があったかと驚きますが、浅田真央ちゃんにつぐ世代が頭角を現していますから、そこに続く世代は是非ここから! とも。


 上写真は反町駅が高架の時代に使用していた鉄橋で、そのまま残されて現在遊歩道とされます。
 東横フラワー緑道は、東白楽と反町駅間で電車軌道が地下に入る地点から始まります。
 近ごろでは車窓から目にできない懐かしい光景を期待するも、まだ10年もたってないのにピンと来る景色に出会えません。
 高架上から眺めた目線とは高さが違うため、「見たかも知れない」程度で確信が持てません(2枚上の写真は現在の緑道の光景で、お姉ちゃんが夢中にスナック食べたり、その奧でガキ共が素振りしています)。
 でも反町駅に近づくにつれ記憶の断片が増え始め、この橋に立った瞬間「この高さなら変わりないことが実感できる!」の懐かしさから、つり革をつかみ車窓を眺めていた当時の車内の様子までよみがえってくる気がしました。

 その先にある反町〜横浜駅間のトンネルも、緑道の一部として整備されると聞き楽しみにしていました(2011年4月全通)。
 右写真の遠景に、以前車窓から眺めた様子を思い出しながら足を踏み入れると、その大きさが実感でき驚かされます。
 ここは「線路が2本通っていたトンネルを歩いたことあったっけ?」と思うような広さを感じさせてくれる、あまり経験できない環境かも知れません。
 他の目的で利用されていたトンネルが人道とされるのは、廃線になった鉄道施設や、トンネルが新設された旧道だったりするので単線や一車線ですし、架線(パンタグラフ使用)の高さもあるので(ローカル線は未電化でその分天井が低い)、歩いてみると「デッカイ地下空間」とのインパクトがあります。
 車道に併設された側道の場合でも、トンネルの真ん中を歩くことはできません(交通量の少ない場所に作られた「過剰設備:税金無駄遣い施設」では可能だが)。


 ここを歩いていると、これまでなかった道ですから「ここなら歩いてみよう」とウォーキングする方、「このコースを走ろう」とジョギングルートにした方、そして「トンネルを抜けて買い物へ行こう!」という姿に見える付近の方々には、ライフスタイルを変える革命的なインパクトを与えたのでは? の印象を受けます(丘陵地を越えるには急傾斜の坂道の上り下りがあります)。
 今後も「横浜への新道」の利用者は増えそうですが、そのサービス過剰の影響で、東横線反町〜横浜駅間の乗車率が落ち込んだりするかも知れません。でもそれは、沿線住民の方々の健康意識に大きく貢献するのではないでしょうか(それも沿線へのサービスです)。


 「トンネルを抜けると、そこは横浜だった……」それだけの絵ですが、気に入っています。
 トンネルの大きさを表現するためには、例えば高速道路の車道の真ん中に立ちたいと思うも、交通規制して撮影をできないわたしには、「初めて撮った」ほどの新鮮さがありました。
 願望としてはトンネルの先に自然の風景が広がって欲しいと思いますが、そんな場所なかなか見つからないのでしょうね……

 公園施設とされるため、現在通行は6時〜21時30分に限られています。ホームレスでなくとも、いかにもたまり場になりそうな場所ではあります。
 とても気に入った場所なので、「大きな穴があったら入りたい」という願望をお持ちの方には是非オススメです!


高島山付近(Map)

 そのトンネルは「高島山トンネル」の名があるように、高島山を貫いています(由緒は、開港期に功績があった高島嘉右衛門からで、高島町も同様)。
 その丘陵地には本覺寺(ほんがくじ:曹洞宗)があり、門前からはJR各線・京急を見下ろす見晴らしのいい場所柄です(下写真)。


 江戸時代の東海道神奈川宿は、この付近にあった神奈川湊を中心に発展し、横浜開港(開国)まではこの地域の中心地でした。
 開港の地である横浜村は、対岸の砂州(さす:砂が堆積した地形で、元町方面から伸びていた。当時まで、ここと桜木町付近を湾口とする大きな入江があった)のため、アメリカは横浜港が一望できるこの地を領事館とすることを要求してきます。
 領事館当時の山門はペンキで白く塗装されたそうですが(船からの目印は白が目立つ:攻撃するなの意味でしょう)、上写真左側の門扉はそんな仕打ちに抗議する意志表示のように「Paint It Black !」な姿です。

 本堂の階段脇には見逃しそうな大きさの、十二支の石像が並んでいます。
 年賀状を意識し始める時季に干支の姿を眺めると、今年は特に暗い年となった原因をウサギ(卯年)の責任にはせずとも、来年の「竜(辰年)」に願いを込めたい気持ちにさせられます。
 ひとりひとりの祈りは小さくとも、それを大きな力へと高めてくれるより所は、昔も今も変わりなく求められていることを実感します。

 横浜駅からほど近い場所に、旧東海道の痕跡を感じさせてくれる建物や、土地の形状が残されています。
 下写真は創業148年の料亭「田中家」の側壁で、明治時代ここで坂本竜馬の妻おりょうが仲居として働いたとされます(竜馬死後)。
 前身は江戸時代初めの腰掛茶屋とされるので、広重の東海道五十三次に描かれたり、白井権八(歌舞伎題目で幡随院長兵衛(ばんずいちょうべえ)の相手役)が大飯を食らったことから「権八茶屋」とされる等、さまざまなエピソードが伝わります。
 江戸時代に名を残した方々は、みなここを通ったわけですから、定点観測していればTVドラマ『浮浪雲』(1978年 渡哲也、桃井かおり。古い話題でスミマセン)のラストテロップのように(例)「12月10日坂本竜馬通過」などと記録できれば、とても興味深い通行記録が残されたことでしょう。


 写真のように建物の裏手は斜面で、おそらくそこが当時の海岸線だったと思われます。TV『ブラタモリ』のCG映像のように想像してみて下さい、「ほ〜ら、見えてきました!」の戸田恵子さんの声が聞こえてきませんか?

 江戸時代神奈川といえばこの地になるので、葛飾北斎「冨嶽三十六景・神奈川沖浪裏」の絵はダイナミックですが、そこに描かれる状況は約200年前としても、あり得ない想像の産物と思われます。
 方角的にもこの地から富士山を望むと、手前に大きく陸地が広がります。

 旧東海道沿いの保土ヶ谷側の近い場所に「関門跡」の碑が残ります。
 開国直後はまだ攘夷(じょうい:外敵排除)論が渦巻く情勢ですから、開港場である横浜周辺では外国人殺傷事件が多発します。
 幕府はその対策として横浜各所に関門を設け、ここには神奈川宿西側の関門があったとされます。
 なかでも有名な、生麦事件(なまむぎじけん:1862年生麦村で、薩摩藩 島津久光の行列に乱入した馬上のイギリス人を殺傷した事件)の負傷者は、上述の本覺寺に逃げ込み治療を受けたそうです。
 激動の時代でも異国人に対してお寺は誠意を尽くしたのかと思いきや、事件当時寺はすでにアメリカ領事館とされており、野蛮な日本人よりライバルながらも先進国を頼ります。
 ちなみに、当時治療に当たったのはアメリカ人のヘボン博士で、ヘボン式ローマ字を作った方です。

 右写真はトンネル付近にある「大綱金刀比羅神社 (おおつなことひらじんじゃ)」で、金比羅様と言えば「海(航海・漁の安全)の神様」ですから、神奈川湊のころからの守り神なのでしょう。
 再び戸田恵子さんの「海の香りがしてきませんか〜」が聞こえる気がするも、「まったくしない!」マンションの谷間に埋もれてしまった現在の姿があります……


追記
 本来ならば、福岡ダイエーホークス日本一の祝福と、これだけやってもこの試合を最後に解任される落合監督について、そして、そんな機会に思い出す、ビッグコミックオリジナルの『あぶさん』はどうしているか? なのですが……(次号を買おうと思っています)
 この日、ニュースの見出し「なでしこ得点王は、川澄それとも大野?」を見て、それだけで通じる存在になったという認知度の高まりに、拍手を送りたいと思いました。
 現在の消息は分かりませんが、以前澤選手と一緒にやっていた「ボンバーヘッド(アフロヘア)」の荒川選手などは、選手活動の傍ら生活のためのアルバイトで、スーパーのレジ打ちをしていたと聞きました。
 「ワールドカップ優勝」で認知された今年こそ、女子サッカーアピール絶好の機会ですから、オフシーズンの澤選手には紅白歌合戦の審査員をはじめ、バンバンアピールして欲しいと思うところです!

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