2011.1.22
【神奈川県】
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近ごろ各地では、空から訪れる厄介者に悩まされる日々が続きます。
豪雪、火山灰、鳥インフルエンザと、避けられないものもありますが、鳥インフルエンザは養鶏場などの防疫を徹底すれば、防げるのではないかと思う面があります。
2004年国内で初めて確認されてから7年になります。人も含めて伝染病との闘いはこの先も続くのでしょうが、それを乗り越えなければ未来は開けません。
寒さにひと息し「ホッ」とすると、次なる厄介者「花粉」が迫ってきます。
先日、国有林のスギを広葉樹にというニュースを目にしました。
いままで何を検討してきたのだろう? とも思いますが、苦しむ人は増える傾向にあるようなので、希望にしてもらいたいところです。
森が育つまでは(明治神宮の森のように)100年近くかかりますが、まずは花粉を大量にまき散らす杉の数を減らしてもらいましょう(私見として、原因は花粉だけではなく大気汚染にあるのでは、と考えています)。
三保念珠坂公園
かなり急な斜面に芝生が敷かれていますが、ちゃんと整備されているようなので、これはアリという印象の公園です。
ここは横浜市の環境創造局がサポートする「プレイパーク」のひとつで、これまで歩いた、鴨池公園(都筑)、三ツ池公園にもあるとのこと。
プレイパークとは「子どもたちが思いっきり遊べるように、極力禁止事項をなくし、自分の責任で自由に遊ぶことを大切にした活動」で、「ケガと弁当は自分持ち?!」のキャッチを掲げています。
自己責任の下であれば、遊び道具の工作やたき火も可能だそうで、ガキが聞いたら「絶対行く!」と、眠れなくなりそうな公園です。
各パークには大人のプレイリーダーがいて、それをサポートするボランティア中心の市民団体に支えられています。
ボランティアの人たちはアウトドア遊び好きに決まっていますから、そんな大人たちも待ち遠しかったりするのでしょう。
幼なじみで、ガキのころからボーイスカウトに入ってたヤツなら、よろこんで参加するだろうと思ったりしましたが、現在もボーイスカウトって活動しているんですよね?
冬でも水辺には「さかなどこにいるの〜?」という息子を連れた父子が川をのぞいていたり、小さな水槽を手にしたガキンチョが川の水をくみに来たりと、男にとって川という存在は、放っておけないもののようです。
そこをわたしも歩いたのですから、気持ちを理解できるというか、実践する口になります。
川という存在には、特に親や異性を意識させるイメージはないと思うので、純粋に「水辺の生物への関心」から足が向くように思いますが、ガキどもが「ボクはここから流れて、一体どこにたどり着くのだろう」なんて思っていたとしたら、頭をこづいて「弟子にしてやる」なんて言ってしまいそうです……
源流に近い小さな流れでも、キレイな水といえない状況に大人たちが立ち上がったようで、川辺の清掃・整備を行うボランティア団体があるそうです。
ですがゴミは片付けられても、水の浄化までは無理というものです。
少し上流に、治水用の調整池があるせいかも知れませんが、基本的に川沿いに住宅が建ち並んでしまうと、アスファルトやコンクリート上の汚れが直接もしくは下水路を通して運ばれるため、汚れが土壌等でろ過されずに川に流れ込みます。
下水路にろ過施設を設置すれば、大雨時にはあふれてしまいますから、何かいい手は無いかと思うところです。
春に向けて水草が成長し始めたと思ったのですが、どうもこの種類が特定できません。水草ではないのかしら?
ここは以前歩いた新治ふるさと村のすぐそばで、田園風景の小川も流れ込んでいます。
歩けば5分程度の距離であっても、無意識の意識なのでしょう、田園の空気に浸った後に、侵攻してきた新しい住宅地に踏みいるのは違うだろうと、避けていました。
どこにでもある住宅地なのですが、田園風景の側から眺めると、敵に攻め込まれてきたような印象を受けます。
前回までは昔の香りの残る峠道を登りましたが、川沿いを進めば住宅地を抜けて恩田川沿いに開けた農地に至ります。
旧城寺(舊城寺)
JR横浜線が梅田川を越える辺りに、城跡に建てられた「旧城寺」があるはずなのに「舊城寺入口」の看板しかありません。
目に入った瞬間、「菖蒲(しょうぶ)」の字に似ている気がして「しょじょじ?」と読んでしまいましたが、「舊」は「旧」の旧字だそうです(読めないよね)。
以前この辺りに恩田川の渡しがあったそうで、見晴らしの利くこの地に榎下城(えのしたじょう)が築かれます。
城主上杉憲直が、室町時代の永享の乱(1438年:足利家出身の鎌倉公方と、補佐する上杉家出身の関東管領の争い)に敗れ、金沢(文庫)称名寺で自決したことにより廃城となります。
小田原北条氏の勢力下となった戦国時代には、距離的に近い小机城を拠点とする小机衆に対するくさび的な役目がありました。
城跡に旧城寺が建てられたのは、江戸幕府開府のころとされます。
小机城ほど急斜面・複雑な地形でないせいか、寺院という施設があるためか、敷地の境界があいまいな印象があります。
本堂の背後に広がる墓地は寺の施設なのでしずしずとは入れますが、その奧には民家が並んでいて、私道でもあれば入れるのですが「庭先ゃ〜墓地よ♪」(境界が不明)にためらい、川方面の展望はあきらめました。
一段高い旧本丸付近には弓道場があり、ちょうど練習が行われています。
人が少ないのか寒いのか、射場(弓を引く場所)のサッシが射手(弓を射る人)の立つ場所だけ開けられています。
それが集中力を高める訓練だとすると、だんだん狭めて最後は、星飛雄馬が壁の穴を通すひとりキャッチボールのように?
とても効果的な訓練だったりするかも……
枯れ木の中にカラスウリの実が目を引きます。人には苦く食用には適さないので、主に鳥が食べて種を広めますが、特にカラスの好物ではないそうです。
これも帰ってから調べました。
でも、そんなことを続けるうちに少しずつでも学習しているようです(忘れるスピードの方が速いが)。
植物には関心すら無かったのに「ミツマタ」などは、季節感のイメージが一緒に記憶の引き出しに入っているようで、引き出しが開いた瞬間に「全身(五感)がその記憶を思い出す」ような印象(春への期待感)がありました。
文句をいっても仕方ないのですが、それって「頭がにぶくなった分、五感とのバランスが取れるようになったのでは?」(頭デッカチではなくなった)という、いわゆる「実年齢を実感する季節」に至ったという印象すら受けました。
そんな現状を、リタイア組の「悠々俱楽部」に片足を突っ込んだ、と感じるのはひがみ過ぎだろうか?
旧城寺のふもとを走るJR横浜線の恩田川方面には、農業専用地区が広がります。
横浜線の線路をくぐったところに、農家が運営する野菜直売小屋があります(小規模)。
人気は高いようで「車で来たんですが、入口が分からなくてウロウロしちゃいました」という、口コミらしきお客さんもいます。
数がそろわず市場に出回らなくても、新鮮で質のいい食材であれば、畑まで買いに来てくれる場所柄の優位性をアピールして、仕事の充実感を宣伝すれば「やりがいのある仕事」と認知されるであろうと思います。
TPP(環太平洋戦略的経済連携協定:貿易関税に例外を認めない関税撤廃をめざす多国間協定)参加となると、米など日持ちする作物や冷凍保存可能な作物には、輸出という可能性が開ける反面、価格の安い輸入品との競争下に置かれることになります(日本の存続に貿易は血液のように不可欠なものです)。
その一方で軟弱野菜(葉もの)は、規模は小さくとも環境は変わりません。
「そんな余裕はない」と言われるかも知れませんが、国や農協の様子をうかがうより、消費者の「表情」「反応」を見て仕事に励む方が、どれだけ健全な労働か? と思ったりしました。
同じ農地を歩くにしても、元気な農地周辺を歩く方が、力をもらえるような気がするものですから……
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