2011/09/21

谷間で交わる鉄道路線──菊名

 これほどまで自然災害の脅威にさらされねばならないのか?(せき止め湖は満水状態、名古屋では100万人単位の非難指示等)
 大震災でちょっと気の弱っている島国民族には、「いい薬だ」なんて強がれない状況に思えます。
 しかしこの国の民は、数知れない水害や飢饉(ききん)を経験し、その度ごとに助け合い存続してきた民族ですし、山の土砂崩れ(山は崩れて平地を作る)を防ぐことは無理でも、土石流から堤防の決壊を防ぐバッファ(緩衝地帯)構築については、何か知恵があるように思います。
 冷静に考えて、整理して可能な事から対処していけば、放射線汚染を含めて「日本沈没」しない限り、切り抜ける希望が持てるはずです。
 歴史の授業で学んだ「○○の大飢饉」のように、歴史に残るであろう「平成の大災害」から、「こうして立ち直りました!」の知恵を後世に残すくらいの意気込みが無ければ、子どもたちに笑われてしまうかも知れません……


2011.9.3
【神奈川県】

 菊名駅は、東急東横〜横浜線の乗り換えに利用しますが、改札を出ることはほとんど無く(一度新横浜まで歩いた覚えがありますが、理由は覚えていません)、何も浮かんでこない地なので寺社に頼ることとなります。


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菊名神社(Map)

 以前各地の神社でよく目にした案内板が現役で掲示されています。
 大量に配布するためイラストもプロに依頼したのでしょうし、ソックスにサクランボが飾られてたことも、記憶からよみがえって来そうな気がします……


 神社の伝えでは、室町時代初期に鎌倉鶴岡八幡宮から神霊を招き社殿を建立したそうで、明治時代の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく:仏教関連施設や、関連者等が受けていた特権を廃する)により格上げされます。
 しかし、以前訪れた住吉神社(元住吉)は、1909年(明治42年)政府の「神社合祀政策」により生まれ変わりますが、ここは1935年(昭和10年)周辺各村の神明社・杉山神社・阿附神社・浅間神社の合祀で「菊名神社」とされたので、当時はかなりの田舎だったように思ったりします。
 加えて神社自慢の、石造りの手水鉢を四方で支える鬼の石像「がまんさま」を無視して、その上の看板を撮ってしまい関係者にしかられそうです……

 現在社殿を修復中の菊名神社ですが、今年の例大祭は9月17〜18日に行われたようです。
 現在の境内は広くありませんが、多くの神社が合祀された経緯から氏子衆のすそ野は広く、多くの神輿が参加することで有名だそうです。

 この地は昔「葛名」とされますが、菊の花で名が知られるようになり「名菊」と改名しますが、その語感が「嘆く」を想起させるのため、菊名とされました(新編武蔵風土記)。

 江戸時代までは武蔵国橘樹郡菊名村と称したそうで、近隣でこれまでも橘樹郡(たちばなぐん)の字面を目にするも読めないので飛ばしていましたが、武蔵国なので東京に属していたわけです。
 他人事と思っていたら、そこには川崎市の大部分と横浜駅付近までが含まれていました。
 おそらく、氾らんを繰り返した多摩川両岸の東京と神奈川側に同じ地名が残る歴史同様に、川をはさんだ仲間意識があったように思われます。
 ましてや、現在からは想像できないほど貧しかったであろう神奈川の農民が、東京とのつながりを求める姿勢が強かったことは、当然ではないかと思われます……


菊名駅(Map)

 以前、東横線駅に停車する車両は踏切にはみ出していました。そこは活気ある駅前の生活道路だったので、「この踏切は閉鎖できないだろう」の印象がありました(現在も東急大井町線の九品仏・戸越公園駅では「ドアカット:ホームからはみ出す車両のドアを開かない」状況が続きます)。
 東急電鉄にすればメイン路線の、現東京メトロ日比谷線直通運転の起点駅でもあり、何としてもホームを伸ばす必要があったでしょう。
 結局は自治体の判断により、開かずの踏切に文句を言ってもらちが明かないため、踏切自体を無くす決断で「イライラ」から解放し、新たな町の発展につなげるビジョンのはずが、現在も駅前の渋滞は相変わらずです。
 人や車の流れは、利用しやすい谷間の平坦地を目指しますから、この地では、鉄道や街道の集中する駅前付近の再開発だけでは解決できない、立地問題(谷間に位置する)があります……(右上写真は閉鎖の踏切跡)

 JR横浜線は、1908年(明治41年)信州や八王子で生産された生糸を横浜から船で輸出するために、横浜鉄道により東神奈川駅〜八王子駅間が開業します。
 当時は貨物輸送が目的のため、横浜駅ではなく海神奈川駅(現在の瑞穂埠頭)にあった横浜倉庫を目指しました。

 菊名駅は、1926年(大正15年)2月に東京横浜電鉄(現東急東横線)開業、同年9月に国鉄の駅が開設されます(右写真)。
 しかし、東横線開通当時の駅予定地は現在より横浜寄りで、駅を中心とした放射線状の道路を基盤に田園調布・日吉のような住宅地開発の構想がありましたが、横浜線との乗り継ぎのため駅を現在地に変更したそうです。
 東横線横浜側最初の踏切付近には、その名残りのような錦が丘ロータリー(下写真)があり、そこを中心に放射状に伸びる道路に沿って住宅地が広がっています。

 閑静な住宅地ではあるものの、斜面が急なので徒歩での買い物には難儀そうですし、自転車はほとんど見かけません。
 駅には東横線をまたいで東口と西口があり、JRの改札は西口側にあります。
 直線距離では西口から近いこのロータリーですが、上の横浜線ホーム写真の場所から、かなり急勾配の丘を越える必要があります(右写真の桜並木は丘を越えた辺り)。
 写真にある桜の樹齢から推測すると、かなり以前からこの丘越えの道が生活道として利用された様子がうかがえ、わたしには無理ですが「坂のある町」に暮らす覚悟が感じられた気がします……

 駅自体が谷間に位置するので、周辺ではどちらの出口も道路は非常に狭く、バスやタクシー等のターミナルを作る余地はありません。
 そんな土地柄に新幹線の駅を作ろうにも(新横浜駅開設前には菊名を推す声もあった)、地形条件や将来性の観点からも無理だったこと納得できました。


 そうそう、1988年から横浜線で快速列車が運行されますが、当初菊名は通過駅でした。何でも「東横線への利用客の流出防止対策」というのがJRの主張だそうです。
 とても勝手な言い分に加え、駅周辺住民による市民運動も無視されます。
 それが2006年快速停車駅とされた理由には、「東横線の横浜〜桜木町間が廃止(みなとみらい線接続のため)され、東横線沿線から横浜線桜木町方面への乗客を取り込むための停車」へ方針転換したとされます。
 何だかよく分かりませんが、民営化後も大企業の「メンツ」が見え隠れするのは、公共性を重視すべき鉄道事業者として、どうかと思ってしまいます。


本乗寺(Map)

 上述の開かずの踏切付近に設置された歩道橋を渡った東横線の反対側には、大倉山駅近くから広がる大豆戸町(まめど)に本乗寺があります。
 おそらく丘陵地全体が寺の敷地だったようですが、端には八杉神社があり、縁からは住宅が迫っています。

 その本堂正面に上写真のニワトリが立ちつくしています。
 ニワトリって片足で立ちました? もし足が一本だけでは歩けないので、バタバタ飛ぶまねで移動するのか?
 賽銭箱の裏にいて気付くのが遅れ、近い距離で互いを意識し合うも、撮影の間ばかりか帰り際に振り返っても一歩も動かない姿には、寺の主のような存在か? と思ってしまいます……


法隆寺(Map)

 東神奈川方面に向かう横浜線が、尾根上を通る綱島街道をトンネルで抜ける辺りに、この寺があります。
 関心としては「横浜にも法隆寺がある」というものですが、現法隆寺交差点付近には高速道路横浜環状北線のインターチェンジが建設中で、京浜急行生麦駅付近の斜面に掘られたでっかい穴から地下でつながるようです(第三京浜まで接続の予定)。
 生麦付近の穴がどこに続くのか気になっており、納得できたので今夜はグッスリ眠れそうです……

 ここは日蓮宗の寺で、背後の丘陵地にお墓が並びますが、その上を綱島街道が通り、その地下に穴を掘られインターチェンジが作られると、これまで以上に騒々しくなりそうです。


蓮勝寺(Map)


 ここは綱島街道沿いにある寺で、帰り際に立ち寄りました。
 境内に京都でよく目にした、石に縄を縛った「禁足(立入禁止)」の印があります。
 アイコンとして示し、その姿から読み取れとする(?)狙いはとても粋に感じられます。
 でも今どきでは「あのアイテムは何?」「お宝ゲット!」とされては困りますから、くれぐれも手にせぬように……


 追記──昨日(更新予定日)に遭遇したトラブルについて

 本日の時点では復旧していますが、このBlogで使用しているBlogger(Google)システムのアップデート作業に巻き込まれたようです。
 近ごろ盛んに「新しいインターフェイスを使え」と勧誘されるも、使わないでいましたが(Topページはやむなく切り替えました)、本文ページにもその「押しつけ」が始まったようです。
 「ここ1週間程度のデータにアクセスできなくなっています」は、アップしていない編集中ページは「下書き」となり、新しいバージョンでは「下書きを表示しない」が選択されていたようです。
 それを知っていれば対処できても、編集中に切り替わってしまっては、どうしたものか? と途方に暮れてしまいました。
 どのシステムでも同様ですが、「これは素晴らしいから使ってみたい!」と、アクションを起こさせる魅力のないまま「お試し下さい」と、モルモット的に強要させるのはどうかと思います……

2011/09/05

古くから山がシンボル──大倉山

 8月一杯で、東日本大震災被災地への自衛隊「大規模震災災害派遣」が終了しました(原発周辺の支援などは継続)。
 国民は皆、とにかく自衛隊には頑張ってもらいたいと応援していましたから、お疲れ様でしたと共に「ありがとうございました!」と感謝を伝えたいところです。
 約5ヶ月半、延べ約1063万人が動員され、とりあえずの緊急対応が済んだとされますが、これからの復興「さぁ、どうしよう」が始まります。
 私利私欲を抜きにしても、「一から始まる町づくり」に携わる人たちは、責任の重大さから気概・やりがいに満ちていることでしょう。
 困難さは周知のところですが、1000年に一度の大災害と考えると、例えとして正しいか分かりませんが「奈良の大仏(743年)」を作るような意気込みを持てたなら、必ず成し遂げられると信じられる気がします。
 そんな「神でも仏でも」、とにかく何を利用してでも立ち直りたいとすがる(?)思いにこそ、不信心な国民の本質(たくましさ)が表れているのではないだろうか……


2011.8.13
【神奈川県】


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大倉山(Map)

 この駅を利用した方はイメージできると思いますが、右写真は渋谷方面のホームに隣接する、大倉山公園へと続く急傾斜の坂道です。
 ホームがほぼ平坦とすればその傾斜が見て取れますから、車窓から坂を登る人を目にする度「あの坂は大変だよなぁ」と、応援したくなります。
 ここまで登りたくないと書いたし(?)、前回登りましたから、今回は遠慮させていただきました……

 丘陵地には、梅林で有名な大倉山公園や大倉山記念館があり、現在は公民館的な施設とされ図書館やホールがあり、駅には演奏会イベントのポスターが貼られてあります。
 大倉山記念館はギリシャ神殿風な西洋建築の外観を持つため、大倉山駅前の商店街には、店の門構えに神殿風の柱をディスプレイした建物が並んでいます。
 外見だけ豪華そうに見せて、実は全然出ないパチンコ店のようにも見えますが、町全体として胸を張れる象徴があることは、うらやましいことかも知れません。

 ここは綱島同様に駅周辺が込み入っていて、駅に向かうバスは「ここをバスが通るかね」という道を徐行運転で走ります。
 東京虎ノ門を始点とする中原街道から、多摩川を渡った付近で分岐する綱島街道は、妙蓮寺駅付近までほぼ東横線と並行しますが、東横線新丸子〜妙蓮寺駅周辺の道路事情は概してお粗末で、綱島街道の反対側は、戦後のバラックが商店街になったような雑然とした姿のまま現在に至ります。
 整理されたように見える日吉でも道幅は狭く、到底文化的都市には見えません(バスを通すつもりはなくとも、要求に屈した町の姿か?)。
 東横線建設当時は、渋谷と横浜を結ぶことが大命題で、周囲への配慮や町づくりに対するビジョンが欠けていたようです。
 その反省からか田園都市線建設に当たっては、周辺の大規模開発を念頭に置いた沿線自治体との連携から、現在の発展が生み出されたようです。

 大倉山には新幹線のイメージがあります。菊名駅との間で東横線と交差するからか?
 以前この付近に暮らしていた女性が「大倉山に新幹線の駅があれば会社まで15分で来られる」と、遅刻の言い訳をしていたのを思い出します(会社は浜松町)。
 新幹線の沿線というのは、駅に近い限られた場所以外はまったく便利ではありませんし、騒音・電波障害等々の迷惑ばかりの貧乏クジの土地が延々と続きます。
 それではあんまりなので、税金の優遇くらいしてあげるべきと思ったりします。

 まだ影も見えないリニア新幹線は、東京近郊のほとんどは地下化されるようですが、不気味な振動が伝わることもありそうなので、路線上では見えない敵になるのかも知れません。

 周辺の地図を見ていて気になったのが「トンネル内で新幹線の線路が屈曲している!」ように見える地図上の表現です(赤の点線が新幹線)。これはGoogleですが、Yahoo!も同様です。


大きな地図で見る

 周辺の道路や住宅の大きさから比べると、新幹線がこんな急カーブを曲がれないだろうと思う程の角度に見えます。


法華寺(Map)


 予備知識を持たぬまま下述の師岡熊野神社を目指していたら、隣にお寺があった、程度の認識でしたが、どうもこちらが本家のようです。
 724年の記録が残るとされ(「794ウグイス平安京」以前の奈良時代)、この地で法華経(日本仏教の原点で聖徳太子が広めたとされる)を唱える僧侶が、夢の中に熊野権現(天皇を神とする神社の信仰対象)のお告を受けたことから、天皇の命で885年創建されたそうです。
 夢の話は都合よすぎるのでおそらく作為的なものでしょう。

 土着的な古神道から発展したとされる神道の根付く日本に仏教が伝来し(552年)、仏の下に神と人間を位置づけ、日本の神々も人間同様に苦しみから逃れ、仏の救済を願うという認識がされるようになります。715年に最初の神宮寺(神仏習合施設:神社境内に仏教寺院が併設されるもの。鎌倉鶴岡八幡宮などが含まれる)が創建され、この地でも江戸末期まで法華経と熊野権現が一体化した信仰が息づいていたようです。

 都合よすぎる話は、明治時代の廃仏毀釈(神道と仏教の分離)により熊野権現が熊野神社に(教えを含め)リニューアルして隣接地に独立すると共に、法華寺が廃寺同然とされた歴史からもうかがえる気がします。


 現在の質素ながらも手入れの行き届いた境内には、清らかさが感じられます。
 この時季に花開くハスを、いくつもの鉢で育てていて、そのつぼみから種が落ちる様子までのさまざまな姿を見ることができました。
 ひっそりした境内に、お寺の方が出てきて本堂へ向かいます。
 戻る際にあいさつしますが、気になって向かってみると、本堂に新しい線香がたかれていました。
 その対象は仏様に限らず、この日が命日の檀家供養かも知れませんが、それは寺のおつとめであるとしても、そんな姿には心に伝わる暖かさを感じます。
 その積み重ねが、仏様への祈りの気持ちに通じていくのでしょうね……


師岡(もろおか)熊野神社(Map)


 ここは横浜北部総鎮守の「郷社」とされ、和歌山県熊野三社の祭神である熊野権現を祭神とします(今回の台風被害に遭われた方にお見舞い申し上げます)。
 神道の社格の順位では、県社>郷社>村社とされる下から2番目ですが、何でも氏子の陳情により県社から郷社に格下げられたとのこと。
 おそらく高い社格を維持するためには、それなりの貢ぎ物が要求されたのではあるまいか?
 格下げを願い出る行為は恥ずかしいものと思われますが、この地域の厳しい事情が察せられます。

 いまどきの「熊野三山」は、世界文化遺産の「熊野古道」や、日本サッカー協会シンボルマークの「八咫烏(やたがらす:神話で、神武天皇を熊野国(和歌山県)から大和国(奈良県)へ案内したとされる三本足のカラス)」のおかげで、認知度が格段に高まっています。
 この神社の社紋である三足烏は、八咫烏に由来すると考えられるため、近ごろでは「サッカー神社」とされるようになり、サッカー日本代表の「必勝祈願」奉納品(実際に祈願したのでしょう。出場選手のサイン入りの旗やボール)が飾られる、有名スポットとなりました。
 公式エンブレムのついた日本サッカー協会公認のお守りや絵馬が販売されるのには、ちょっと驚きました。

 右写真は、杉山神社裏手の切り通し。


トレッサ横浜(Map)

 近ごろ横浜・川崎周辺で、特にバス路線を調べていると目につくのが、新設されたらしき施設の名称です。
 これは例えですが「ららぽーと行き(IKEA経由)」とされても、周辺の町名と結びつかない訪問者には非常に困る表示になります。
 同様に「トレッサ横浜」とはどこにあるのかと思っていましたが、施設の近くを歩いたので立ち寄りました。

 第一印象は今どきの郊外型ショッピングモール同様で、車の来店が前提なのに駐車場入り口で渋滞してしまう、渋滞解消のアイデアが足りないという一般的なものです。
 ここの特徴には、自動車販売のディーラーが屋内の一般店舗と同じフロアに車を展示するスペースがあったり、自動車部品・修理等の大型店舗が入っているので、一般的なショッピングモールに比べるとオッサンの比率が高いように見えることが挙げられます。
 確かにそれも客層拡大のひとつの手なのでしょうね。

 ここの送電線は高いので建設は可能だったようですが、その直下部分は背の低い構造物になっています。


二ツ池(Map)


 ここは以前訪問した三ツ池公園に近く、谷戸からのわき水を有効活用するための農業用水に利用されました。
 三ツ池では段差を作り、貯水量を増やそうとの工夫がありましたが、ここは同じ高さの水面の中央に池を二分する堤が作られています。
 その堤の「龍」に関するいい伝えが、隣接する2つの村にそれぞれ存在します。
 ひとつは、池のさかなを食べ過ぎて飛べなくなったとし、もうひとつは、龍と闘った10頭のクマと共に横たわったとされます。
 そのオチは、池の水をめぐり争いの絶えなかった2つの村で分け合うために、池が分割されたとのこと。水源の問題はいつの時代でも死活問題です……

 現在はフェンスで囲われ、立ち入り禁止&釣り禁止の看板がありますが、水辺には写真のように立派な釣り場がいくつも作られています。
 この日も数人釣りをする姿がありましたが、どうもブラックバス釣りで人気があるようです。
 もともとこの池にそんな魚はいませんから、誰かが放したのでしょう。
 現在使われていないため池なら、釣りが楽しめると考えるのも分かりますが、完全に閉じられた環境ではないので、周辺への影響を考えると、あきらめさせる措置を取るべきと思います。
 少数派の釣りバカの楽しみのために、この地域にしか無い生態系の「自然破壊」は、許すべきではありません。


追記
 先週からトップページのレイアウトが変わりました。
 変更を望んだわけではないのですが、これまで使用していたサイト側から提供されるテンプレートが古いため、システムのバージョンアップに付いていけず、更新がうまくできないので仕方なく変更しました。
 こういうところがコンピュータ環境の無粋なところで、「便利になったから新しいのを使え!」と押しつけられ、うれしくもない機能変更を「無理やり使わされる」こととなります。
 これがまた、レイアウト変更をテストする度にアクセスカウントが増えていくという仕組みで、システム提供側(Google)だけがよろこぶような仕掛けになっています。
 利用する側は「Googleをよがらせるためにブログを書いているのか?」と、興ざめする面を感じ始めています……