2009/12/28

「ハフハフしたい!」白き肌の誘惑──三浦半島

2009.12.19
【神奈川県】

 横浜駅で京浜急行の電車を待っていると、車体が青く塗装された「BLUE SKY TRAIN」がやってきました。
 とても鮮やかなブルーは、「羽田空港の空」「三浦半島の海」をイメージしていて、2編成運行されているそうです(京急ホームページより)。
 少し前に『赤い電車』(くるり)という曲もありましたが、京浜急行といえば「赤いボディ」がシンボルカラーなので、とても斬新な印象を受けます。
 ホームで目にしたときは「オッ!」と思いますが、乗ってしまうと車内は他の車両と変わりませんし、外観も見えませんから、普段同様に眠りこけてしまいます。
 停車駅のホームに鏡などを増やして、「色の違う車両に乗っている」と自覚できるような工夫が欲しい、と思ったりしましたが、無理な要求ですよね……


 三浦海岸(Map)

 三浦海岸からの「冬の便り」を目にして、足を運びました。
 以前訪れたときは、カメラを持ち歩いてなかったので、一度撮りに来たいと思っていました。
 ──駅から海に下り、突き当たった右手側の砂浜になります。


 BLUE SKY TRAINでも、横浜〜三浦海岸間は50分程度かかりますから、決して近い場所ではありません。
 集落単位でパッチワークのように引き継がれた農地や、公園的な規模で自然が感じられる場所は近場にもありますが、農・漁業生活の営みから生まれた文化を体感するには、やはりそれだけの移動距離が必要になります。
 一般的なくくりでは「田舎」とされるのでしょうが、ここの立地は「都心に近い田舎」と感じられ、恵まれているような印象があります。(←都会側からの視点)

 畑や港で働く若者たちの多さが印象的なのですが、彼らは「田舎はイヤ」という気持ちより、「地元が好き」という意識の方が強いのかも知れません。
 生活圏は不便でも、1時間程度で横浜や東京に出られるならば、住み慣れた土地がいいと感じているのではないだろうか?
 都会側からの視点を逆転して、「田舎の近くに都会がある」と考えると、とても暮らしやすい土地のように思えてきます。


 海岸で5日間程天日干しされ、その後10日間前後漬け込まれて、たくあんになるそうです。
 三浦といえば「三浦大根」を想起しますが、ご覧のようによく見かけるスマートな青首大根に切り替えられています。
 三浦大根は練馬大根から改良されたもので、練馬大根より中央部がふくらんでおり、長さも短いようです(スマートではない)。
 1979年の台風により、三浦大根が壊滅的な被害を受けたため、 ほとんどの畑で青首大根に転換されたそうです。
 青首大根の品種名は「耐病総太り」といって、病気に強く、全体が太いことに加え、一年中栽培が可能とされます。
 また、上部(青首の部分)が土から顔を出すので引き抜くのが楽で(練馬・三浦を引き抜くには40kgの力が必要でも、青首は10kgで抜けるそう)、スマートな容姿(太さが変わらない寸胴)なので、運搬・梱包等で扱いやすいという理由もあるそうです。
 そこまでメリットを強調されては、心も動いてしまうことは理解できる気がします。

 ですが三浦大根は、辛味が強いので大根おろしに向いていて、 正月料理に付きものの大根ナマスには三浦大根が適しているそうなので(青首大根ではベチャベチャになるそう)、近ごろ栽培する農家が増えているそうです。


 この一画は、まだ干されたばかりで、みずみずしさがあります。
 実の上部に削られた部分が見えると思いますが、水分を蒸発させるために削っているようです。
 どの辺りで乾燥終了させるのか分かりませんが、上写真のようにピチピチしたものから、かなりしなびたおばあさんのようなものまでありました。
 何気なく用いた上記の表現では、当然のように大根を女性に例えています。
 「白い肌」や「みずみずしさ」の例えに適しているとの認識で……
 なんて申し開きも、グズグズに煮くずれしそうですが、大根足の例えではありません。
 ですが男に例え直してみると、筋肉がプリプリした兄ちゃんのようなものや、しなびたおじいさんのようなものまである、のようになります。
 おばあさんには可愛いイメージがありますが、しなびたおじいさんには、ちょっと哀れみ的なものを感じてしまいます……


 岩堂山付近(Map)

 岩堂山は、国土地理院の地形図に表記される山としては、神奈川県で最も低い(82m)そうですが、三浦市内では「最も高い山」になるそうです。
 それゆえ、明治時代の三浦半島要塞化(東京湾要塞)に伴い、山頂には三崎砲台の観測所が築かれたそうです。
 ──当時の気運については、NHKドラマ『坂の上の雲』に描かれているので、是非(おもしろ過ぎです!)。次回放映は1年後の2010年12月になるそうです。

 少し前、海側にバイパス道路が完成するまで、この付近(剱崎三崎)に点在する集落内の交通事情は、恒常的に行きつ戻りつするような、とても不便なものでした。
 1時間に1便あるかどうかのバス路線なのですが、そのバスが通る道路は、沖縄など離島の集落内ほどの道幅しかありません。
 そこで車がバスと対向すると、民家の敷地内に逃げ込むしかないような状況です。
 バイパスのおかげで通行量は減りましたが、バス路線は健在ですし道幅も変わらないので、相変わらずの光景が見られました。
 懐かしいと感じた部外者の意見とすれば、それを不便と感じなければ(渋滞にならないなら)、そんな田舎っぽさはそのままでいいのでは、と思ってしまいます。

 雲はかぶっていますが、富士山と久しぶりに対面したような印象があります。
 たかが、山が見えた・見えないだけの話しなのですが、やはり見えた時にはうれしく、励みに感じられる存在にも思えます(絵になりますもんねぇ)。


 この一帯が、三浦半島イチオシのオススメスポットになります。
 ──先日TV放映された映画『そのときは彼によろしく』(2007年)に、この付近が空撮で登場してました。

 富士山方向から振り返っても「神奈川とは思えないよなぁ〜」という光景が広がります。
 天気が良かったこともあり、冬でありながらも、空・海・畑の光がまぶしい景色の中を歩いていると、気持ちの良さに反応した体内成分が分泌されていると、実感できるような気がしてきます。
 これまでは車で立ち寄っていましたが(なので、ずいぶん久しぶり)、今回の徒歩でのアプローチは大正解だったと思います。
 海岸沿いの遊歩道を歩いてきたと思われる熟年夫婦が、バスに乗り込み「うわぁ、鮮やかなグリーン!」を連発していたので、「ここも絶好の散策路ですよ」と、誘いたいと思いつつバスを降りました。


 道々、大根の英語名は何だったっけ? と考え歩いていましたが「white radish(白いハツカダイコン)」もしくは「japanese radish」と言われるようです。
 ということは、西洋には無かったように思いますが、地中海地方や中東が原産で、古代エジプトでも食用とされた記録があるそうです。
 わたしたちには、ラディッシュより大根の方が大きいし、用途が広いように思えるのですが、食文化も違いますし、ソースやスープに合わなかったりしたのだろうか?(水分の多い食材は好まれなかったか)
 ──日本では「すずしろ」という名で、春の七草のひとつとされていたことは、向島百花園で学習させてもらい、ちゃんと覚えています。

 日本人からするとこの季節、その白き容姿からは「おでん」「ふろふき大根」等々を想起してしまうので、今晩は「ハフハフしたい」と、舌の要求が口いっぱいに広がり、収拾がつかなくなってしまいます。
 大阪在住のころ、京都の料亭系列の総菜店が近くにあり、そこの「あんかけ大根(?)」風な総菜の、「ダシがきちんとしていて、ほのかな甘みのある」味を思い出しました。
 料理は必ずしも、上品である必要はないと思うのですが、一度食べてしまうと「忘れられない味」として、勝手に記憶されてしまうので、自らの意志で消すことはできないようです……
 ならば記憶を塗り替えるような「もっとおいしいものを食べればいい」のかも知れません。
 それは、必ずしも高級なものに限らないわけですから、出会えない不幸を嘆く前に、舌なめずりしながら食欲のしもべとなって、探し回ることが大切なのでしょうね。


 大根畑はスズメたちの隠れ家だったりするようです。
 鳥たちも驚いたでしょうが、すぐ近くから群れで飛び立たれると、こちらも驚かされます。
 スズメは警戒心の強い鳥と思っていましたが、農家の人々との「共存関係」があるのか、隠れ場所がたくさんあるからか、遠くまで逃げていきません。
 そんな光景を、童謡「スズメのかくれんぼ」のようだと思っていたら、正しい題名は『かわいいかくれんぼ』で、スズメは2番の歌詞だったようです(ちなみに1番はひよこで、3番はこいぬ)。
 当時、作者(サトウ・ハチロー )の身近には、そんな情景があったのでしょう。
 でも、イマジネーションがあれば、いくら社会状況が変わってしまった現代でも、そのような情景描写は可能である、と思いたいところです。

 天気が良かったことが最大の要因と思いますが、とっても気持ちのいい一日を過ごせました。
 ちと遠いのと、響きはロマンチックではありませんが、冬の大根畑はオススメです!
 京急三浦海岸駅より、海35路線 三崎東岡行きバス 大乗下車。
 所要時間は30分程度ですが、バスの便数が少ないのでご注意下さい。

2009/12/21

泥にまみれて 紅葉狩り──獅子舞(鎌倉)

2009.12.13
【神奈川県】

 「まだ、紅葉狩りしてるのか?」と言われそうですが、都心の後に見頃を迎えるという、遅めの場所を楽しみに取って置きました。
 紅葉情報等には、「鎌倉イチオシの紅葉スポット」と紹介するところが多いのですが、その場所すら知らなかったので、是非とも行かねばと……
 その動機としては、紅葉よりも「歩いてみたい」という気持ちの方が強かったと思います。


 覚園寺(かくおんじ)(Map)

 今回は、住職さんの長話には付き合わず(拝観せずの意味)、表の写真だけ撮るつもりが、もう正面の木はスッカリ落葉していました。
 遅すぎたかと落胆するも、周囲にはまだ色づいた木々もあります。
 谷間にある印象ですが、門の周辺は思いのほか日当たりがいい場所なのか、早めに紅葉する樹種だったのかも知れません。
 拝観させてもらう境内は、とても素晴らしいと思うのですが、境内は撮影禁止とされています。
 ここの薬師堂は、1354年足利尊氏によって再建され、そのまま現存するとされるので、とても貴重なものになります(京都にあった室町時代以前の建造物は、応仁の乱(1467〜1477年)により、ことごとく焼き払われてしまいました)。
 確かにその重要性は、目にしてみれば理解できると思います。
 文化財は大切ですし、別に住職さんの悪口を言うつもりもありませんが、建造物の外観や庭だけでも撮らせてもらいたいと思うような、季節感のある庭だった記憶があります……


 瑞泉寺(Map)

 ここは「夢窓国師(むそうこくし)古道場」の石碑が立つ禅寺(臨済宗)で、京都の禅寺や、そこに作られた庭園に通じる精神が感じられることもあり、この季節の表現を感じてみたいと思っていました。 →前回訪問時
 門の周辺には大きなカエデ等がありますが(下写真)、庭園内には背丈の低い梅など、早春の樹木が目立ち(スイセンが有名だそう)、紅葉樹は右写真のように低く刈られてあります(背景は竹)。
 ここは「庭園」なので、このように盆栽的な姿もあるのかと、興味深く感じられます。
 これは想像ですが、下写真や後述の獅子舞で見られるように、カエデ等の紅葉樹は大きく成長し、他の植物の生育を阻害してしまうので、土地の狭いこの地では、せん定した低木として扱われているように見えました。
 迫力はありませんが、庭の一角にこの木が一本あるだけでも、季節感を感じられますし、どれだけ心が安らぐことでしょう。
 久しぶりに、わび・さび(侘・寂)というのか、「控えめな美しさ」に接した気がしました。


 上写真の彩りは、自然が生み出すにしても、とてもぜいたくに色が配されています。緑、黄色、橙(だいだい)、朱、紅。
 もしこれが、日当たり具合や、樹種の選択による庭師の計算だったとしたら? もう言葉が見つかりません……


 獅子舞(Map)

 どちらかというと、紅葉よりも「獅子舞ってどこ?」という関心の方が強かった気がします。
 ここは、建長寺奧の山中にある半僧坊(はんそうぼう)から、山の尾根づたいに整備された天園(てんえん)ハイキングコースにある、峠の茶屋の少し下から分かれる枝道沿いにある谷になります。

 小学生時分と思いますが、円覚寺・建長寺等の社会見学と、ハイキングを兼ねた行事として(学校側としてもおいしく感じるメニュー)メインコースを歩いた覚えがあります。
 神奈川育ちには、経験者が多いのではないでしょうか?
 現在でもハイキングコースの設定としては、JR北鎌倉駅〜円覚寺・建長寺〜天園ハイキングコース〜瑞泉寺〜鶴岡八幡宮等〜JR鎌倉駅というのが、人気コースになると思われます。
 わたしもそんな認識だったので、何度か歩きましたが、途中の枝道(この獅子舞や、覚園寺へ下る道)を選択することは、考えたことがありませんでした。
 何年か前に、メディアで紹介されてから、一躍人気スポットになったそうです。

 初めての地になるので、全行程を歩きたいと考え、上述の尾根道となるハイキングコースから下る道を選びましたが、それがそもそもの間違いでした。
 どの紹介サイトにもあった「ドロドロ道注意」の表現は、ある程度心配でしたが、枝道に入った途端に急傾斜の「ドロドロ坂道」が始まっています。
 「これかっ!」と思った瞬間にはちゅうちょし、しばらく進退を考えてしまいました。
 それでも下から、滑ってしまった奇声や、「うわぁ、キレイ!」などの歓声が聞こえてくるので、意を決してズルズル降りていきました。
 谷地形ですから、そこかしこからジワジワと地下水がにじみ出ているようです。


 獅子舞の名は、山頂の岩が獅子の形に似ていることによるそうで、地名にはなっていないようです。
 自生したと思われるカエデの大木が、密集する場所が何カ所かあって、野趣を感じさせてくれる紅葉の名所と言えます。
 また、もう少し早い時期には、イチョウが見事だそうで、落ち葉とギンナンのニオイに埋め尽くされた山道がキレイなんだそうです。

 下から登る方が多いようですが、登りはよくても下りが大変そうです。
 おばさんたちはステッキを準備している方が多いのですが、「何のために持ってきたの?」という使い方になってしまい、渋滞を生んでしまいます。
 それにイライラするおじさんが「滑りながら降りてくるんだよ」と叫びますが、「転びたくないからゆっくりなの」とアドバイスになりません。
 こちらはドロドロ状況に開き直り、おじさんのアドバイスに山を歩いた昔の感覚を思い出し、ズルズル滑りながら転ばずに降りてくることができました(数日間、階段降りるのがキツかった……)。

 谷の入口付近ですれ違った熟年夫婦から、「紅葉はどうですか?」と声を掛けられた会話の後、二人ともズボンの裾をまくりはじめていました。
 そんな姿を見て、「紅葉狩りにはドロドロがつきもの」との認識が根付いていると感じたのですが、後で考えると、わたしの靴が泥だらけだったせいかも知れない、と思ったりしました。
 ──靴の泥落としが大変でしたし、ズボンにはねた泥って、部分洗いの洗剤をつけても落ちないんですね……

 この体験からも、京都の貴族たちが手軽に紅葉を楽しめるよう、庭造りした理由が分かった気がします。
 当時の紅葉狩りも、結構こんな苦労があったのかも知れませんから、きっと「わらわは、ドロドロになるのはイヤじゃ!」とか言ったんでしょうねぇ……