2008/10/21

異空間への入口──源氏山周辺

2008.10.16
【神奈川県】

 亀ケ谷(かめがやつ)坂  ※谷を「やつ」と読みます

 「風が止まっている……」
 由比ヶ浜からの海風は谷筋に沿って山を越えていきますが、ここはちょうどその通り道のようで、峠に差しかかるといつでも海からの風が通り抜けていきます。
 ところがこの日はその風がまるっきり吹いてきません。何か悪いことが起こる前ぶれ?

 鎌倉七口のひとつですから一応峠道ですが、本日のルート(北鎌倉→鎌倉)で歩くとダラダラとした傾斜でたどり着けるので、手軽に切通しの雰囲気を味わえる場所です。
 でも、逆ルートはキツイ坂道になっています。つまり、海側が急傾斜なので海から吹いてきた風が山にぶつかり、坂の切通しに集まってくるのだと思われます。
 暑い時期などはその風がとても心地よく、展望は良くないのですが必ず峠でひと息入れてしまいます。
 そんな気落ちを察するかのように椅子が置いてあり腰掛けられたのですが、この日は見あたりませんでした。
 持ち帰って使えるような代物ではないと思うのですが、道標と同じ様な認識だったもので、無くなってしまうと寂しい気もします。

 この緑のトンネルの向こう側には鎌倉の市街地があるのですが、その先は京都につながっていると思えた本日です。


 寿福寺

 「政子の墓はどこですかぁ?」
 探し疲れちゃったのか、人けの少ない墓地で心細くなったのか、小学生グループの女の子が甘えるような声を掛けてきました。
 そのくせ、場所を教えると礼も言わずに駆けだしていきます。現金なヤツ。
 栃木と群馬から来た小学校のグループ学習的な社会見学のようで、地図を片手にオリエンテーリングのように古都を巡っています。
 注:政子とは北条政子(頼朝の妻)。下写真は「政子の墓」ではありません。


 ここは源氏が関東に進出したときの拠点だったそうで、背後に構える源氏山は、先祖である八幡太郎義家が奥羽での後三年の役に出陣するときに、源氏の白旗を立て戦勝を祈ったことから「源氏山」(旗立山)と呼ばれるようになったそうです。山頂の源氏山公園(後述の仮粧坂の上)には頼朝の銅像があります。
 この寺は、頼朝の没後に政子が源氏をまつるために創建し、臨済宗の開祖である栄西を開山(初代住職)に招いたそうです。
 ここは鎌倉五山第三位で、臨済宗建長寺派の禅宗寺院になります。

 栄西は1195年、博多に日本最初の禅道場である聖福寺を建立するも、京都の既存勢力である天台宗(比叡山)や真言宗(高野山)に割ってはいることができず、幕府を頼って鎌倉に来たとされています。
 ここで両者の思惑が一致し、寿福寺(1200年)建立の後に頼家(鎌倉幕府第2代将軍)の後ろ盾を得て、京都の建仁寺(1202年)を創建したとのことです(ようやく京都と鎌倉がつながった!)。
 それでも臨済宗のルーツは建仁寺とされています。
 ということは、寿福寺が臨済宗となったのは後年のことになります。
 建長寺派といわれますが建長寺は1253年の創建ですから、寿福寺創建時に建長寺は無かったことになります。
 ちなみに、鎌倉五山の中で最も古い創建(1188年)となる浄妙寺(ここも建長寺派)も、禅宗となったのは後のことのようです。

 京都と鎌倉を並べて比較することでようやく、栄西と臨済宗とその時代背景について整理ができてきた気がしました。
 あぁ、納得!
 分かって(分かった気がして)みると、もう一度時系列を整理しながら「禅刹再訪」といきたいところですが、そりゃ無理ってもんです……

 右写真は、昔のディズニーアニメに出てくる擬人化された「木の精」のように見えませんか?


 海蔵寺

 横須賀線で北鎌倉から鎌倉へ向かう途中のトンネルを抜けた辺りを扇ガ谷(おうぎがやつ)といい、その谷の奥まった地にたたずむお寺です。
 門前のハギの花が有名だそうですが、もう終わっていました。
 以前のこの辺りは訪れる人もまばらという印象があったのですが、花の季節のなごりでしょうか、この日はまま人出がありました。
 右写真は「十六井戸」といって、大きなやぐら(石窟)の床面に直径70cm、深さ50cm程度の穴が16個あり、そこから水がわき出しているというものです。
 奧の壁の上部に観音菩薩像、その下に弘法大師像があります。
 お寺のパンフレットには、もと真言宗(空海の教え)の寺跡に臨済宗建長寺派の寺を建立した経緯から、その16の数を「十六大菩薩」(真言宗の経典)と説明されていましたが、わたしには「墓所との説もあるが…」の方が理解しやすく感じられました。
 前出の寿福寺にある北条政子のお墓を含め、やぐらという石窟はお墓のために掘られたと考えた方が自然と思われます。
 ここは一族の共同墓所など、何かの理由で同じ場所に納める必要が生じたために作られたものではないかと思われます(穴のサイズがちょうど墓穴の大きさにも思えます)。
 月日を経て、そういう場所からわき出した水に功徳(御利益)があるとするならば、納得しやすいようにも思うのですが……
 そこのストーリー(言い伝え)をうまく作れなかったのだろうか?


 仮粧(けわい)坂  ※「化粧坂」と書く場合もある


 ここは鎌倉七口のひとつで、旧鎌倉街道の上道(かみつみち)と呼ばれ、瀬谷、町田、多摩へと続いていたそうです。
 つづらおりも2カ所だけで距離は短いのですが、傾斜はえらく急な坂道です。
 また新田義貞の鎌倉攻めの話しを蒸し返しますが、極楽寺坂(攻略できず稲村ヶ崎の海を渡った)、巨福呂坂と、ここ仮粧坂の3カ所から攻め入ったとのことですが、どこも険しい地形でよくこんなところで戦ったと思うような、切通しをめぐっての局地戦が繰り広げられたようです。
 「天然の要害」であった時代を想像する助けとなる戦いですが、それを打ち破った新田軍には「国家再建」という時代の波による勢いがあったということなのでしょう。

 坂の名前の由来には「平家の大将の首を化粧して実検した」「この付近に遊女がいた」などと言われているようですが、わたしは「都市(ハレの場)への入口なので身だしなみを整える場」(異なる世界への入口)という説を支持したいと考えています(鎌倉以外にも昔の都市の周辺に同様の地名があるそうです)。

 何度も登場しますが、鈴木清順監督の映画『ツィゴイネルワイゼン』では、以前紹介した釈迦堂の切通しとここを併せて「冥界への出入り口」のイメージとして使っていました。


 銭洗(ぜにあらい)弁天

 暗がりの中を人々は光の差す方へ吸い寄せられていきます。
 その先にあるのは、もちろん「銭」洗弁天です。
 株じゃ儲けられない時節ですから、せっせと洗って増やしましょう! んなわけないか……
 言い伝えによると、頼朝が夢の中で宇賀福神(この神社の神)に「ここの水を汲んで神仏を供養すれば天下が平和になる」とお告げを受けてまつったのが始まりとのことです。
 それがいつからか、この水でお金を洗うと「倍増」→「10倍」→「100倍」になって返ってくると、景気がよくなってきたそうです。
 裏返せば、どんどん世知辛い世の中になってきている、とも言えそうです。
 お金を入れて洗うためのザルが備えられていますが、しかしザルでお金を洗うって、何かどんどん無くなっていくような、ではネガティブにすぎますかね……

 コインを2枚洗って、1枚を使いもう1枚は財布にしまっておくのがいいとか、洗ったお金はなるべく早く使った方がいい、などと言われているようです。
 以前、鎌倉駅の券売機に「濡れた紙幣は使用できません」の張り紙がありました(今日は目に入りませんでした)。
 どうせ洗うなら高額の紙幣がいいと考え、早く使おうとする人が多かったんでしょうねぇ。
 「早く使うならここでどうぞ!」とばかりに、境内には駄菓子屋かと思うようなみやげ物屋が並んでいます。
 子どもたちは「ちゃんとすぐに使ったよ!」の言い訳が用意されているので、お店に群がっていきます。
 見事な商売ですこと……



 佐助稲荷

 言い伝えによると、ここも頼朝の夢枕伝説から建立されたとあります。
 伊豆に流されていた時、夢の中で鎌倉のお稲荷様に挙兵をうながされ、それに従い兵を挙げ平家を滅ぼしたとのことで、幕府を開いた後に社殿を建てたということです。
 まあ、当時の鎌倉にまだ敵はいませんし、町の整備も必要ですし、庶民の心の安らぎや天下太平を願う意味でも、頼朝は思う存分やっていたということではないでしょうか。
 ──頼朝本人に仏教への感心が無かったのか、武士に開かれていない時代だったからなのか、頼朝の命による上述の2つは神社です。

 ここの印象として、伏見稲荷大社のように鳥居がすき間無くズラーッと並んでいるイメージがあったのですが、写真でもお分かりの通り、鳥居の間に赤いのぼりが並んでいるものでした。
 ここは出世稲荷で、のぼりが1本10,000円とありました。
 伏見稲荷の鳥居にも名前が入っていたので値段が付いているのだと思われますが、鳥居は高そうですからのぼりくらいが身の丈に合っていそうです。


 キツネの置物には大・中・小だけではなく、左・右向きがあるんですね。
 配置してみるとそのバリエーションが、とても有効的であることがよく分かります。
 でも、温泉街などにある射的の景品みたい、なんて言ったら怒られますね……

 目の前に出現する光景は、それが京都であるか東国であるかが問題なわけではなく、共通していると感じられる精神を理解することが、わたしたちのアイデンティティを確認することになり、この国の安寧を祈り、それを現実のものとしていく原動力となるのではないでしょうか。
 ──鎌倉でも少し地に足が付いてきた気がします……


 ●昭和記念公園(東京都立川)──10月18日(おまけ)


 今週はさわやかな天気の日が続き、そんな陽気と「コスモスが見ごろです」のふれ込みに誘われて、立川の昭和記念公園を歩いてきました。
 ここは元米軍の立川基地で飛行場等があった場所なので、とても広い敷地が公園として整備されています。
 のんびり歩いていると、一周するのに2時間はかかってしまいます。
 東京近郊で季節の花を手軽に見られる場所ですから、人出が多いのも仕方ないですね。
 イチョウ並木の葉はまだ緑ですが銀杏の実が落ち始めており、強烈なにおいが漂ってきます。
 これも秋本番の季節感ですから仕方ないですね……


 コスモスの花も太陽を追いかけているようです。

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