2011.4.11
近ごろ若者が連呼する「ありえな〜い」は、すっかり軽薄語(そんな言葉はないにせよ)と化していますが、本来使われる状況に遭遇してみると、そんな言葉すら出てこないことに驚きます。
この国が歩んできた歴史を「義務教育」で学んだ者ならば、誰でも許されざる行為と認識することが「国の自己都合」で行われました。
「自爆」という物騒な表現をしましたが、現在の福島第一原発における状況は「放射線物質に汚染された水を自らの意志で海に放出」しているわけで、「止めようとしても流出してしまう」とは意味が違います。
海と共に生きてきたこの国が海を廃棄場に選択したことは、これまでの国の生い立ちと未来を放棄する行為であり、原爆による放射線被害を被った国の選択として「あり得ない自己矛盾」に陥っています(その行為は、核兵器同様の環境汚染と健康被害を拡大させます)。
近ごろよく耳にする言い訳「放射線は海水中では拡散しますから濃度は薄まります」の意味を理解して発しているのか、一国の官房長官が軽々しく繰り返せる言葉で無いことに気付くのは、環太平洋の国々から集中砲火を浴びる時なのかも知れません。
福島県浜通り地域を汚染地帯として半永久的に閉鎖するか、太平洋の生物たちを放射能汚染の食物連鎖に巻き込むか(現在は小魚でも、そのうちマグロも出荷制限になるかも知れません)の選択肢から、地球全体にまき散らすことを選んだことになります。
海を汚す権利は誰にもありませんから、そこには明らかに「人間本位の思想」が見て取れます。
国の中枢機関が「原子炉を制圧せよ」「国民の不安を和らげよ」という「島国根性的パニック」に陥ってしまい、海の向こうまで関心が及ばなくなってしまう状況だとしても、そんな理由で許される行為ではありません。
専門は違っても「科学」をかじった者としては、人類英知の力不足を思い知らされ、例にはふさわしくないかも知れないが、第二次世界大戦敗戦時の「御破算(これまでの積み重ねが無に帰す)」に通じると思われる無力感に襲われました。
原子力開発は、戦争とは違うので勝ち負けではないにしても「負けは許されない」挑戦のはずでしたが、完全な「制御不能」に陥りました。それを「思い上がり」と言うのでしょう。
「人類は放射性物質を制御できない」という事実に反論される方がいたら、早急に福島原発で対処願いたいところです。
一刻も早い放射能封じ込めを願うものですが、沈静化後には「ノーモア福島」「ノーモア原発」という国民感情の爆発は必至ですから、(言葉は悪いが)この事態をバネにクリーンエネルギー転換を進めることを、復興・再生のスローガンにすべきではないか、と思っています……
2011.4.2
【神奈川県】
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根岸駅
JR根岸線根岸駅からの光景です。
海側にコンビナートや工場が並んでいた印象はありましたが、ここが震災被害で操業を停止した国内最大級の新日本石油根岸製油所であると、今回初めて認識しました。
黒船来航時には、背後に迫る急峻ながけが海岸線だったのでこの一帯は埋め立て地になりますが、液状化の被害を受けていたら復旧が相当遅れたかも知れません。
東北方面を震源とする地震で被害を受けたのですから、関東を震源とする地震を想像すると言葉が見つかりません(この施設の復旧で、首都圏の燃料不足にメドが立ったとされますが、千葉県五井の製油施設ではそれ以上のダメージを受け再開の見通しは示されません)。
しか〜しここには、震災などには揺るがない(?)自分本位の趣味や関心のままに行動する「貨物車両ファン」が集まっています。
自分としては、この施設の操業停止で首都圏の燃料不足が生じたことを、工場と燃料輸送車両を一緒に撮って伝えようと考えていましたが、仲間と思った彼らは「今日は黒いのは間に合わなさそうですねぇ」と声を掛けてきます。
「黒いの」とはおそらく、近ごろの燃料輸送車両は写真のようなカラーリングになっていて、昔からの黒いボディの車両が珍しいことによるのではないか? と思われます。
こんな時だからこそ撮りたい、という気持ちも分からないではありませんが、「チーム日本」は大丈夫か? と思ったりします。
彼らにすれば、日々耐えながら働いているのだから「休日くらい自由にさせてくれ」でしょうし、それはわたしも同じなのですが……
三渓園
桜の開花をどこで楽しもうかと考えた時、梅林が見事な三渓園が思い浮かんだのですが、咲き始めだったこともあり期待感は外れ、「あれ?」というくらい桜の存在感がありません。
満開の時期であれば、華やかさのある花なので満足できたのかも知れませんが、「桜は三渓園じゃないよね」の認識があるのか、思ったほどの人出ではありません(本牧から正門に向かう道の桜並木は立派です)。
シダ類植物のようですが、とても繊細そうな毛に覆われた姿が「まだ寒いけど大丈夫かな?」と、春の訪れを待ちきれない姿のようにも見受けられます。
温暖な陽気の訪れで、芽吹きの様子を目にする季節に何とも眠気に誘われるのは。寒さの緊張感から解放されたことで「少しリラックスしようぜ」と体が言っているんでしょうね。
確かに穏やかな陽気ではありますが「野外でアイスを食べる時期?」と思うほど、アイスを手にした人を見かけました(それも春の開放感なのでしょう)。
近ごろのはやりは、口が広く開いたコーンに入ったアイスをスプーンで食べるスタイルのようです。
アイスくらいは食べますけど、幾度となく「甘くないから」の言葉にだまされてきたので、警戒心が先に立ちます……
上写真はコブシの花で、春の新芽野菜のように少し刺激のある香りが春らしさを感じさせてくれます。
花の旬は短いようで、すぐにだらしなくなったり黒ずんでしまうので、いい状態の花を探すのは苦労します。
コブシ側の戦略としては、春先の白い大きな花と特徴ある香りが売りなのでしょうし(確かに桜の仲間たちとは主張が違います)、圧倒的な数の桜の中で生き続けているのですから、虫たちの中には「コブシふぁん」がいることでしょう。
今回の震災でもう一つ思い知らされたのが、印刷メディアが「災害に弱いメディア」であるという事実です。
速報性の面では、既にネットメディアから完全に置き去りにされた感がありましたが、今回の震災では完全に引導を渡された印象を受けます。
用紙ばかりかインキ供給のめども立たない現在、「工業製品」を必要とするメディアではその材料を調達できずに(大手印刷会社でも四苦八苦する状況)、発売延期が相次いでいます。
一方ネットメディアでは情報を発信できれば、混乱の中でもそれを欲するユーザーが新たなルート(Twitter等)を模索する可能性が開けています。
もちろん電気が無ければ稼働しませんが、基地局の被災でダウンした電話系通信網とは異なり、回線経路が多様なWWW(ワールド ワイド ウェブ:世界に広がる蜘蛛の巣)の強みや、電力消費の少なさが威力を発揮しました。
今回のような非常事態において必要とされる「情報」の速報性や正確性に統率が取れていれば(情報の自浄作用が働けば)、文化を気取るメディアは暇ネタとして「昭和期の遺産のような流通」をしていて結構、と言われているような気がしました(わたしもその「文化」が売りと思っていました)。
ひと息つけたつもりでも、大きな余震がありますから「われわれはまだ、非常事態のさなかに置かれている」ことを再確認する必要があります。
確かに「できる事」「やるべき事」をひとつずつこなすしかないので、文化を語るレベルには至れない状況です。
しかしそんな状況だからからこそ、新しい文化の芽が生まれてくるのかも知れませんし、震災前からそれをかぎつけ「スマートフォン」を手にした人々の嗅覚の確かさには、「はやり」「便利さ」を求める以上に「現代を生きぬく必需品」という側面もあったかと、教えられる気がしました……
2011/04/11
2011/04/04
電力25%カットで再生を目指す ──震災後三週間
2011.4.3
電車内には「電力不足により通常の7〜8割程度の本数で運行しています」のアナウンスが流れます。
電力大口利用者である鉄道会社の方針をとりあえずの目安として、われわれも通常の7〜8割の電力で可能な「生きる道」を探る必要に迫られています。
夏には昨夏の電力需要ピーク時と比較すると、約25%の供給不足が見込まれます。数字だけでも容易ならざる大きさですが、そこに社会生活の立て直しという課題が上積みされます。
これは社会全体で取り組まなければ、到底クリアできる課題ではありません。
気温上昇のおかげでしょう、3月最終週の計画停電が中止となったこと、不便ながらも鉄道運行への不安が薄れたこと、工場機能(石油精製・食品加工等)の復旧により物流が戻りつつある安心感等、徐々にですが東京の不便さも落ち着きを取り戻してきたように思われます。
とは言え、最も大きな要因は「不便さへの慣れ」に違いありません。
しかし、暑さ寒さにひと息付ける夏場までに、社会全体で電気需要についての対策を講じる必要があります。
東京電力を筆頭に各電力会社のフル稼働はもちろんですが、消費側も知恵を絞り可能な限り節電に務め、ムダ撲滅に全員で取り組む姿勢が求められます。
そのためにも、原発の放射能拡散を早期に封じ込め、市民の不安感を取り除くことが必要で、不便な中でも市民が生産活動に集中できる環境を整えることが重要になります。
──東京電力、原子力保安院には言いたいことが山ほどありますが、らちが明かないのでやめておきます。福島県浜通り地域の方には申し訳ありませんが、戻っても生産活動の再開までにはかなり長い時間が必要と思われます。できるだけ早期に、東京からのバックアップ体制を整えるようにします。
首都圏電力消費の割合は、工場、家庭、オフィスそれぞれが3割程度なので、そこには日本人が得意とする「工夫の余地」が秘められています。
工場では、近隣他社の工場と時間を融通し合って「7〜8割の生産力を維持しよう」という話し合いが始まっています。
家庭でも夏場に冷蔵庫が止まるよりは、各家の冷房を控えるために昼間はパブリックスペース等で過ごすことで、消費電力を押さえられそうに思います(場所の提供も必要でしょう)。
オフィスもいまどきは、コンピュータやインターネットが止まることを考えれば、節電に精を出すはずです。
そこで経団連が夏場の電力不足への対策として、経済界全体で自主節電計画を策定することを決めました。そこには操業・営業時間のカットや分散化、生産シフトの見直し、夏季休暇の分散化、自家発電の活用、業界間の電力融通などが盛り込まれます。
東北地方の壊滅、関東地方の生産力低下を「国難」ととらえ、管理機能を失った東京電力による一方的な計画停電を受け入れるのではなく、経済界が主導権を持った「自主節電計画」でこの難局を乗り切ろうとする提案で、政府もその効力を高めるための後押しをするようです。
この動きの素晴らしさは、さまざまな業種の労働者を「ひとつの目標」に向かわせるための、求心力を目指すところにあります。
首都圏で社会活動を行う者は皆、徒歩帰宅や物資不足を経験しており、日々その回復状況に「ありがたさ」は感じるものの、先々への不安感はぬぐいきれません。
ですが、不便さを共有しながらも「共通の目標」が設定されれば、お互いさまながら希望を持って踏み出せるのではないでしょうか。
それはバブル期を境に失われた「目標の共有感」を生み出し、戦後復興〜高度経済成長期のような社会の一体感が芽ばえる可能性にも感じられます。
などと軽々しく言ってますが、「電力を25%カットされた状況で経済を維持」する義務を課せられ、「その倹約(消費低迷)分を税金で徴収し、被災地復興に充てる」必要があるのですから他人事ではないわけです。
そのためには「戦後復興」に次ぐ「日本の奇跡」を目指そうとする「国民の一体感」が必要になります。
そこで復活しそうなのが「美徳」という、とうに忘れ去られた概念です。
節電・ムダの撲滅などの取り組みには、ある種のすがすがしさが感じられるので、それを「心の豊かさ」と受け止めていけば、自信と満足感を維持しながら明るく生活できるのではないでしょうか?
これは決して自粛のススメではなく、発散すべき時はドカーンとすべきと思います(他人の迷惑にはならないように)。
外国人は逃げ帰ったので、最初は「島国根性」丸出しになるかも知れません。でもそこから、市民が同じ目標に向かおうとする社会の空気が生まれたなら、この国にはこれまで以上に大きく化ける(変態:幼虫〜さなぎ〜チョウに形態を変える意)ポテンシャルが生まれるかも知れません。
そこには例えば、脱原子力エネルギー→太陽光発電先進国となり、世界を牽引する等というような、夢も必要になってくるのではないでしょうか……
2011.3.26
【神奈川県】
より大きな地図で 鶴見川2 を表示
前回の寺家ふるさと村の少し上流で、鶴見川本流(谷本川)に小田急線新百合ヶ丘駅方面から流れる麻生川(あさお)が合流します。
また小田急線柿生駅付近では支流の片平川が麻生川に合流します。
麻生川の源流付近の丘陵地には、東京よみうりカントリークラブが広がります。隣接してよみうりゴルフ倶楽部があるそうで、ゴルフ場が2つあること初めて知りました(関心がないのでその先は調べていません)。
前者が1964年後者が61年開場で、当時は雑木林の丘陵地だったのでザックリと「この辺まで陣地取った」という感覚と思われますが、現在南側の斜面にはビッシリと住宅が張り付いているので、所々に巨大なボールよけのネットが設置されています。
ゴルフ場では芝生整備に多量の農薬が使用されるイメージがあり、源流付近にそんな施設があるだけで、川のイメージを台無しにしてしまう気がします。
ゴルフ場のある丘陵地付近が、多摩川との分水界(雨水が流れる先の川を分かつ境界)になります。
とんび池公園
麻生川と片平川に挟まれた丘陵地帯を、小田急多摩線が走ります。
1974年新百合ヶ丘〜小田急永山間が開業した当時の沿線には、丘陵地を切り開いた造成地が広がっていました。
現在は住宅も建ち並んでいるので一度歩いてみようと思っていましたが、新興住宅地の見どころって? の予想通り何もありませんから花などに頼ってしまいます。
上写真では、桜を待ち望む季節に「いまごろツバキ?」(種類によるかも知れない)と思ったのですが、ここは天気予報でも別扱いされる八王子・多摩地区ですから、結構寒い土地柄かも知れません。
──失礼、都内でもこの花を見かけました……
栗木御嶽神社
新興住宅地とはいえ、古くからの農家の家並みも残されており、映画『平成狸合戦ぽんぽこ』でタヌキたちが会議を開くような鎮守様は、そこここに残されています(ここは栗木御嶽神社)。
以前周辺では、クリやカキの木を育てていたようです。
電車の車窓からはビッシリと家が並ぶ光景に見えましたが、奧に入ると家が建てられていない造成地がそのまま残されている場所が目につきます。
あれから○十年も売れずに用途が考え直された場所もあり、どう見ても住宅造成地なのに「生産農地」の看板が立てられ、トラクターで土を起こしている場所もあります。
その地区では宅地開発が失敗したことになりますが、近隣住民も空き地を利用する農家もハッピーであるとは思えません。
白鳥神社
ここは白鳥神社で、近くの中学校からジャージ姿の生徒が家路に向かう時間帯でしたが、神社で道草を食う者は誰もいません。
こんな事態ですから「真っすぐ帰りなさい」が徹底されているようです(そんな時にウロウロしているのは自分だけか?)。
帰り際、桜の木の根元に布袋様(?)が置かれているのを目にしました。
布袋は福の神として七福神(室町時代に成立)に組み入れられ、肥満の体から度量の広さ、円満さや豊かさをもたらすとされます。それゆえ手にする大きな袋には不平・不満が収められると考えたのか、「堪忍袋」とされます。
桜の木との関係や、この場所にも特に意味は見当たらないので、今後この地域に「七福神」を設定しようとする準備なのか?
修廣寺
この地域を歩いてみたい思いは達成したのですが、出会いの無さに困り果て予定と違う道をさまよううちにこのお寺に出会いました。
看板のある入口は普通の脇道ですが、参道や門は質素でもそれをよけるように車道が通されることから、近隣住民によって大切に守られてきた寺院であることがうかがえます。
山門付近には、回向柱(えこうばしら:大法要や御開帳の際に、修めた功徳を自らの悟りや、他者の利益のためにめぐらすための白木の柱)が立てられていることからも「活気ある禅寺」の印象を受けます。
禅寺は久しぶり(鎌倉・室町時代に通じる風情を残すものとしては鎌倉の覚園寺(かくおんじ)、瑞泉寺以来)なので「ピリッ」とした印象というか、こちらのアンテナも反応するようで、興味深く見学させてもらいました。
デマに惑わされ右往左往したり、情報に無関心で「知らなかったぁ〜」とパニックに陥る姿を見かける事態なので(職場で買い占めに走る人を止められないことも事実です)、「困った時の神頼み」の需要は高まっているかも知れません。
家や職場を津波に流された被災地で、家を失っても力を合わせてお地蔵さんを掘り起こし、無事で良かったと手を合わせる姿をテレビで目にしました。
生活と信仰の密接な関係が保たれる地域で暮らす人々の姿からは、自然との闘いではなく「アニミズム」(日本では森羅万象に宿る神を「八百万の神」とする信仰)のような、自然に対する畏怖(いふ)の気持ちが伝わってくる気がします……
麻生川
小田急線柿生駅〜新百合ヶ丘駅間の車窓から見える麻生川沿いの桜並木の開花はまだでしたが、その後東京では桜が咲き始めました。
「桜ってこんな寒い時期に咲いたっけ?」という感覚は、人間たちの心身だけが冷え切ってることの証しかも知れません。
花見の季節は、日本人の気持ちを明るくさせるには絶好のチャンスですが、ライトアップ・ちょうちん照明の自粛で夜桜見物の人出は減りそうです。
しか〜し! 照明のない暗闇の中でも何とか工夫して飲みたいと思う人も多いことでしょう。
いっときだけでも思いっきり発散して、そこで工夫した知恵がその先の活動に生かされれば御の字ですから、今年の桜も存分に楽しみましょうぞ!
でも、他人様への迷惑だけは控えないとね。
平静時でもバカ騒ぎはひんしゅくモノ、と分かっているでしょうに……
電車内には「電力不足により通常の7〜8割程度の本数で運行しています」のアナウンスが流れます。
電力大口利用者である鉄道会社の方針をとりあえずの目安として、われわれも通常の7〜8割の電力で可能な「生きる道」を探る必要に迫られています。
夏には昨夏の電力需要ピーク時と比較すると、約25%の供給不足が見込まれます。数字だけでも容易ならざる大きさですが、そこに社会生活の立て直しという課題が上積みされます。
これは社会全体で取り組まなければ、到底クリアできる課題ではありません。
気温上昇のおかげでしょう、3月最終週の計画停電が中止となったこと、不便ながらも鉄道運行への不安が薄れたこと、工場機能(石油精製・食品加工等)の復旧により物流が戻りつつある安心感等、徐々にですが東京の不便さも落ち着きを取り戻してきたように思われます。
とは言え、最も大きな要因は「不便さへの慣れ」に違いありません。
しかし、暑さ寒さにひと息付ける夏場までに、社会全体で電気需要についての対策を講じる必要があります。
東京電力を筆頭に各電力会社のフル稼働はもちろんですが、消費側も知恵を絞り可能な限り節電に務め、ムダ撲滅に全員で取り組む姿勢が求められます。
そのためにも、原発の放射能拡散を早期に封じ込め、市民の不安感を取り除くことが必要で、不便な中でも市民が生産活動に集中できる環境を整えることが重要になります。
──東京電力、原子力保安院には言いたいことが山ほどありますが、らちが明かないのでやめておきます。福島県浜通り地域の方には申し訳ありませんが、戻っても生産活動の再開までにはかなり長い時間が必要と思われます。できるだけ早期に、東京からのバックアップ体制を整えるようにします。
首都圏電力消費の割合は、工場、家庭、オフィスそれぞれが3割程度なので、そこには日本人が得意とする「工夫の余地」が秘められています。
工場では、近隣他社の工場と時間を融通し合って「7〜8割の生産力を維持しよう」という話し合いが始まっています。
家庭でも夏場に冷蔵庫が止まるよりは、各家の冷房を控えるために昼間はパブリックスペース等で過ごすことで、消費電力を押さえられそうに思います(場所の提供も必要でしょう)。
オフィスもいまどきは、コンピュータやインターネットが止まることを考えれば、節電に精を出すはずです。
そこで経団連が夏場の電力不足への対策として、経済界全体で自主節電計画を策定することを決めました。そこには操業・営業時間のカットや分散化、生産シフトの見直し、夏季休暇の分散化、自家発電の活用、業界間の電力融通などが盛り込まれます。
東北地方の壊滅、関東地方の生産力低下を「国難」ととらえ、管理機能を失った東京電力による一方的な計画停電を受け入れるのではなく、経済界が主導権を持った「自主節電計画」でこの難局を乗り切ろうとする提案で、政府もその効力を高めるための後押しをするようです。
この動きの素晴らしさは、さまざまな業種の労働者を「ひとつの目標」に向かわせるための、求心力を目指すところにあります。
首都圏で社会活動を行う者は皆、徒歩帰宅や物資不足を経験しており、日々その回復状況に「ありがたさ」は感じるものの、先々への不安感はぬぐいきれません。
ですが、不便さを共有しながらも「共通の目標」が設定されれば、お互いさまながら希望を持って踏み出せるのではないでしょうか。
それはバブル期を境に失われた「目標の共有感」を生み出し、戦後復興〜高度経済成長期のような社会の一体感が芽ばえる可能性にも感じられます。
などと軽々しく言ってますが、「電力を25%カットされた状況で経済を維持」する義務を課せられ、「その倹約(消費低迷)分を税金で徴収し、被災地復興に充てる」必要があるのですから他人事ではないわけです。
そのためには「戦後復興」に次ぐ「日本の奇跡」を目指そうとする「国民の一体感」が必要になります。
そこで復活しそうなのが「美徳」という、とうに忘れ去られた概念です。
節電・ムダの撲滅などの取り組みには、ある種のすがすがしさが感じられるので、それを「心の豊かさ」と受け止めていけば、自信と満足感を維持しながら明るく生活できるのではないでしょうか?
これは決して自粛のススメではなく、発散すべき時はドカーンとすべきと思います(他人の迷惑にはならないように)。
外国人は逃げ帰ったので、最初は「島国根性」丸出しになるかも知れません。でもそこから、市民が同じ目標に向かおうとする社会の空気が生まれたなら、この国にはこれまで以上に大きく化ける(変態:幼虫〜さなぎ〜チョウに形態を変える意)ポテンシャルが生まれるかも知れません。
そこには例えば、脱原子力エネルギー→太陽光発電先進国となり、世界を牽引する等というような、夢も必要になってくるのではないでしょうか……
2011.3.26
【神奈川県】
より大きな地図で 鶴見川2 を表示
前回の寺家ふるさと村の少し上流で、鶴見川本流(谷本川)に小田急線新百合ヶ丘駅方面から流れる麻生川(あさお)が合流します。
また小田急線柿生駅付近では支流の片平川が麻生川に合流します。
麻生川の源流付近の丘陵地には、東京よみうりカントリークラブが広がります。隣接してよみうりゴルフ倶楽部があるそうで、ゴルフ場が2つあること初めて知りました(関心がないのでその先は調べていません)。
前者が1964年後者が61年開場で、当時は雑木林の丘陵地だったのでザックリと「この辺まで陣地取った」という感覚と思われますが、現在南側の斜面にはビッシリと住宅が張り付いているので、所々に巨大なボールよけのネットが設置されています。
ゴルフ場では芝生整備に多量の農薬が使用されるイメージがあり、源流付近にそんな施設があるだけで、川のイメージを台無しにしてしまう気がします。
ゴルフ場のある丘陵地付近が、多摩川との分水界(雨水が流れる先の川を分かつ境界)になります。
とんび池公園
麻生川と片平川に挟まれた丘陵地帯を、小田急多摩線が走ります。
1974年新百合ヶ丘〜小田急永山間が開業した当時の沿線には、丘陵地を切り開いた造成地が広がっていました。
現在は住宅も建ち並んでいるので一度歩いてみようと思っていましたが、新興住宅地の見どころって? の予想通り何もありませんから花などに頼ってしまいます。
上写真では、桜を待ち望む季節に「いまごろツバキ?」(種類によるかも知れない)と思ったのですが、ここは天気予報でも別扱いされる八王子・多摩地区ですから、結構寒い土地柄かも知れません。
──失礼、都内でもこの花を見かけました……
栗木御嶽神社
新興住宅地とはいえ、古くからの農家の家並みも残されており、映画『平成狸合戦ぽんぽこ』でタヌキたちが会議を開くような鎮守様は、そこここに残されています(ここは栗木御嶽神社)。
以前周辺では、クリやカキの木を育てていたようです。
電車の車窓からはビッシリと家が並ぶ光景に見えましたが、奧に入ると家が建てられていない造成地がそのまま残されている場所が目につきます。
あれから○十年も売れずに用途が考え直された場所もあり、どう見ても住宅造成地なのに「生産農地」の看板が立てられ、トラクターで土を起こしている場所もあります。
その地区では宅地開発が失敗したことになりますが、近隣住民も空き地を利用する農家もハッピーであるとは思えません。
白鳥神社
ここは白鳥神社で、近くの中学校からジャージ姿の生徒が家路に向かう時間帯でしたが、神社で道草を食う者は誰もいません。
こんな事態ですから「真っすぐ帰りなさい」が徹底されているようです(そんな時にウロウロしているのは自分だけか?)。
帰り際、桜の木の根元に布袋様(?)が置かれているのを目にしました。
布袋は福の神として七福神(室町時代に成立)に組み入れられ、肥満の体から度量の広さ、円満さや豊かさをもたらすとされます。それゆえ手にする大きな袋には不平・不満が収められると考えたのか、「堪忍袋」とされます。
桜の木との関係や、この場所にも特に意味は見当たらないので、今後この地域に「七福神」を設定しようとする準備なのか?
修廣寺
この地域を歩いてみたい思いは達成したのですが、出会いの無さに困り果て予定と違う道をさまよううちにこのお寺に出会いました。
看板のある入口は普通の脇道ですが、参道や門は質素でもそれをよけるように車道が通されることから、近隣住民によって大切に守られてきた寺院であることがうかがえます。
山門付近には、回向柱(えこうばしら:大法要や御開帳の際に、修めた功徳を自らの悟りや、他者の利益のためにめぐらすための白木の柱)が立てられていることからも「活気ある禅寺」の印象を受けます。
禅寺は久しぶり(鎌倉・室町時代に通じる風情を残すものとしては鎌倉の覚園寺(かくおんじ)、瑞泉寺以来)なので「ピリッ」とした印象というか、こちらのアンテナも反応するようで、興味深く見学させてもらいました。
デマに惑わされ右往左往したり、情報に無関心で「知らなかったぁ〜」とパニックに陥る姿を見かける事態なので(職場で買い占めに走る人を止められないことも事実です)、「困った時の神頼み」の需要は高まっているかも知れません。
家や職場を津波に流された被災地で、家を失っても力を合わせてお地蔵さんを掘り起こし、無事で良かったと手を合わせる姿をテレビで目にしました。
生活と信仰の密接な関係が保たれる地域で暮らす人々の姿からは、自然との闘いではなく「アニミズム」(日本では森羅万象に宿る神を「八百万の神」とする信仰)のような、自然に対する畏怖(いふ)の気持ちが伝わってくる気がします……
麻生川
小田急線柿生駅〜新百合ヶ丘駅間の車窓から見える麻生川沿いの桜並木の開花はまだでしたが、その後東京では桜が咲き始めました。
「桜ってこんな寒い時期に咲いたっけ?」という感覚は、人間たちの心身だけが冷え切ってることの証しかも知れません。
花見の季節は、日本人の気持ちを明るくさせるには絶好のチャンスですが、ライトアップ・ちょうちん照明の自粛で夜桜見物の人出は減りそうです。
しか〜し! 照明のない暗闇の中でも何とか工夫して飲みたいと思う人も多いことでしょう。
いっときだけでも思いっきり発散して、そこで工夫した知恵がその先の活動に生かされれば御の字ですから、今年の桜も存分に楽しみましょうぞ!
でも、他人様への迷惑だけは控えないとね。
平静時でもバカ騒ぎはひんしゅくモノ、と分かっているでしょうに……
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