2010/04/19

波を見つめるまなざし──稲村ヶ崎、七里ヶ浜

2010.4.10
【神奈川県】

稲村ヶ崎、七里ヶ浜(Map)

 稲村ヶ崎の地名から連想されるのは、ちと古いですが、一般的には桑田佳祐監督の映画『稲村ジェーン』(1990年)になるのでしょうか?
 七里ヶ浜=サーフィンというイメージがありますが、現在はそれほどいい波が来る海岸ではなさそうです。
 海岸に面した道路があるので、波しぶきが飛んできたり、サーファーの群れている姿等が、強く印象に残ってしまうきらいがあります。
 上述の映画でも大波を待ってましたが、1989年に「稲村ガ崎サーフィンクラシック」を開催して以来、大波は来ないため第2回は開催されていません。
 一方、ロングボードの男子プロサーファーツアーは、毎年辻堂海岸で行われているので、辻堂の方がいい波が来る海岸のよう思えます。
 そうなると、この浜に抱くロマンとは何ぞや? となります。
 アクセスのいい場所でギャラリーも多く、目立ちたがりが集まるということなのか? もう死語となった「丘サーファー」という表現を思い出しました……(海辺の環境が変わったことも確かなようです)


 わたしとしては、新田義貞も見上げたであろう稲村の崖、というイメージの稲村ヶ崎です。
 これも古いNHK大河ドラマ「太平記」(1991年)で、根津甚八(現在病気療養中)演じる新田義貞の姿がとても記憶に残っています。
 彼は波が引くことを念じていました。
 元弘の乱(げんこうのらん:1331年〜33年、後醍醐天皇を中心とした鎌倉幕府討幕運動および、鎌倉幕府滅亡までの一連の戦乱)で反旗を翻した足利尊氏(幕府軍から天皇軍へ)に呼応して、新田義貞が挙兵し、鎌倉の北条氏に攻め込んだ「鎌倉攻め」の地と伝わります。
 一般に知られる「義貞が、潮の引くことを念じて海に剣を投じると、その後潮が引いた岬の海岸から鎌倉に攻め入った」の記述は、古典『太平記』だけに記されているため、伝説(言い伝え)とする向きもあり、研究の余地があるそうです。

 江ノ電線路脇にある店舗の門になります。
 柵が途切れている付近は、線路の枕木の間隔が少し狭くなっています。
 おそらく、踏切は作れませんが、せめてこの枕木の上を歩いて線路を渡ってください、という意思表示ではないでしょうか。
 江ノ電沿線には、このような場所が無数に存在しているので、玄関前の線路を渡るおばあさんの姿をよく見かけます。
 「若いころから歩いた」とは言っても、そこで転倒してケガでもしたら、困るのは本人になります。
 そんなことは百も承知で暮らしていたとしても、困ったときに江ノ電が補償してくれるとも思えません。
 そんなグレーゾーンは、あまり突きたくないと思いつつも、お年寄りの姿に不安を感じてしまったので……
 

 近ごろ七里ヶ浜の砂浜は、年々狭くなっている印象を受けます。
 以前は稲村ヶ崎付近に海水浴場もありましたが、監視台やトイレも設置できなくなり、現在は全面遊泳禁止となっています。
 潮の満ち引きに関係なくいつでも横断可能で、流木に腰掛け「ボケーッ」とできたのですが、現在鎌倉高校前駅付近の砂浜は、満潮時は5mにも満たないとのことです。
 湘南地域への砂の供給源は相模川とされますが、上流で行われた治水事業やダム建設の影響で、川から流れ出る土砂量が激減したと考えられています。
 砂浜を歩けず、楽しくないと感じる回数が増えたのでしょう、近ごろ七里ヶ浜に足が向かなくなったのは事実です。
 でも、何とかしてもらわないと、砂浜を歩けない島国なんて困ります……

 砂浜というのは「白砂」であるべきと、勝手な願望を押しつけがちですが、この浜の黒っぽい砂には理由があります。
 七里ヶ浜の東端付近の極楽寺川河口は、昔から砂鉄の産地とされ、昭和30年代までは「金山(かなやま)」と呼ばれる砂鉄の採集場だったそうです。
 現在でも強力な磁石で採集すると、磁石が「ウニ」のような状態になるそうですから、機会があったらお試し下さい。


 この少年は、彼が踏み台にしている石を持ち運びながら、気に入った場所に石を置いてその上に立って波を眺めています。
 彼はどんな波を待っているのだろうか。
 ひょっとして「海の向こうの異国を見てみたいのぉ〜」なら、応援します。

 七里ヶ浜という地名の由来を推測するに、われわれの認識である「1里=4km」で計算すると、7里×4km=28kmとなりますが、実際は稲村ヶ崎と小動(こゆるぎ)岬間の2.9km程度の長さになります(10分の1ってこと?)。
 鎌倉時代、関東地方では6町を1里としたそうですが、1町=約109.09mとすると、109.09m×6町×7里=4,581.78mですから、とても足りません。
 「そら、おかしいやろ!」と、諸説入り乱れているそうです。

 七里ヶ浜に面した駐車場にあるファストフード店(現在ファーストキッチン)には、海を望めるテラス席があります。
 そのテーブルにはられた「トンビに注意!」のとおり、以前何度も、トンビに襲われる様子を目にしたことがあります。
 でも、季候が良くなればロケーションはいいので、どうしたってテラスに出たくなります。
 この日は襲われませんでしたが、トンビからすれば格好のエサであると思うも、そんな脂っこいもの(ベーコンエッグバーガー?)ばかり食べてると、成人病になっちゃうよ……(トンビはカラス同様の雑食性らしい)


 交通情報等ではいつも渋滞している印象の「国道134号」は、横須賀市から大磯町までの一般国道ですが、以前は「湘南道路」とされる有料区間がありました。
 逗子区間 :逗子市新宿〜鎌倉市由比ヶ浜(1964年〜1986年)
 鎌倉区間 :鎌倉市由比ヶ浜〜藤沢市片瀬(1956年〜1975年)
 上述の七里ヶ浜に面した駐車場は、料金所跡地になります。
 鎌倉区間 は、ガキ時分の印象しかありませんが、逗子区間は実際に料金を払って通った覚えがあります。
 当時は、建設費用が回収された時点で無料化になるというシステムがあり、「まあ、しょうがないか」という意識が浸透していた気がします。
 現在そんなシステムでは、借金の金利の方がふくれあがる有料・高速道路もあるわけで、運営を国に頼らざるを得ない面もあるかと思います。
 それにしても、今回の高速道路の新料金体系案は、投げやりなどんぶり勘定で「エイ、ヤッ!」と決めたような印象を受けました。
 下げろとは申しません。便利ですから、お金で時間を有効活用させてもらっていましたが、地方ではガラガラの道がほとんどです。
 要望したのは地元民と自治体で、作っちゃったのは国になります。そんな既存の道路を作っちゃった借金は誰が払うべきなのでしょう?
 どんぶり勘定という「文化」が成り立つのであれば、「きっぷの良さ」という気性を生み出しそうですし、明るさも感じられるのですが、もうそんな時代で無いことは、国民の方がよく理解しているのかも知れません……

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