2008/11/25

空襲を免れた町──和田塚、由比ヶ浜、長谷

2008.11.19
【神奈川県】

 古都を歩くとなると仕方ない面があるとはいえ、どうしてもお寺や神社巡りが中心となってしまいます。
 とても勉強になったのですが、少々食傷気味です。鎌倉には庭園のあるお寺が少ないことも理由のひとつと思われます。
 今回はのんびりと江ノ電沿線に沿って、路地をブラブラ歩きました。


 和田塚駅 周辺(Map)

 右の建物には「THE BANK」の看板があるので、以前は銀行の建物だったようですが、現在はその名前のBarとの情報を目にしました。
 ここは六地蔵交差点で、左の通りは鎌倉のメインストリートである若宮大路とほぼ並行の、南西方向(この方角には何か意味があるのだろうか?)に由比ヶ浜へ伸びていきます。
 海に向かう道というのはどこでも、そこに広がるであろう開放的な景色への期待感から、誘惑的な光景に見えてきます。

 江ノ電鎌倉駅の隣となる和田塚駅の由来は、前回「名越切通し」でもふれた、源氏三代将軍の後に実権を握った北条氏と、ライバル関係にあった三浦一族である和田氏が戦い滅んだ場として、墓碑が設けられたことによります(付近からおびただしい数の人骨が見つかったそうです)。

 今回の移動体撮影は条件が良かったので(晴天で光の当たる場所)、シャッタースピードをできるだけ速くして撮ってみました。
 江ノ電ですから速度は遅いですが、目の前を通過する車窓に見える乗客の表情までとらえることが出来ました。
 てことは、普段利用している電車でも、ある瞬間を撮られてしまう恐れがあるということですから、ポケーッと景色を眺めていられなくなってしまいます。
 電車に乗ってるところを、車外から撮られて文句が言えるのか?
 利用目的にもよると思いますが「たまたま写っていた」との弁明が、一般通念と言われても仕方ない気がします。
 しかし今回も、思ってもいない絵が撮れたわけですから、そんなやからがいないとは言い切れませんよね。


 鎌倉文学館(Map)

 ここ文学館の紹介文に「空襲を免れた町」とありました。
 京都と同様に、そのことが現代の町の有り様を左右したことは間違いありません。
 ということは、関東大震災(大正12年)の被害から立ち直った当時の町の姿を呈している、数少ない地域になります。
 鶴岡八幡宮の裏山開発の是非を巡って生まれたという「古都保存法」(1966年)等による規制に守られたこともあり、区画整理等をされないまま現代に至ったようです。
 そこに暮らす住民たちは、ひょっとすると逆の意見なのかも知れません。
 しかし「鎌倉は不便な場所」であることを受け入れているからこそ、穏やかに暮らすことのできる場所であり続けたのではなか、と思うのですが。

 そんな落ち着きを保った鎌倉には、明治以降から文学者たちが立ち寄り(夏目漱石等)、活動の拠点とした地(川端康成、大佛次郎:おさらぎ じろう 等)が多々あります。
 そんな人たちは「鎌倉文士」と呼ばれ、東京の別荘地的な知名度UPに貢献したようです。
 確かに作品はこの地で書かれたとしても、元からの地場の伝統とされるものは、あまり見あたらない気がします(鎌倉彫、鎌倉焼)。
 鎌倉市は「武士の都」と宣伝してますが、昔の武士たちは権力を手に入れても、私腹を肥やす程度が関の山で、京都の皇族や公家などのように、後の文化となるような「道楽」に使えるようなお金もなければ、意欲も無かったのではないか、と思ってしまいます。
 江戸時代の東京には、文化と言えるモノがあったと思われますが、さて、現代の東京はいかがなものか?
 私腹を肥やす人の数が増えたのは、ある面「豊か」と言えるかも知れませんが、では「東京の文化とは?」の問いに対する答えに、何が思い浮かぶでしょうか?

 でも、現代の鎌倉には「鳩サブレー」等、全国区といえる名物を生み出す活力がありますから、これから新しい鎌倉文化の歴史が作られていくのもと思われます。


 長谷駅 周辺(Map)

 やはり多くの人が集まるのは、大仏様のご利益でしょう。大人は別としても、社会見学等で訪れる子どもたちは大仏を外せませんよね。
 今回は裏道散策で結構のんびりと歩けるのですが、道は細く行き止まりばかりで迷路のようです(嫌いじゃありませんが)。
 なかなか駅にたどり着けないおじいさんに道を尋ねられ、踏切で「駅はあそこだから、電車が行った後に線路脇を歩いて行くのが近い」と教えちゃいましたが、地元の人たちは電車を避けて歩いてますからね。
 結局おじいさんも、線路脇を地元の人の後について歩いていきました。
 江ノ電沿線には「玄関を出ると線路」という家が数多くあります。
 この地で育った人や、長く暮らしている方が多いのでしょう、当たり前の行動なのですが、脇から線路に出るときには必ず左右を確認してから、線路を渡ったり、脇の道に出てきます。
 その姿がとてもこの地らしい風情に思われ、江ノ電の走る速度と同じくらい生活のリズムにゆとりがあり、瀬戸内海の町のような落ち着きを感じさせてくれます。


 わたしを含め、何が好きでこんなに大勢の方がこの町を訪れるのでしょう?
 東京圏から「日帰りで遊びに行ける古都だから」という回答が多いように思われます。
 東国に暮らすわれわれにとって身近な鎌倉は、何度か行けば分かったつもりになれる場所であり、よく分からなくても好感の持てる場所であるような気がします。
 京都・奈良には、なかなか行けないという理由をつけて、鎌倉で「古都疑似体験」をしているのかも知れません。
 修学旅行で「見たことある!」の京都・奈良でも、それは「一度くらいは見ておくべき」という入門編でしかないわけですから、大人になってから自分の意志で是非とも歩いてみてもらいたいと思う気持ちが強くなりました。
 もう趣旨は伝わっていると思いますが、鎌倉の機嫌を損ねずに京都・奈良をどう薦めたらいいのか、鎌倉も好きなのでちょっと困りました。

 海に面した古都はここだけ、ということもひとつの魅力かと思われるのですが、海まで歩いてくる人はそれほどいません。
 江ノ電の車窓から眺められれば、それで満足なのでしょうか。
 いい雰囲気ですからねぇ(寒くないし)。


 由比ヶ浜(Map)


 この日は海からの風がもの凄く強い日で、波しぶきや、砂が舞い飛んでいました。
 平日ということもあり人影は少ないのですが、果敢なウインドサーファーたちは気持ちいいのか(キツイと思うのですが)、海の上を滑って転んでいます。
 でも、風をつかんだセールはすごいスピードでカッ飛んでいきます。
 海の上も大変でしょうが、ボードやセールを持って海岸沿いの国道を渡る人が、風にあおられる危なっかしさの方が見ていられない状況でした。


 ガキのころ、祖母や親せきと何度も海水浴に来たことがあり、そんな情景を思い出そうとしましたが、そこに面影を見いだせるほどの記憶は残っていませんでした。

 これで、鎌倉は終了になります。
 この項を書くために調べたことがとても勉強になり、鎌倉に対する認識もだいぶ変わった気がしています。
 でも、鎌倉を歩きたいと思ったとき、人の多いお寺や神社などには寄らず、比較的静かな亀ヶ谷、釈迦堂、朝比奈の切通しなどを選択する意識は変わらないだろう、と思っています。

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