2011/04/04

電力25%カットで再生を目指す ──震災後三週間

2011.4.3

 電車内には「電力不足により通常の7〜8割程度の本数で運行しています」のアナウンスが流れます。
 電力大口利用者である鉄道会社の方針をとりあえずの目安として、われわれも通常の7〜8割の電力で可能な「生きる道」を探る必要に迫られています。
 夏には昨夏の電力需要ピーク時と比較すると、約25%の供給不足が見込まれます。数字だけでも容易ならざる大きさですが、そこに社会生活の立て直しという課題が上積みされます。
 これは社会全体で取り組まなければ、到底クリアできる課題ではありません。

 気温上昇のおかげでしょう、3月最終週の計画停電が中止となったこと、不便ながらも鉄道運行への不安が薄れたこと、工場機能(石油精製・食品加工等)の復旧により物流が戻りつつある安心感等、徐々にですが東京の不便さも落ち着きを取り戻してきたように思われます。
 とは言え、最も大きな要因は「不便さへの慣れ」に違いありません。
 しかし、暑さ寒さにひと息付ける夏場までに、社会全体で電気需要についての対策を講じる必要があります。
 東京電力を筆頭に各電力会社のフル稼働はもちろんですが、消費側も知恵を絞り可能な限り節電に務め、ムダ撲滅に全員で取り組む姿勢が求められます。
 そのためにも、原発の放射能拡散を早期に封じ込め、市民の不安感を取り除くことが必要で、不便な中でも市民が生産活動に集中できる環境を整えることが重要になります。
 ──東京電力、原子力保安院には言いたいことが山ほどありますが、らちが明かないのでやめておきます。福島県浜通り地域の方には申し訳ありませんが、戻っても生産活動の再開までにはかなり長い時間が必要と思われます。できるだけ早期に、東京からのバックアップ体制を整えるようにします。

 首都圏電力消費の割合は、工場、家庭、オフィスそれぞれが3割程度なので、そこには日本人が得意とする「工夫の余地」が秘められています。
 工場では、近隣他社の工場と時間を融通し合って「7〜8割の生産力を維持しよう」という話し合いが始まっています。
 家庭でも夏場に冷蔵庫が止まるよりは、各家の冷房を控えるために昼間はパブリックスペース等で過ごすことで、消費電力を押さえられそうに思います(場所の提供も必要でしょう)。
 オフィスもいまどきは、コンピュータやインターネットが止まることを考えれば、節電に精を出すはずです。

 そこで経団連が夏場の電力不足への対策として、経済界全体で自主節電計画を策定することを決めました。そこには操業・営業時間のカットや分散化、生産シフトの見直し、夏季休暇の分散化、自家発電の活用、業界間の電力融通などが盛り込まれます。
 東北地方の壊滅、関東地方の生産力低下を「国難」ととらえ、管理機能を失った東京電力による一方的な計画停電を受け入れるのではなく、経済界が主導権を持った「自主節電計画」でこの難局を乗り切ろうとする提案で、政府もその効力を高めるための後押しをするようです。

 この動きの素晴らしさは、さまざまな業種の労働者を「ひとつの目標」に向かわせるための、求心力を目指すところにあります。
 首都圏で社会活動を行う者は皆、徒歩帰宅や物資不足を経験しており、日々その回復状況に「ありがたさ」は感じるものの、先々への不安感はぬぐいきれません。
 ですが、不便さを共有しながらも「共通の目標」が設定されれば、お互いさまながら希望を持って踏み出せるのではないでしょうか。
 それはバブル期を境に失われた「目標の共有感」を生み出し、戦後復興〜高度経済成長期のような社会の一体感が芽ばえる可能性にも感じられます。

 などと軽々しく言ってますが、「電力を25%カットされた状況で経済を維持」する義務を課せられ、「その倹約(消費低迷)分を税金で徴収し、被災地復興に充てる」必要があるのですから他人事ではないわけです。
 そのためには「戦後復興」に次ぐ「日本の奇跡」を目指そうとする「国民の一体感」が必要になります。
 そこで復活しそうなのが「美徳」という、とうに忘れ去られた概念です。
 節電・ムダの撲滅などの取り組みには、ある種のすがすがしさが感じられるので、それを「心の豊かさ」と受け止めていけば、自信と満足感を維持しながら明るく生活できるのではないでしょうか?
 これは決して自粛のススメではなく、発散すべき時はドカーンとすべきと思います(他人の迷惑にはならないように)。

 外国人は逃げ帰ったので、最初は「島国根性」丸出しになるかも知れません。でもそこから、市民が同じ目標に向かおうとする社会の空気が生まれたなら、この国にはこれまで以上に大きく化ける(変態:幼虫〜さなぎ〜チョウに形態を変える意)ポテンシャルが生まれるかも知れません。
 そこには例えば、脱原子力エネルギー→太陽光発電先進国となり、世界を牽引する等というような、夢も必要になってくるのではないでしょうか……


2011.3.26
【神奈川県】


より大きな地図で 鶴見川2 を表示

 前回の寺家ふるさと村の少し上流で、鶴見川本流(谷本川)に小田急線新百合ヶ丘駅方面から流れる麻生川(あさお)が合流します。
 また小田急線柿生駅付近では支流の片平川が麻生川に合流します。
 麻生川の源流付近の丘陵地には、東京よみうりカントリークラブが広がります。隣接してよみうりゴルフ倶楽部があるそうで、ゴルフ場が2つあること初めて知りました(関心がないのでその先は調べていません)。
 前者が1964年後者が61年開場で、当時は雑木林の丘陵地だったのでザックリと「この辺まで陣地取った」という感覚と思われますが、現在南側の斜面にはビッシリと住宅が張り付いているので、所々に巨大なボールよけのネットが設置されています。
 ゴルフ場では芝生整備に多量の農薬が使用されるイメージがあり、源流付近にそんな施設があるだけで、川のイメージを台無しにしてしまう気がします。
 ゴルフ場のある丘陵地付近が、多摩川との分水界(雨水が流れる先の川を分かつ境界)になります。


とんび池公園


 麻生川と片平川に挟まれた丘陵地帯を、小田急多摩線が走ります。
 1974年新百合ヶ丘〜小田急永山間が開業した当時の沿線には、丘陵地を切り開いた造成地が広がっていました。
 現在は住宅も建ち並んでいるので一度歩いてみようと思っていましたが、新興住宅地の見どころって? の予想通り何もありませんから花などに頼ってしまいます。
 上写真では、桜を待ち望む季節に「いまごろツバキ?」(種類によるかも知れない)と思ったのですが、ここは天気予報でも別扱いされる八王子・多摩地区ですから、結構寒い土地柄かも知れません。
 ──失礼、都内でもこの花を見かけました……


栗木御嶽神社


 新興住宅地とはいえ、古くからの農家の家並みも残されており、映画『平成狸合戦ぽんぽこ』でタヌキたちが会議を開くような鎮守様は、そこここに残されています(ここは栗木御嶽神社)。
 以前周辺では、クリやカキの木を育てていたようです。


 電車の車窓からはビッシリと家が並ぶ光景に見えましたが、奧に入ると家が建てられていない造成地がそのまま残されている場所が目につきます。
 あれから○十年も売れずに用途が考え直された場所もあり、どう見ても住宅造成地なのに「生産農地」の看板が立てられ、トラクターで土を起こしている場所もあります。
 その地区では宅地開発が失敗したことになりますが、近隣住民も空き地を利用する農家もハッピーであるとは思えません。


白鳥神社

 ここは白鳥神社で、近くの中学校からジャージ姿の生徒が家路に向かう時間帯でしたが、神社で道草を食う者は誰もいません。
 こんな事態ですから「真っすぐ帰りなさい」が徹底されているようです(そんな時にウロウロしているのは自分だけか?)。
 帰り際、桜の木の根元に布袋様(?)が置かれているのを目にしました。
 布袋は福の神として七福神(室町時代に成立)に組み入れられ、肥満の体から度量の広さ、円満さや豊かさをもたらすとされます。それゆえ手にする大きな袋には不平・不満が収められると考えたのか、「堪忍袋」とされます。
 桜の木との関係や、この場所にも特に意味は見当たらないので、今後この地域に「七福神」を設定しようとする準備なのか?


修廣寺

 この地域を歩いてみたい思いは達成したのですが、出会いの無さに困り果て予定と違う道をさまよううちにこのお寺に出会いました。
 看板のある入口は普通の脇道ですが、参道や門は質素でもそれをよけるように車道が通されることから、近隣住民によって大切に守られてきた寺院であることがうかがえます。
 山門付近には、回向柱(えこうばしら:大法要や御開帳の際に、修めた功徳を自らの悟りや、他者の利益のためにめぐらすための白木の柱)が立てられていることからも「活気ある禅寺」の印象を受けます。
 禅寺は久しぶり(鎌倉・室町時代に通じる風情を残すものとしては鎌倉の覚園寺(かくおんじ)、瑞泉寺以来)なので「ピリッ」とした印象というか、こちらのアンテナも反応するようで、興味深く見学させてもらいました。

 デマに惑わされ右往左往したり、情報に無関心で「知らなかったぁ〜」とパニックに陥る姿を見かける事態なので(職場で買い占めに走る人を止められないことも事実です)、「困った時の神頼み」の需要は高まっているかも知れません。
 家や職場を津波に流された被災地で、家を失っても力を合わせてお地蔵さんを掘り起こし、無事で良かったと手を合わせる姿をテレビで目にしました。
 生活と信仰の密接な関係が保たれる地域で暮らす人々の姿からは、自然との闘いではなく「アニミズム」(日本では森羅万象に宿る神を「八百万の神」とする信仰)のような、自然に対する畏怖(いふ)の気持ちが伝わってくる気がします……


麻生川


 小田急線柿生駅〜新百合ヶ丘駅間の車窓から見える麻生川沿いの桜並木の開花はまだでしたが、その後東京では桜が咲き始めました。
 「桜ってこんな寒い時期に咲いたっけ?」という感覚は、人間たちの心身だけが冷え切ってることの証しかも知れません。
 花見の季節は、日本人の気持ちを明るくさせるには絶好のチャンスですが、ライトアップ・ちょうちん照明の自粛で夜桜見物の人出は減りそうです。
 しか〜し! 照明のない暗闇の中でも何とか工夫して飲みたいと思う人も多いことでしょう。
 いっときだけでも思いっきり発散して、そこで工夫した知恵がその先の活動に生かされれば御の字ですから、今年の桜も存分に楽しみましょうぞ!
 でも、他人様への迷惑だけは控えないとね。
 平静時でもバカ騒ぎはひんしゅくモノ、と分かっているでしょうに……

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