2009/11/16

みんなの海──逗子

2009.11.7
【神奈川県】

 逗子の町には、隣接する鎌倉のように観光客が押し寄せることもない、静かな住宅街というイメージがあります。
 そんな住宅街だからか、駅周辺には食事どころが少なかったりします。
 何年前か忘れましたが、逗子を初めて散歩した帰りに、商店街を歩いても目ぼしい店が見当たらないので、パッとしないが最初に目に入った「ときわ軒」というラーメン屋ののれんをくぐりました。以来、逗子ではこの店になりました。
 おじいさん、おばあさんの店で、店内は広くありませんが大衆食堂といった雰囲気です。
 飾りっ気のない、むかしながらの澄んだ鶏ガラだしのラーメンですが、ふりかけたコショウとスープの相性がとてもよく、いつもスープを飲み干しちゃいます。
 見た感じ、若い世代の店員さんはいないようなので、食べられるうちに、と思っています。
 散歩の先々で、自分好みの店と出会うのは結構難しいことですが、地名からお店の味を舌で連想するのも、楽しみのひとつと思います。


 浪子不動(Map)

 逗子から鎌倉に続くシーサイドラインをドライブした際に、「あっ、海の中に何か立ってる!」と、印象に残っている方もいるのではないでしょうか。
 逆光で見えませんが、右写真の碑には「不如帰(ほととぎす)」と刻まれてます。
 明治時代にベストセラーとなった、徳富蘆花(とくとみろか)の小説『不如帰』(未読)の舞台だったことにちなむそうです。
 陸側には高養寺(真言宗)があり、古くは「浪切不動」「白滝不動」などの名で呼ばれていましたが、小説の人気から、主人公である「浪子」にあやかり「浪子不動」と呼ばれるようになったそうです。
 ──京王線の「芦花公園駅」や、近くにある「蘆花恒春園」は彼にちなむ名前だそうです。

 大潮の時には歩いて渡れるらしいので浅い海と思われますが、水上バイクがカメラのフレーム目がけて飛び込んできました。
 こちらを意識していたようにも思え、「カッコ良く撮ってよ!」てな声が聞こえてくるような、パフォーマンスでした。
 むちゃしないでね……


 披露山(ひろやま)公園(Map)

 浪子不動からハイキングコースを登ったところに、展望の開けた披露山公園があります。
 山の反対側の峠道にはバス停があるのですが、そこからも急坂を登った印象があるので、今回はゼロメートルから挑みました(標高93m)。
 頂上付近には駐車場があり、車ならあっという間ですから、子ども連れの家族が多く見られます。


 大きな電波塔が立っていることからも、経緯は想像できますが、戦時中には砲台が置かれていた場所になります。
 ここの砲台は何を守るのか? と思いますが、戦時中まで日本軍が使用していた池子弾薬庫(現米軍池子住宅)など、横須賀や横浜に点在していた軍事施設を守ろうとしていたのではないでしょうか(軍隊は軍隊を守るためにある、のです)。
 砲台の台座は、大砲の回転のため円形になっていますが、現在その跡地は「円形の展望台」「円形の花壇」「円形の猿舎」として、平和利用されているようです(逗子市の自慢だったりするのかな?)。


 この披露山と下記の大崎公園の間には、豪邸が建ち並ぶ披露山庭園住宅が広がっています。
 1965年にTBS興産が開発したことから、地元ではここを「TBS」と呼ぶんだそうです。
 ここを「日本のビバリーヒルズ」と称する向きもあるそうですが、各豪邸の敷地はとても広くオープンなので、建築物や庭園をアピールしているようにも見え、ちょっと他にはないと、口があんぐり開いてしまうような光景です。
 境界に塀を建てない決まりがあるそうですから、ほとんどの世帯が「セコムしている」そうですが、監視カメラらしきものは見あたりませんでした(どこから撮ってるんだろう?)。
 調べてみると、部外者の車両は進入できないよう、地域全体が「セコム」されているそうです……(宣伝ではありあせん)
 有名どころでは、みのもんた、反町隆史・松嶋菜々子夫妻、小田和正、松任谷正隆・由実夫妻らの、家や別荘があるそうです。


 大崎公園(Map)


 以前、あじさいの名所とされる披露山・大崎公園を訪れたことがあり、人出も少なく、とても好印象が残っていました。
 ですが今回は、花の助けもなく(楽しむこともできず)黙々と坂道を登るばかりだったので、季節でこうも印象が変わるものか、と思い知らされました。
 あじさいの花は放置しておくと、ドライフラワーのようにいつまでも花の形を保っているようです。

 見晴らしのいい日には、ここから江の島越しに富士山を望めるそうですが、今日もNG。
 こちらの意識としては、三浦半島西海岸のどこかで富士山の写真は撮れるだろうと思っていましたが、これだけ歩いても拝めないのですから、貴重なものだと再認識させられます……


 小坪(Map)

 現在では、山の上は披露山庭園住宅として開発され、海辺は下記の逗子マリーナとして埋め立てられたので、陸路は整備されましたが、以前のこの地は、陸の孤島的な地区だったのではないでしょうか。

 右写真は、天照皇大神(あまてらすすめおおみかみ:太陽の神、皇室の祖神のひとつ)を祭る、天照大神社(てんしょうだいじんじゃ)の参道になります。
 披露山住宅から急勾配の坂道を下りた所に、この階段があり登ってみれば、神社の背後には住宅街が広がり、子どもたちが道路でサッカーをしていました。降りて登っただけでした……
 がけ下の小坪側から見ると、右写真のような雰囲気がありますが、住宅地側から見ると神殿の背後が目の前に見えてしまいます。
 住宅地として開発されるまでは、神聖な地とされていたのではないでしょうか。

 社殿の修復を計画しているようで、寄付名簿には後にも先にも「石原慎太郎 金50万円」だけが張られてありました。
 土地の名士がいい顔したくて「まず、オレの所に持ってこい」と言ってそうにも思えます。
 でもそれが慣例になると、みんなが詣でて来るので断れなくなるという、政治家が抱える悪循環になるようにも思われました。


 神社の階段から海を振り返ると、上写真のような光景(逗子マリーナ方面)が見えます。
 部外者のわたしは「いい雰囲気じゃん」と感じたので、シャッターを切りましたが……
 以前は岩場が広がっていた海岸に、ヤシの木とマンションが立っているわけですから、地元の人々がそれを望んでいたとは思えません。
 地元への恩恵は、道路の確保と、堤防で釣りができるようになったくらいか?(でも、シラス等の直販店を見かけました)。
 自然が残された場所では「何にもなくてイイところ」との表現も使いますが、ここが岩場だけだったらシャッターは切らなかったかも知れません。
 難しいですね……


 ここは大崎の岬付近で、断崖が続くので陸路はありませんが、サーフィンのポイントとしては人気があるようです。
 上述の浪子不動のある、逗子海岸側でも見られましたが、ここにもサーフボードの上に立ち、オールをこいで移動するサーファーがいました。
 しばらく観察していると、長距離や、流れの速い海域を移動するために使用しているように見えました。
 確かにここまで、手でこぐパドリングで来るのは、それだけでバテちゃいそうです(海に入る砂浜からは結構遠い)。
 ですが、せっかく波に乗っても、オールは手放せませんから、あまりカッコイイ姿には見えませんでした。

 近くには、小規模ながら小坪マリーナがあり、ダイビングショップも併設されていて、ちょうどお客さんが船から上がってきました。
 この辺の海でも、透明度あるの? どの辺で潜るのだろうか。


 小坪漁港では、日中の漁に出るのでしょうか、土曜日の夕方近くでも港付近には、漁業関係者が多く見られました。
 写真の様子は、どうも船の修理をしていたようです。

 この場から振り返ると、ヤシの木が並木になっている、逗子マリーナのマンション群が並んでおり、前方と後方では、まるで異質な空間が隣接することになります。
 ですが、港には漁の活気がありますし、バーベキューする漁師グループもいました。
 海を生活の糧にする人々と、遊び場とする人とは確かに違いますが、海を必要とし楽しみたい(大漁を楽しみにする)気持ちの根底には、「畏怖(いふ)」や「あこがれ」という、人間が持つ共通の潜在意識があるのではないでしょうか。
 そんな願望を手助けし、「みんなで海を楽しみましょう」というコンセプトの施設であるなら、理解できると思います。
 問題は、利用料金です……


 逗子マリーナ(Map)

 ここは1971年に、セゾングループ系列の西洋環境開発が、鎌倉霊園造成工事に伴う残土で岩礁を埋め立て造成したそうです。
 ここには、分譲マンション、ヨットハーバー、結婚式場、レストラン、プールなどの施設が並びます。
 この日には、結婚披露パーティがいくつも開かれていたようです。
 東京の人にはちょっと遠いかも知れませんが、思い出に残りそうな場所です。
 今年の夏から、イルカとの交流ができる「ドルフィンブルー」という施設が開設されました。
 入ってみたいと思ったのですが、ドルフィンハグというプログラムは、6,300円するそうなので、気分も萎えてしまいました……


 写真右奧に「江の島が見え〜てき〜た♪」(サザンオールスターズ『勝手にシンドバッド』)ので、もう湘南ですから、三浦半島巡りは終了となります。
 でも、その「湘南」とは、どの地域を指す名称でしたっけ?
 神奈川育ちとしては、平塚、茅ヶ崎、藤沢、大磯あたりをイメージしていました。
 そこで、自動車の「湘南ナンバー」交付地域を調べてみましたが、藤沢市以西の地域が対象で、箱根も含まれるんだそうです。
 やはり明確ではなく、判断基準は自己申告のようなので、わたしも「湘南ボーイ」だったと言えるかも知れません……

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