2008/11/18

武力は権力を守るために──名越切通し、材木座

2008.11.14
【神奈川県】

 法性寺、大切岸(Map)

 ここは、鎌倉を三方から守る尾根の南東側を越えた山の裏側に位置し、現在の区分では逗子市になります。
 前回ふれた「松葉ヶ谷の草庵の夜襲」の際、日蓮が山王権現(滋賀県坂本にある日吉大社の別名で、全国の日吉・日枝・山王神社の総本宮。日蓮が修行した延暦寺の守護神)の化身である白猿に導かれ、たどり着いたとの伝説が残るお寺です。

 この日は逗子駅からの行程で、市街から横須賀線の鎌倉へ抜けるトンネル方面の尾根付近を見ると、帯状に岩肌が露出している屏風岩のような光景が目に入ります。
 「大切岸」(おおきりぎし)という、山肌を削って作られた砦のような防衛施設だそうです(写真は境内にあるお墓の脇)。
 これは、源氏将軍三代の後に実権を握った北条氏と、三浦半島の衣笠城を拠点としていた三浦氏が敵対関係となったため、防御施設として築かれたそうです(要するに権力抗争です)。


 名越(なごえ)切通し(Map)


 鎌倉七口のひとつに数えられ、当時は戸塚から浦賀へ続く浦賀道だったそうです。
 ここは前述の大切岸の近くにあり、同様に防衛施設の様相を呈しています。
 写真のように、あまり広くない通路部分の両脇の高台には「平場」と言われる平坦な場所が作られていて、そこから進入してきた敵をねらい打ちするという設計だったようです。
 また、右写真のように通路の真ん中に「置石」という障害物を設置して、馬の進入を妨害したそうです。
 よくもまあ知恵が働くものだと感心してしまうのですが、都の防衛に必死だった姿勢がうかがえます。
 武家の政権ならば当たり前かも知れませんが、力で天下を取った者は、力でしかそれを守れない、と白状しているようなもので、そんなTopが行った政治状況では、庶民の暮らしが豊かだったとは思えません。
 生活に窮した庶民の思いを代弁してくれたのが日蓮だとすれば、人々が日蓮宗にすがらざるをえない不遇な時代に生きた痕跡を、うかがい知れる地域であるように思えてきます。


 材木座周辺(Map)


 住宅街の玄関先の路地(通りから奥まった家まで細長い路地が伸びています)に咲く小さな花ですが、近寄ってみるとミツバチが群れていて、ブンブンと盛んに羽音が聞こえてきます。
 晩秋にミツを集めるには花も少ないので大変だろうし、冬はどうしているのでしょう?
 成虫は10度以下では生存できないので死に絶えてしまい、卵やさなぎだけが越冬できるのだそうです。
 だとすれば、彼ら自身、個体としての最後の活動が近いということになります。
 そんなミツバチの姿から、TVドラマ「風のガーデン」の養蜂家(ガッツ石松一家)を想起しておりました。
 ついでに脱線しますが、先週(11月13日放映)の、身勝手な父と純粋な息子が再会するシーンの「天と地ほどもある意識の次元の違い」を表現する倉本聰さんの脚本は見事だなぁと、感心しました。
 ──緒方拳さんの姿を見ておきたいのと、「テレビは最後だ」と言う倉本さんにケチつけようと思っていたのですが……

 右上写真は来迎寺(らいこうじ:真言宗→時宗)門前にあるミモザの木です。
 花の季節は早春だそうですから少し準備が早いかと思われますが、紅葉が始まるころの若草色が目にとまりました。
 頼朝の挙兵に加わり奮戦した三浦義明を弔うため、頼朝が建てたお寺だそうで、その時節の鎌倉方と三浦氏は仲良かったようです。

 右写真手前は枳殻(からたち)、もしくは近しい種類の実と思われます。茎には見覚えのあるトゲがあります(奧はカキ)。
 近ごろあまり見かけないと思うのですが、この辺りではその黄色い実をよく見かけます。
 植えられた当時の家が残っているからなのか、日蓮宗寺院が多い土地柄の理由があるのか、現代人が利用しなくなってしまった活用法があるのか、なんて言ってると、みのさんたちがやって来そうです。
 ──種が多く、酸味・苦味が強いので食用とはされないものの、果実酒に使われたり、未成熟の実を乾燥させて生薬とするそうです。余談ですが、オレンジとカラタチの雑種に「オレタチ」があるそうです。

 ここ五所神社の主のようです。
 ちょっと前まで新聞配達のおっさんの、毎日のあいさつ(?)を受けてゴロゴロしていたくせに、いなくなった途端に境内の真ん中に座り、参道をにらみはじめました。
 神社の主というような意識ではなく、日なたに出たかっただけなんだろ? 
 五所神社は、明治時代に乱橋(みだればし)村と材木座村が合併した際、三島、八雲、諏訪、金比羅、視女八坂(みるめやつざか)の5つの神社の合祀(ごうし)からきた名称だそうで、6月には材木座の海で禊ぎを行なう例祭、別名「乱材祭」(みざいまつり:合併の村名に由来)で知られているそうです。
 祭りに繰り出すおみこしの収納庫の扉が開いています(手で触れる状態)。
 そうか、猫はそれを見張っているんだ!


 光明寺(Map)

 ここは、浄土宗の寺院です。
 この周辺は日蓮宗寺院ばかりで、日蓮の銅像や「南無妙法蓮華経」の石碑ばかり見ていた気がするので、少しホッとできた気がする、なんて言ったら怒られるでしょうか。

 何だか久しぶりに石庭を見た気がするのですが、作りは立派でも、どうも気合いが入っているようには思えません。
 中から全景を拝することできるのですが、掃き清めた白石の模様が猫かなにかに踏み荒らされたままになっていました。
 日なたの見学用の長いすでは、猫が無防備な姿で昼寝をしています。
 京都の石庭は、動物をシャットアウトしているのか、毎朝手入れをしているのか不明でもピシッとしていましたが、ここは明らかに放置されているように見えます。
 ここは禅宗ではないから、猫に「喝!」は入れられないのだろうか?


 和賀江島(Map)


 和賀江島とは、国内で初めて作られたと言われる人工港(桟橋)です。
 開府直後に作られてから、1800年くらいまで使用されていたようで、大陸からの船も立ち寄ったそうです(以前「使い物にならなかった」と書き、失礼しました)。
 材木座とは、この港から鶴岡八幡宮の改築などに使用される木材が運び込まれたことなどから、材木を扱う商工組合(座)があったことに由来するそうです。
 現在でも、干潮時には石積みの基礎部分を見ることができるのですが、あいにくこの時は潮が満ちていました(石碑も裏側からしか見られませんでした)。
 材木座海岸はウインドサーフィンが盛んで(一度やったことありますが、実に気持ちイイ)、夏の季節には光明寺あたりの町中でもビキニ姿の女性がビーチサンダルでかっ歩しており、驚いたことがあります。


 逗子マリーナ(Map)


 古都の景色から一転してリゾート的な景色になりますが、前述の和賀江島から徒歩5分程度で逗子マリーナにたどり着きます。
 和賀江島も当時としては相当な大事業だったと思われますが、ここは現代サイズの大規模な埋め立てによるものです。
 この埋め立てには、鎌倉霊園(朝比奈切通しの山の上)の造成による残土が使われたそうで、当時は一石二鳥だなんてはしゃいでいた様子が思い浮かびますが、バブル崩壊時にはオーナー捜しが大変だったようです。
 ここにあるのは、分譲マンションとマリーナ(港湾施設、結婚式場等)ですから、どうも利用する機会が見つけられずに、海を眺めていたりします(右下は江ノ島)。


2008.11.11 大琳派展──東京国立博物館【東京都 上野】

 所蔵しているお寺(京都・建仁寺)に行っても見ることが出来ない「風神雷神図(国宝)」を見ておこうと出かけました。
 1枚目の「槙檜図屏風」(俵屋宗達筆、石川県立美術館所蔵:金箔に墨で描かれ、汚れと思われるくすんだ色合いが印象的)を見た途端に「各地に散在している絵が一同に見られる美術展っていいなぁ」ですから、現代人的な横着さが目覚めてしまいました(人出もすごいのですが)。
 目的であった「風神雷神図」は、ピンと来なくてちょっとガッカリなのですが、俵屋宗達(たわらや そうたつ)の他の作品はインパクトのある絵ばかりで、このような企画展が数多く開かれる東京近郊に住んでる人は得だよなぁ、などと思ってしまいます。
 でも、国宝や重要文化財となれば保存や展示環境の問題もあるので、行っても見られないもの(風神雷神図はレプリカしか見られません)もあるわけで、確実に見ることが出来る美術展とは、実に経済的であります(それを文化的と言えるのかぁ!!)。

 時間があったので、同じ敷地内にある「法隆寺宝物館」をのぞいてみると、仏像やらお面やらがズラーっと並んでいます。
 これらは、明治時代に天皇に献上された納宝物だそうですが、時まさしく廃仏毀釈(はいぶつきしゃく:仏教排斥運動)の最中で、文化財保護のためのやむを得ない措置であったと言われています。
 いい状態で保管しながら、ひとりでも多くの人に見てもらうため、地価の高い場所に立派な建物を作って展示する必要や価値も理解できるのですが、それもやっぱり東京じゃないといけないんでしょうか?
 「天皇のいる東京でこそ」という論理であるならば、国の形は維持できても、文化の継承〜発展を妨げやしないだろうか?
 これらの宝物群は法隆寺の地で見てこそ、と思うのですが……
 ──岡本太郎作「明日の神話」の公開が渋谷駅で始まりました。一日30万人が利用する公共の場においての公開ですから、その効果を否定できるものではありません。

 法隆寺宝物館の壁面には、ドイツ産の石灰岩が使われており、そこには化石が多く含まれているように見受けられました。
 詳しい方がいらしたらレクチャーを聞かせてもらえないでしょうか。
 受付のお姉さん全然関心がないみたいだったので……

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