2008.12.1
【神奈川県】
「紅葉」は秋(10〜11月)の季語だそうですが、散り残った紅葉は冬の季語になるのだそうです。
盛りを過ぎた風情を見つめる感性に対して、季節に線引きをすることも、ひとつの季節感なのかも知れません。
確かに季節感というものは、先取りしようとする傾向があると思われますが、冷え込みの早い京都でも紅葉の見ごろは11月末でしたから、数十年後には正月の季語になっているかも知れません……
日本大通り(Map)
昨年秋の京都に飛び込むまで、人込みが嫌いなわたしには「紅葉を楽しむ」などという習慣はありませんでしたが、そのインパクトに動かされて年中行事になりそうというか、したいと思うようになりました。
テレビで「○○では紅葉が見ごろをむかえています」等の情報を耳にして、最初に思い浮かんだ横浜のイチョウ並木から歩いてみました(神宮外苑はとりあえず避けました)。
横浜港へ向かう「日本大通り」のイチョウ並木ですが(立ち位置は横浜スタジアムの入り口)、思ったより短く並木道としては中途半端な印象です。
山下公園沿いの並木の方が長いのですが、太陽位置の関係でビルの陰になってしまい断念。
イチョウ並木は、またの機会にでも。
──週末の嵐で散ってしまったそうな……
三渓園(Map)
紅葉を求めて京都にやって来ました!
そんなわけもなく、夏に来た横浜・本牧の三渓園を再訪したのですが、神奈川県内には近場の紅葉スポットは、鎌倉をのぞくとほとんどないようです。
写真を見ればお分かりのようにまだ「色づき始め」で、東京圏では温暖と思われる横浜からスタートしたのは、どう考えても間違いでした(くやしいので、次回の課題とさせていただきます)。
とはいうものの園内には、期間限定で公開される施設・区域があるので(前回非公開)、行ったかいはありました。
わたしの写真ではよく目にする構図ですが、臨春閣(紀州徳川家の和歌山から移築)という建物の玄関からの光景です。
来客をもてなすため、庭の借景を念頭に入れ設計(もしくは見え方を考慮した庭の設計)されたデザインになります(日本家屋では、切り取るフレームはどうしても長方形になってしまうので、円形の窓等を作りたくなったりするのでしょう)。
そのように「もてなそう」と考える人が多いということは、それがよろこばれたことになりますから、同様な構図の写真群からも、わたしたちの感性が反応する「雰囲気」「空間」「風情」(このリンク先は単なる思いつきですが、これを探そうと振り返ってみると、素晴らしい場所を歩いてきたことに、今さらながら気付かされます)というものの正体が見えてくるのではないか、という気がします。
とはいえ、庶民の家でまねられるわけもなく、代替として生け花などで季節感を表現しようとしているのだと思います。
そんな日本流のもてなし方を魅力的と感じるわたしたちは、それを文化として伝えるために、さて、どうしたらいいのでしょうか?
うちにある季節を感じられるモノと言えば、沖縄の風景カレンダーしかありません……
上写真は聴秋閣といい京都・二条城からの移築とのこと(個人的には、銀閣寺を思い浮かべました)。
右は春草廬(しゅんそうろ)という建物で、織田有楽斎(おだうらくさい:信長の弟で利休の弟子)によるとされる茶室があり、京都・三室戸寺から移築されたそうです。
この庭園の印象としては、あちこちから買いあさった建造物等を集めた成金趣味的な庭園(でもスゴイ!)なのですが、茶室等は一般に貸し出されており、きちんとした社会貢献的事業として運営されているようですから、創始者の意志は受け継がれているように思われます。
機会があれば、和服を着て茶会などに出席して「風流じゃのう」くらい言ってみたい、とは思うのですが……
今回でカメラの枚数カウンタが「0」に戻りました。
2006年11月に購入したので、2年で1万枚撮ったことになります。
これは、何枚撮ろうが現像・プリントしなければお金が掛からない、デジカメだからこそできたことです。
そう考えれば気軽に撮れますし(でも、整理しないとね)、同じ散歩コースでも、カメラを持っていると1.5倍くらい時間が掛かるので(=それだけ歩き回っている)、健康的とも思われますのでみなさんも是非!
気に入った作品が撮れたら、是非見せてください。
今年の紅葉は「場所を特定できるモノ」(手がかりとなる対象物を含む写真)を、テーマにしようと考えているのですが、どこまでできますか……
2008.12.6
米原子力空母 ジョージ・ワシントン(GW:George Washington)
──横須賀(Map)
原子炉を積んだ空母というものを、一度くらいは見ておかないと反論の根拠にもできない、との動機で足を運びました。
確かに大きいのですが、サイズ的には想像の範囲内と思われました(アメフトは可能でも、野球は無理そう→縦長で横幅は広くない)。
甲板に立ちましたが、その場からイラクのキルクーク攻撃に戦闘機が飛び立ったという、リアリティが感じられません。
この空母自体が「兵器」であるのに、わたしには映画『トップガン』等の、撮影用セットのように見えてしまいます。
後から考えれば、原子炉まで百メートル程度の距離まで接近していたわけですが、そんな気配すら感じさせぬように覆い隠すこと、見事に成功しているように思われます。
一般企業でも、外部の人を案内する場合には、都合のいい(売りになる)場所しか案内しない「会社の事情」と同様(?)に思われました。
そこで問題なのが、わたしたちの意識です。
近くにいたおばさんがいろいろ説明してくれます。
「着陸してきた飛行機をここでゴムに引っかけて止めるのよ」
→正解:鋼鉄のケーブル。
「ここで離着陸すると、近くの家はうるさいでしょうねぇ」
→正解:こんなところでやるかい! 沖合で発・着艦するが、厚木基地(岩国に移転? したとしても)等、陸上の離着陸訓練基地周辺が騒音被害を受ける。
実際の戦闘状況等を、テレビメディア等で見て理解しているつもりでしたが、現物と対面してもリアリティを感じられない「平和ぼけ」状態であることに気付かされました。
さてそれは、どうすれば修正できるのだろうか?
経験しなければ学べない存在ではありますが、現前するモノは、これまで日本が経験した戦争から語られてきた証言とは、次元すら違ったものに見えてしまう恐れを感じます。
「ハァ、立派なもんだ」と感心する、戦時を経験したと思われるおばあさんが見学に来ていました。
その心中は想像するしかないのですが、「相手を褒める」(尊重する)姿勢をお互いに持てたならば、「こんなもんを使わないでくださいよ」と嘆願する必要もなくなるのではないか、とも思われます。
しかし現実には、そんな考えでは甘いこと、理解しているつもりなのですが……
上写真:着艦時、多くの戦闘機がこすったと思われる場所は、表面の滑り止めの塗装がはがれていました。
帰り際のJR横須賀駅近くで、制服の海上自衛隊員たちが着飾った彼女・女友達・家族(ほとんど女性)同伴で、基地方面へ向かう流れとすれ違いました。おそらくクリスマスパーティ(?)が開かれると思われます。
野郎どもはみな破顔状態(何をそんなに? と思うほど)ですから、彼らにとっては晴れの舞台なのでしょう。
そんな「いい光景」が、毎年無条件に繰り返されると思い込んでいるわたし(衝突事故を起こした彼らもそうではあるまいか)は「平和ぼけ」と言われてしまうのかも知れません。
しかし、仮に百歩譲ったとしても、東京湾に原子炉持ち込みを認める日本政府のアメリカ依存姿勢には、自立心(自ら国や首都を守る姿勢)を欠いているように思えてなりません。
ならば米軍に文句を言う前に、アメリカに頼らずに自衛する方法の確立が必要であること(平和主義も選択肢としてある)、理解しているつもりでいるのですが……
そんな態度こそが「平和ぼけ」の根源なのかも知れません。
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