2011/08/01

若い汗は「サラサラ」と感じる場面──武蔵小杉

2011.7.16
【神奈川県】

 台風に続き今度はゲリラ豪雨と、歯止めのきかない「極端な気候」が日常化した昨今は、気の休まる間がありません。
 そんな不安定な気候の中、東京の気温だけに限れば、猛暑日も限られ「むかしの夏はこんな感じだった」と、「夏の記憶」をたどるゆとりを与えてくれます。
 梅雨明け10日は猛烈に暑かったものの、台風が来てクールダウン、豪雨でまたクールダウンと、むかしの夏も台風や大雨で被害を受けたにしても、暑さはそこでひと息つけた気がします。
 近ごろでは夏のプールで唇が紫になる(ガキ時分の経験)ような陽気は、まるっきりなかった印象があります。
 暑さ一辺倒で「夏の間の季節感」のメリハリもありませんでしたが、この夏の気温だけには「懐かしい夏の肌ざわり」があるように思います。
 とは言え、これから8月ですから、気を引き締めて……


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西明寺(Map)


 等々力緑地へ向かう途中、以前にも立ち寄った西明寺入口付近の様子が変わっていることに驚きました。
 付近は江戸時代徳川将軍家の「小杉御殿」(鷹狩り等に利用された宿泊施設)があった場所で、現在もわずかながら面影が残される地区です。
 付近でとても印象に残るのが、西明寺参道へと向かう中原街道が入口付近で鉤(かぎ)状に折れ曲がり続く形状です。
 将軍が訪れる地への外敵進入を防ぐ作りとされますが、現在の街道を往来する車もしっかり足止めを食らう渋滞地区となっています。
 渋滞は困るが、歴史の名残を感じさせてくれる場所に違いありません。
 そこに、曲がり角をショートカットする方向に整地された空き地が伸びています。あらあら、町並みを壊すとは思い切ったことを……

 歴史と共存する開発か、さら地の再開発かの判断は、どこかの時代で求められるにしても、その我慢できない飽和点が現代に訪れたことを(存続への意志が弱まった時代と思われる)、後の時代に伝えられる形で記録する義務があるように思います。
 これで地元自慢が半減するような気がします。地名だけ残ってもねぇ……


 お寺の池はとても狭く(10m四方も無い程度)こんな池でヒナが育てられるのか、という環境で子育てをするカモの家族です。
 上写真は、彼らを追い回すうちに親鳥が岸に上がってしまい、ヒナの力では上がれない状況に追い込んでしまった様子です。ゴメンね……(すぐに親がくわえて引き上げていました)
 でもこんな狭い場所では、カラスやネコに襲われたら親でもヒナを守れないのではあるまいか?
 子育ての環境を含めて、子孫を残すために苦難を乗り越えねばならないのは、人間と同じなのでしょう。


等々力緑地(Map)

 ここは川崎市営の施設で、陸上競技場、硬式野球場、テニスコート、プール、とどろきアリーナ等の施設があり、陸上競技場はJリーグ「川崎フロンターレ」のホームグラウンドになります(Jリーグ発足時の1993年から2000年まで「ヴェルディ川崎」がホーム使用)。


 梅雨明け直後のあきれてしまう「日差し」「暑さ」の中で、全国高等学校野球選手権神奈川大会が行われています(その結果、横浜高校が代表に)。
 大会の頂点である甲子園ではもちろんのこと、地区予選球場の現場に接すると「夏の国民的行事」のすそ野の広さを実感します。
 甲子園に注がれるエネルギー量のすさまじさには毎回感心しますが、そこに至る地方大会で流された関係者・応援の汗をトータルすると、驚愕するような代謝が行われたことになります。
 そんな活動を計測する目安(単位)があれば、国内大会ではギネス級になるのではあるまいか?(国際大会ではオリンピックやW杯がある)

 自分の高校当時は、何かの理由で在籍校の応援に行けなかったのですが、今さらながら行っておくべきだったと……

 上写真は、試合に勝利した学校のブラスバンド部(?)です。
 普段町中で大きな楽器を運ぶ姿を目にし「演奏のためとはいえ大変そう」と感じる対象が、大挙して押し寄せる姿を目にすると、練習を含めた彼らのエネルギー消費量も大変なものだろうと思ってしまいます。
 でもあの年代の回復力は驚異的ですから、「疲れてもうドロドロ…」も一晩寝た翌朝にはケロッとして練習に向かったものです。

 汗くささしか思い浮かばない部活の思い出ですが、外野の視点から見ると野球部員を含め、何て「サラサラ」した汗なのだろうと、美しいモノを見るような気持ちにさせられます。
 年齢や生活習慣から「血液ドロドロ」が避けられない身には、「輝かしき年代」と映るのでしょう。
 女子も男子も懸命に立ち向かい、勝敗は別にしても成し遂げた後の無邪気な姿を「カワイイ」と感じてしまうオヤジは、また来年も立ち寄ってしまいそうです。
 でも、そんな姿が人間社会の営みであり、世代の上下や横の広がりをつなぐ「マトリックス:核」を共有する大切さを、再認識する年齢になったのかも知れません……

 右写真は隣接の陸上トラックで、ウォームアップしている姿です。
 改修直後の競技場は、まぶしいほどのコントラスト(芝の緑、トラックの赤、外側の青)でしたが、いい感じになじんできたように見えます。
 道すがら「トラック&フィールド」(解釈に細かくこだわる向きもあるようだが、陸上部でいいじゃん!)と染められたTシャツ姿の高校生を見かけたので、競技場では大会・記録会が開かれていたようです。


 同敷地には川崎市民ミュージアムがあり(1988年開館の博物館&美術館の複合文化施設)、その前に「トーマス転炉」が保存・展示されています(旧日本鋼管から寄付)。
 製鉄について知識のない者は「炉=溶鉱炉」となりますが、「転炉」とは、製鋼過程で使用された不純物を取り除いて鉄鋼にするための設備のようです。
 これは、世界で唯一保存されているトーマス転炉だそうで、工業で発展してきた川崎市の遺産になります。

 その背後には、付近に広がっていた工場の敷地を再開発し、新たな「売り」にしようともくろんでいる、武蔵小杉の高層ビル群が並びます。
 現在見えるビル群を第一期工事とするならば、第二期工事では東横線の駅に面した両側の再開発が進んでいます(中原区役所周辺の再開発も始まっています)。
 まだこの後も東京機械の工場跡地が控えるので、ホコリっぽさはしばらく続きそうです……


泉沢寺(せんたくじ)(Map)

 これまでも等々力緑地散歩の際は、すぐ脇を流れる二ヶ領用水(にかりょうようすい)沿いをよく歩きましたが、大きな木のある寺の印象があるも立ち寄ることはありませんでした。
 以前訪れた「尾山台の傳乗寺は、川崎の泉沢寺と九品仏浄真寺の中間拠点とされた」と知り、引き寄せられました。


 この寺は以前、東京都世田谷区千歳烏山にあり、世田谷吉良氏の菩提寺でしたが、焼失のためこの地に移されたそうです。
 その吉良氏のイメージには、広く知られる「赤穂浪士の敵役:上野介(こうずけのすけ)の家柄」から、偉ぶった印象があり調べると、室町幕府の足利氏が途絶えたとしたら、関東出身の武家から代わりの将軍を立てられる家柄は吉良氏、という名門なんだそうです。
 なるほど、世田谷だけでなく多摩川の対岸にも影響力があったことから、この寺が最先鋒の要塞として水堀が作られた理由も理解できる気がします。
 二ヶ領用水はこの区間で、その旧水堀を利用しているようです。


 上述の学習から地図を見て思ったのは、江戸時代の小杉御殿および中原街道は現在の西明寺門前で鉤状に屈曲しますが、その延長上には以前からあったと思われる泉沢寺が存在するので、この寺の影響もあったのではないか? という想像です。
 少し視野が広がったように感じましたが、その先はまたの機会にでも……


 地元での明るい話題といえば、Jリーグ「川崎フロンターレ」がここ数年上位にくい込んでいることではあるまいか?
 年に20回程度のホーム試合ですが、その当日はホーム・アウエー双方のユニホームを着たやからが駅前(バス待ちの列)や歩道(町中を歩く列)にあふれますから、地元の店舗は「さぁ、いらっしゃい!」と気合いが入ります。
 日数は少なくとも、活気があることは張り合いにできるのではないでしょうか。

 ちょうど試合があったので、そんな盛り上がる様子を何か撮れないかと三脚担いで夜間撮影に向かいました。
 スタジアムを一周して撮影場所を探してみると、ホームレスがたむろする裏手からの光景がちょうどよかったりしたので……(左側は月)

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