2011.2.12-13
【神奈川県】
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奈良川(2月12日 土曜日)
連休初日から雪が降る空模様に「今週は出かけられないか?」と思ったものの、訪問予定の農地が広がる光景を思い浮かべ「雪景色の田んぼが見たい!」と盛り上がり、小雨の中を出かけましたが、雪などどこにも残っちゃいません。
盛んに降ったものの、ここまで跡形も無くなるとは、読みの甘さというか、雪慣れしていない都会っ子の空騒ぎとなりました……
現在位置は、鶴見川支流の恩田川(JR中山駅付近で合流)沿いを上流に向かい、そのまた支流(梅田川・岩川等)で道草を食ったところです。
この日は、JR横浜線十日市場駅から恩田川沿いに歩きましたが、東急こどもの国線の手前で支流の奈良川が合流しており、またそこで道草です。
奈良川の上流には「こどもの国」がありますがこの日は断念し、こどもの国線恩田駅で引き返すことにします(恩田川の由来とされる以前の恩田村は、かなり広かったそうです)。
特に駅の入場券やスタンプを集めるわけではありませんが、展望台や道の駅などでも、妙に絵や雰囲気が印象に残ることがあるので、「経験してない者には語れない」との精神で、立ち寄るようにしています。
とはいえ、1時間に3本の列車をホームで待つのは寒いので、駅近くの徳恩寺を見学しましたが、残されている雪はこんな程度というオチでした。
田園風景の中では鉄塔がランドマークとして目につくので、看板をのぞいてみると「橋本線」とあります。
仲町台付近の港北変電所から、池辺富士、川和富士付近を経由し、ここを通っています。
地上の土地利用には関係なく伸びる送電線をたどると、道なき道を歩くことになるので、さまざまな苦労話が生まれそうですから、それもおもしろそうと思ったりします。
帰りの田園都市線の車窓から目に入った気温表示板には「3℃」の数字。そりゃ寒いわけだよ……
こどもの国(2月13日 日曜日)
何で条件の悪い昨日に出かけたかといえば、この日は仕事の可能性があったためですが、休みと決まり天気もいいので昨日のリベンジに足を運びました。
関東では連休の最終日にようやく晴天となったので、施設の駐車場には多くの車が並んでいます。
子どもたちにせがまれるのも理解できるので、混雑を覚悟しましたが思ったほどの人出はありません。
どこへ行ったのかといえば、季節柄スケートリンクが混雑していたようです。
幼児くらいの子どもたちが遊びでスケートするならば、ここは比較的安価なのかも知れません。
スケートをやっていたのはガキの時分だけですが、冬のスポーツはスケートという「時代」だったようにも思います。
小学生時代から、フィギュアスケートをやっていた同級生の女の子がいて、彼女が持っていた「白いフィギュアスケート靴」がとてもまぶしかった印象があります(彼女はここで滑っていました)。
確かに、男子たちも「ハーフスピード靴」を持っているヤツはいましたが、それは比較の対象になりません。
というのも、札幌冬季オリンピック(1972年)の女子フィギュアスケートで銅メダルの、ジャネット・リンが注目を集めた時期なので、ガキの目には「白いフィギュアシューズ=リンさん」(当時は「ちゃん」ではなく「さん」と呼んでいた気がする)というイメージがあったのかも知れません(いまどきは、YouTubeで当時の演技を見られるんですね。見た映像には転倒シーンはありませんでした)。
そう考えると、小学生時代から彼女は見事にトレンドを取り入れていた、ことになるのでしょう……
写真に「しがみつき系」が並びましたが、上はフリークライミング(道具を使わない人工壁)の施設で高さは3m弱でしょうか、男女を問わずチャレンジャーは多いようです。
中には、なかなか登れない子どもを見かねたお母さんもいて、「こうやるのよ!」とササッと登る姿には身のこなしの軽快さを感じさせますが、イラッとした親は発散できても、この先もそんな親についていかねばならない子どもたちを心配してしまいます……
右は、トーテムポールのような柱の周囲を、地に足を着けずに1周することを目指す施設です。
これは結構難しそうで、みなハダシになって取りつきますが、ゴール手前が難関のようです。
外野のお父さんたちは必死にアドバイスしてますが、皆あえなく落ちてしまいます(お父さんは手本見せてくれないの?)。
それぞれの年代ごとに「チャレンジしてみたい」と思わせる環境整備が、この公園施設のテーマなのだと感じます。
この施設開園(1965年5月5日。「こどもの日」祝日制定は1948年)のきっかけは、当時の皇太子(平成天皇)の結婚(1959年:昭和34年)に際して国民から寄せられたお祝いを「こどものための施設に使ってほしい」との意向から、プロジェクトが立ち上がります。
何度か、一家そろって訪問の様子を目にしましたから、平成天皇にとっては「家族」「こども」というテーマの象徴的施設という位置づけのようです。
ここには以前、旧陸軍田奈弾薬庫補給廠があり、丘陵に掘られた弾薬庫の遺構が数多く残されています。
そのひとつに「無名戦士の像」が設置されています(裏が弾薬庫跡)。
──第二次世界大戦時、南洋の戦場で、傷を負い動けない米兵を日本兵がとどめを刺そうとした時、米兵はボーイスカウトの「三指の礼」(敬礼)を無意識に取った。するとその日本兵もボーイスカウト出身で、同じく「三指の礼」で返し、米兵の傷の手当てをし去っていった、というエピソードをレリーフにしたもの(ボーイスカウトは世界共通の人道活動であるとアピール)。
若い時分は、社会ルールや道徳観は自分で身につけるものとの意識がありましたが、近ごろ世間全般から感じるだらしなさには、ボーイスカウトのように規律や道徳心を学ぶことを必修授業とすべき、と思ったりします(オヤジ入ってきたかなぁ……)。
本施設一番の売り物とされるのは、動物と触れあえるゾーンです。
ガキの時分には「ポニーって何?」から、当然「乗りたい!」ですが、結局あこがれのまま現在に至る「ポニー牧場」があります。
もう少しうれしそうな表情の欲しい彼女ですが、大人でも馬に乗ると見える景色が違うと感じますから、驚いて目を丸くしているのかも知れません。
牛やヒツジがいる牧場には、乳搾りの疑似体験ができる「モーモーヒップ」なるマシン(?)があります。
牛の下半身を型どり、乳の部分から乳牛が搾りだせるもので、結構人気があります。
本物の体験もあるそうですが、口蹄疫感染予防の為、疑似体験だけになっています。
自然界の病気から身を守る(感染拡大を防ぐ)必要から、活動範囲や内容の制限が増えていくと、いつの間にか周囲は「疑似体験」ばかりとなり、しまいにはそれで事が足りるようになってしまうかも知れません(バーチャルリアリティとはそのための技術だったの?)。
防疫措置は文明の成果であることは理解しますが、この先は人間も家畜のように耐性が弱くなってしまい、感染者は処分されてしまうのでは? との危惧を感じたりします……
入口正面広場は「落書き広場」とされ、自由な発想から遊びを作り出しています。ツッコミどころではないかも知れないが、彼女らの絵はどうも先細り(進むにつれ○が小さくなる)に見えてしまいます。
ガキの時分は車も少なかったので、路面に「ろう石」で落書きしたり、結構道路で遊べたものでした。
自家用車が少ない(ステータスだった)時代にはオーナーの鼻は高かったわけで、その分運転は横暴になり「そこのけ そこのけ 車が通る」と、子どもなどはけ散らして走り抜けていった印象があります(子供心に反抗して立ち向かっていったのかも……)。
いまどきでは、子どもに写メを撮られて即通報されかねません。
そんなことはないにしても、夢中になって落書きをする姿には、こんな場所の必要性を感じさせられます。
追記
連日ニュースからは、拡大し続ける「中東革命」の様子が伝えられます。
いつかは暴発する火種とはいえ、影響で原油供給が不安定になると、薄日が差してきた経済状況が台無しになってしまいそうで、怖くなります。
でもそれ以上に恐ろしいのは中国で、中東各国で庶民をつないだネットを、以前から遮断して言論を弾圧しているわけですから、そこにくすぶる火種が燃えさかった際の爆発の威力はすさまじいでしょうし、日本への影響は中東の比ではないと思われます。
革命で生まれた国家体制ですから、何としても革命を防ごうと躍起になる姿勢は理解できますが、それは革命で転覆することを覚悟している「思想集団」の逃れられない姿なのではあるまいか。
日本の産業界も、心の準備が必要な時期を向かえたのかも知れません……
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