2011.1.29
【神奈川県】
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この日は、JR横浜線十日市場駅をバスで出発し、長津田駅にたどり着くというコースを歩きました。
長津田(地名は「ながつだ」でも駅名は「ながつた」)駅は、田園都市線、こどもの国線との乗り換え駅ですが、土曜日の夕方に腹をすかせて歩き回っても、食事できる店がまったくない駅前であることを、決して忘れません……
近くに国道246号線(大山街道:起源は奈良時代の東海道、鎌倉時代は鎌倉古道、江戸時代は矢倉沢往還)が通るので、宿場町として栄えたようですが、見聞不足か寺社以外に面影を感じることはできませんでした。
横浜港の開港により、絹糸生産地の八王子方面と横浜の中継地になりますが、そのころから近隣の町田には対抗できなかったようです。
若葉台団地
以前歩いた、三保市民の森に接している若葉台住宅地の中心部です。
遠目からは、比較的なだらかな丘陵地帯の開発に見えましたが、足を踏み入れてみると多摩ニュータウンさながらの急傾斜地開発なので、失礼ながら「町の寿命は短かそう」という印象を受けます。
傾斜地の不便さを裏返した「高低差の多い地形を利用して、車道と歩道・自転車道を立体交差させ、横断歩道の少ない町」を売り文句としています。
1979年の分譲開始から30年が経過し、入居者の子供もここから巣立つ季節を向かえ、人口は減少に転じているそうです。
横浜市営バスを調べていて、「最も便数の多い路線」とあったのもよく理解できましたし、横浜市がここに市営地下鉄グリーンラインを延伸させたい、動機の切実さが分かった気がします(陸の孤島ですもの)。
そのマンション群の壁面を飾っているのが、上写真のようなタイルによる黄色のグラデーションです(ここは低層のスポーツ施設)。
明るさが欲しいにしても、14階建ての壁面にこのセンスはどうなんでしょう?
ちょっと安直なイメージで申し訳ないのですが、このカラーリングの建物群から「黄色い救急車」(精神病院行きの救急車)を想起してしまいました。
勢いで調べてみると、実在せずともそんなうわさ話は、全国的に広まっているようです。
関連となるのか、「ドクターイエロー」と呼ばれる黄色い新幹線(架線や線路を点検する車両)は、現役で走っているのを見たことがあります(フォローになってないね……)。
高尾山
ここは国土地理院の地形図(2万5千分の一)に「高尾山」と記される、横浜市北部の最高峰(100.46m)になります(市内では鎌倉市境界にある大丸山(おまるやま)156mが最高峰)。
見晴らしの良さを期待していたら、向かう道からこんな光景に遭遇してしまいます。
左のうっとおしい建物は、東京工業大学すずかけ台キャンパスになります。
大学の反対側は田園都市線の駅に近く、便利なことは分かりますが、研究には視点を変えた考察も大切ですから、こちらからの景観にも配慮してもらいたかった、とも思います。
山頂の飯縄(いいづな)神社は、八王子市の高尾山薬王院から勧請(かんじょう:神仏の分霊を他の地に移して祭る)され、地元では「高尾様」と親しまれています。
でも、真言宗智山派の関東三大本山(高尾山薬王院、川崎大師、成田山新勝寺)とされるのに、何で神社? ですよね。
起源となる寺院は聖武天皇勅命(奈良時代)により建立されますが、室町時代の住職が飯縄権現を守護神に祭って以来、修験道道場として栄えるようになります。
修験道は神仏習合の信仰なので、寺に鳥居があるなどの形式には無頓着らしく、現代人のこだわりの無い宗教観は、彼らが根付かせたのかも知れません。
山頂に設置された一等三角点は、日本の三角測量の基線(相模野基線)から、最初のターゲット(三角点設置場所)にされますから、当時は目標にしやすい場所柄だったようです(いまも建物の反対側は視界良好)。
※相模野基線:1882年(明治15年)陸軍参謀本部測量課(小説・映画『剣岳 点の記』の世界)→現在の国土地理院が定めた国土測量の基準線。
この背中側には、東名高速道路横浜町田インターチェンジが広がります。
国道16号線の慢性的渋滞緩和のためか、高速入口と246号線をまたぐような2層構造のバイパス路(?)工事の様子が見られます。
完成したら、付近の渋滞をスルーして走ってみたいものです。
高尾山下からわき出す岩川に沿って伸びる谷は、岡部谷戸と呼ばれます。
付近の家の表札は「岡部」姓が多く見られるのでそう呼ばれたのか、岡部谷戸に暮らすので岡部さんになったのか?
日本の地名や姓名のルーツを現代に感じさせてくれる地域です。
フィールドアスレチック 横浜つくし野コース
国土地理院の地形図に記された、小さな谷戸の奥にある「ため池」らしい表記が気になり、そこを目指して歩いていると……
池の表記が写真のフィールドアスレチック施設だとは、うれしい誤算でした。
ここは「フィールドアスレチック 横浜つくし野コース」という、かなり本格的な施設ですから、気持ちも着替えもちゃんとした準備が必要です。
偶然遭遇したわたしと違い、意気込んで訪れたチャレンジャーたちは、この寒さでも池落ちを恐れず挑んでいきます。
尻込みしていた彼女を誘い出すように、彼氏が先にクリアしたものだから、負けん気に火がついた彼女は、盛んに「開き直れ!」「落ちてもいい!」と叫んで気合いを入れ、突撃していき見事にクリアしました。
彼氏の「バッチリ撮ってもらったし」の言葉には恐縮してしまいますが、こんな写真でよければお送りしますので、連絡いただければと思います。
手と足がよく動いていたので成功したのでしょう……
そんな人たちがいる一方、右写真の彼はもうグズグズ状態です。上の「いかだ渡り」で「沈」し、この「たらい」も浸水状態。
一度濡れてしまうと、気持ちが切れてしまうのは分かるのですが、風邪引かないようにと声を掛けたくなります。この日は寒かったし、日影が多い場所ですし……
「これもアスレチック?」下写真の施設には驚きました。アリ地獄というか『砂の女』(1962年 安部公房の小説)を想起するのは古すぎでしょうか。
現場でもこの写真からも、かなり絶望的な印象を受けますが、子どもたちは結構やすやすとはい上がってきます。
恐れを知らないことの素晴らしさは感じますが、大人たちには「はい上がれなかったらどうしよう」という奈落に思えるかも知れません
これを書いていても、小説・映画の「砂地獄」から逃げ出せないイメージが頭をよぎりますから、自分にとっての「苦手なイメージ」を再確認させられた施設といえそうです……
足を踏み入れたときは、ここが有料施設とは知らないので「何で道路にネットが張ってあるの?」程度によけて入りましたが、帰りは「やっぱり有料だよね」を確認するために、門までいって出てきました……(よい子はまねしないでね!)
玄海田公園
どうにも撮りようのない場所なので、こんな絵で失礼。
ここは「玄海田公園」(げんかいだ 限界だ?)とされる2007年に一部オープンし、2010年に運動公園が完成した総合公園で、グランドの人工芝はまだピッカピカでまぶしいのですが、関心の対象はこの田んぼです。
玄海田の名に関心を持ち由緒を調べても、かつて町内に存在した字(あざ)名程度の記述だけで、手がかりも見つかりません。
横浜市もそれほど力を入れておらず、市の広報に「公園がオープンします」以外に登場しないというのも不思議に思えます。
玄海田と思われる上写真の区域は、立ち入り禁止とされています。
その説明書きの「生物の保護」は理解できますが、危険な個所があるとの表記には、言葉を濁している印象を受けます。
玄海田という名称のルーツは不明でも、「自然生態保護区域」への立ち入りが、どんな理由で禁止なのかを説明する義務があるのではあるまいか(ホタルを育てているらしいのですが、うまくいってないのか?)。
全般的にモヤモヤした印象から、ワケあり? と感じたのは「玄海田公園」等で検索して、工事業者のサイトがトップに表示されたことによります。
サイトの認知度アップを目指した、検索エンジン対策をやり過ぎて台無しのいい例と思いますし、横浜市の及び腰にも勘ぐりを入れたくなり、情報公開の不十分さから不信感を抱いてしまう例ではないか、との印象を受けました。
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