2009/10/26

陽光を浴びながら──ソレイユの丘、荒崎

2009.10.18
【神奈川県】

 これまで何度も訪れている三浦半島ですが、「三浦ふれあいの村」「ソレイユの丘」という場所は初めてになります。
 京浜急行の三崎口駅からバスを利用しますが、自治体やバス会社も力を入れているらしく、ソレイユの丘行きの急行バスがあり、間違ってそれに乗ってしまいました。
 北に向かうバスならどれでも途中下車すればいい、と考えていたのですが、急行バスがあるとは調査不足でした……


 三浦ふれあいの村(Map)

 この日海岸では、おじさんたちの「シーカヤック釣り大会?」的な催しがあったようで、オレンジの旗をつけたボートが並んでいます。
 でもこの日は海からの風が強かったので、午後は続けられたのだろうか?


 「神奈川県立三浦ふれあいの村」は、青少年の体験・研修・宿泊施設になります。
 運営・管理は神奈川県の財団法人とされていますが、そこかしこに「横浜YMCA」の表記が見られます。
 おそらく施設を立ち上げたのが横浜YMCAということなのでしょう。
 いい機会と思い調べてみれば、YMCAとは「Young Men's Christian Association」の略とのこと(キリスト教青年会)。
 古い人間が想起したのは、西城秀樹の曲『YOUNG MAN (Y.M.C.A.)』(1979年)で、そのタイトルには、ちゃんと理由があったんだと、今さらながら納得した次第です。
 原曲はヴィレッジ・ピープル(Village People)の『Y.M.C.A.』で、ユースホステルのように相部屋のある宿泊施設のスラングとして、「ゲイの巣窟」との意味があるそうです(歌う彼らの風体もそんな印象がありました)。
 それではまずいと、西城秀樹のY.M.C.A.は「Young Man Can do Anything」の略なんだそうです。
 そんな古い話、どうでもいいよね……

 結構古そうな施設ですがこの日も、少年サッカーチームや、調理実習(?)の団体が利用していました(用もないのにズケズケ中まで入り込んで見学させてもらいました)。
 キャンプで利用するような、屋外炊事場の設備に「窯焼きピザ」用の窯があるのには驚きました。
 いまどきはキャンプでピザか? と思ったものの、屋外炊事場の施設を考えてみれば、レンガやブロックで作られていますから、少しの工夫でピザを焼く窯などはできるだろうと、納得させられました。
 キャンプでは、飯ごうで炊いたご飯とカレーの思い出しかありませんが、時代と共に楽める要素が増えているようです。

 右写真は隣接する畑で施設には関係ありませんが、大根はスクスクと育っているようで「あぁ、おでん食いてぇ!」です。


 ソレイユの丘(Map)

 ここは、南フランス・プロバンス地方をイメージした、農業等の体験学習を目指す公共の施設で、2005年にオープンしました。
 PFI方式(民間資金・技術を活用した公共施設の整備方法)で整備されたとあります。
 なので、入場は無料ですが、各施設の利用は有料になります。
 ソレイユとは、フランス語で「太陽」を意味します。
 天気が良かったこともあり、その場に立った瞬間に、「恵みの丘」にふさわしい立地であると、表情がゆるんでいることに気付かされます。

 戦前までは日本軍の飛行場として使用され、戦後は米軍住宅とされますが、返還後は通信施設として使用されていました。
 現在でも、この敷地を挟むようにレーダー施設が現存しています。
 その北側には自衛隊の駐屯地がありますし、行政区分では「ここも横須賀」になります。
 そんな視点で見直してみると、重要な軍事施設のあった場所を囲んだ線の内側を、「横須賀市」としているようにも思えてきます。


 園内には結構広めの牧場(まきば)があり、馬の飼育に力を入れていることをアピールしています。
 多くの馬を飼育するには、広い土地と手間と費用がかかりますから、好きなだけでは続けられないと思ってしまいます。
 馬事公苑にはかないませんが、近場ではそれに次ぐくらいの数ではないでしょうか。
 ちょうどショーの最中でしたが、馬のショーなので広い場所で行われているため(サッカーコート程度の広さ)、アナウンスで解説をしているのですが、どうも散漫な印象を受けます。
 結構腐心しているようには見えるのですが、観る側もアクロバットは求めていませんから、ほのぼのとした馬のショーってどうやって見せたらいいものか、工夫のしどころという印象です。

 上写真は、西部劇のような柵のセンスが気に入りましたし、その上に腰掛けている関係者と思われる方の姿が、とてもカッコよく見えました。


 この柵の板は、頭が挟まらない程度の間隔に配置されていると思われ、羊たちは鼻先だけを出してエサをねだっています。
 ねだるときは写真のようですが、食べるときは、口を開けると柵につっかえてしまうので、顔を横にして食べています。
 つわものには柵の上部に足をかけ、来園者が差し出すエサを遠慮無くムシャムシャやっているヤツもいました。


 子どもたちはこの斜面を、喜々として駆け上がっていきます。
 「走らないの!」と声を掛ける親たちですが、自分が駆け上れないことの言い訳のように感じられます。
 芝そりを担いで登り、人工芝をそりで滑り降りてきます。
 専用のゲレンデ(?)なので、滑りもいいようですし、ちゃんと受け止めてくれる係員の方がいてくれるので、思いっきり滑れそうです。

 子どもたちには楽園のようですが、ベンチであお向けに寝ているお父さんの姿がとても目につきました。横になれるベンチが多いのも事実です。
 子どもは遊具を目にすると「どうやって遊ぼうか」あれこれ考えますが、お父さんはベンチを目にすると「居眠りすることだけ」を考える存在かも知れません。
 でも、無事目的地に到着し(車では渋滞もあったでしょう)、子どもたちが遊び始めたところで急に気がゆるむというのは、とても分かる気がします。
 陽気に誘われて「頼む、15分だけ眠らせてくれ!」と、子どもにせがんでいたのかも知れません。
 大丈夫、ひと眠りして復活したお父さんはきっと遊んでくれるし、キミたちが帰りの車でスヤスヤ眠っていても、家まで連れて帰ってくれますから。

 ここには温浴施設もあるので(600円)、わたしの場合は「風呂入ってるから」と、そこで居眠りしていそうです……


 畑ではこの季節、落花生やサツマイモの収穫体験が、屋内では、パン・バター・ソーセージ作りなどを体験できます。
 そういった実体験というものが記憶に残り、三浦半島に対する好感度が大人になっても残っていれば、地域おこしの主旨としては狙いどおりと思われますが、それには継続が必要ですから、今後にも期待というところでしょうか。

 上写真はコスモス畑だったようですが、すでに刈り取られてしまったので紹介もできない状況ですが、雰囲気だけでも(写真奧がメーンゲート)。

 天気が良かったこともあり、名前の通り「太陽の恵み」が最も印象に残っています。
 何よりも、海を望める開けたロケーションというものが、気持ちをのびのびとさせてくれることを、再確認させてくれる場所です。


 荒崎(Map)

 本来ならば、上述のソレイユの丘や三浦ふれあいの村まで、磯伝いに歩けるハイキングコースがあるのですが、崩落のため通行禁止とされていました。
 おかげで写真すら撮れませんでした。
 以前の遊歩道は、下写真の洞穴を通り抜けるルートでしたが、現在は立ち入り禁止になっています。
 名前通りの荒い波が打ち寄せ、その影響を受けやすい場所なのかも知れません。
 確かに、危険な場所への立ち入りを禁止する姿勢は理解できるところですが、そんなことしていたら日本の海岸の岩場は、ほとんどが立ち入れなくなってしまいそうな気がします……


 基本的なことですが、海底などに堆積してできる堆積岩(砂岩や泥岩)は、一般的に平坦な海底に平らに積もるので、規則正しい模様を描く岩石として残されます。
 それを踏まえると、元は水平であるはずの地層が、これだけ傾いているのですから、そこには相当な力が加えられたわけで、巨大地震もたびたび起きていたのかも知れません。
 でもその時期は、人類が生まれる以前の時代ですし、その発生間隔の時間の単位も、人間の一生よりもはるかに長い間隔だったと思われます。


 厚みのある黒い地層を白線で示し、そのズレの境界と思われる断層を赤線で示しました。
 三浦半島には、このような地層の様子を観察できる場所が無数にあります。
 そんな視線で、波打ち際の岩場を歩いてみるのも、ひとつの楽しみ方ではないかと思います。


 この人たちは(他にも数人います)、もう夢中になっちゃって危険察知ができない状況に見えました。
 写真では分かりませんが、こちらまでしぶきが飛んでくるような強風の中、足元まで波がかぶっているにもかかわらず、釣りに熱中しています。
 「フィッシャーマンズ・ハイ」とでも言うのでしょうか? 動作は非常にキビキビしています。
 笑いが止まらないほど釣れているのかも知れません……


 この絵を見て「コハダ食いてぇ!」と思ったのは、わたしだけでしょうね(近ごろ食べてないもので)。
 何だか、寿司屋のネタケースに並ぶ「ひかりもの」(サバやイワシ)を想起してしまいました。

 一帯は「荒崎公園」として整備されており、「夕日の丘」とされる、相模湾越しに富士山を眺められる展望の開けた丘があります(この日は富士山を望めませんでした)。
 その展望台に三脚を据えたおばさんが陣取っていました。
 何を撮っているのかと思いながら、帰りのバスを待つこと40分(この地からの代替ルートは思い浮かばないので、覚悟して待ちました)。
 ようやく到着したバスからは、カメラバッグと三脚を担いだ熟年層男女が、グループで降りてきます。
 それを見てようやく「みんな夕日を撮りに来るんだ」と、先ほどのおばさんの気合いを理解できた気がしました。
 渋滞は夜まで続くので、何時に帰れるか分からんぞと思いながらも、自分は「気合いが足りないのか?」と、思わされたりもします……

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