2008.9.25
【神奈川県】
日本民家園
生田(いくた)緑地は、小田急線向ヶ丘遊園駅(遊園地は2002年閉園)から徒歩15分程度の場所にある丘陵地帯を整備した市民公園です。
起伏があるので広さは感じられませんが、日本民家園、青少年科学館(プラネタリウム)、岡本太郎美術館という趣の異なった施設があるので、全部見て回ると1日遊べる公園施設です(現在「藤子・F・不二雄ミュージアム」が準備中だそうです)。
日本民家園は、主に東日本で使われていた古民家を移設・復元して展示する民家の博物館になります。
茅葺きや板葺きの家が点在しているのですが、どれも手近にある材料から作られているため労力は掛かったと思われますが、とても太い木を梁や柱に使用した上、丁寧な作りなのでどの家も丈夫そうに見えます。
一軒家に暮らしたことはないので意見する資格はないのですが、近ごろの建売り住宅やマンションに対して不安を感じるというのは、見えない部分(壁等に隠された裏側)が多すぎるからかも知れません。
ここにある古民家は、柱の状態や屋根の様子まで室内から確認することができ、必要に応じて修繕できるということが、そこに暮らす人の安心感につながるのではないかと思えました。
移築された民家は適宜手入れされていて、屋根の葺き替え作業中で見学できない家屋の縁側で、作業の方が昼寝している姿が目に入りました。
古民家の縁側で昼寝ってのは、気持ちいいんだろうなぁ、などと思ったのですが「都会人は維持する苦労も知らないくせに勝手なことばかり言う」と怒られるかも知れません。
近ごろの「田舎には心優しい人たちが暮らしている」と勝手な解釈をして「甘えさせてください」と、ちん入するテレビ番組と変わらんじゃないかと。
「気持ちよくなるためにあなたは何をしてきたの?」と問われているような気がしてきました。
家屋の中も使えるようになっていて、右写真のように囲炉裏で火を焚きながら解説をしてくれるボランティアの方がいらっしゃいます。
この場でまね事などはできないので、ちゃんと薪を燃やしていてますから当たり前のように屋内には煙が充満しています。
確かに煙たいのですが、これが「人の気配」というものであり、ぬくもりなのだと思われます。
昔の旅人などが人家の明かりを目にした安堵感は、囲炉裏の火を想起したからではないか、と思ったりします。
そんな雰囲気をこの地で体感できるとは驚きなのですが、ここでは「どうぞ、どうぞ」と誘われて上がっても、お茶も出てきませんけどね……
小ぎれいな賃貸の部屋に越してきて、なるべくキレイに使おうとあれこれ遠慮しながら暮らすよりも、どれだけノビノビできるだろうか、とも思いますが、生涯かなわないことでしょう。
岡本太郎美術館
岡本太郎という人の言動についてはあまり好意を持てないのですが、作品はとても分かりやすいと感じています。
「爆発だぁー!」のパフォーマンスは、いまどきはとても受けるかも知れません。
ここは2度目かと思われますが前回、のぞき穴から作品を見るような展示があって、それをのぞいていた子どもが突然、恐怖におののいた表情をして泣き叫びだした状況がとても印象に残っていて再見したかったのですが、展示が変わってしまったようです。
刺激が強すぎる、などのクレームがあったのかも知れません。
この日も小学生たちが団体で社会見学等に訪れていました。
彼らも、わたしが小学生のころに見た大阪万博の太陽の塔に感じた「変な顔〜!」というような印象を持つかも知れません。
でも、それを忘れずに自分の意志で再見して新たな認識が持てたならば、この日の社会見学がとても大切な経験になるのだと思われます。
それをいまの彼らに説得しても理解してもらえないこと、自分の経験から理解できます。
教育って難しいですねぇ。
今回の訪問では、この作家は手を動かしてモノを創るだけで、コミュニケーション能力は「丸出だめ夫」(昔の漫画タイトル)ではないか、なんてことを感じました。ファンの方には怒られそうですね。
わたしは何事も「シンプル・イズ・ベスト」と思うところがあるのですが、太郎さんの作品からもそんな精神が感じられます。
彼は複雑な表現は得意としていない方のようで(それが成功しているとは思えないのですが、渋谷に展示される「明日の神話」は見ててみたいと思います。でもあれはコラージュと思っています)、きっと分析していけばいくつかのパターンに集約されるであろう「曲線」の組み合わせによって、さまざまな表現をしてきたのではないか? と思えます。
そんな曲線たちには、それぞれに込められた「パッション(意志や祈り)」による意味づけがされているゆえ、多様性の表現が可能なのではないだろうか。
公的に使用されていてもわたしには理解不能な「速記文字」ですが、作品がそれに似た暗号のように見えたとしても、作者の思いが伝わるような「曲線」に仕立てることが芸術家の使命なのかも知れませんし、それはしっかりと伝わってきていると思います。
青少年科学館(プラネタリウム)
この川崎市営のプラネタリウムが開館したのは1971年で、小学生のころ月替わりの演題を毎月見に来た思い出があります(映画好きの映画館通いと同じかも知れません)。
当時は入館料が小学生10円(だったと思う)なので、電車賃の方が高かったのではあるまいか。
──これを自慢として書こうと思ったら、現在は中学生以下「無料」なんだそうです。素晴らしい! 川崎市もやるもんじゃのう〜。
当時プラネタリウムと言えば渋谷の五島プラネタリウムしかなく、小学生では入れないほど入館料が高かった印象があるので、天文好きの少年にはパラダイスのように思えたものでした。
「クラスのみんなに宣伝したい」との申し出に、快くパンフレットを何十枚もくれた職員の方がいらしたこと思い出されます(教室でプレゼンした覚えがあります)。
当然のように、スペースシャトルの宇宙飛行士にはなれませんでしたし(アポロ11号のころですからそれこそ、ウルトラマンになりたい! と同じくらいの夢物語でした)、宇宙や天文の仕事にも就けませんでしたが、この場を利用してささいな宣伝しかできませんが、恩返し出来ればと思います。
上写真右側が一般的なプラネタリウム投影機で目にされたことがあるかと思われますが、左側の箱に入った球形のものが少し前に話題となった「メガスターII」と言う410万個の星を投影できる機械で、ギネスブックに「世界一のプラネタリウム」として認定されたそうです。
その星の数で何を表現するかと言えば天の川です。説明員の方も、それを見てもらおうと盛んにアピールしてくれます。入場時に結構性能のいい双眼鏡を貸してくれるのですが、それで星空をのぞいて見ろというわけです。
あれまあ、鳥肌が立つくらい天の川の星がひとつひとつ区別できちゃいます。これは投影機の性能以外あり得ません。また、肉眼ではボヤッとしている星の群れを双眼鏡でのぞくと、アンドロメダ星雲の姿が見えるではありませんか!
これぞ、ガキのころに倍率の低い天体望遠鏡で夜空を見つめたときに出会って感動した光景そのものです。土星の輪や、木星の大赤斑(だいせきはん)、M78星雲付近の馬頭星雲等に「写真と同じだ!」などと感動したものでした……
メガスターを開発した方も、ここのプラネタリウムで星の世界と出会ったと聞きます。
そんな夢を持ってくれる子どもたちがひとりでも増えてくれることを願いつつ、毛利さんたちの足元にも及びませんが協力できればと思い……
東京では星も数えるくらいしか見えないけれど、まずはプラネタリウムで夜空を見上げてごらんよ!
──こんなblog子どもは見ないか……
しかし「何て素晴らしいロマンを持っていたのだろうか」と、自分の少年時代の感性を誇りに感じています。
って、それだけじゃ何の意味もないのだよ。
そのこともちゃんと理解しておりますので、その晩は落ち込みました……
日航機御巣鷹山墜落事故で亡くなられた坂本九ちゃん(呼びやすいので愛称で失礼)は、川崎出身だそうなのでヒット曲「見上げてごらん夜の星を」からタイトルをお借りしました。
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