2008.8.9
【神奈川県】
山手への坂道を登りたくないのでバス路線を調べてみると、付近を通るのは保土ヶ谷〜桜木町の路線だけなので、降り立ったことのない保土ヶ谷駅からのルートを選びました。──いい路線に乗ったと思っています。
山手という場所は山あり谷ありの凸凹の地域で、坂を上がったと思ったらすぐ下るような坂の町で、とても住みやすい場所とは思えないようなところです。
そんな狭い尾根の上には大きな道路は作れませんから、バスが通れるの? という道を対向車とゆずり合いながら走っていきます。道が狭いからといってバスなどの交通手段が無くなると、生活に困ってしまうような一帯です。
車内のお年寄りの話「出るのがおっくうだから、目についた物をついつい買っちゃっていつも荷物になっちゃうんだよ」と、本当に重そうな袋をいくつもぶら下げて降りていきました。
いくら不便であっても高いところに住みたい気持ちというものは、住んでみなければ分からないものなのかも知れません。
山手 イタリア山庭園 外交官の家
しかし現代の「高所好き」の人々は、高層マンションに住むことで山手をも見下ろしています。
数年前に工事中だった石川町駅前のドでかいマンションが完成しており、本庭園のテラスからの眺めがすっかり台無しになっていました。
──ここからの景色好きだったのに…… フェリス女学院あたりの階段からもバッチリ視野に入ってしまいます。
近ごろはここよりも山下町(中華街から山下公園周辺)付近が高層建築物の建設ラッシュというような状況になっています。
確かにみなとみらい線の開通により、渋谷や東京メトロへの便が良くなったのですが、横浜散策の目印であったマリンタワーが海側からしか見えなくなってしまいそうな勢いです……
この家が建てられたころは、ロッキングチェアーに揺られて窓の外を眺めていたのでしょうが、マンションなど眺めてもねぇ……
と思っていたら、もとは渋谷に建てられていた日本人外交官の家が移築されたそうで、アメリカ人の建築家によるアメリカン・ヴィクトリアンという様式だそうです。
明治時代この地にはイタリアの領事館がおかれたことから「イタリア山」と呼ばれていたらしく、そこを「イタリア山庭園」として整備した後に、渋谷から日本人が住んでいた「外交官の家」を移築してきた、ということのようです。
そんな経緯なので、何かしっくりとこない気もしますが、看板にウソは無いようです。
そう言えば、神戸にも日本庭園内にいろいろな国の洋館が移築されていたところがありましたっけ(相楽園)。
そんな「折衷好き」を日本人の特質ととらえれば、ある意味「合理的」「友好的」「おおらか」ともとらえることができるので、世界における日本の役割が見えてきたりしませんか?
そんなことで平和活動ができるか、の声もあるかと思われますが、複数の要素を共に引き立てることにたけた民族性は、他ではあまり見られないように思われすのですが……
──それはどこかの国のようなコピー文化ではありません(別にオリンピックを妨害しようとするものではありません)。
元町 厳島神社
元町という土地で育った人たち(ハマッ子)は、仕事を楽しんでいそうだなぁ、と感じることがあります。
広い土地などの無い商売の町ですから、海外からの刺激を受けて、それをどう商売に結びつけようかと工夫をする。
それをハイカラな物には目の肥えた近所の人や外国人たちから批評・注文を付けられ、さらに工夫を重ねることで現在の「おしゃれブランド」を作ってきた町ではないか、と思えるからです。
わたしが好きと思える町としては珍しいおしゃれな町なのですが、横浜発ではあれ「ブランド」には違いなく、そういったお店に集まる人たち(女性)の気取った姿がどうも好きではないので(「ブランド」も「気取り」も文化ではあるとは思うのですが)、ここでも裏道へ入ってしまいました……
写真の厳島神社はもともと海辺にあった弁天様を移築したそうで、ちょうどフェリス女学院のがけの下あたりになります。
ちょっと構図は悪いのですが鎮守様周辺の夕方の風景で、お祈りをする方とブランコで遊ぶ少女は無関係と思われます。
──商店街の裏にある黒澤明監督ごひいきだったお店の素っ気ないたたずまいが印象に残っています。
中華街
人込みが嫌いなクセになぜか中華街はOKで、もし歩きながら食べている饅頭などのソースを付けられたりしても「中華街じゃしょうがないか」と流せるのでは? とすら思えてしまいます。
活気やバイタリティだろうか? 毎日がお祭りのようだから?(お祭りの人出は好きではない) 食欲か!?(中華好きです)
歩いているだけでも表情が緩んできてしまう町って、なかなか無いと思います。
栄枯盛衰はもちろん、入れ替わりはあるにしても、これだけの店と人が集う町が栄え続けていることに、スゴイと思う前に「儲かるんだろうなぁ」と思うヤツは「コナクテイイヨ!」と言われてしまうかも知れません……
でも、満足したときは「おいしいー!」と、ちゃんとリアクションしますから!
上写真は関帝廟(かんていびょう 前回の間違え修正済。三国志の関羽をまつる商売の神様)の屋根ですが、下の方に鯛やイカのオブジェを見つけよく見てみると、下から海〜人間〜陸(象や虎)〜天(龍)の生き物が並んでいます。
これは華僑の人たちの世界観になるのだと思われますが、最初に目にしたとき「どんな魚料理が出てくるのかなぁ?」「食べたいなぁ!」では関羽に怒られてしまいそうです。
でも、そんな「(食)欲」を否定する町ではないと思えるところが好きなのかも知れません。
時事的な表現というか「これでいいのだ!」ってホッとする言葉だったんですね……
何軒もはしごできるとは思えませんが、円卓を回せる程度の人数を集めて「中華街満腹ツアー」に行きませんか?
2008.8.7
対決 巨匠たちの日本美術──東京国立博物館【東京都 上野】
京都で出会った長谷川等伯の絵を観に行ってまいりました(京都とは違う絵)。
運慶、光琳、若冲(じゃくちゅう)、芦雪(ろせつ)と、今さらながらマイ・チェックリストに加えることができ、これからもまた広がっていくことを楽しみにしております。
別の部屋で開催されていた「六波羅蜜寺の仏像」で「平清盛像」と再会しました(空也像はありませんでした)。
像を所蔵する六波羅蜜寺の悪口を言うものではありませんが、所蔵庫が狭かった印象と、こちらに運び出す際にきちんと手入れされたせいかも知れませんが、清盛像が別物のような光を放っている印象を受けました。
文化財を所蔵する寺社はどこも、ここのような環境で保存せよとは無理な話に思えますが、でも伝え・守られてきた場所にきちんとした設備を整えて保存することが、最も鑑賞に適した環境になるのではないかと思われます。
上写真は博物館隣にある「寛永寺」の「虫塚」で、写生のために使用した虫の供養に建てられたそうです。
上野寛永寺は徳川家の菩提寺で、篤姫の墓もここにあるそうです(非公開)。
大河ドラマを見るまでは、この前を何度通ろうが立ち寄ろうともしなかったのにね……
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