2010/05/31

街道沿いの旧別荘地──大磯

2010.5.16
【神奈川県】

旧東海道(Map)

 JR東海道線大磯駅は丘陵地に隣接しているので、この季節ホームからは、まぶしい新緑が迫るようなロケーションとなり、深呼吸をしたくなる心地よさがあります。
 平塚の隣駅ですが、東海道線の沿線風景はここから郊外に切り替わるようで、時間の進み方も違うように感じられます。

 現在の国道1号線は、ほとんど旧東海道を踏襲して作られていますが、ルート変更された部分には、旧街道の面影が残る場所があります。
 距離はわずかですが、車はほとんど通らず静かですし、道幅は当時と変わらないので歩くにはゆったりとしており、昔の街道の面影に思いをはせることができます。
 東海道は江戸時代に整備されますが、鎌倉時代には古東海道が存在しており、大磯は鎌倉郊外の保養都市とされたそうです。
 ──これは大磯町のホームページの表記で、遊郭があったことを指しています。そのくせサブタイトルが「湘南の奥座敷」では、現在も営業中かと誤解されそうです(そういう意図なの?)。

 「曽我物語」(鎌倉時代初期に起きた曾我兄弟の仇討ちの話)のヒロインである、虎御前(とらごぜん:遊女とされるが、当時の意味では巫女的な存在だった)が大磯にいたそうで、ゆかりの史跡が残されています(やはりそのあたりが町の売りなのかも……)。
 

鴫立庵(しぎたつあん)(Map)


 この名称は、西行(さいぎょう:武士・僧侶・歌人 1118〜1190年)が詠んだ歌にある「鴫(しぎ)がたたずむ沢」の表現から付けられたそうです。
 江戸時代初期(1664年)に崇雪という人物が、西行の歌にちなみ鴫立沢の標石を建てますが、その裏に刻まれた「著盡湘南清絶地:清らかですがすがしく、このうえもなく湘南は素晴らしい所」(中国の景勝地に例えた言葉)の表現が、湘南という名称の始まりとされます。
 その後、俳人大淀三千風が入庵(1695年)して以来、京都の落柿舎(らくししゃ)、滋賀の無名庵と並び、日本三大俳諧道場とされるそうです。
 敷地内には歌碑や墓碑が並ぶ場所柄ゆえ、年配の来訪者が多い名所です。
 五七五という言葉のリズム感は好きなのですが、どうもその先までは関心が向かいません。
 でも、京都落柿舎は門前で引き返したのに、ここには入ったのですから、関心を持つ日も遠くないのかも知れません……




旧島崎藤村邸(Map)

 作家島崎藤村の、終の棲家(ついのすみか)となった「静の草屋」(藤村の命名)が大磯にあります。
 明治時代の名だたる方々の別荘地は、海に面した丘の上にありますが、この家は庶民の家並みの中にひっそりとたたずんでいます。
 藤村がこの地に移り住むことになったのは、第二次世界大戦開戦に備えて「事変のため六十五歳以上のものは、万一の場合帝都を去れ」との疎開命令がきっかけで、69歳での引越となります(とんでもない時代だったことを再認識します)。
 静子夫人(「静の草屋」の名はここからなのでしょう)によると、藤村が最も気に入った書斎だったと伝わります。


 旧島崎藤村邸周辺には、昔ながらの狭い路地が迷路のように続いています。
 いまどき家の前には、車が通れる道幅が求められますが、この地に家が建ち並んだころの必須条件としては、下水路の設置が重要だったと思われます。
 当時はそれを満たせば、道は歩ける幅で十分とされ、路地の原型となったようです(右下写真の路地中央に見える帯は、下水にふたをしたもの)。
 現在でもそんな路地は、平坦地の狭い島や、港・海岸に面した場所等の、人が密集する場所で見かけられます。

 ほど近い国道1号線の信号に、「滄浪閣(そうろうかく)前」の看板があります。
 その海側に、かなり大きめの宴会場的な建物が、閉鎖された姿で残されていますが、それが伊藤博文旧居の滄浪閣のようです。
 関東大震災で倒壊した後に再建され、2007年まで大磯プリンスホテル別館とされますが、閉鎖後に売却されることとなります。
 大磯町が歴史的建築物保存のために名乗りを上げるも、売却額が約25億5千万円では到底無理と断念しますが、新しい所有者に建物の保存協力を求めるそうです。
 当時は政治活動にも利用され、日露戦争の御前会議の下会議が行われた等と聞くと、再建されたとは言え中を見てみたい気もするので、大磯町には頑張っていただきたいところです。
 ──「滄浪」には、何事も自然の成り行きにまかせ身を処する、との意味があるそうで、伊藤博文の人物像にふさわしい気がします。

 伊藤博文が居を構えてからこの辺りには、山縣有朋、西園寺公望、大隈重信など、著名人の別荘が多く建てられ、明治の末には150戸以上の別荘がありました。
 それらの土地はどこも広く、海辺の丘の上に位置していたので(砂丘の上の楼閣か?)、現在ではその跡地を「海辺で暮らす」等のキャッチフレーズでの、ミニタウン的な再開発が盛んなようです。
 先日延焼した旧吉田茂邸(ここは山の上)は、当然ながら門は閉ざされたままですが、再建に向けての草の根運動が始まっていました。


 基本的にのんびりとした町なのですが、国道1号線だけは、渋滞に参加したい(?)車の列が続くことになります。
 道が狭いこの付近の迂回路として西湘バイパスがあっても、そちらも混雑していそうです(これまで何度も登場した相模湾沿いの国道134号線は、大磯駅付近が終点になります)。
 でも、一歩路地に踏みいれば、狭い道の入りくんだ町並みからは、落ち着きや、懐かしい雰囲気が感じられ、時間の流れ方に大きなギャップがある町、という印象を受けました。

 上写真は大磯漁港で、10cm程度の魚(カタクチイワシ?)ですがよく釣れるようで、10分程度ブラブラしている間に、3度ほど釣り上げる姿を目にしました。
 獲物は小さくとも釣れれば楽しいわけで、この付近の雰囲気は、天候や陽気のよさ+αの明るさが感じられました。
 大きな別荘などはもてあましそうなので、小さな獲物でもよろこべる方が、気が楽なのかも知れません……

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