2008.9.5-6
【神奈川県】
鶴見線
横浜市の東端に、あまり明るいイメージを持たれていない鶴見という町があります。
埋め立て地には工場群が立ち並んでおり、部外者はほとんど立ち入ることもない京浜工業地帯を構成しています。
そんな工場群に人を送り込む血管のように、それぞれの埋め立て地に向かって伸びているJR鶴見線という路線があります。
まさしく工場に人を送り込むための通勤用の鉄道ですから、朝・夕の通勤時間以外は1時間に一本程度の運行になります。
そんな交通インフラ的な性格なので、繁盛している路線のようなサービスは皆無で「電車が走ればいい」という運営方針のようです。
そのおかげで古い構造物などがそのまま残されていて、絵になる光景に出会うことができます。
右写真下側に見える、こげ茶色の木の長いすなんてもう東京近郊では目にしなくなりましたよね。
上写真は国道駅の高架下です。
まずそのネーミングがスゴイですよね。ご想像の通り、下に国道が通っているとの理由から命名されたそうです。以前は国道1号とされていたそうで(現在は15号に変更)、いまでも愛称である「イチコク」の名を掲げた看板が近くに見られます。
ちなみに関西には「阪神国道駅」があるそうで、そんなネーミングの安直さは東西を問わないようです。
こんな絵を何かの映像で目にされたことあるかと思われますが、レトロな雰囲気が人気で数多くの映画等でロケに使われているようです。この日もロケハンと思われる集団がいました。
かつて駅の高架下には商店が並んでいたようですが、いまでは明かりのついている焼鳥屋さんだけになってしまい、ゴーストタウンのようです。ここは現在無人駅です。
上写真は鶴見線(支線がいくつもある)のひとつの終点である海芝浦駅で、ご覧のようにホームが海に面しています(車内から撮影)。
ひとつ手前の「新芝浦」の駅名も含めて、東芝(旧東京芝浦電気)の工場があるので「芝浦」の名前になったそうです(東京の田町付近のような地名ではありません)。まあ「○○前」と企業の名前をつけたバス停などはいくらでもありますしね。
ここ海芝浦駅の改札の外は東芝工場の門になっていて、関係者以外は外に出ることはできません(現在、門の手前に小さな公園が作られています)。
ですが、休みの日には従業員の方はいませんから、電車でしか行けない観光スポットのようでもあり(外にも出られないので行って戻るだけですが)、なかなか経験できない感覚として楽しめると思います。
デートのカップルや、モデルさんを頼んだらしい撮影会(3人くらいのオタク系)など、公園感覚で訪れる人が多いようです。
電車は1時間に1本程度しかないのでビビッていましたが、折り返しまで20分くらい時間はありましたし鶴見からも15分弱ですから、気軽に行ける異空間という印象でしょうか。
海とはいえここは東京湾の運河ということをお忘れなく。キレイな海を期待する方などおられないとは思いますが、念のため。
總持寺(そうじじ)
曹洞宗のお寺です。禅寺は久しぶりですが、曹洞宗と言えば? はい、道元ですね。永平寺と並ぶ大本山なのだそうです。
何で門に菊の紋があるのか疑問だったのですが、ここは後醍醐天皇(1339年没)より官寺を賜り曹洞宗大本山と称するようになったそうで、天皇を奉る社があります。
ですがそのころ後醍醐天皇は、鎌倉幕府の打倒を計画していたと思われ、鎌倉五山とされた臨済宗のお寺に対抗するような政治的意図があったようにも思えます。
いずれにしても、天皇に認められれば大本山に昇格とは、ここでもいい加減な序列がまかり通っているのかと。
そりゃここも日本ですから……(總持寺を批判するものではありません)
──永平寺も含む禅寺でよく見られる直線上に並ぶ伽藍(三門・法堂・仏殿・方丈)配置でないことからも、成り立ちの経緯の違いが感じられます。
しかし当時に思いをはせると、京都にいた天皇は話しを聞かされたこの寺のことをどのように思い浮かべたのでしょうか。
感覚としては、異国のように遠い存在という認識であったと思えますし、情報化社会の現在でも、映像を見たり会話をしたりはできますが、心のありようの差異までは読み取れないのではないか、と思われます。
関東から見ても、京都とははるかな地であったことを再認識しました。
現在の建造物は、京都の東・西本願寺にも匹敵するのではと思われる巨大な建物が点在しています。観光バスでお参りに来られる方々がおられるお寺ですから、それなりの規模が求められるのだと思われます(駐車場も広い)。
しかし、表の顔とも言える三門などが何の迷いもなくコンクリートで作られ、当たり前の表情をして参拝者を迎えています。大切なのは心のありようなのです、とでも語りかけているのでしょうか。
これは想像なのですが、禅宗という教義の性格上から、お布施をあまり求めたりしないのではないだろうか。また、建造物(入れ物)についてもお金のかかる木造にはこだわらない、という姿勢なのかも知れないとも思われました。
きっと、そんな姿勢が人の心をつかむのかも知れません。
ちょうど仏殿からは「個人修行」というのでしょうか、多数の僧侶のかけ声や奇声がバラバラに聞こえ、混沌とした空気が伝わってきます。声のそろった読教も迫力がありますが、周囲の騒音にとらわれずに己の世界に集中する姿には、俗世に生きるわれわれも学ぶべきものがあると感じられます。
これは有名かと思われますが「裕ちゃんのお墓→」の手製の看板が、石原裕次郎のお墓の場所を案内してくれます。今回は行きませんでしたが、立派なお墓でお花の数がすごかったこと印象に残っています。
沖縄タウン
「ソーキそば」「ブルーシール」「残波」「沖縄そば」「サーターあんだぎー」など並んだのぼりを見ると、那覇の国際通りの雰囲気を思い出します。
この付近には沖縄県出身者の方が多く暮らしているそうで「鶴見沖縄タウン」と呼ばれ、沖縄関連のお店が数多く並んでおり、沖縄関連飲料だけを販売している自動販売機もあったりします。
ここは、鶴見沖縄県人会館の建物にある「おきなわ物産センター」で、沖縄でしか手に入らない食材なども扱っています。
この日も蒸し暑かったのですが、沖縄では暑い日でも食べていた「沖縄そば」を食べるぞと、味覚の受け入れ態勢は整っていたのですが、土曜日の中途半端な時間帯だったせいかどの店も準備中で、ありつけませんでした。他でお店を探します……
都市というものは「おしゃれ」なだけでは成り立ちません。神戸には神戸製鋼があるように、都市を支えていく産業がなければ人を集めることも、住みやすさをアピールすることもできないわけで、自治体の将来像を描くことができません。
大規模な企業誘致などによる経済成長を期待できる時代ではないのに、地方への税源移譲という名目で国は財政難の自治体を見放そうとしているように思えてなりません。
地の利のある横浜や神戸でもここまでかかってきていることを、再認識するべきと思うのですが……
はて、わたしたちは多くを望みすぎているのでしょうか?
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